3 / 109
マッドハニー
しおりを挟む
カーニャが最低限の命を取り留めているのは隣家に引っ越してきたファーマー(製薬師)のギル・ビオンディが世話を焼いてくれているお蔭だ。
「彼が一昨日から帰らないのです」
「それで街まで降りたのか・・・」
見えない目と、ろくに歩くことも出来ない足でどれほどの時間をかけたのか、それほど大事なことだったのだろう。
「ギルは出かける前に大きなマッドハニーの巣(マウンテン・オオミツバチ)を取ったから街に売りに行くと言っていました、マッドハニーは希少で高級品です、途中で賊に襲われたのでは考え出したらいてもたってもいられず・・・」
カーニャは罅割れた唇を噛んだ。
「私は余所者だがギルドでも盗賊が出た話は聞かなかったな」
「ギルが降ろしに行ったはずの問屋に行ってみましたが来ていないと言われて・・・私など見捨ててくれていればよいのですが自宅はそのままで貴重品も残されたままです、何事かあったに違いないのです」
「それじゃあ君は、その巣は見ていないのだな」
「はい、孵化した蜂に刺されると危険だからといって見せてはくれませんでした」
「・・・」
「ギルはいつも自分で取りに行っていたのか」
「いいえ、彼は製薬師ですのでよく山に入って薬草なんかは取っていましたがマッドハニーの事は聞いた事はありませんでした」
マッドハニーはマウンテン・オオミツバチという希少な蜂の巣から摂れる蜜の事だ、一説にはエリクサーの原料にもなるという奇跡の蜂蜜、エリクサーでなくても万病に一定の効果を発揮すると市場では非常に高価で取引されている。
半面その蜜は過剰摂取すると麻薬としての効果もあり取扱いには注意がいる。
希少である事には理由がある、蜂の絶対数が少ない事は言うまでもないが、巣がある場所が一番の問題だ。
標高二千メートル以上の山岳、西日が良く当たる岩場、そして大型哺乳類が近づけない崖に営巣する。
巣に近づくためには単なる山登りではなくクライマーとしての技術が必要であり、更に特大のオオミツバチは通常蜜蜂の三倍から四倍の大きさ、この地方にはいないがキイロスズメバチを超える大きさがあり、その気性も荒く攻撃的だ。
素人が採取できるようなものではない事をエミーは知っている。
「おそらくだが、ギルさんは巣を売りに行ったのではなく摂りに行ったのではないか」
「えっ!?でも確かに売りに行くと・・・」
「君に心配をかけたくなかったのだろう」
「それじゃギルは街ではなく山に入ったのですか、なぜそんな噓を」
「マッドハニーは簡単には摂れない、専門のハンターがいるくらいだ」
「そんな・・・」
詳しく言うことは避けた、絶望を与えかねない。
「分かった、山に入ったとすれば痕跡を辿れる、あてもなく街を探すより見つけやすい、行ってみよう」
「本当ですか、ありがとうございます」
「ひとつだけ聞いておきたい、カーニャ、貴方とギルの関係は?」
「ギルは良い人です、こんな私を気にかけて何かと世話を焼いてくれて、でもそれだけです、血縁でもありません」
「恋愛感情は?」
「まさか!ギルは実父より年上です、それにゾンビみたいな私を相手にしたい人なんていません」
「ただのお人好しだと?」
「情の厚い方なのです、あまりに情けない私を不憫に思って・・・恩人です」
それからエミーはカーニャからギルの体格や特徴を聞いた。
そんなに大柄ではない、歳は四十後半、髪は黒く髭は無い、どちらかといえば優男で帯刀はしていない、製薬師であれば強面でない事も頷ける。
季節は冬だ、山の高所には雪が見える、この数日は荒れていないから足跡は追えるだろう。
エミーは小屋の周辺を物色して簡易的な冬装備を整えると早速山に向かうとカーニャに告げた、遭難しているとすれば二日が過ぎている、限界は近い。
テキパキと装備を整えるエミーを見てカーニャが感嘆の溜息を洩らした。
「エミーさんは凄いですね、なんでも的確に出来て・・・同じ女性なのに」
毎度のことだが今訂正するのは面倒だ。
「私は孤児院出身でね、師父が物知りだった、山や川にはよく出かけたよ」
「孤児院?それはどんなところです」
少し驚いた子爵令嬢は孤児院を知らない、上流階級の令嬢は庶民の最下層の事など知る機会は無かったのだろう、説明すると驚いていた。
貴族令嬢が礼節以外の事を学んだり、働いたりいることは恥であり禁忌とされていた、知らなくても当然だった。
「そんなことも知らなくて・・・つくづく自分の愚かさが嫌になります」
「そこは幸せな所だったのですね」
