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第六話 冷ややかな視線
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マリアンヌは自分の私室に案内させたが、スピネルをそんなところに連れ込むわけにはいかない。
慌てて私があてがわれている鈴蘭の塔の応接室の準備をさせる。
主である私はそういうものにまるっきり気が回らないが、幸い優秀な侍女や侍従たちのおかげで、ほとんど足を踏み入れていないのに、応接室は常に使えるように維持されていたようだ。
ここ数年、勉強以外に意識が回っていなかったので、久しぶりに足を踏み入れる応接室は、自分の管理している塔のはずなのに「こんな内装だったっけ?」と思う体たらくだ。
「スピネル様、ごきげんよう……」
せっかく来てくれたという相手に対して、露骨に嫌な顔をしてしまったかもしれない。
それは単に、彼がこれからするだろう話が面白くないだろうことに容易に思いいたっているからで他意はない。
自分のそんな不用意な表情でも、スピネル様は綺麗に黙殺してくれた。
一国の姫として育てられて、腹芸はそれなりに嗜んでいるはずなのだけれど、スピネル様もなんだかんだいって身近すぎる存在ではあったので、姫としての仮面が剥がれてしまう。
「こんにちは、ステラ様。先ほどは合格祝いのリクエストを聞くのを忘れてましたから、失礼とは思いましたが押しかけてしまいましたが……私と貴方の仲ですから構わないでしょう?」
「はぁ……」
これは話しが長引きそうだ。そう思って侍女にお茶のセッティングを命じた。
「こうして貴女とゆっくり話すのも久しぶりですね」
話せると思った先に、貴女がとんでもないことを言い出すから、と続けられたのは紛れもなく皮肉であり、嫌みだろう。
試験の追い込みの最後の数か月くらいから、スピネル様と会う時間も惜しんでいたので、二人で会うこともなかったのだ。そして彼はそれに何も言わず、最大限の配慮をしてくれていた。
「でも、もう私と話す必要もなくなりますよ? スピネル様も私なんぞと話すのではなく、もっと見目麗しい女性と恋人らしいことができるようになるのですから。もっと喜んでください」
私はスピネル様のために頑張ったのだから。
こうして私なんかに関わっていたら、まだ続いているんじゃないのか、とか変な噂が流れてしまうかもしれない。
いや、婚約者を捨てて神の身元に走ったひどい婚約者をけなげに支える優しい男という風に評判は上がるかもしれないが。
「そこですよ」
私が色々と妄想していたら、びしり、と整った指先が私の方に向けられる。その指先を見ながら、イケメンはこういうところまで形が綺麗なのね、なんて思ってはいけない。
「ステラ様は、私が貴女との結婚を望んでいないと思ってらっしゃいませんか? 私に婚約破棄を申しつけられた時、お待たせしましたと言ってましたね。あれが気になっていたのです」
それを言われて、「しまった」と思う。
自分のあの「待たせた」という言い方……あれでは私とスピネル様が共犯のようになってしまう。
スピネル様が私をそそのかして試験を受けさせて、二人の婚約を破棄させたようにも聞こえるのだ。
言葉尻を捕らえて、スピネル様が問い詰められたりしたのだろうか。
これは私の単独の意志だと弁明しなくては。
しかし、スピネル様の疑問はそちらではなかったようだ。
「私がいつ、貴女との婚約破棄を望んだというのか、教えていただけますか?」
「これって言った本人は忘れても、言われた方は覚えているという典型ですね……。私、記憶力には自信がありますから。貴方と初めて出会った日、今から4年前のことです」
「初めて出会った日……?」
眉をひそめて記憶を過去に巡らせている様子のスピネル様をじっと見つめて、彼の中の記憶の復活を待つが。
「待ってください。そんなことを言った記憶がないのですけれど」
珍しく焦っているような顔をしている。
そんな彼の珍しくも感情を見せる反応に首を傾げた。
