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sheside
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「ねえ、出かけようか。」
何もない休日、先に切り出したのは彼女の方だった。
「出かけるって……どこに?」
そんな突拍子も言葉に当然、私は戸惑いを覚える。
「えっとね……」
真剣な表情で何かをまさぐる彼女。そうして取り出したのは数枚の光沢のある紙。
様々な色が浮かぶその上で、見慣れた顔が笑っている。
「写真?」
「うん。前にも言ったよね。遥、旅行好きだったって。よく私のこと連れ回したんだよ。」
彼女の語るその思い出ひとつひとつに目を通す。飾られている写真と似たようなもの。
連れ回された、と言う割には楽しそうな彼女がそこに写っていた。
「楽しかった思い出を集めたら、何か思い出せるかな……なんて。」
そうすれば、記憶の奥底に届くかもしれない、と彼女の思考と共鳴する。
しかし私は、目覚めたあの日から続く夜と、未だ慣れない舌の感触を思い起こす。
結局、可能性を信じては何も思い出せていない。
「……行ったところで、思い出せるのかな。」
手に持った思い出から目を逸らす。俯いた私は、どこにあるかもわからない記憶に知らぬ間に不安を募らせていた。このまま何をしても、結局変わらないんじゃないかとそう感じてしまうのだ。
「それはさ。」
そのとき、不意に立ち上がる彼女はそっと私の手を取る。
「行ってみないとわからない、でしょ?」
そう言って微笑む。その目の奥には、変わらず優しさが佇んでいる。
何故だか私は、この景色を見たことがある気がした。
でも、やっぱり識らない。彼女の手の冷たさも。
「とりあえず近いところから、今でも。」
再び立ち上がった彼女は続いて、スマホの画面を覗き込む。
今。かなり急なものだ。別に予定などはないが、それにしても急だ。
「今、急だなーとか思ったでしょ。前の遥もこんな感じだったんだからね。」
つまり今私はやり返されているわけだ。
なら何も言えない。前の私を小突くように溜息をつく。
「それに、旅行とかじゃないからね。遥の、記憶を取り戻す旅。」
「旅って、言っちゃってるじゃん。」
「うるさい。なんでもいいの!」
ふふ、と自然に笑みが溢れる。段々と、彼女という人間がわかってきた気がした。
明るくて、優しくて。どこか抜けていて可愛らしい。きっと私は、そんな彼女に惹かれたのだ。
「わかったよ。行こう。」
仕方ないな、といった感じで笑ってみせる。
開いたままだった距離が、少し近くなったような気がした。
時刻は午前十時、家を出るには丁度良い時間だった。
今向かっているのは、海辺の小さな町。深い青と、晴れ渡った蒼、そして無機質に熱を帯びるアスファルト。地平を望む、白いワンピースを着た彼女が写る。そんな写真を眺めながら、いつかの思いに馳せる。
「遥がこういう写真を撮りたいって言うから、着いていってあげたんだよ。」
どこか得意げな顔の彼女が言う。こういう写真が撮りたい、と。前の私はこんなアニメの中から出てきたような景色に憧れていたのだろうか。なんだか少し恥ずかしくなってくる。
当の彼女はというと、久々に着るらしいその白いワンピースに心を躍らせている。
二人、電車に揺られながら海を目指す。どうやら観光地化の進んでいる場所らしく、数十人の観光客らしき人で車内は賑わっていた。その中でも鮮明に、彼女の声が聞こえる。
慣れているからだろうが、脳に直接声が届くようだ。
「人、多いね……あんまり得意じゃないかも。」
空気に耐えきれずそんな声を漏らす。
「人混みが苦手なのは変わらないんだ。やっぱり遥だね。」
どうやら人が多いのが苦手なのは前からそうらしい。やっかいな部分は覚えているものなのか。
以前の私の面影を感じるのか微笑む彼女を横目に、私は目的の駅に着いた途端逃げるように車両から降りた。
境界を過ぎた途端、冷たい空気は遮られる。そして同時に、激しい陽の光が肌を突き刺す。
まだ夏は先だというのに、外は相当暑い。こんなもんだったかと、こんなタイミングで時間の流れを痛感してしまう。
巡れば巡るほど温度が上がっていく。地球温暖化、だったか。こうも気温が上がると、夏はどうなってしまうんだろう、なんて、些細ではあるが確かな不安がある。
「ここから写真の場所まで、少し歩くんだよね。」
季節の境目、近づいてくる夏の気配を感じながら歩き出す。
改札の先、再び空の下に出た私の手を、突然彼女の手が握る。
「あ、え、その……」
「あ、ごめんね。癖で。嫌だったら言って。」
別に嫌というわけではなかった。それを声に出す代わりに、強く握り返す。温度が感じられそうだと思ったから。しかし、やっぱり冷たかった。
まるで周りの空気からハイライトされたように。彼女の温度を感じることができない。
それが彼女の寂しさから来るものなのか、私にはわからなかった。
歩き続け、見えてきたのは青く光る海岸線。
突然広がった景色に、開放感を感じる。それまで無機質な文明に囚われていた心が、自然に解き放たれたようだ。
その景色にすかさず晴れやかな気持ちを持ちたいところだが、そうもいかない。まだ握られている手の温度に、冷たさに現実に引き戻されるのだ。
照り付ける日を反射する海はまさに、空のように青かった。どこまでも広がる、広大なそれに心を奪われる。いつか夢見たような気がする、そんな景色。
手渡された写真をそっと眺める。そこに映る彼女を、彼方を照らし合わせる。
波の彼方、そのさなか。いつかの憧れには鍵かかかったままだった。
「……」
「どうしたの、そんなに難しい顔して。」
からっぽの記憶で視界をなぞる。いとも容易く、そして、恐ろしいほど静かに。
「やっぱり、何も思い出せなくて。」
「んー、やっぱり?そんな気がしてた。」
「え、それ、どういうこと。」
「別に、なんでもない。」
座り込むベンチ、戻らない記憶にただ一人、下を向いて黙り込むことしか出来なかった。
ひんやりとした温度を纏ったペットボトルが重く響く。
覚えている筈の景色。そこにはまるで穴が開いたように、知らない何かが広がっていただけだった。
「あ、あそこにアイス売ってる。食べようよ。」
彼女の白い手が遠くを指差す。
「うん、食べよっか。」
重い足で立ち上がり、暖かい空気の中再び足を動かし始める。
人の多い歩道、離れないように、隣で冷たい手を握り続ける。
「すいません、バニラのアイスクリーム、お願いします。」
「はい、ありがとうございます。」
手渡されるその白くて甘いモノは私の心のように溶けていく。
「あれ、一つしかない。すいません、もう一つお願いします。」
「わ、アイス溶けちゃう。どっか日陰に行かない?」
「日陰、人でいっぱいだよ。急いで食べるしかないね。」
「冷たいもの急いで食べたら頭痛くなっちゃう。」
慌ててアイスクリームを上にあげ、垂れてくるものを掬う。その動きがまるで子供みたいで可愛らしくて、思わず笑みが零れる。ふと静かに、幸せだと感じていた。
そんな私たちは、どこか浮いたように蜃気楼に映った。
「ねえ、私たち、前もここで同じ物食べたんだよ。」
不意に彼方が、思い出を語り出す。
それを知っても尚、喉を通り過ぎる温度は私に何も教えない。
「……やっぱり、何も思い出せないよね。」
最初からわかっていたのか、やっぱり、と言葉を漏らす。
その言葉はひどく落ち着いていて、普段の彼女の様子からは考えられなかった。よほど深刻になってしまっているのだろうか。
「……ごめん。」
その俯く顔に耐えきれなくなり、謝ってしまう。
「……ほら、そうやってすぐ謝らないでよ。遥は悪くないんだから。」
「でも……」
そう言いかける前に、最後の一口を頬張った彼女は立ち上がる。
「ほら、行くよ。まだ行ってない場所は山ほどあるんだし、無理だなんて決めつけられないよ。」
思考を遮ったその言葉は、微かに震えていた。
何もない休日、先に切り出したのは彼女の方だった。
「出かけるって……どこに?」
そんな突拍子も言葉に当然、私は戸惑いを覚える。
「えっとね……」
真剣な表情で何かをまさぐる彼女。そうして取り出したのは数枚の光沢のある紙。
様々な色が浮かぶその上で、見慣れた顔が笑っている。
「写真?」
「うん。前にも言ったよね。遥、旅行好きだったって。よく私のこと連れ回したんだよ。」
彼女の語るその思い出ひとつひとつに目を通す。飾られている写真と似たようなもの。
連れ回された、と言う割には楽しそうな彼女がそこに写っていた。
「楽しかった思い出を集めたら、何か思い出せるかな……なんて。」
そうすれば、記憶の奥底に届くかもしれない、と彼女の思考と共鳴する。
しかし私は、目覚めたあの日から続く夜と、未だ慣れない舌の感触を思い起こす。
結局、可能性を信じては何も思い出せていない。
「……行ったところで、思い出せるのかな。」
手に持った思い出から目を逸らす。俯いた私は、どこにあるかもわからない記憶に知らぬ間に不安を募らせていた。このまま何をしても、結局変わらないんじゃないかとそう感じてしまうのだ。
「それはさ。」
そのとき、不意に立ち上がる彼女はそっと私の手を取る。
「行ってみないとわからない、でしょ?」
そう言って微笑む。その目の奥には、変わらず優しさが佇んでいる。
何故だか私は、この景色を見たことがある気がした。
でも、やっぱり識らない。彼女の手の冷たさも。
「とりあえず近いところから、今でも。」
再び立ち上がった彼女は続いて、スマホの画面を覗き込む。
今。かなり急なものだ。別に予定などはないが、それにしても急だ。
「今、急だなーとか思ったでしょ。前の遥もこんな感じだったんだからね。」
つまり今私はやり返されているわけだ。
なら何も言えない。前の私を小突くように溜息をつく。
「それに、旅行とかじゃないからね。遥の、記憶を取り戻す旅。」
「旅って、言っちゃってるじゃん。」
「うるさい。なんでもいいの!」
ふふ、と自然に笑みが溢れる。段々と、彼女という人間がわかってきた気がした。
明るくて、優しくて。どこか抜けていて可愛らしい。きっと私は、そんな彼女に惹かれたのだ。
「わかったよ。行こう。」
仕方ないな、といった感じで笑ってみせる。
開いたままだった距離が、少し近くなったような気がした。
時刻は午前十時、家を出るには丁度良い時間だった。
今向かっているのは、海辺の小さな町。深い青と、晴れ渡った蒼、そして無機質に熱を帯びるアスファルト。地平を望む、白いワンピースを着た彼女が写る。そんな写真を眺めながら、いつかの思いに馳せる。
「遥がこういう写真を撮りたいって言うから、着いていってあげたんだよ。」
どこか得意げな顔の彼女が言う。こういう写真が撮りたい、と。前の私はこんなアニメの中から出てきたような景色に憧れていたのだろうか。なんだか少し恥ずかしくなってくる。
当の彼女はというと、久々に着るらしいその白いワンピースに心を躍らせている。
二人、電車に揺られながら海を目指す。どうやら観光地化の進んでいる場所らしく、数十人の観光客らしき人で車内は賑わっていた。その中でも鮮明に、彼女の声が聞こえる。
慣れているからだろうが、脳に直接声が届くようだ。
「人、多いね……あんまり得意じゃないかも。」
空気に耐えきれずそんな声を漏らす。
「人混みが苦手なのは変わらないんだ。やっぱり遥だね。」
どうやら人が多いのが苦手なのは前からそうらしい。やっかいな部分は覚えているものなのか。
以前の私の面影を感じるのか微笑む彼女を横目に、私は目的の駅に着いた途端逃げるように車両から降りた。
境界を過ぎた途端、冷たい空気は遮られる。そして同時に、激しい陽の光が肌を突き刺す。
