わからないから、教えて ―恋知らずの天才魔術師は秀才教師に執着中

月灯

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星花祭り④

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 そういえば、とバジルが話題を変えた。

「星花祭りで『暁の英雄』の劇するんですか?」
「そうそう、劇場を貸切ってするんだって」
「知りませんでした。え、気になります。どの巻をやるんでしょう」

 バジルも『暁の英雄』の読者だったらしい。さすがロングセラー冒険小説。みんな読んでいる。

「《黄玉の谷》編らしいね」
「え、大好きですそこ。あー、おれも行きたいな……まだ入場券残ってますかね?」
「どうだろう。僕が買ったときは結構残ってたけど」

 それもかなり前だ。いまはどうだろうか。
 そうだ、とアーサーは思いつく。

「チケット余ってるからあげようか?」
「えっいいんですか?」
「うん、誘った相手に断られちゃったんだ」
「……あ」

 バジルは察したらしい。その表情がたちまち曇る。そう、ジルベルトに断られたのである。「断られてしまったんですか……」とバジルが肩を落とす。どうしよう、アーサーより落ち込んでいる気がしなくもない。
 あまり気に病まないで欲しいんだけども。アーサーはわざと明るく笑ってみせた。

「せっかくバジルくんに発破かけてもらったんだけどね。まぁ人混み嫌いで忙しい奴だから。気にしないで」

 そう笑い飛ばすが、バジルの表情は硬い。彼は気まずそうにうつむいた。ふわふわした明るい髪が鼻頭に影を落とす。

「……すみません」
「ん?」
「おれが、無責任に焚きつけたから……」
「バジルくんのせいじゃないよ」
「違うんです。おれ、勝手に脈ありなんじゃないかなって思ってて……後押しさえすれば、きっかけすらあればいけるって思い込んでいました。断られることを考えてなかったです。本当に、ごめんなさい」
「……本当に、バジルくんのせいじゃないよ」

 アーサーはこういうときだというのに、嬉しくなった。

「そうやって心配してくれるのも、背中を押してくれるのも嬉しい。僕はその場で足踏みしてしまう性格だからさ」

 誘わなければよかった、と後悔しなかったわけじゃない。けれど頭を冷やして考えれば、誘わなかったところで「あのとき誘っておけば」と後悔したに違いないのだ。むしろそのほうが勇気をだせなかった自分に失望しただろう。断られたことは結果にしか過ぎない。そう考えれば、現状のほうがよっぽどマシだった。
 それに、ジルベルトはあれからも変わらず夜にやってくる。ああやって誘っても関係にヒビは入らない、そう安心できたのは大きい。

「あのあと険悪になったとかもないし、現状のままだよ。だからバジルくんは気に病まなくて大丈夫。気遣ってくれてありがとう」
「……はい」
「というわけで、ひとりは寂しいしチケットもったいないから、どう?」
「いただきます」

 責任をもって、と神妙な顔で頷く彼に、アーサーは笑った。バジルも少し笑った。

「あとでチケット渡すね」
「ちなみにどの回です?」
「昼の回だよ」
「あ、じゃあご飯食べがてらですね。……よっしゃ、それ楽しみに仕事がんばります」

 ぺちぺちと頬を叩き、バジルはようやく顔が見える程度に減ってきた書類の山に向き合った。



***


 その日、アーサーは花火の音で目を覚ました。
 忙しさもいずれ終わりが来る。終わりが見えないほどの仕事もある程度の目途がつき、星花祭りの日を迎えた。外からは続けてパン、パンと音が聞こえてくる。星花祭りの朝はこの花火から始まるのだ。街に出れば、そこかしこの窓に星花が飾られているだろう。

「……あ」

 目を覚ますと、ジルベルトはいなかった。昨夜も姿を見なかったし、寝具が使われた様子もない。昨日は来なかったようだ。
 ……来るのが当たり前、なんて思っちゃだめだな。
 最近は毎晩来るせいで忘れかけていたが、もともとジルベルトは気ままな人間である。少し前までは半年顔を見ないことだってザラだった。ここ最近の訪問頻度を当然だと思ってはいけない。