これは逃した魚が大きいという思考だろうか。
それとも、そんな失礼を一国の王女にしたということに気づいて慌てているというのだろうか。
過去の彼の言葉を信じるとなると、彼も彼の家もこの婚約を望んでなかったはずなので、この婚約破棄を黙って受け取ればいいのに、こうして原因を蒸し返すなど手際が悪すぎる。
もしかして、彼の言動が理由で婚約破棄になったと噂され、周囲に責められたりしているのだろうか。その可能性も多いにありうる。
そんなことはさせてなるものか。この騒動は私が最後まで完全に責任を取らなければならないのだ。
スピネル様は私が守る。
一人こっそりとガッツポーズをとった。
「大丈夫ですよ、スピネル様。この婚約破棄は傍目には私の一方的な我が儘なのです。貴方が責を負う必要はありませんの。元々私は変わっているところがあると思われている身。貴方にご迷惑をかけるつもりはありません」
悲しいかな、頭はいいが変わり者と言われてきた実績がある身だ。
確かに一国の姫が望まれるべきことに関しては、まるでできていないことに自信がある。
生まれ持った容姿もしかり、コミュニケーション能力や、女としての可愛げしかり。
そんな私のせいで婚約破棄になったとスピネル様は言って回ってよいのだ。
使えるものは何でも使いましょう。
そして手に入れましょう。
私とスピネル様二人にとっての望ましい未来を。
私は一人で盛り上がっていたのだが……。
「どうやらステラ様はおわかりになってないようですね。もう少し賢い方だと思っておりましたけれど……」
無表情に私を見つめていたスピネル様の、整った形の唇から洩れる声は……やたらと低い。
「貴女はとんでもなく頭が悪いですね」
冷ややかな目で睨むように見据えられて、背筋が凍った。
……え、怒らせた?
「……失礼いたします。それと、貴女の希望が叶うことはないでしょう」
扉から出ていく彼が一度振り返り、人を凍らせるような視線で私を睨んで、捨て台詞のようなものを吐いていく。
しかしそれが捨て台詞でなく、未来における通知であり宣言であると、昔から彼を知る私には感じられたのである。
そして──その言葉の意味を私が知るのはすぐだった。
慌てて私があてがわれている鈴蘭の塔の応接室の準備をさせる。
主である私はそういうものにまるっきり気が回らないが、幸い優秀な侍女や侍従たちのおかげで、ほとんど足を踏み入れていないのに、応接室は常に使えるように維持されていたようだ。
ここ数年、勉強以外に意識が回っていなかったので、久しぶりに足を踏み入れる応接室は、自分の管理している塔のはずなのに「こんな内装だったっけ?」と思う体たらくだ。
「スピネル様、ごきげんよう……」
せっかく来てくれたという相手に対して、露骨に嫌な顔をしてしまったかもしれない。
それは単に、彼がこれからするだろう話が面白くないだろうことに容易に思いいたっているからで他意はない。
自分のそんな不用意な表情でも、スピネル様は綺麗に黙殺してくれた。
一国の姫として育てられて、腹芸はそれなりに嗜んでいるはずなのだけれど、スピネル様もなんだかんだいって身近すぎる存在ではあったので、姫としての仮面が剥がれてしまう。
「こんにちは、ステラ様。先ほどは合格祝いのリクエストを聞くのを忘れてましたから、失礼とは思いましたが押しかけてしまいましたが……私と貴方の仲ですから構わないでしょう?」
「はぁ……」
これは話しが長引きそうだ。そう思って侍女にお茶のセッティングを命じた。
「こうして貴女とゆっくり話すのも久しぶりですね」
話せると思った先に、貴女がとんでもないことを言い出すから、と続けられたのは紛れもなく皮肉であり、嫌みだろう。
試験の追い込みの最後の数か月くらいから、スピネル様と会う時間も惜しんでいたので、二人で会うこともなかったのだ。そして彼はそれに何も言わず、最大限の配慮をしてくれていた。
「でも、もう私と話す必要もなくなりますよ? スピネル様も私なんぞと話すのではなく、もっと見目麗しい女性と恋人らしいことができるようになるのですから。もっと喜んでください」