「我が家、東郷塾というけど師父は大きく強く偉大な師父です、物的には恵まれなくとも皆心は豊です・・・まあ、今は物的にある程度余裕はあるとおもいますが」
なにしろ王宮からの支援がある。
「まだ貴方は若い、これから学ぶ時間は沢山残されているさ、そのためにもまずは身体を治そう、パンとスープを用意しておいたから六時間おきに食べて、陽の光を浴びるんだ、それだけでも身体は自然と治ろうとするものだ」
「ギルにも同じ事をいわれました」
「良い奴なんだな」
「はい、ギルは良い人です」
「必ず連れて帰る、待っていな」
エミーは襟を立てて寒空の下に踏み出した。
山に入ると痕跡は直ぐに発見できた、藪を踏んでやはり西側の崖に向かっている。
踏み跡の深さから体重は装備も含めて六十五キロ、歩幅から身長百七十センチ、中肉中背、エミーより一回り大きいが万が一の時は背負える体格だ。
オオミツバチが活動期の春はまだ先だが蜂は死滅した訳でもスズメバチのように巣を捨てて女王蜂だけが冬眠越冬しているわけではない、秋までに大きくした巣の外郭を断熱材として少数精鋭の蜂たちが次の春に向けて準備をしているのだ。
一般的には知られていないが晩秋に咲くギョウリュウバイの花蜜はオオミツバチが分泌する酵素と結び付き、冬の寒さも手伝いゆっくりと春まで熟成される。
今採取できればマッドハニーの中でも最良の蜜となる。
「やはりそうか・・・」
こんな時期にプロの山師は活動しない、ましてハニーハンターなら余計だ、凍った絶壁に取りついてオオミツバチと格闘しながら巣を摂るのはリスクが高すぎる。
「金じゃない、他の理由がある」
エミーは気付いた、滑落転落死の危険を犯してまで素人の製薬師がカーニャの為にハニーハンターの真似事をしているとすれば金が理由ではない。
カーニャの疾病は精神的なダメージを起因とする拒食症が原因、金でどうにかなる話ではない、贅沢な食事をさせればむしろ逆効果だ、そのことを仮にも製薬師であれば判断できないはずはない。
ギルの無謀な行動の理由は製薬に違いない、最良のマッドハニーといえど弱り切ったカーニャに与えるには強すぎる。
製薬師ギルはエミーの知らない何かを知っているのだ。
「彼が一昨日から帰らないのです」
「それで街まで降りたのか・・・」
見えない目と、ろくに歩くことも出来ない足でどれほどの時間をかけたのか、それほど大事なことだったのだろう。
「ギルは出かける前に大きなマッドハニーの巣(マウンテン・オオミツバチ)を取ったから街に売りに行くと言っていました、マッドハニーは希少で高級品です、途中で賊に襲われたのでは考え出したらいてもたってもいられず・・・」
カーニャは罅割れた唇を噛んだ。
「私は余所者だがギルドでも盗賊が出た話は聞かなかったな」
「ギルが降ろしに行ったはずの問屋に行ってみましたが来ていないと言われて・・・私など見捨ててくれていればよいのですが自宅はそのままで貴重品も残されたままです、何事かあったに違いないのです」
「それじゃあ君は、その巣は見ていないのだな」
「はい、孵化した蜂に刺されると危険だからといって見せてはくれませんでした」
「・・・」
「ギルはいつも自分で取りに行っていたのか」
「いいえ、彼は製薬師ですのでよく山に入って薬草なんかは取っていましたがマッドハニーの事は聞いた事はありませんでした」
マッドハニーはマウンテン・オオミツバチという希少な蜂の巣から摂れる蜜の事だ、一説にはエリクサーの原料にもなるという奇跡の蜂蜜、エリクサーでなくても万病に一定の効果を発揮すると市場では非常に高価で取引されている。
半面その蜜は過剰摂取すると麻薬としての効果もあり取扱いには注意がいる。
希少である事には理由がある、蜂の絶対数が少ない事は言うまでもないが、巣がある場所が一番の問題だ。
標高二千メートル以上の山岳、西日が良く当たる岩場、そして大型哺乳類が近づけない崖に営巣する。
巣に近づくためには単なる山登りではなくクライマーとしての技術が必要であり、更に特大のオオミツバチは通常蜜蜂の三倍から四倍の大きさ、この地方にはいないがキイロスズメバチを超える大きさがあり、その気性も荒く攻撃的だ。
素人が採取できるようなものではない事をエミーは知っている。
「おそらくだが、ギルさんは巣を売りに行ったのではなく摂りに行ったのではないか」
「えっ!?でも確かに売りに行くと・・・」
「君に心配をかけたくなかったのだろう」
「それじゃギルは街ではなく山に入ったのですか、なぜそんな噓を」
「マッドハニーは簡単には摂れない、専門のハンターがいるくらいだ」
「そんな・・・」
