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マッドハニー
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カーニャが最低限の命を取り留めているのは隣家に引っ越してきたファーマー(製薬師)のギル・ビオンディが世話を焼いてくれているお蔭だ。
「彼が一昨日から帰らないのです」
「それで街まで降りたのか・・・」
見えない目と、ろくに歩くことも出来ない足でどれほどの時間をかけたのか、それほど大事なことだったのだろう。
「ギルは出かける前に大きなマッドハニーの巣(マウンテン・オオミツバチ)を取ったから街に売りに行くと言っていました、マッドハニーは希少で高級品です、途中で賊に襲われたのでは考え出したらいてもたってもいられず・・・」
カーニャは罅割れた唇を噛んだ。
「私は余所者だがギルドでも盗賊が出た話は聞かなかったな」
「ギルが降ろしに行ったはずの問屋に行ってみましたが来ていないと言われて・・・私など見捨ててくれていればよいのですが自宅はそのままで貴重品も残されたままです、何事かあったに違いないのです」
「それじゃあ君は、その巣は見ていないのだな」
「はい、孵化した蜂に刺されると危険だからといって見せてはくれませんでした」
「・・・」
「ギルはいつも自分で取りに行っていたのか」
「いいえ、彼は製薬師ですのでよく山に入って薬草なんかは取っていましたがマッドハニーの事は聞いた事はありませんでした」
マッドハニーはマウンテン・オオミツバチという希少な蜂の巣から摂れる蜜の事だ、一説にはエリクサーの原料にもなるという奇跡の蜂蜜、エリクサーでなくても万病に一定の効果を発揮すると市場では非常に高価で取引されている。
半面その蜜は過剰摂取すると麻薬としての効果もあり取扱いには注意がいる。
希少である事には理由がある、蜂の絶対数が少ない事は言うまでもないが、巣がある場所が一番の問題だ。
標高二千メートル以上の山岳、西日が良く当たる岩場、そして大型哺乳類が近づけない崖に営巣する。
巣に近づくためには単なる山登りではなくクライマーとしての技術が必要であり、更に特大のオオミツバチは通常蜜蜂の三倍から四倍の大きさ、この地方にはいないがキイロスズメバチを超える大きさがあり、その気性も荒く攻撃的だ。
素人が採取できるようなものではない事をエミーは知っている。
「おそらくだが、ギルさんは巣を売りに行ったのではなく摂りに行ったのではないか」
「えっ!?でも確かに売りに行くと・・・」
「君に心配をかけたくなかったのだろう」
「それじゃギルは街ではなく山に入ったのですか、なぜそんな噓を」
「マッドハニーは簡単には摂れない、専門のハンターがいるくらいだ」
「そんな・・・」
詳しく言うことは避けた、絶望を与えかねない。
「分かった、山に入ったとすれば痕跡を辿れる、あてもなく街を探すより見つけやすい、行ってみよう」
「本当ですか、ありがとうございます」
「ひとつだけ聞いておきたい、カーニャ、貴方とギルの関係は?」
「ギルは良い人です、こんな私を気にかけて何かと世話を焼いてくれて、でもそれだけです、血縁でもありません」
「恋愛感情は?」
「まさか!ギルは実父より年上です、それにゾンビみたいな私を相手にしたい人なんていません」
「ただのお人好しだと?」
「情の厚い方なのです、あまりに情けない私を不憫に思って・・・恩人です」
それからエミーはカーニャからギルの体格や特徴を聞いた。
そんなに大柄ではない、歳は四十後半、髪は黒く髭は無い、どちらかといえば優男で帯刀はしていない、製薬師であれば強面でない事も頷ける。
季節は冬だ、山の高所には雪が見える、この数日は荒れていないから足跡は追えるだろう。
エミーは小屋の周辺を物色して簡易的な冬装備を整えると早速山に向かうとカーニャに告げた、遭難しているとすれば二日が過ぎている、限界は近い。
テキパキと装備を整えるエミーを見てカーニャが感嘆の溜息を洩らした。
「エミーさんは凄いですね、なんでも的確に出来て・・・同じ女性なのに」
毎度のことだが今訂正するのは面倒だ。
「私は孤児院出身でね、師父が物知りだった、山や川にはよく出かけたよ」
「孤児院?それはどんなところです」
少し驚いた子爵令嬢は孤児院を知らない、上流階級の令嬢は庶民の最下層の事など知る機会は無かったのだろう、説明すると驚いていた。
貴族令嬢が礼節以外の事を学んだり、働いたりいることは恥であり禁忌とされていた、知らなくても当然だった。
「そんなことも知らなくて・・・つくづく自分の愚かさが嫌になります」
「そこは幸せな所だったのですね」
「我が家、東郷塾というけど師父は大きく強く偉大な師父です、物的には恵まれなくとも皆心は豊です・・・まあ、今は物的にある程度余裕はあるとおもいますが」
なにしろ王宮からの支援がある。
「まだ貴方は若い、これから学ぶ時間は沢山残されているさ、そのためにもまずは身体を治そう、パンとスープを用意しておいたから六時間おきに食べて、陽の光を浴びるんだ、それだけでも身体は自然と治ろうとするものだ」
「ギルにも同じ事をいわれました」
「良い奴なんだな」
「はい、ギルは良い人です」
「必ず連れて帰る、待っていな」
エミーは襟を立てて寒空の下に踏み出した。
山に入ると痕跡は直ぐに発見できた、藪を踏んでやはり西側の崖に向かっている。
踏み跡の深さから体重は装備も含めて六十五キロ、歩幅から身長百七十センチ、中肉中背、エミーより一回り大きいが万が一の時は背負える体格だ。
オオミツバチが活動期の春はまだ先だが蜂は死滅した訳でもスズメバチのように巣を捨てて女王蜂だけが冬眠越冬しているわけではない、秋までに大きくした巣の外郭を断熱材として少数精鋭の蜂たちが次の春に向けて準備をしているのだ。
一般的には知られていないが晩秋に咲くギョウリュウバイの花蜜はオオミツバチが分泌する酵素と結び付き、冬の寒さも手伝いゆっくりと春まで熟成される。
今採取できればマッドハニーの中でも最良の蜜となる。
「やはりそうか・・・」
こんな時期にプロの山師は活動しない、ましてハニーハンターなら余計だ、凍った絶壁に取りついてオオミツバチと格闘しながら巣を摂るのはリスクが高すぎる。
「金じゃない、他の理由がある」
エミーは気付いた、滑落転落死の危険を犯してまで素人の製薬師がカーニャの為にハニーハンターの真似事をしているとすれば金が理由ではない。
カーニャの疾病は精神的なダメージを起因とする拒食症が原因、金でどうにかなる話ではない、贅沢な食事をさせればむしろ逆効果だ、そのことを仮にも製薬師であれば判断できないはずはない。
ギルの無謀な行動の理由は製薬に違いない、最良のマッドハニーといえど弱り切ったカーニャに与えるには強すぎる。
製薬師ギルはエミーの知らない何かを知っているのだ。
「彼が一昨日から帰らないのです」
「それで街まで降りたのか・・・」
見えない目と、ろくに歩くことも出来ない足でどれほどの時間をかけたのか、それほど大事なことだったのだろう。
「ギルは出かける前に大きなマッドハニーの巣(マウンテン・オオミツバチ)を取ったから街に売りに行くと言っていました、マッドハニーは希少で高級品です、途中で賊に襲われたのでは考え出したらいてもたってもいられず・・・」
カーニャは罅割れた唇を噛んだ。
「私は余所者だがギルドでも盗賊が出た話は聞かなかったな」
「ギルが降ろしに行ったはずの問屋に行ってみましたが来ていないと言われて・・・私など見捨ててくれていればよいのですが自宅はそのままで貴重品も残されたままです、何事かあったに違いないのです」
「それじゃあ君は、その巣は見ていないのだな」
「はい、孵化した蜂に刺されると危険だからといって見せてはくれませんでした」
「・・・」
「ギルはいつも自分で取りに行っていたのか」
「いいえ、彼は製薬師ですのでよく山に入って薬草なんかは取っていましたがマッドハニーの事は聞いた事はありませんでした」
マッドハニーはマウンテン・オオミツバチという希少な蜂の巣から摂れる蜜の事だ、一説にはエリクサーの原料にもなるという奇跡の蜂蜜、エリクサーでなくても万病に一定の効果を発揮すると市場では非常に高価で取引されている。
半面その蜜は過剰摂取すると麻薬としての効果もあり取扱いには注意がいる。
希少である事には理由がある、蜂の絶対数が少ない事は言うまでもないが、巣がある場所が一番の問題だ。
標高二千メートル以上の山岳、西日が良く当たる岩場、そして大型哺乳類が近づけない崖に営巣する。
巣に近づくためには単なる山登りではなくクライマーとしての技術が必要であり、更に特大のオオミツバチは通常蜜蜂の三倍から四倍の大きさ、この地方にはいないがキイロスズメバチを超える大きさがあり、その気性も荒く攻撃的だ。
素人が採取できるようなものではない事をエミーは知っている。
「おそらくだが、ギルさんは巣を売りに行ったのではなく摂りに行ったのではないか」
「えっ!?でも確かに売りに行くと・・・」
「君に心配をかけたくなかったのだろう」
「それじゃギルは街ではなく山に入ったのですか、なぜそんな噓を」
「マッドハニーは簡単には摂れない、専門のハンターがいるくらいだ」
「そんな・・・」
詳しく言うことは避けた、絶望を与えかねない。
「分かった、山に入ったとすれば痕跡を辿れる、あてもなく街を探すより見つけやすい、行ってみよう」
「本当ですか、ありがとうございます」
「ひとつだけ聞いておきたい、カーニャ、貴方とギルの関係は?」
「ギルは良い人です、こんな私を気にかけて何かと世話を焼いてくれて、でもそれだけです、血縁でもありません」
「恋愛感情は?」
「まさか!ギルは実父より年上です、それにゾンビみたいな私を相手にしたい人なんていません」
「ただのお人好しだと?」
「情の厚い方なのです、あまりに情けない私を不憫に思って・・・恩人です」
それからエミーはカーニャからギルの体格や特徴を聞いた。
そんなに大柄ではない、歳は四十後半、髪は黒く髭は無い、どちらかといえば優男で帯刀はしていない、製薬師であれば強面でない事も頷ける。
季節は冬だ、山の高所には雪が見える、この数日は荒れていないから足跡は追えるだろう。
エミーは小屋の周辺を物色して簡易的な冬装備を整えると早速山に向かうとカーニャに告げた、遭難しているとすれば二日が過ぎている、限界は近い。
テキパキと装備を整えるエミーを見てカーニャが感嘆の溜息を洩らした。
「エミーさんは凄いですね、なんでも的確に出来て・・・同じ女性なのに」
毎度のことだが今訂正するのは面倒だ。
「私は孤児院出身でね、師父が物知りだった、山や川にはよく出かけたよ」
「孤児院?それはどんなところです」
少し驚いた子爵令嬢は孤児院を知らない、上流階級の令嬢は庶民の最下層の事など知る機会は無かったのだろう、説明すると驚いていた。
貴族令嬢が礼節以外の事を学んだり、働いたりいることは恥であり禁忌とされていた、知らなくても当然だった。
「そんなことも知らなくて・・・つくづく自分の愚かさが嫌になります」
「そこは幸せな所だったのですね」
「我が家、東郷塾というけど師父は大きく強く偉大な師父です、物的には恵まれなくとも皆心は豊です・・・まあ、今は物的にある程度余裕はあるとおもいますが」
なにしろ王宮からの支援がある。
「まだ貴方は若い、これから学ぶ時間は沢山残されているさ、そのためにもまずは身体を治そう、パンとスープを用意しておいたから六時間おきに食べて、陽の光を浴びるんだ、それだけでも身体は自然と治ろうとするものだ」
「ギルにも同じ事をいわれました」
「良い奴なんだな」
「はい、ギルは良い人です」
「必ず連れて帰る、待っていな」
エミーは襟を立てて寒空の下に踏み出した。
山に入ると痕跡は直ぐに発見できた、藪を踏んでやはり西側の崖に向かっている。
踏み跡の深さから体重は装備も含めて六十五キロ、歩幅から身長百七十センチ、中肉中背、エミーより一回り大きいが万が一の時は背負える体格だ。
オオミツバチが活動期の春はまだ先だが蜂は死滅した訳でもスズメバチのように巣を捨てて女王蜂だけが冬眠越冬しているわけではない、秋までに大きくした巣の外郭を断熱材として少数精鋭の蜂たちが次の春に向けて準備をしているのだ。
一般的には知られていないが晩秋に咲くギョウリュウバイの花蜜はオオミツバチが分泌する酵素と結び付き、冬の寒さも手伝いゆっくりと春まで熟成される。
今採取できればマッドハニーの中でも最良の蜜となる。
「やはりそうか・・・」
こんな時期にプロの山師は活動しない、ましてハニーハンターなら余計だ、凍った絶壁に取りついてオオミツバチと格闘しながら巣を摂るのはリスクが高すぎる。
「金じゃない、他の理由がある」
エミーは気付いた、滑落転落死の危険を犯してまで素人の製薬師がカーニャの為にハニーハンターの真似事をしているとすれば金が理由ではない。
カーニャの疾病は精神的なダメージを起因とする拒食症が原因、金でどうにかなる話ではない、贅沢な食事をさせればむしろ逆効果だ、そのことを仮にも製薬師であれば判断できないはずはない。
ギルの無謀な行動の理由は製薬に違いない、最良のマッドハニーといえど弱り切ったカーニャに与えるには強すぎる。
製薬師ギルはエミーの知らない何かを知っているのだ。
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