私はスピネル様のために頑張ったのだから。
こうして私なんかに関わっていたら、まだ続いているんじゃないのか、とか変な噂が流れてしまうかもしれない。
いや、婚約者を捨てて神の身元に走ったひどい婚約者をけなげに支える優しい男という風に評判は上がるかもしれないが。
「そこですよ」
私が色々と妄想していたら、びしり、と整った指先が私の方に向けられる。その指先を見ながら、イケメンはこういうところまで形が綺麗なのね、なんて思ってはいけない。
「ステラ様は、私が貴女との結婚を望んでいないと思ってらっしゃいませんか? 私に婚約破棄を申しつけられた時、お待たせしましたと言ってましたね。あれが気になっていたのです」
それを言われて、「しまった」と思う。
自分のあの「待たせた」という言い方……あれでは私とスピネル様が共犯のようになってしまう。
スピネル様が私をそそのかして試験を受けさせて、二人の婚約を破棄させたようにも聞こえるのだ。
言葉尻を捕らえて、スピネル様が問い詰められたりしたのだろうか。
これは私の単独の意志だと弁明しなくては。
しかし、スピネル様の疑問はそちらではなかったようだ。
「私がいつ、貴女との婚約破棄を望んだというのか、教えていただけますか?」
「これって言った本人は忘れても、言われた方は覚えているという典型ですね……。私、記憶力には自信がありますから。貴方と初めて出会った日、今から4年前のことです」
「初めて出会った日……?」
眉をひそめて記憶を過去に巡らせている様子のスピネル様をじっと見つめて、彼の中の記憶の復活を待つが。
「待ってください。そんなことを言った記憶がないのですけれど」
珍しく焦っているような顔をしている。
そんな彼の珍しくも感情を見せる反応に首を傾げた。
これは逃した魚が大きいという思考だろうか。
それとも、そんな失礼を一国の王女にしたということに気づいて慌てているというのだろうか。
過去の彼の言葉を信じるとなると、彼も彼の家もこの婚約を望んでなかったはずなので、この婚約破棄を黙って受け取ればいいのに、こうして原因を蒸し返すなど手際が悪すぎる。
もしかして、彼の言動が理由で婚約破棄になったと噂され、周囲に責められたりしているのだろうか。その可能性も多いにありうる。
そんなことはさせてなるものか。この騒動は私が最後まで完全に責任を取らなければならないのだ。
スピネル様は私が守る。
一人こっそりとガッツポーズをとった。
「大丈夫ですよ、スピネル様。この婚約破棄は傍目には私の一方的な我が儘なのです。貴方が責を負う必要はありませんの。元々私は変わっているところがあると思われている身。貴方にご迷惑をかけるつもりはありません」
悲しいかな、頭はいいが変わり者と言われてきた実績がある身だ。
確かに一国の姫が望まれるべきことに関しては、まるでできていないことに自信がある。
生まれ持った容姿もしかり、コミュニケーション能力や、女としての可愛げしかり。
そんな私のせいで婚約破棄になったとスピネル様は言って回ってよいのだ。
使えるものは何でも使いましょう。
そして手に入れましょう。
私とスピネル様二人にとっての望ましい未来を。
私は一人で盛り上がっていたのだが……。
「どうやらステラ様はおわかりになってないようですね。もう少し賢い方だと思っておりましたけれど……」
無表情に私を見つめていたスピネル様の、整った形の唇から洩れる声は……やたらと低い。
「貴女はとんでもなく頭が悪いですね」
冷ややかな目で睨むように見据えられて、背筋が凍った。
……え、怒らせた?
「……失礼いたします。それと、貴女の希望が叶うことはないでしょう」
扉から出ていく彼が一度振り返り、人を凍らせるような視線で私を睨んで、捨て台詞のようなものを吐いていく。
しかしそれが捨て台詞でなく、未来における通知であり宣言であると、昔から彼を知る私には感じられたのである。
そして──その言葉の意味を私が知るのはすぐだった。
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