詳しく言うことは避けた、絶望を与えかねない。
「分かった、山に入ったとすれば痕跡を辿れる、あてもなく街を探すより見つけやすい、行ってみよう」
「本当ですか、ありがとうございます」
「ひとつだけ聞いておきたい、カーニャ、貴方とギルの関係は?」
「ギルは良い人です、こんな私を気にかけて何かと世話を焼いてくれて、でもそれだけです、血縁でもありません」
「恋愛感情は?」
「まさか!ギルは実父より年上です、それにゾンビみたいな私を相手にしたい人なんていません」
「ただのお人好しだと?」
「情の厚い方なのです、あまりに情けない私を不憫に思って・・・恩人です」
それからエミーはカーニャからギルの体格や特徴を聞いた。
そんなに大柄ではない、歳は四十後半、髪は黒く髭は無い、どちらかといえば優男で帯刀はしていない、製薬師であれば強面でない事も頷ける。
季節は冬だ、山の高所には雪が見える、この数日は荒れていないから足跡は追えるだろう。
エミーは小屋の周辺を物色して簡易的な冬装備を整えると早速山に向かうとカーニャに告げた、遭難しているとすれば二日が過ぎている、限界は近い。
テキパキと装備を整えるエミーを見てカーニャが感嘆の溜息を洩らした。
「エミーさんは凄いですね、なんでも的確に出来て・・・同じ女性なのに」
毎度のことだが今訂正するのは面倒だ。
「私は孤児院出身でね、師父が物知りだった、山や川にはよく出かけたよ」
「孤児院?それはどんなところです」
少し驚いた子爵令嬢は孤児院を知らない、上流階級の令嬢は庶民の最下層の事など知る機会は無かったのだろう、説明すると驚いていた。
貴族令嬢が礼節以外の事を学んだり、働いたりいることは恥であり禁忌とされていた、知らなくても当然だった。
「そんなことも知らなくて・・・つくづく自分の愚かさが嫌になります」
「そこは幸せな所だったのですね」
「我が家、東郷塾というけど師父は大きく強く偉大な師父です、物的には恵まれなくとも皆心は豊です・・・まあ、今は物的にある程度余裕はあるとおもいますが」
なにしろ王宮からの支援がある。
「まだ貴方は若い、これから学ぶ時間は沢山残されているさ、そのためにもまずは身体を治そう、パンとスープを用意しておいたから六時間おきに食べて、陽の光を浴びるんだ、それだけでも身体は自然と治ろうとするものだ」
「ギルにも同じ事をいわれました」
「良い奴なんだな」
「はい、ギルは良い人です」
「必ず連れて帰る、待っていな」
エミーは襟を立てて寒空の下に踏み出した。
山に入ると痕跡は直ぐに発見できた、藪を踏んでやはり西側の崖に向かっている。
踏み跡の深さから体重は装備も含めて六十五キロ、歩幅から身長百七十センチ、中肉中背、エミーより一回り大きいが万が一の時は背負える体格だ。
オオミツバチが活動期の春はまだ先だが蜂は死滅した訳でもスズメバチのように巣を捨てて女王蜂だけが冬眠越冬しているわけではない、秋までに大きくした巣の外郭を断熱材として少数精鋭の蜂たちが次の春に向けて準備をしているのだ。
一般的には知られていないが晩秋に咲くギョウリュウバイの花蜜はオオミツバチが分泌する酵素と結び付き、冬の寒さも手伝いゆっくりと春まで熟成される。
今採取できればマッドハニーの中でも最良の蜜となる。
「やはりそうか・・・」
こんな時期にプロの山師は活動しない、ましてハニーハンターなら余計だ、凍った絶壁に取りついてオオミツバチと格闘しながら巣を摂るのはリスクが高すぎる。
「金じゃない、他の理由がある」
エミーは気付いた、滑落転落死の危険を犯してまで素人の製薬師がカーニャの為にハニーハンターの真似事をしているとすれば金が理由ではない。
カーニャの疾病は精神的なダメージを起因とする拒食症が原因、金でどうにかなる話ではない、贅沢な食事をさせればむしろ逆効果だ、そのことを仮にも製薬師であれば判断できないはずはない。
ギルの無謀な行動の理由は製薬に違いない、最良のマッドハニーといえど弱り切ったカーニャに与えるには強すぎる。
製薬師ギルはエミーの知らない何かを知っているのだ。
0
あなたにおすすめの小説
精霊のお仕事
ぼん@ぼおやっじ
ファンタジー
【完結】
オレは前世の記憶を思い出した。
あの世で、ダメじゃん。
でもそこにいたのは地球で慣れ親しんだ神様。神様のおかげで復活がなったが…今世の記憶が飛んでいた。
まあ、オレを拾ってくれたのはいい人達だしオレは彼等と家族になって新しい人生を生きる。
ときどき神様の依頼があったり。
わけのわからん敵が出てきたりする。
たまには人間を蹂躙したりもする。?
