月の砂漠のかぐや姫

くにん

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月の砂漠のかぐや姫 第50話

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「空風っていうのか、あのオオノスリ。しかし、上手く操っているよな、小苑(しょうえん)。いったいどうやってるんだ」
「へへっ、空風は、雛の時から俺が育てた相棒っすから。指笛の音で指示を伝えることが出来るんす。長音一声が来い、二声が進め、探せ。単音一声が太陽の方角、二声が太陽に向かって右、三声が反対、四声が左、などなどって寸法っす。もちろん俺の指笛にしか反応しないっすけど」
「ははぁ、だから苑と呼ばれているんだな」
「えーとまぁ、あ、反応しましたよ、羽磋殿」
 この少年は周りの者から「苑」と呼ばれているようですが、「苑」には「動物を飼うもの、飼う場所」という意味があるのです。オオノスリを操る技術に対して羽磋が見せた驚きに、苑は得意満面でした。空風と名付けたオオノスリについて話したくてたまらない様子ですが、そんな苑を制するように「ヒュア、ヒュア」という声が空から降ってきました。
 狭間の南側、入口からしばらく行った先の上空で、雲一つない一面の青を背景にして、オオノスリがくるくると旋回しながら、甲高い声で鳴いていました。
「やっぱり、こういう地形は危ないっす。どうやら、慎重に行動して正解だったようっす。あそこにだれかが隠れているって、空風が教えてくれてます。あっ」
 狭間の南側の土襞の中から、数本の矢が上空のオオノスリに向って飛んでいきました。しかし、真上に向って放たれたその矢は、オオノスリが旋回する高さにまで上がる前に、力を失って地面へと戻っていくのでした。
 その矢を放った射手は、二人のいる場所からは見ることはできません。オオノスリの鳴き声と、それに向って射かけられた矢の存在がなければ、そこに誰かが隠れていることなどわかりようがありませんでした。しかし、今ではもう、二人には、その土襞の向こうにいる射手の、悔しがっている表情までが、目に浮かんでくるようでした。
「くそっ、あいつら、俺の空風に射かけるなんてっ。後悔させてやる」
 ピー、ピー、ピー、ピッ・・・・・・
 自分の相棒であるオオノスリに矢を射かけられた苑は、素早く指笛で合図を送りこの場から離れさせると、自分はゆっくりと狭間の入口に馬を進めました。そして、羽磋に、小声で話しかけました。その表情は、先ほどまでのものとは全く違う、怒りに満ちたものでした。
「羽磋殿、あいつら、馬鹿っす。きっと乗ってきますから、引っ張り出しましょう」
 苑の言いたいことは、このような荒事の経験が少ない羽磋にもわかりました、あそこで矢を射る意味なんてないのです。自分の頭上で鳥が鳴いている、それだけのことなのです。もし、苑が指笛で指示を送っていることに感づき、それで自分たちが待ち伏せをしていることがばれたことに気が付いたとしても、なにも矢を射てそれを決定づけることはないのです。「鳥が鳴いたけれども、本当に誰かが潜んでいるのだろうか」と考えて、ひょっとしたら迂回路を選択せずに、自分たちが襲撃するのに有利な狭間を通って来てくれる可能性も、まだあるのですから。
「あ、小苑。あぁもう、しょうがないなぁ」
 一方で、羽磋には、苑の行動も不必要なものに思えました。待ち伏せがあるのがはっきりしたのですから、一番確実な対処法は、戻ってそれを交易隊に伝え、迂回路をとることです。それなのに、わざわざ、待ち伏せを引っ張り出すために誘いをかけるなんて。自分の相棒と言って可愛がっているオオノスリに矢を射かけられたのが悔しくて、頭に血が上ってしまったのでしょうか。
 戸惑いと共に見守る羽磋の前で、苑は落ち着いて弓と矢筒の位置を整えました。ふっと、軽く息を吐いて、羽磋に「遅れないで着いてきてくださいっす」と一声かけると。
 苑は、勢いよく馬の腹を蹴りました。
「ええっ、ちょっと、小苑っ。そっちかっ」
 ドドッ、ドド、ドドドッ。
 苑は、左手に弓を持ち、右手で手綱を操りながら、まっすぐに狭間の中へと馬を走らせていきました。
「おい、そこには、誰かが‥‥‥。えい、くそ。それっ」
 狭間の中で誰かが待ち伏せをしていることが明確になったばかりだというのに、苑はそこへ飛び込んでいくのです。羽磋は、苑が「引っ張り出す」と言ったのは、待ち伏せをしている誰かを、何らかの誘いで狭間の外へ引っ張り出すということだと思っていました。
 でも、いや、もう迷っている時間はありません。苑は「遅れないで着いて来てくれ」と言いました。羽磋は、自分が背にしていた弓を左手に持ち変えると、急いで苑の後を追いました。それは、羽磋が覚悟を決めるだけの余裕もない、ほんのわずかな時間での出来事でした。
 ドドッ、ドゥ、ドドッドウ‥‥‥。
 苑は、羽磋が遅れずについてきていることを、背中に響いてくる蹄の音で感じると、満足そうに頷きました。もちろん、馬の速度はゆるめません。二人はどんどんと狭間の入口に近づいていき、そして、その中へつっ込んでいきました。
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