まだ夏は先だというのに、外は相当暑い。こんなもんだったかと、こんなタイミングで時間の流れを痛感してしまう。
巡れば巡るほど温度が上がっていく。地球温暖化、だったか。こうも気温が上がると、夏はどうなってしまうんだろう、なんて、些細ではあるが確かな不安がある。
「ここから写真の場所まで、少し歩くんだよね。」
季節の境目、近づいてくる夏の気配を感じながら歩き出す。
改札の先、再び空の下に出た私の手を、突然彼女の手が握る。
「あ、え、その……」
「あ、ごめんね。癖で。嫌だったら言って。」
別に嫌というわけではなかった。それを声に出す代わりに、強く握り返す。温度が感じられそうだと思ったから。しかし、やっぱり冷たかった。
まるで周りの空気からハイライトされたように。彼女の温度を感じることができない。
それが彼女の寂しさから来るものなのか、私にはわからなかった。
歩き続け、見えてきたのは青く光る海岸線。
突然広がった景色に、開放感を感じる。それまで無機質な文明に囚われていた心が、自然に解き放たれたようだ。
その景色にすかさず晴れやかな気持ちを持ちたいところだが、そうもいかない。まだ握られている手の温度に、冷たさに現実に引き戻されるのだ。
照り付ける日を反射する海はまさに、空のように青かった。どこまでも広がる、広大なそれに心を奪われる。いつか夢見たような気がする、そんな景色。
手渡された写真をそっと眺める。そこに映る彼女を、彼方を照らし合わせる。
波の彼方、そのさなか。いつかの憧れには鍵かかかったままだった。
「……」
「どうしたの、そんなに難しい顔して。」
からっぽの記憶で視界をなぞる。いとも容易く、そして、恐ろしいほど静かに。
「やっぱり、何も思い出せなくて。」
「んー、やっぱり?そんな気がしてた。」
「え、それ、どういうこと。」
「別に、なんでもない。」
座り込むベンチ、戻らない記憶にただ一人、下を向いて黙り込むことしか出来なかった。
ひんやりとした温度を纏ったペットボトルが重く響く。
覚えている筈の景色。そこにはまるで穴が開いたように、知らない何かが広がっていただけだった。
「あ、あそこにアイス売ってる。食べようよ。」
彼女の白い手が遠くを指差す。
「うん、食べよっか。」
重い足で立ち上がり、暖かい空気の中再び足を動かし始める。
人の多い歩道、離れないように、隣で冷たい手を握り続ける。
「すいません、バニラのアイスクリーム、お願いします。」
「はい、ありがとうございます。」
手渡されるその白くて甘いモノは私の心のように溶けていく。
「あれ、一つしかない。すいません、もう一つお願いします。」
「わ、アイス溶けちゃう。どっか日陰に行かない?」
「日陰、人でいっぱいだよ。急いで食べるしかないね。」
「冷たいもの急いで食べたら頭痛くなっちゃう。」
慌ててアイスクリームを上にあげ、垂れてくるものを掬う。その動きがまるで子供みたいで可愛らしくて、思わず笑みが零れる。ふと静かに、幸せだと感じていた。
そんな私たちは、どこか浮いたように蜃気楼に映った。
「ねえ、私たち、前もここで同じ物食べたんだよ。」
不意に彼方が、思い出を語り出す。
それを知っても尚、喉を通り過ぎる温度は私に何も教えない。
「……やっぱり、何も思い出せないよね。」
最初からわかっていたのか、やっぱり、と言葉を漏らす。
その言葉はひどく落ち着いていて、普段の彼女の様子からは考えられなかった。よほど深刻になってしまっているのだろうか。
「……ごめん。」
その俯く顔に耐えきれなくなり、謝ってしまう。
「……ほら、そうやってすぐ謝らないでよ。遥は悪くないんだから。」
「でも……」
そう言いかける前に、最後の一口を頬張った彼女は立ち上がる。
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