まあいいか。
【完結】発明家アレンの異世界工房 ~元・商品開発部員の知識で村おこし始めました~
シマセイ
ファンタジー
過労死した元商品開発部員の田中浩介は、女神の計らいで異世界の少年アレンに転生。
前世の知識と物作りの才能を活かし、村の道具を次々と改良。
その発明は村の生活を豊かにし、アレンは周囲の信頼と期待を集め始める。
「クビにされた俺、幸運スキルでスローライフ満喫中」
チャチャ
ファンタジー
突然、蒼牙の刃から追放された冒険者・ハルト。
だが、彼にはS級スキル【幸運】があった――。
魔物がレアアイテムを落とすのも、偶然宝箱が見つかるのも、すべて彼のスキルのおかげ。
だが、仲間は誰一人そのことに気づかず、無能呼ばわりしていた。
追放されたハルトは、肩の荷が下りたとばかりに、自分のためだけの旅を始める。
訪れる村で出会う人々。偶然拾う伝説級の装備。
そして助けた少女は、実は王国の姫!?
「もう面倒ごとはごめんだ」
そう思っていたハルトだったが、幸運のスキルが運命を引き寄せていく――。
異世界に召喚されたら職業がストレンジャー(異邦”神”)だった件【改訂版】
ぽて
ファンタジー
異世界にクラスごと召喚された龍司だったが、職業はただの『旅人』?
案の定、異世界の王族貴族たちに疎まれて冷遇されていたのだが、本当の職業は神様!? でも一般人より弱いぞ、どゆこと?
そんな折に暗殺されかけた挙句、どさくさに紛れてダンジョンマスターのシータにプロポーズされる。彼女とともに国を出奔した龍司は、元の世界に戻る方法を探すための旅をはじめた。……草刈りに精を出しながら。
「小説家になろう」と「ノベルバ」にも改定前版を掲載中です。
【完結】異世界で魔道具チートでのんびり商売生活
シマセイ
ファンタジー
大学生・誠也は工事現場の穴に落ちて異世界へ。 物体に魔力を付与できるチートスキルを見つけ、 能力を隠しつつ魔道具を作って商業ギルドで商売開始。 のんびりスローライフを目指す毎日が幕を開ける!
巻き込まれ召喚・途中下車~幼女神の加護でチート?
サクラ近衛将監
ファンタジー
商社勤務の社会人一年生リューマが、偶然、勇者候補のヤンキーな連中の近くに居たことから、一緒に巻き込まれて異世界へ強制的に召喚された。万が一そのまま召喚されれば勇者候補ではないために何の力も与えられず悲惨な結末を迎える恐れが多分にあったのだが、その召喚に気づいた被召喚側世界(地球)の神様と召喚側世界(異世界)の神様である幼女神のお陰で助けられて、一旦狭間の世界に留め置かれ、改めて幼女神の加護等を貰ってから、異世界ではあるものの召喚場所とは異なる場所に無事に転移を果たすことができた。リューマは、幼女神の加護と付与された能力のおかげでチートな成長が促され、紆余曲折はありながらも異世界生活を満喫するために生きて行くことになる。
*この作品は「カクヨム」様にも投稿しています。
**週1(土曜日午後9時)の投稿を予定しています。**
いきなり異世界って理不尽だ!
みーか
ファンタジー
三田 陽菜25歳。会社に行こうと家を出たら、足元が消えて、気付けば異世界へ。
自称神様の作った機械のシステムエラーで地球には帰れない。地球の物は何でも魔力と交換できるようにしてもらい、異世界で居心地良く暮らしていきます!
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる