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■五 夏鈴
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とりあえずサンプルを一つ描いてみようって話になった。どの塗料を使えばいいのかすら分からなかったから。まあでもそんなに迷わなかった。在庫のウォシュレットは後付けタイプの便座で樹脂製だった。キャンバスは便座と蓋の部分になるだろう。樹脂製品への塗装方法をネットで調べるだけで、簡単に必要なものが分かった。画材を手に入れるには、まず母方の祖父母の家まで遠征する必要があった。
高校に入った時、お小遣い制度を廃止する動きがあった。今思えば、あれくらいの時期から拝島水道は経営状態が悪化していたのだろう。でもその時は気付かなかった。高校生になってアルバイトが出来るっていう嬉しさの方が勝ってたし。毎日シフトに入れますっていう嘘でやる気をアピールしたし、雇い手としても若い人材は必要だったみたいで、すぐに採用されるんだけどほとんどの場合一ヶ月も耐えられなかった。つまんなくて飛んだこともあるし、勤務態度を咎められて辞めさせられたこともある。どうやらあたしは労働にむかなかったみたい。
働いた分のバイト代はしっかり請求させていただいたから、細切れの収入ならあった。それでも足りなくなった時に足を伸ばすのが、祖父母の家だった。他県まで遠征して、媚を売りまくってお小遣いを貰った。これがいい額になるんだわ。むいていないバイトなんて無理に続ける必要はないのである。
お小遣いがなくなってから数々のバイトを経験した。最後はホテルで清掃のバイト。これもクビになった。実家の店を手伝うようになってからはしていない。忙しいしさ。だからほとんどお金を持っていなかったってわけ。
今回祖父母には、美大に入るから練習のための画材が必要って言った。なんか感慨深げな顔になってたな。孫がもう大学進学かって感動してた。その一撃で二万円貰った。最初は泊まりの予定だったけど、もうここに用はない。予定を思い出したふりをして帰宅した。でもさ、夕食は一緒に食べたよ。それが孫としてのサービス精神ってもんでしょ。
貰ったお金で画材を調達し、早速サンプル製作に取り掛かった。夢乃にも協力してもらってさ。塗料がのりにくい新品のウォシュレットに二人でヤスリをかけたりして。モチーフは夢乃が褒めてくれた、ザナロクに出ていないけど出ていそうなキャラで決めた。前に描いたものがクラウドに残っていたし、一から考えるのもちょっと面倒だったんでね。ま、サンプルだし構わないでしょって感じだった。で、興が乗って五つほどのペインティング便器が誕生した。パパとママへのプレゼンに使うだけだから一つで良かったんだけどね。つい楽しくて。
早速両親の前で、今回の企画を説明した。本当は夢乃も同席する予定だったんだけど、五つ目の便器が完成した瞬間、嬉しくて母屋から、作業をしていた倉庫へ両親を呼んでしまった。夢乃は夢乃でパワポの資料なんかを作っていたみたいだけど、感情が先走ってしまった。それに、自分が引き入れておいて勝手な話だけど、彼女には将来のことも考えてもらいたかった。ほら、音大進学のためのピアノの練習とか。最近の夢乃といったら、もうあたしの家のことに夢中で。それはそれで嬉しいんだけどさ。やっぱり自分のことにも目を向けてほしい。ネットで世界に便器を売る方法を考えている夢乃より、静かに座ってピアノを弾く夢乃の方があたしは好き。こんな状況じゃなかったら、あたしの家のことになんて絶対に関わらせないのに。本当に申し訳ないよ。
じゃじゃーん。って感じでパパとママにペインティング便座を見せた。二人共面食らってた。パパは愕然としてた。箱から取り出した新品のウォシュレットに絵が描かれていることを知った瞬間、地面に膝をついていた。ママは怒鳴ったよ。いつも通りね。「あんた、なんてことしてくれたの」だってさ。
