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96話 フェイス、愛の力に目覚める。
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「ふむふむ、あんたの話を分かりやすく言えば、家出しちゃったわけか」
イザヨイは、当時の俺の話を真剣に聞いてくれていた。
本当に不思議な女だったよ。どこの貴族の子供とも知れない俺の話にしっかり耳を傾けて、しきりに相槌を打っている。
ちなみにディックは皿洗いをしていた。当時から母親の家事を手伝っていたようだ。あいつらしいな。
「貴族ってのも大変だねぇ、毎日勉強に剣術稽古か。そんなの嫌になって当然だろうさ、家出の一つもしたくなるさね」
「あの……追い返したり、しないんですか? 僕がここに来ているって知られたら、実家から勘違いされて、酷い仕打ちを受けるかも……」
「心配してくれるのかい? ふふ、優しい子だね」
イザヨイは柔らかく笑うと、俺を撫でてきた。
暖かな手にびくりとした。こんな風に頭を撫でて貰うなんて、初めてで……その時は嬉しかったな。
「そうなったらそうなったで、どうにかするさ。今大切なのは、目の前で泣いている子供がいる。その子に優しくするのが大事なんだ」
「母さん、お皿洗い終わったよ!」
「おや、ありがとねディック。ほんとにあんたは良い子だよぉ」
イザヨイは飛びついてきたディックをしっかり抱きしめ、膝にのせた。
ディックを可愛がるイザヨイの顔は慈愛に満ちていて、これもまた鮮烈だった。俺がどれだけねだっても貰えなかった物を、ディックはねだらずとも貰えていたんだ。
「どうして、抱きしめて貰えるの?」
「? どうしてって、どうして?」
「えと……ただ皿洗っただけなのに、なんでお母さんから、抱きしめて貰えるの?」
我ながら変な質問だよな、ディックの奴はきょとんとしていたよ。
したら、イザヨイは察したように俺に手を差し伸べた。
「ほらおいで。口で言うより、された方が分かるよ」
「え? あっ……」
イザヨイに腕を引かれ、俺は初めて人に抱きしめられた。
とても優しくて、安心できた。イザヨイを見上げれば、あいつはディックに向けるのと同じ、柔らかい笑顔を向けていた。
「どうだい? 抱きしめられると、嬉しい気持ちになるだろ? ディックが手伝ってくれて私は嬉しかった、その気持ちをディックにも分けてあげたんだ」
「……お金とか、出てこないのに?」
「ははっ! 誰かに優しくするのに、見返りは必要ないのさ」
イザヨイはそう言って、俺とディックを強く抱きしめてくれた。
底抜けに明るくて、お人好しで、慈愛に満ちた女だったよ。俺なんかを抱きしめて、深い愛情を向けて……言うのは気分悪いが、当時の俺にしちゃ、女神みたいな奴だった。
「ところでクレス、手に肉刺を作っているけど、あんたも剣術をやっているのかい?」
「はい、少しだけ」
「ならさ、ディックと手合わせしてくれないかな? この子の相手になれる子が最近居なくてね、その肉刺の具合からして、結構な腕前なんじゃないか?」
「僕もやってみたいな。クレス君、一緒にやろ」
ディックは木刀を持って、俺を誘ってきた。
断るのもなんだし、遊び半分に付きあってみたよ。したら、意外とあいつは強かった。
イザヨイの教え方もよかったんだろうな、あんなチビのくせに、抜刀術を使いこなしていやがった。
勝負がつかない時間が、結構続いたな。ただ、悪くない時間だった。
俺とやりあうディックは、ずっと笑っていたんだ。俺と剣を打ち合う時間が楽しくて仕方ねぇって感じで、まるで遊んでいるような感覚だった。
それにつられて、俺もついつい、笑っていた。
後にも先にも、同年代と遊んだ唯一の瞬間だ。時折イザヨイも出てきて、俺の剣術の悪い所を教えてくれて、それを直すと自分の事のように喜んで……また俺の頭を撫でてくれたんだ。
誰かに自分の力が認められるのが、嬉しくてたまらなかった。自分と一緒に遊んでくれる……友達の存在が嬉しくて仕方なかった。
イザヨイはおやつにパウンドケーキまで焼いてくれて、丁寧に紅茶まで淹れてくれた。イザヨイは俺を我が子のように接してくれたし、ディックも友達のように俺に接してくれた。
それで俺は初めて感じたよ、「ああ、僕は今、愛されているんだな」とな。
