君が花に溺れるまで

咲花楓

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瑠璃玉薊

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 春風に揺られる草木が窓から顔を覗かせる。
 君のいない教室、朝の陽気に包まれる僕は、ホームルーム中だというのに眠くて仕方なかった。昨晩は筆が乗って遅くまで小説を書いてしまった。きっと寝不足だろう。
 新学期、空いた教室で渡されたその紙には、僕の後ろに文目の名前がなかった。一,二年生と同じクラスだったので、三年生も偶然同じになると思っていたが、そう上手くはいかないようだ。
「もう三年生なので、進学を考えている人は志望校を決めるように。夏前には決めて夏に頑張るのが大切ですよ。」
「志望校、か。」
 これまで通り、目指していた国立の生物系でいいだろう。中学生の頃からずっと生物が好きで頑張ってきたんだ、ここで急な進路変更はまずありえない。ひとつ気になる点があるとすれば、文目と離れてしまう事だろう。彼女は文系だし、目指しているのは私立だと聞いた。別に大学が違くても会うのは容易だが、学校が離れてしまうというのは少し寂しい。
「では、学級委員を決めたいと思います。希望者は手を挙げてください。」
 そんな僕を抜きに勝手に進んでいくホームルーム。
「はい、私やります。」
 一人の女子が手を挙げる。こういうときに率先して手を挙げられるというのはなんというか、すごいなと思ってしまう。
「では、他に人がいないので学級委員は白瀬さんでよろしいですか?」
 音もなくただ頷く生徒たち。間も開けず拍手が起きる。この拍手は一体何なのだろうなと、六年前から相も変わらず同じような疑問を持ち続ける。
「ではここからは私が進行します、このクラスの学級委員になった白瀬真那です。よろしくお願いします。」
 再び拍手が起こる。どうしても耳障りに頭に響く。
 ため息をつくこともなく僕は静かにスマホの画面を覗いた。ここからは僕は関係ない。いや、ずっと前から関係なかったのかもしれない。小説でも書いていようと、また世界に入り込んだ。
「風紀委員をやりたい人、いますか?」
 ふとした瞬間、静かな教室に響き渡るその声で現実に引き戻される。誰も手を上げない教室、それは一分、二分と時間がたっても変わらなかった。
「じゃあ、やりたい人がいたら、終わった後でもいいので私か先生に言ってください。」
 その言葉と共に飛ばされる風紀委員のターン。人気がないのか、誰もやろうとしないそれは、「きっと誰かがやるだろう」という思いで生徒たちの心の間をたらい回しにされる。
 仕方のない人たちだ、と眺めながら手を挙げた。
 どうしてかは覚えていない。誰もやらないならば僕がやろうという衝動に突き動かされた。今まで、少なくとも一年生頃までの僕ならこんなことはしなかったはずだ。それまで自分の世界に深く閉じこもっていた僕はきっと、文目に出会って変われたのだ。少しずつ、外を知りたいと思えたのだ。
「じゃあ風紀委員は……早河くんで、いいですか?」
 ぱちぱち、と再び拍手が起こる。これも案外悪くないのかもな、と手のひらを返すところだった。
 