予想通りの反応だった。もしかしたら今までの態度を改めて、感激してくれるかもしれないって期待もしていたけど、無駄なポジティブ思考だったようね。ちょっとがっかり。
「一、二、三、四、五」パパは便器の方を数えないで、潰れた段ボールの方を数えていた。「ママ、七万五千円が一気に吹っ飛んだぞ」
「なにそれ? こんな型落ち商品を一つ一万五千円で仕入れたわけ? 信じられない」
あたしは娘として正直に感想を述べさせていただいた。だって同時に3百台も仕入れたんだよ? あたしにはマグネットの時に学んだ知識があった。大量注文は単価を安くする。しかも型落ち商品の在庫一層セールみたいなものだったんでしょ? 一体誰に騙されて売りつけられたわけ? 一台五千円くらいで妥当でしょ。
「そうだ。夏鈴の言う通り仕入れは一万五千だけどな、それに諸々の経費と儲けを乗せて三万円で売って儲けを出すはずだったんだよ。更に。更にだ。設置工事は任せとけって話に持っていって、プラス五千。だから三万五千。そうなると、えっと、そうだな、ええと。ママ」
「十七万五千」
ママが氷の女王みたいに冷たい口調で言った。
「そう約十八万円が、すっ飛んでいった。これはどういうことなんだ? 子どものいたずらにしてもやりすぎだぞ」
パパの顔は必死を通り越して、懇願みたいになっていた。あたしの行動理由が知りたくてたまらないみたい。良い兆候ね。ママの方は顔を凍りつかせたみたいにして冷静を気取っていたけど、内心穏やかじゃないのは分かっていた。呼吸が浅くなってるんだもん。すぐに分かるよ。すっすっはー。って小さい息を吸ったり吐いたりしてる。あたしを生む時もそうしてたのかな。ま、もし深い呼吸で普通にしてても、状況的に心中穏やかじゃないことくらいは分かったかな。
ということでプレゼン開始。夢乃が考えてくれた企画を洗いざらいぶちまけた。全世界のジャパニーズアニメファン、そしてウォシュレットに夢見る肛門の探求者をターゲットにした壮大な計画を。これで感動しなきゃ、もう救いようがないよね。
パパはあんまり理解できていなかった。あたしの話が終わった後、理解していないって思われたくないばっかりに無言で何度も頷いていた。肯定とも否定とも取れない、自問の動きだった。ママの反応は、ちょっと予想外だったかな。このタイミングで良き母親モードに切り替わったっていうか。あたしと夢乃の計画には反対なんだけど、頭ごなしに怒鳴りつけるようなことはしなかった。
「夏鈴、あなたは余計なことをしなくていいの。来年三年生になるんだから。そしたら受験でしょ。そのことだけを考えてればいい。商売のこととか家のことなんて、私達がどうにかするんだから。いい? 私達の仕事。この前パパとの会話を聞いて心配してるんでしょうけど、そんなのは子どもの考えることじゃないの。あなたは一生懸命勉強して、人生を楽しめばそれでいいんだから。それが夏鈴の仕事だよ。ねえ、パパ?」
「え? ああそうだな」
二人してあたしのことを子ども扱いしてる。頭に来た。この期に及んで嘘をつくなんて。あたしは知ってる。詐欺集団とウォシュレットの在庫と、そしてこれがなにより大事だけど、二人の弱腰の経営手腕のせいで拝島水道は創業以来最大のピンチにおちいっているんだ。そんで二人は知らない。あたしが全部盗聴して、内部事情を知っていることを。滑稽な両親を見るのはそれなりに辛いものがあったけどさ。寂しさよりも怒りが勝ったっていうのかな。
その時、ママが倉庫の隅に視線を送った。少し表情を緩めて、気不味そうに会釈する。あたしはママの視線を追った。そこには篤郎がいた。所在なく突っ立って、もじもじとしている中年の姿が見えた。いけね。作品作りに集中しすぎていて、倉庫で未だにしこしこマグネットを作っている男がいることを忘れていた。
どうにかならないもんかね、この存在感の薄さ。あたしの方の興奮を差し引いても、気配を消し過ぎだ。とはいえ、篤郎がいて困る話でもない。こいつは正真正銘の能無しだ。使い所が見つからない。そしてなによりあたしんちの状況を既に知っている。余計な口出しさえしなければ問題ないはずだ。もし一言でも口を挟めば、その顔面にパンチを制裁してやるつもりだ。小学生の頃空手を習っていたあたしの正拳突きを食らいたくなければ、そこでじっとしているんだな。
「すみせん、いらっしゃるとは思わなくて。家族の話に巻き込んで申し訳ありません。お恥ずかしい」
ママは少し俯いて顔を赤くした。パパは「なに言ってるんだ、蔵前くんはもう家族みたいなものじゃないか」と、的外れのフォローをした。
パパがわからんちんなことよりも、ママの態度には絶望したね。だってそうでしょ? こんなに大切な話し合いをしている時に、男へ色目を使うなんて。しかもパパの前で。もっと言うと、その相手が篤郎なことも癪に障った。もう頭に来た。
「ママ、こっちを見て。あたしはね、知ってるの。いや、いい。もうくだらない嘘を並べないで。あたしを安心させようとしてつく嘘も必要ない。真実を知った後で安心なんて出来ないから。拝島水道は倒産寸前。この前聞いた話レベルのヤバさじゃない。明日にでも潰れるレベル。全部知ってるの。だからやるしかない。あたしの計画でウォシュレットの在庫をさばいて、利益を得るしかない。ママだって分かってるでしょ、このままなにもしなければ潰れるだけだって。学生らしく受験のことを考えろって言うけどさ、大学進学なんてどうやってするの? 学費払えないでしょ。つまり今のままじゃ、勉強なんてするのは無駄。どん詰まりに向かって努力なんて出来るわけない」
パパとママはあたしの言葉に反論することができなかった。もしかしたら、後数秒熟考したら効果的な反論に気付いたかもしれないけど、この時は駄目だった。篤郎の馬鹿が身の程知らずにもあたし達家族の議論に口を出したから。
「おい、親に対してそれは言い過ぎだろう」
よし、制裁だ。あたしは篤郎に近づき、拳を振り上げた。「夏鈴、やめなさい」慌ててパパが近づいてきてあたしを羽交い締めにした。「蔵前くん、ウォシュレットの営業に行ってきて。今すぐ」
「え、でも」篤郎はこの期に及んでまごまごとしていた。パパが助け舟を出してやっているというのに、それにもすぐに応えられない。パパの気持ちも考えてやれよ。知らないとはいえ、ママの浮気相手かもしれない男を必死に助けているんだぞ。せめてその優しさに気付いてやってよ。このままじゃパパがただの馬鹿みたいじゃないか。
「このクソ野郎、お前のせいでうちがめちゃくちゃじゃない。全部お前のせいだ。どっか行けよ」
上半身は極められていたけど、下半身なら動いた。空手仕込みの前蹴りを繰り出し、その内何発かを篤郎に当てた。最高の一蹴りは、ちょうど股間に当たったやつだった。篤郎は交尾中に水を引っ掛けられた猫みたいに飛び上がり、体をくの字に曲げた。
「夏鈴、駄目だよ」
ママも加勢してきて、あたしの足にしがみつく。あたしを殺人鬼にしないためなのか、それとも篤郎の股間を死守したいだけなのか。
「すまん、蔵前くん」パパは突然あたしの上半身を解放すると、篤郎の肩を抱いた。そのまま介抱するみたいな姿勢をとりつつ「な、今日は一緒に営業に行こうな。大丈夫だ。なにも心配いらない」って言いながら、倉庫から出ていった。パパは逃げたってことだ。いくら自分が家族会議から逃走したいからって、この状態の篤郎を使うなんて。なかなかやるじゃない。ママはどう思ったか分からないけど、あたしは感心したよ。
「なんでそんなにあつろ、蔵前さんを目の敵にするの? アルバイトが欲しいって言ったのはあんたでしょ」
はい、怪しい。あいつのことを名前で呼ぼうとするなんて。きっと、頭の中では既にそう呼んでいるに違いない。ってことは二人が親密な証拠。だからだよ。だからあたしは篤郎のことを目の敵にするんだよ。
「とりあえず離してよ」
あたしは軽く足を動かした。下半身にまとわりついたままだったママは、そこでようやく自分の体勢に気付いたようだった。必死の上目遣いをやめて足を離し、あたしと向かい合う。
「なにが気に入らないの?」
「あたしも家族でしょ? 拝島水道の将来は、あたしの未来と同じ。それなのにあたしだけ締め出そうとしたこと。子ども扱いしたこと。パパとママには商売のセンスがないこと。それを認められないこと。しかも、失敗にビビるばっかりであたしが考えた起死回生の一発も潰そうとしていること」
「あんたそれは言い過ぎ」
「でもね、そんなのは全部許せるよ。生まれた時からそうだったんだもん。今更がっかりすることじゃない」
「そんな風に思ってたの?」
いや、本当は思ってない。少ない稼ぎだとしてもあたしのことを必死になって育ててくれた。パパにもママにも、短所を補って余りある長所がある。でもさ、そんなこと言えないでしょ。あたしは思春期真っ只中だし、なにより頭に来てる。そんな時は心にもないことを言ってしまう。後から反省して謝ろっかなって思うけど、親としても本心ではないことくらい分かってるんだろう。いつの間にか子どもから受けた仕打ちを受け流し普通の態度に戻る。つまり、ひどいショックから解脱するわけ。だからこっちも、それじゃあわざわざ謝らなくてもいいかなって思う。一々蒸し返したんじゃ、気不味いもんなって。それで家族が未来に進む。そういうもんでしょ。
「うん。だけどね、どうしても許せないことがあるの。それはママと篤郎の関係。ねえママ、あの人誰なの? ママにとってなんなの? 今日こそ正直に言って」
はあ、とママの大げさなため息。そしていつもの「またその話?」ときた。「彼はただのアルバイトさんでしょ? 他に説明のしようがないの。パパもどこか行っちゃったし、今日のところはこれでお終いってことで。あんたも世紀末に期待してないで、ちゃんと勉強しなさいね」
言ってるそばからまた子ども扱いだ。ママが母屋に戻ろうとするその背中を見ながらあたしは誓ったね。絶対に騙されないって。そして、ウォシュレット販売の計画は勝手に進めるって。だってしょうがないでしょ。拝島水道を救えるのはあたしだけなんだから。
高校に入った時、お小遣い制度を廃止する動きがあった。今思えば、あれくらいの時期から拝島水道は経営状態が悪化していたのだろう。でもその時は気付かなかった。高校生になってアルバイトが出来るっていう嬉しさの方が勝ってたし。毎日シフトに入れますっていう嘘でやる気をアピールしたし、雇い手としても若い人材は必要だったみたいで、すぐに採用されるんだけどほとんどの場合一ヶ月も耐えられなかった。つまんなくて飛んだこともあるし、勤務態度を咎められて辞めさせられたこともある。どうやらあたしは労働にむかなかったみたい。
働いた分のバイト代はしっかり請求させていただいたから、細切れの収入ならあった。それでも足りなくなった時に足を伸ばすのが、祖父母の家だった。他県まで遠征して、媚を売りまくってお小遣いを貰った。これがいい額になるんだわ。むいていないバイトなんて無理に続ける必要はないのである。
お小遣いがなくなってから数々のバイトを経験した。最後はホテルで清掃のバイト。これもクビになった。実家の店を手伝うようになってからはしていない。忙しいしさ。だからほとんどお金を持っていなかったってわけ。
今回祖父母には、美大に入るから練習のための画材が必要って言った。なんか感慨深げな顔になってたな。孫がもう大学進学かって感動してた。その一撃で二万円貰った。最初は泊まりの予定だったけど、もうここに用はない。予定を思い出したふりをして帰宅した。でもさ、夕食は一緒に食べたよ。それが孫としてのサービス精神ってもんでしょ。