……ディックは俺に、「誰からも愛されたことはない」と言っていた。ああ、そいつは間違ってはないさ。だがなディック……たった一度だけ、ごく短い時間だが、俺は愛された事があったんだよ。
それが、この記憶だ。皮肉だろ? 誰も愛された事がないと断言したお前とその母親が、俺を愛してくれたんだぞ。
「っと、そろそろ夕方だねぇ」
イザヨイがつぶやいて、俺ははっとした。日が傾くほど、俺はこの家族に夢中になっていたんだ。
俺が抜けだしてから随分経っている。これ以上ここに居たら、二人に迷惑がかかると思ってな。
「僕、もう帰ります。今日は、ありがとうございました」
「ん、家の人も心配してるだろうし、急いだ方がいいね。送っていこうか?」
「いえ、大丈夫です」
イザヨイに迷惑かけたくなかったからな。んでもって帰り際、ディックは俺と握手して、こう残してくれたのさ。
「楽しかったよ、クレス君。また遊ぼうね! だって僕達、友達だもの!」
「……うん!」
信じられるか? あいつはこの俺に友達なんて言ったんだぞ? 剣振り回して殺し合いしている相手を、友達だと言ってくれたんだぞ?
「家の人はちゃんとあんたを愛しているはずさ。だから胸張って、自信を持ちなさい。辛い事があったら、いつでも私達の所においで。また一緒に美味い物食べて、元気になろうじゃないか」
「は、はい! ……あの、その……」
言い淀む俺にイザヨイは察したのか、抱きしめてくれた。多分、というか間違いないだろうな。この時の俺は子供ながら、イザヨイに惚れていたと思う。
空虚な毎日に急に舞い降りた、希望に満ちた時間だったよ。今度はいつ二人に会おうか、俺は期待しながら帰っていた。
そのせいで気づかなかったんだろう、王都が異常に静かだって事に。
だってよ、次期勇者が失踪したら、当然捜索願とか出るはずだろ? なのに兵が一人も動いていなかった。俺も馬鹿だぜ、この時点で、歯車が壊れ始めてたのに気づかなかったとはな。
俺は恐る恐る、屋敷に帰っていた。そしたら門番は俺を見るなり、
「ああ、帰られたのですね」
その一言だけで、俺を屋敷に通した。怒りもせず、咎めもせず。
変だと思いつつ自室に戻ると、家庭教師のババァが入ってきた。んでもって俺の前に、大量の課題を出した。
「午前中の課題をしていなかったので、その分を取り返しましょう。それが終わったら剣術指南がありますので」
まるで変わりのない、淡々とした口調だった。あまりにも冷たい対応に俺はぞっとしたね。
普通なら心配したり、怒ったりするだろ? なのに屋敷の連中は俺に、なんの感情も向けなかった。まるで道具か何かに接するように、無機質な態度を取り続けていたんだ。
恐くて仕方なくて、俺は執事を呼びつけ、聞いてみた。俺が家出したのは知っていたのかと。そしたら執事は、
「ええ、存じ上げていました。ですが私達の関与すべき事ではありません」
「ど、どうして?」
「あなたが居なくなっても代わりは作れますので。また奥様が子供をお産みになればよい事。勇者になれない出来損ないなら必要はない。それが旦那様のお言葉です」
「…………!」
執事の一言を受け、俺は心がひび割れた音を聞いた。
あまりのショックで、倒れこみ、気を失った。俺はこの世で誰からも必要とされていない。この屋敷には、誰も味方はいない。子供の心を砕くには、充分な要素だ。
翌日、目を覚ました俺はイザヨイとディックの所へ行こうとした。だけど、窓から奴らの家を見て、俺は目を疑った。
二人の家に火が放たれていたんだ。急いで駆け付けたが、家はもぬけの殻。後から聞いた話じゃ、俺を誘拐した容疑で兵に追われ、二人とも王都から追い出されたって話だ。
犯人は明らかに執事だ。すぐに問い詰めたら、奴はこう答えた。
「勇者に情など必要ありません、あの二人は貴方が強くなる妨げになる。ならば排除するのは当然です。貴方はただ聖剣を使える人間になればいいのです」
「そんな……!」
「それと、一言。あの二人が逃げ際に残した言葉です」
「……なんて?」
「お前となんか、出会わなければよかった。以上です」
この瞬間、俺の心は完璧に砕けた。
あんなに優しくしてくれたのに、俺に沢山の愛情を向けてくれたのに、全部嘘だったのか? 俺は二人を信じたのに、たった一晩で、裏切ったのか?