「あ、えっと……早河、くんは……」
 次の日の昼休み、喧騒を切り裂いたのは聞きなじみのある声だった。
「あ、文目」
 駆け足でドアの方へ駆け寄る。なんだか周りの目が恥ずかしくて、彼女を廊下へ押し出してしまう。
「あ、いや。お昼、一緒にどうかなって。」
「あ、わかった。お弁当取ってくるから、ちょっとだけ待ってて。」
 クラスが離れただけでどうしてか少し気まずく感じる。足早に彼女の前を通り抜け、再び教室へ入る。まるでレースゲームのゴールのように強くハイライトされて見える自分の席へ急ぐ。
 リュックから弁当箱を取り出し、次は廊下というゴールへ駆け抜ける。
 どうして僕がこんなに急いでいるのかというと理由は単純で、文目と付き合っているからだ。実際文目は学年の中でも度々名前を聞くほど有名人(?)であり、それも美人だからだ。そのうえ優しくて成績優秀なんだから、有名人にもなるわけで。そんな文目と付き合っているから僕もこうして周りから見られるのだ。ああ、恥ずかしくてたまらない。
 二人で逃げるように来た中庭のベンチの上で、僕はそっとため息をついた。
「なんだか、色々大変みたいね……」
「別に、大丈夫……」
 そんな何気ない会話をしながら弁当を広げた。
「もう三年生だし、進路とか考えないとだよね。晴くんは、やっぱり生物系に行くの?」
 目の前の花壇を眺めながら、彼女は言う。
「うん。僕はそのつもり。文目は……文系だもんね、同じ学校じゃなくなっちゃうけど……」
「別に、学校が離れたって会えなくなるわけじゃないし。それに、お互い学びたいことを見つけて進学できるんだったたら、その方がいいでしょ。」
「……うん、そうだね。」
 その通りだ、と納得する。文目もそう言ってくれるのなら。別に学校が違くたっていいだろう。そう割り切ることにした。
「それで、なんだけどさ。」
 その瞬間、顔を赤らめる文目。
「その……晴くんがよければ、なんだけどね。来年から、一緒に暮らしたいな、なんて……」
 真っ赤になった顔を手で覆い隠す。
「わ、わわ、私、何言ってるんだろ。そ、そんな……」
 僕も彼女も一年生の頃からバイトはしているし、お金もそこそこ溜まってはいる。学校が違くても、帰った先でいつも一緒に居られるのはいい選択ではないだろうか。とまた彼女の言葉に納得してしまう。
「僕は、別にいいよ。二人で暮らすの、楽しそう。」
「え、ええ、いいの……?」
 そっと視界を開く彼女は未だ赤い顔で目を細める。
 卵焼きを頬張りながら、二人で微笑み合っていた。
 そんな視界の端に、紫色の刺々しい瑠璃玉薊が映る。
「あれ?」

 ここにこんな花、あったっけ。



「……!」
 目を覚ましたベッドの上。また、懐かしい夢を見ていた。
 起き上がった僕はすぐに異変に気付く。また、文目がいない。
 いつものように上着を羽織る。いつものように殻になった布団を背に玄関へ向かった。

「はあ、はあ」
 何かがおかしい。もう切れかかっている息を何とか繋ぐ。
 あそこにも、あそこにも、ここにもいない。今まで何回も彼女を捜した。だから、彼女の行きつく先なんてもうわかっていたつもりだった。なのに、見つけ出せない。どれだけ歩き回っても、何もない。徐々に速くなる足はやがて走り出す。
 なんで、どうして。そんな言葉を漏らす。
「嫌だ、嫌だ。」
 きっといつかは来ると思っていた。わかっていた。けど、いざ来るとどうも心が落ち着かなくなる。
「もしかしたら、入れ違いで家に戻っているのかもしれない。」
 きっとそうだ、その筈だ。その言葉を肯定するしかなくて、必死に来た道を戻る。どんどん重くなる足。そんなものは知らないと、必死に彼女を求める。
「文目っ!」
 強い力で扉を引く。大きな音を立てて崩れる部屋の中の空気は、軈て僕を取り込む。
「文目っ、いるんだろ。」
 必死に狭い部屋の中を捜しまわる。どこにも、痕跡はない。不意に、あることに気付く。いつもと違う場所。彼女のスマホが、ない。それどころか、今日の僕は物音で目を覚まさなかった。きっと、彼女が家を出て時間が経ってから目を覚ましたのだろう。
「……じゃあ、文目はどこにいるんだよ」
 どこか遠くに行ったことだけが確かだった。でも、どうやって捜せばいい?警察?そんな大事にしたら大変なことになる。でも自分で探すのはもっと大変だ。
「はあ、はあ」
 どんどん荒くなる息。
「……きっと、帰ってくるから。戻ってくるまで、待っていよう、そうしよう……」
 回り続ける頭をなだめるようにわざと声に出して見せる。
 誰もいない部屋に響いたその声は、誰にも届かず静かに消えていった。

 その日、文目はいなくなった。
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