貰ったお金で画材を調達し、早速サンプル製作に取り掛かった。夢乃にも協力してもらってさ。塗料がのりにくい新品のウォシュレットに二人でヤスリをかけたりして。モチーフは夢乃が褒めてくれた、ザナロクに出ていないけど出ていそうなキャラで決めた。前に描いたものがクラウドに残っていたし、一から考えるのもちょっと面倒だったんでね。ま、サンプルだし構わないでしょって感じだった。で、興が乗って五つほどのペインティング便器が誕生した。パパとママへのプレゼンに使うだけだから一つで良かったんだけどね。つい楽しくて。
早速両親の前で、今回の企画を説明した。本当は夢乃も同席する予定だったんだけど、五つ目の便器が完成した瞬間、嬉しくて母屋から、作業をしていた倉庫へ両親を呼んでしまった。夢乃は夢乃でパワポの資料なんかを作っていたみたいだけど、感情が先走ってしまった。それに、自分が引き入れておいて勝手な話だけど、彼女には将来のことも考えてもらいたかった。ほら、音大進学のためのピアノの練習とか。最近の夢乃といったら、もうあたしの家のことに夢中で。それはそれで嬉しいんだけどさ。やっぱり自分のことにも目を向けてほしい。ネットで世界に便器を売る方法を考えている夢乃より、静かに座ってピアノを弾く夢乃の方があたしは好き。こんな状況じゃなかったら、あたしの家のことになんて絶対に関わらせないのに。本当に申し訳ないよ。
じゃじゃーん。って感じでパパとママにペインティング便座を見せた。二人共面食らってた。パパは愕然としてた。箱から取り出した新品のウォシュレットに絵が描かれていることを知った瞬間、地面に膝をついていた。ママは怒鳴ったよ。いつも通りね。「あんた、なんてことしてくれたの」だってさ。
予想通りの反応だった。もしかしたら今までの態度を改めて、感激してくれるかもしれないって期待もしていたけど、無駄なポジティブ思考だったようね。ちょっとがっかり。
「一、二、三、四、五」パパは便器の方を数えないで、潰れた段ボールの方を数えていた。「ママ、七万五千円が一気に吹っ飛んだぞ」
「なにそれ? こんな型落ち商品を一つ一万五千円で仕入れたわけ? 信じられない」
あたしは娘として正直に感想を述べさせていただいた。だって同時に3百台も仕入れたんだよ? あたしにはマグネットの時に学んだ知識があった。大量注文は単価を安くする。しかも型落ち商品の在庫一層セールみたいなものだったんでしょ? 一体誰に騙されて売りつけられたわけ? 一台五千円くらいで妥当でしょ。
「そうだ。夏鈴の言う通り仕入れは一万五千だけどな、それに諸々の経費と儲けを乗せて三万円で売って儲けを出すはずだったんだよ。更に。更にだ。設置工事は任せとけって話に持っていって、プラス五千。だから三万五千。そうなると、えっと、そうだな、ええと。ママ」
「十七万五千」
ママが氷の女王みたいに冷たい口調で言った。
「そう約十八万円が、すっ飛んでいった。これはどういうことなんだ? 子どものいたずらにしてもやりすぎだぞ」
パパの顔は必死を通り越して、懇願みたいになっていた。あたしの行動理由が知りたくてたまらないみたい。良い兆候ね。ママの方は顔を凍りつかせたみたいにして冷静を気取っていたけど、内心穏やかじゃないのは分かっていた。呼吸が浅くなってるんだもん。すぐに分かるよ。すっすっはー。って小さい息を吸ったり吐いたりしてる。あたしを生む時もそうしてたのかな。ま、もし深い呼吸で普通にしてても、状況的に心中穏やかじゃないことくらいは分かったかな。
ということでプレゼン開始。夢乃が考えてくれた企画を洗いざらいぶちまけた。全世界のジャパニーズアニメファン、そしてウォシュレットに夢見る肛門の探求者をターゲットにした壮大な計画を。これで感動しなきゃ、もう救いようがないよね。
パパはあんまり理解できていなかった。あたしの話が終わった後、理解していないって思われたくないばっかりに無言で何度も頷いていた。肯定とも否定とも取れない、自問の動きだった。ママの反応は、ちょっと予想外だったかな。このタイミングで良き母親モードに切り替わったっていうか。あたしと夢乃の計画には反対なんだけど、頭ごなしに怒鳴りつけるようなことはしなかった。
「夏鈴、あなたは余計なことをしなくていいの。来年三年生になるんだから。そしたら受験でしょ。そのことだけを考えてればいい。商売のこととか家のことなんて、私達がどうにかするんだから。いい? 私達の仕事。この前パパとの会話を聞いて心配してるんでしょうけど、そんなのは子どもの考えることじゃないの。あなたは一生懸命勉強して、人生を楽しめばそれでいいんだから。それが夏鈴の仕事だよ。ねえ、パパ?」
「え? ああそうだな」
二人してあたしのことを子ども扱いしてる。頭に来た。この期に及んで嘘をつくなんて。あたしは知ってる。詐欺集団とウォシュレットの在庫と、そしてこれがなにより大事だけど、二人の弱腰の経営手腕のせいで拝島水道は創業以来最大のピンチにおちいっているんだ。そんで二人は知らない。あたしが全部盗聴して、内部事情を知っていることを。滑稽な両親を見るのはそれなりに辛いものがあったけどさ。寂しさよりも怒りが勝ったっていうのかな。
その時、ママが倉庫の隅に視線を送った。少し表情を緩めて、気不味そうに会釈する。あたしはママの視線を追った。そこには篤郎がいた。所在なく突っ立って、もじもじとしている中年の姿が見えた。いけね。作品作りに集中しすぎていて、倉庫で未だにしこしこマグネットを作っている男がいることを忘れていた。
どうにかならないもんかね、この存在感の薄さ。あたしの方の興奮を差し引いても、気配を消し過ぎだ。とはいえ、篤郎がいて困る話でもない。こいつは正真正銘の能無しだ。使い所が見つからない。そしてなによりあたしんちの状況を既に知っている。余計な口出しさえしなければ問題ないはずだ。もし一言でも口を挟めば、その顔面にパンチを制裁してやるつもりだ。小学生の頃空手を習っていたあたしの正拳突きを食らいたくなければ、そこでじっとしているんだな。
「すみせん、いらっしゃるとは思わなくて。家族の話に巻き込んで申し訳ありません。お恥ずかしい」
ママは少し俯いて顔を赤くした。パパは「なに言ってるんだ、蔵前くんはもう家族みたいなものじゃないか」と、的外れのフォローをした。
パパがわからんちんなことよりも、ママの態度には絶望したね。だってそうでしょ? こんなに大切な話し合いをしている時に、男へ色目を使うなんて。しかもパパの前で。もっと言うと、その相手が篤郎なことも癪に障った。もう頭に来た。
「ママ、こっちを見て。あたしはね、知ってるの。いや、いい。もうくだらない嘘を並べないで。あたしを安心させようとしてつく嘘も必要ない。真実を知った後で安心なんて出来ないから。拝島水道は倒産寸前。この前聞いた話レベルのヤバさじゃない。明日にでも潰れるレベル。全部知ってるの。だからやるしかない。あたしの計画でウォシュレットの在庫をさばいて、利益を得るしかない。ママだって分かってるでしょ、このままなにもしなければ潰れるだけだって。学生らしく受験のことを考えろって言うけどさ、大学進学なんてどうやってするの? 学費払えないでしょ。つまり今のままじゃ、勉強なんてするのは無駄。どん詰まりに向かって努力なんて出来るわけない」
パパとママはあたしの言葉に反論することができなかった。もしかしたら、後数秒熟考したら効果的な反論に気付いたかもしれないけど、この時は駄目だった。篤郎の馬鹿が身の程知らずにもあたし達家族の議論に口を出したから。
「おい、親に対してそれは言い過ぎだろう」
よし、制裁だ。あたしは篤郎に近づき、拳を振り上げた。「夏鈴、やめなさい」慌ててパパが近づいてきてあたしを羽交い締めにした。「蔵前くん、ウォシュレットの営業に行ってきて。今すぐ」