希望を知った分、裏切りの衝撃は相当な物だった。そして痛感した。愛情なんて物は、薄っぺらで、この世で一番弱い物だと。
どれだけ人に優しくして、愛情を注いだところで……力のある奴に、簡単に壊されてしまうのだから。
信じられる物がなくなり、俺は茫然と自室に戻った。胸にぽっかりと、埋めようのないでかい穴、虚無感を抱きながら。
でもって、いつものように、家庭教師のババァが来て、課題を出して、いつも通りの言葉を言って……。
「……うるさい」
俺はその口を、殴って黙らせた。
「……もうそんな物はやりたくない、やる必要はない。そんな物をしなくても……俺は、誰よりも強い力を持っているんだ」
その日から俺は、屋敷を力で支配した。
俺に剣術指南や課題を強制してくる連中を叩きのめし、食事の同伴を拒否したメイドを暴行し、自分の思うようにさせた。
そしたらどうだ? 力を見せた途端、全部が思い通りになり始めた。誰もがひれ伏し、俺の我儘に従い、やっと俺は望んでいた物を手にしたんだ。
愛情なんて物を信じたって、結局壊されるだけだ。この世は全部、力が正義だ。力がある奴こそが、望む物を手にできるんだ。
『そう、力こそが全てだ。力が無ければ、望む物は収まらない』
このころから俺の頭に、こんな声が聞こえ始めた。
その声の主は、エンディミオンだ。あいつを引き抜いてから気づいた事だがな。
『さぁ、望むままに力を振るえ。貴様が抱いた虚無のまま、動くがいい』
「……ああ、いいぜ」
俺は胸に開いた穴を埋めるために、力を振りまいた。金、女、名声……ほしい物は何でも手に入ったが、どれだけ手に入れても、まるで虚無は晴れなかったよ。
そのうちに俺は、ある話を聞いた。イザヨイとディックが近郊都市で生活しているとな。
正直、顔を見たくもなかった。俺を裏切った連中に、会いたくなかったからな。
それでも、少しだけきになって、何ともなしに足を運んでみたらだ。イザヨイは結核にかかって、死にかけていた。
ディックは必死こいて働いて、薬代を稼いでいたようだが……冒険者稼業で結核の薬が買えるわけねぇだろうが。
俺を裏切った、無様な二人の姿を見て、途方もなく苛立った。特にディックだ、てめぇは力があるんだ。その力がありゃ、望む物が手に入るだろうが。
そう思い、俺は家の者を利用して、奴に殺し屋をさせるよう仕向けた。あいつに力が全てだと教えるために、暴力こそがこの世を支配する物だと教えるために。
俺にとって不都合な貴族や商人を狙わせ、イザヨイの薬を買わせた。多分俺は心のどこかで、イザヨイが治るのを期待していたのかもしれない。……初恋の女だったからな。
だが、結局イザヨイは死んだ。ディックが弱いせいで。
イザヨイの死を受け、俺はディックに憤った。どうしてイザヨイを守れなかった、お前なら守れただろうに! お前にはそれだけの力があるってのによ!
……へっ、今思えば俺は、あいつに歪んだ信頼を向けていたのかもな。
イザヨイの死後、腑抜けになっちまったあいつがムカついて、俺はあいつを叩きのめした。そして服従させたんだ。
もう一度、戻ってほしかった。ディックが、イザヨイが死ぬ前の、ギラギラした状態に。だから力づくで元に戻してやろうとした。けど結局できなくて、あいつを捨てる事にした。壊れた元友人なんか、必要ないからな。
だがあいつは魔王軍に入って、元に戻った。俺と最初に出会った、愛情に満ちていた頃のディックに……。
……なんだ? そう思うと、少しだけ喜ぶ俺がいた。
「……ああ、わかった。理解できたよ。どうして俺が、ディックに拘るのか」
俺にとってあいつは、最初の友達だ。イザヨイも俺を初めて愛してくれた女だ。
その女に愛されたディックは、俺にとって愛情の象徴と呼べる男……俺の、最も欲しい物だ。
俺はずっと、誰かに愛されたかった。愛情を独り占めにして、誰にも渡したくなかった。
だから俺は力ずくで手にしたかったんだ。だってほしい物は、力で手に入れるべきだものな。
俺にとって唯一愛を感じた、たった数時間のひと時。あれを永遠の物にするには、ディックが誰かの手に渡ってはダメなんだ。だってあいつが誰かの手に渡ったら、俺のあの輝かしい時間まで、奪われてしまうのだから。
だから俺は、あいつを殺さなくちゃならないんだ。
ディックを殺して、イザヨイの愛情を俺だけの物にすれば、俺が受けた愛情は永遠に俺の物になる。
はは、ははは……ははははは! そうか、そう言う事か! 俺がディックに向けていたのは憎悪なんかじゃなかったんだ!
「俺はお前を、愛していたようだぜ……ディック!」
お前は俺だけの男だ、誰にも渡さない、唯一の友達だ!
俺が最も欲してやまない友達なら、力ずくで奪わないとなぁ! 俺の愛した女がお前の中で生きているなら、力で手に入れないとなぁ!
ようやく見つけたよ、俺が戦う理由をよぉ!
はははははは! 嬉しいぜ、俺もお前と同じように、愛を知っていたようだ……それが正解か間違いか、そんなのはどうでもいい……。
俺が愛と言ったらそれが愛なのさ!
イザヨイは、当時の俺の話を真剣に聞いてくれていた。
本当に不思議な女だったよ。どこの貴族の子供とも知れない俺の話にしっかり耳を傾けて、しきりに相槌を打っている。
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「貴族ってのも大変だねぇ、毎日勉強に剣術稽古か。そんなの嫌になって当然だろうさ、家出の一つもしたくなるさね」
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「え? あっ……」
イザヨイに腕を引かれ、俺は初めて人に抱きしめられた。
とても優しくて、安心できた。イザヨイを見上げれば、あいつはディックに向けるのと同じ、柔らかい笑顔を向けていた。
「どうだい? 抱きしめられると、嬉しい気持ちになるだろ? ディックが手伝ってくれて私は嬉しかった、その気持ちをディックにも分けてあげたんだ」
「……お金とか、出てこないのに?」
「ははっ! 誰かに優しくするのに、見返りは必要ないのさ」
イザヨイはそう言って、俺とディックを強く抱きしめてくれた。
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「ところでクレス、手に肉刺を作っているけど、あんたも剣術をやっているのかい?」
「はい、少しだけ」
「ならさ、ディックと手合わせしてくれないかな? この子の相手になれる子が最近居なくてね、その肉刺の具合からして、結構な腕前なんじゃないか?」
「僕もやってみたいな。クレス君、一緒にやろ」
ディックは木刀を持って、俺を誘ってきた。
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勝負がつかない時間が、結構続いたな。ただ、悪くない時間だった。
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それにつられて、俺もついつい、笑っていた。
後にも先にも、同年代と遊んだ唯一の瞬間だ。時折イザヨイも出てきて、俺の剣術の悪い所を教えてくれて、それを直すと自分の事のように喜んで……また俺の頭を撫でてくれたんだ。
誰かに自分の力が認められるのが、嬉しくてたまらなかった。自分と一緒に遊んでくれる……友達の存在が嬉しくて仕方なかった。
イザヨイはおやつにパウンドケーキまで焼いてくれて、丁寧に紅茶まで淹れてくれた。イザヨイは俺を我が子のように接してくれたし、ディックも友達のように俺に接してくれた。
それで俺は初めて感じたよ、「ああ、僕は今、愛されているんだな」とな。
……ディックは俺に、「誰からも愛されたことはない」と言っていた。ああ、そいつは間違ってはないさ。だがなディック……たった一度だけ、ごく短い時間だが、俺は愛された事があったんだよ。
それが、この記憶だ。皮肉だろ? 誰も愛された事がないと断言したお前とその母親が、俺を愛してくれたんだぞ。
「っと、そろそろ夕方だねぇ」
イザヨイがつぶやいて、俺ははっとした。日が傾くほど、俺はこの家族に夢中になっていたんだ。
俺が抜けだしてから随分経っている。これ以上ここに居たら、二人に迷惑がかかると思ってな。
「僕、もう帰ります。今日は、ありがとうございました」
「ん、家の人も心配してるだろうし、急いだ方がいいね。送っていこうか?」
「いえ、大丈夫です」
イザヨイに迷惑かけたくなかったからな。んでもって帰り際、ディックは俺と握手して、こう残してくれたのさ。
「楽しかったよ、クレス君。また遊ぼうね! だって僕達、友達だもの!」
「……うん!」
信じられるか? あいつはこの俺に友達なんて言ったんだぞ? 剣振り回して殺し合いしている相手を、友達だと言ってくれたんだぞ?