「起きるか」

 ベッドから身を起こし、伸びをする。眼鏡を取り、レンズに浮いた埃をパジャマの端で拭った。本当は眼鏡拭きを使うべきだが、ときどきこうしてサボってしまう。真面目できちんとしていると評されるが、実態はこんなものだ。
 時計を見ると、仕事がある日とそう変わらない起床時間である。バジルとの待ち合わせにはまだ時間があった。「めいっぱい楽しんで見返してやりましょうね」と笑う悪い顔を思い出して、アーサーはくつくつ息を漏らした。きっと彼なりの励ましだろう。
 湯を沸かしてパンを焼く。その間に卵も焼いて、ちょうど焼き上がったパンにバターを塗った。そのままもう一人のぶんのパンを焼きそうになって、そうだ今日はいないのだと思い出す。しかし気づくのが遅い、目玉焼きはすでに二皿作ってしまっていた。ジルベルトが来るのを当然だと思うな、と決心したそばからこれだ。アーサーは溜め息をついてケチャップを取りに立った。



 バジルとの待ち合わせは広場中央の時計塔前だった。

「あ、先生!」
「おはよう」

 アーサーの姿を見つけたバジルが大きく手を振る。年に一度の女神生誕祭とあって、道中も広場も人が多い。各所に花が飾られ、屋台がいくつも並ぶさまはまさに非日常だ。行きかう人々も表情が明るく、おめかししたのか上等な服を着た子どもも多い。道中では生徒らしき姿も何人か見かけた。教師に会っても気まずいだろうから声はかけない。というより、なるべく会いたくない。休日の教師なんて生徒にとっては格好の娯楽だ。かつて己も生徒だったからわかる。こんな服装を着ていた、あれを食べていた、こんなものを買っていた、なにからなにまで好き勝手噂されるのである。
 風船を手に駆け回る子どもたちを避けながら、アーサーはバジルのもとへ歩み寄った。

「おはようございます。早かったですね」
「バジルくんもね」

 まだ待ち合わせの時間まで四半刻ほどある。楽しみだったのでつい。と頭を掻いた彼は、持っていたチラシをアーサーへ見せた。地図とメインイベントが色とりどりに書かれたそれは、入り口で配られていたものだ。アーサーもさっき一枚もらったところである。

「お昼までまだまだ時間ありますし、どこか行きます? 先生は気になるものありますか」
「そうだなぁ……スタンプラリーとかやってみたいかも」
「いいですね。スタートどこだろ」
「ここの近くだね。スタンプシートもらいに行こうか」
「行きましょ行きましょ。――あ、あそこ、星花サイダーですって。おいしそう。買ってきていいですか?」
「もちろん」

 さっそく脇道に逸れながら、雑踏の中をのんびりと歩く。スタンプラリー開始地点に辿りつくころには、バジルの手にはサイダーと串焼き肉が三本あった。その口はドーナツでいっぱいである。
 ごくり、と口内のドーナツを飲み込み、バジルは頬を緩めた。口の端に粉砂糖がついている。

「祭りの屋台ってどうしてこんなおいしいんでしょうね」
「なんか魔術でもかかってる? ってくらい違うよね」
「……かかってたりして」
「さすがに聞いたことないなぁ」

 アーサーの相槌に、串焼き肉を頬張りながらバジルが頷く。若さに任せた食いっぷりは見ていて気持ちがいい。いや、アーサーもまだまだ若いけれど。

「先生は食べないんですか?」
「今日けっこう朝多かったんだよね」

 あと、バジルを見ているだけでお腹がいっぱいになってきた。

「そうなんですか? おれは屋台を満喫するために朝抜きましたよ」

 本気である。バジルが屋台飯をおいしく感じるのは、空腹のせいもあるかもしれない。思わず吹き出すと、「あっいやしいって思いましたね」とバジルが頬を膨らませた。

「微笑ましいなって思っただけだよ。――すみません、スタンプ紙ふたり分ください」

 スタッフに声を掛けると、ベールを被った彼女はにこにこと籠から渡してくれた。星花を飾ったベールやひだの多い白ワンピースは、女神の模してのことだろう。教会にある女神像とよく似ている。
 スタンプ紙を見る限り、六ヶ所回ればよいらしい。このあと行く予定の劇場も入っている。大きめの催しを網羅しているのだろう。

「先生、近そうなとこあります?」
「えーとね、蚤の市かな。東通りだね」

 スタンプ紙を見せる。蚤の市ですか、とバジルが唸った。

「おれ、いま財布の紐がゆるゆるなので、おれが無駄遣いしそうになったら止めてくださいね」
「大袈裟じゃない?」
「本当です、止めてください。おれ、こういうときついつい変な壺とか魔術仕掛けの箱とか買っちゃうんですよ……」
「バジルくんの部屋ががぜん気になってきたな」

 そう気楽に笑っていたアーサーだったが、バジルが店主に乗せられるまま異国衣装を着た巨大人形を買いかけるにいたって、彼の言が冗談でもなんでもないことを理解した。
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