「え、でも」篤郎はこの期に及んでまごまごとしていた。パパが助け舟を出してやっているというのに、それにもすぐに応えられない。パパの気持ちも考えてやれよ。知らないとはいえ、ママの浮気相手かもしれない男を必死に助けているんだぞ。せめてその優しさに気付いてやってよ。このままじゃパパがただの馬鹿みたいじゃないか。
「このクソ野郎、お前のせいでうちがめちゃくちゃじゃない。全部お前のせいだ。どっか行けよ」
上半身は極められていたけど、下半身なら動いた。空手仕込みの前蹴りを繰り出し、その内何発かを篤郎に当てた。最高の一蹴りは、ちょうど股間に当たったやつだった。篤郎は交尾中に水を引っ掛けられた猫みたいに飛び上がり、体をくの字に曲げた。
「夏鈴、駄目だよ」
ママも加勢してきて、あたしの足にしがみつく。あたしを殺人鬼にしないためなのか、それとも篤郎の股間を死守したいだけなのか。
「すまん、蔵前くん」パパは突然あたしの上半身を解放すると、篤郎の肩を抱いた。そのまま介抱するみたいな姿勢をとりつつ「な、今日は一緒に営業に行こうな。大丈夫だ。なにも心配いらない」って言いながら、倉庫から出ていった。パパは逃げたってことだ。いくら自分が家族会議から逃走したいからって、この状態の篤郎を使うなんて。なかなかやるじゃない。ママはどう思ったか分からないけど、あたしは感心したよ。
「なんでそんなにあつろ、蔵前さんを目の敵にするの? アルバイトが欲しいって言ったのはあんたでしょ」
はい、怪しい。あいつのことを名前で呼ぼうとするなんて。きっと、頭の中では既にそう呼んでいるに違いない。ってことは二人が親密な証拠。だからだよ。だからあたしは篤郎のことを目の敵にするんだよ。
「とりあえず離してよ」
あたしは軽く足を動かした。下半身にまとわりついたままだったママは、そこでようやく自分の体勢に気付いたようだった。必死の上目遣いをやめて足を離し、あたしと向かい合う。
「なにが気に入らないの?」
「あたしも家族でしょ? 拝島水道の将来は、あたしの未来と同じ。それなのにあたしだけ締め出そうとしたこと。子ども扱いしたこと。パパとママには商売のセンスがないこと。それを認められないこと。しかも、失敗にビビるばっかりであたしが考えた起死回生の一発も潰そうとしていること」
「あんたそれは言い過ぎ」
「でもね、そんなのは全部許せるよ。生まれた時からそうだったんだもん。今更がっかりすることじゃない」
「そんな風に思ってたの?」
いや、本当は思ってない。少ない稼ぎだとしてもあたしのことを必死になって育ててくれた。パパにもママにも、短所を補って余りある長所がある。でもさ、そんなこと言えないでしょ。あたしは思春期真っ只中だし、なにより頭に来てる。そんな時は心にもないことを言ってしまう。後から反省して謝ろっかなって思うけど、親としても本心ではないことくらい分かってるんだろう。いつの間にか子どもから受けた仕打ちを受け流し普通の態度に戻る。つまり、ひどいショックから解脱するわけ。だからこっちも、それじゃあわざわざ謝らなくてもいいかなって思う。一々蒸し返したんじゃ、気不味いもんなって。それで家族が未来に進む。そういうもんでしょ。
「うん。だけどね、どうしても許せないことがあるの。それはママと篤郎の関係。ねえママ、あの人誰なの? ママにとってなんなの? 今日こそ正直に言って」
はあ、とママの大げさなため息。そしていつもの「またその話?」ときた。「彼はただのアルバイトさんでしょ? 他に説明のしようがないの。パパもどこか行っちゃったし、今日のところはこれでお終いってことで。あんたも世紀末に期待してないで、ちゃんと勉強しなさいね」
言ってるそばからまた子ども扱いだ。ママが母屋に戻ろうとするその背中を見ながらあたしは誓ったね。絶対に騙されないって。そして、ウォシュレット販売の計画は勝手に進めるって。だってしょうがないでしょ。拝島水道を救えるのはあたしだけなんだから。
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