「家の人はちゃんとあんたを愛しているはずさ。だから胸張って、自信を持ちなさい。辛い事があったら、いつでも私達の所においで。また一緒に美味い物食べて、元気になろうじゃないか」
「は、はい! ……あの、その……」
言い淀む俺にイザヨイは察したのか、抱きしめてくれた。多分、というか間違いないだろうな。この時の俺は子供ながら、イザヨイに惚れていたと思う。
空虚な毎日に急に舞い降りた、希望に満ちた時間だったよ。今度はいつ二人に会おうか、俺は期待しながら帰っていた。
そのせいで気づかなかったんだろう、王都が異常に静かだって事に。
だってよ、次期勇者が失踪したら、当然捜索願とか出るはずだろ? なのに兵が一人も動いていなかった。俺も馬鹿だぜ、この時点で、歯車が壊れ始めてたのに気づかなかったとはな。
俺は恐る恐る、屋敷に帰っていた。そしたら門番は俺を見るなり、
「ああ、帰られたのですね」
その一言だけで、俺を屋敷に通した。怒りもせず、咎めもせず。
変だと思いつつ自室に戻ると、家庭教師のババァが入ってきた。んでもって俺の前に、大量の課題を出した。
「午前中の課題をしていなかったので、その分を取り返しましょう。それが終わったら剣術指南がありますので」
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普通なら心配したり、怒ったりするだろ? なのに屋敷の連中は俺に、なんの感情も向けなかった。まるで道具か何かに接するように、無機質な態度を取り続けていたんだ。
恐くて仕方なくて、俺は執事を呼びつけ、聞いてみた。俺が家出したのは知っていたのかと。そしたら執事は、
「ええ、存じ上げていました。ですが私達の関与すべき事ではありません」
「ど、どうして?」
「あなたが居なくなっても代わりは作れますので。また奥様が子供をお産みになればよい事。勇者になれない出来損ないなら必要はない。それが旦那様のお言葉です」
「…………!」
執事の一言を受け、俺は心がひび割れた音を聞いた。
あまりのショックで、倒れこみ、気を失った。俺はこの世で誰からも必要とされていない。この屋敷には、誰も味方はいない。子供の心を砕くには、充分な要素だ。
翌日、目を覚ました俺はイザヨイとディックの所へ行こうとした。だけど、窓から奴らの家を見て、俺は目を疑った。
二人の家に火が放たれていたんだ。急いで駆け付けたが、家はもぬけの殻。後から聞いた話じゃ、俺を誘拐した容疑で兵に追われ、二人とも王都から追い出されたって話だ。
犯人は明らかに執事だ。すぐに問い詰めたら、奴はこう答えた。
「勇者に情など必要ありません、あの二人は貴方が強くなる妨げになる。ならば排除するのは当然です。貴方はただ聖剣を使える人間になればいいのです」
「そんな……!」
「それと、一言。あの二人が逃げ際に残した言葉です」
「……なんて?」
「お前となんか、出会わなければよかった。以上です」
この瞬間、俺の心は完璧に砕けた。
あんなに優しくしてくれたのに、俺に沢山の愛情を向けてくれたのに、全部嘘だったのか? 俺は二人を信じたのに、たった一晩で、裏切ったのか?
希望を知った分、裏切りの衝撃は相当な物だった。そして痛感した。愛情なんて物は、薄っぺらで、この世で一番弱い物だと。
どれだけ人に優しくして、愛情を注いだところで……力のある奴に、簡単に壊されてしまうのだから。
信じられる物がなくなり、俺は茫然と自室に戻った。胸にぽっかりと、埋めようのないでかい穴、虚無感を抱きながら。
でもって、いつものように、家庭教師のババァが来て、課題を出して、いつも通りの言葉を言って……。
「……うるさい」
俺はその口を、殴って黙らせた。
「……もうそんな物はやりたくない、やる必要はない。そんな物をしなくても……俺は、誰よりも強い力を持っているんだ」
その日から俺は、屋敷を力で支配した。
俺に剣術指南や課題を強制してくる連中を叩きのめし、食事の同伴を拒否したメイドを暴行し、自分の思うようにさせた。
そしたらどうだ? 力を見せた途端、全部が思い通りになり始めた。誰もがひれ伏し、俺の我儘に従い、やっと俺は望んでいた物を手にしたんだ。
愛情なんて物を信じたって、結局壊されるだけだ。この世は全部、力が正義だ。力がある奴こそが、望む物を手にできるんだ。
『そう、力こそが全てだ。力が無ければ、望む物は収まらない』
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俺は胸に開いた穴を埋めるために、力を振りまいた。金、女、名声……ほしい物は何でも手に入ったが、どれだけ手に入れても、まるで虚無は晴れなかったよ。
そのうちに俺は、ある話を聞いた。イザヨイとディックが近郊都市で生活しているとな。
正直、顔を見たくもなかった。俺を裏切った連中に、会いたくなかったからな。
それでも、少しだけきになって、何ともなしに足を運んでみたらだ。イザヨイは結核にかかって、死にかけていた。
ディックは必死こいて働いて、薬代を稼いでいたようだが……冒険者稼業で結核の薬が買えるわけねぇだろうが。
俺を裏切った、無様な二人の姿を見て、途方もなく苛立った。特にディックだ、てめぇは力があるんだ。その力がありゃ、望む物が手に入るだろうが。
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俺にとって不都合な貴族や商人を狙わせ、イザヨイの薬を買わせた。多分俺は心のどこかで、イザヨイが治るのを期待していたのかもしれない。……初恋の女だったからな。
だが、結局イザヨイは死んだ。ディックが弱いせいで。
イザヨイの死を受け、俺はディックに憤った。どうしてイザヨイを守れなかった、お前なら守れただろうに! お前にはそれだけの力があるってのによ!
……へっ、今思えば俺は、あいつに歪んだ信頼を向けていたのかもな。
イザヨイの死後、腑抜けになっちまったあいつがムカついて、俺はあいつを叩きのめした。そして服従させたんだ。
もう一度、戻ってほしかった。ディックが、イザヨイが死ぬ前の、ギラギラした状態に。だから力づくで元に戻してやろうとした。けど結局できなくて、あいつを捨てる事にした。壊れた元友人なんか、必要ないからな。
だがあいつは魔王軍に入って、元に戻った。俺と最初に出会った、愛情に満ちていた頃のディックに……。
……なんだ? そう思うと、少しだけ喜ぶ俺がいた。
「……ああ、わかった。理解できたよ。どうして俺が、ディックに拘るのか」
俺にとってあいつは、最初の友達だ。イザヨイも俺を初めて愛してくれた女だ。
その女に愛されたディックは、俺にとって愛情の象徴と呼べる男……俺の、最も欲しい物だ。
俺はずっと、誰かに愛されたかった。愛情を独り占めにして、誰にも渡したくなかった。
だから俺は力ずくで手にしたかったんだ。だってほしい物は、力で手に入れるべきだものな。
俺にとって唯一愛を感じた、たった数時間のひと時。あれを永遠の物にするには、ディックが誰かの手に渡ってはダメなんだ。だってあいつが誰かの手に渡ったら、俺のあの輝かしい時間まで、奪われてしまうのだから。
だから俺は、あいつを殺さなくちゃならないんだ。
ディックを殺して、イザヨイの愛情を俺だけの物にすれば、俺が受けた愛情は永遠に俺の物になる。
はは、ははは……ははははは! そうか、そう言う事か! 俺がディックに向けていたのは憎悪なんかじゃなかったんだ!
「俺はお前を、愛していたようだぜ……ディック!」
お前は俺だけの男だ、誰にも渡さない、唯一の友達だ!
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ようやく見つけたよ、俺が戦う理由をよぉ!
はははははは! 嬉しいぜ、俺もお前と同じように、愛を知っていたようだ……それが正解か間違いか、そんなのはどうでもいい……。
俺が愛と言ったらそれが愛なのさ!
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【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
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読んでいただけると嬉しいです。
2/26 番外編を投稿しました。
読んでいただけると嬉しいです。
思っていたよりずっとたくさん読んでいただいていてとても嬉しいです。
とてもとてもありがとうございます!!
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