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第十四話 銀乃のお迎え

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閉まるドア、カラン、とベルが鳴る。カギ閉めのリコさんと一緒にお店を出ると、店の前、ガードレースにもたれかかりながら、銀乃が待っていた。

私たちを認めると、ひらひらと手を振る。

「あ、コンさん」

「やぁ東さん。さあやも。二人ともお仕事お疲れ様です」

「あ、はい……」

どう対応したらいいのかわからないまま、私はむにゃむにゃと返事をした。

「東さんも、途中まで一緒に帰ろう?」

「ありがたいですけど、私とさあやちゃんち、反対方向だからね~。というわけで、二人とも気を付けて帰ってね!」

入り口に止めた、白い自分の自転車にまたがるリコさんはなんだか楽しそうだった。

「ああ、それじゃ、東さん」

「リコさん、お疲れ様です」

私は銀乃と、家に帰る方向に足を向けた。ごく自然に、私の手を銀乃がとった。私は、それを払おうとして、反射的に引っ込めそうになった手を、銀乃はぐっと握って離さなかった。

「……恥ずかしい、銀乃」

「だめだめ、君、すぐお化けとかにあっちゃうんだから。僕にちゃーんとついてきなさい。いいね。僕といたら心配ないんだから」

無理やりつかまれた手は、それでも痛くないように加減してくれているのを感じた。
大きい手だな、と思った。大きくて、温かい。人間じゃない動物は、人間よりずっと体温が高いんだって。叔母が昔いっていた。私に絵本を読んでくれながら、そう言っていた。

銀乃、狐だからこんなにあったかいのかなって、私は思った。

「さぁいこう、さあや。おうちへ帰ろ?」

「まって、銀乃、私、自転車できたから……」

「……自転車?」

「あの、その入り口の自転車、私の…」

「え~、じゃあおててつないで帰れないじゃなーい」

銀乃はほっぺたに両手をあててちょっとしなを作って見せる。私はその間に自転車の鍵を外し、銀乃のところに戻った。

「うん、だから私漕ぐから、銀乃はまたかごにのって」

「あはは、じゃあさ、いいよ僕が漕ぐから、さあやが、僕の後ろに乗ってよ」

銀乃は私の手から自転車をごく自然に手を放すよう促し、自分が自転車の前方にまたがった。

「ほらほら、さあや、乗って」

私は躊躇した。なんだか気が引けた。棒立ちになっている私の手を、また銀乃は引っ張った。

「後ろ後ろ、二人乗り」

「道交法違反…」

「僕は人間の世界の法律なんか知らないもん。ほら、早く乗って!」

銀乃は私を自転車にのせて、ぐんと思いっきりペダルを踏んだ。

「ああ、久しぶりだな、自転車に乗ったの。
たぶん僕、最後に自転車に乗ったの、明治くらい!」

銀乃は笑った。

「ほんと?明治って昭和の前の明治?銀乃長生きすぎない?」

「ほんとほんと!ほら、君バランス取れないし落っこちちゃうから、ちゃんと僕の背中つかんで」

私は、遠慮がちに銀乃の背中をつかんだ。
街路樹のある広い歩道の向こうは、車がたくさん走っている。波のように。

夜の116号線は車がたくさん走っていて、街路樹の歩道を自転車がライトをつけて走る。
冬はもうすぐだ。風がつめたくて空気は澄んでいる。町は光できらきらしていた。

銀乃の背中、脇腹、狐の時と違って、固いなあと思った。男の人だ。そういえば、男の人に触れたのは、これが初めてのような気がする、と私は思った。

「さあや、君さ、僕の手を放そうとしたでしょ」

自転車をこぎながら、銀乃が私に言う。

「え?」

「さっき。おうちに帰ろうって言ったときさ」

「ああ……うん」

「今も自転車の後ろに乗りながら、僕にできるだけ触れないようにしてる」

「そんなこと」

「いーや、僕にはわかるよ。さあやが居心地悪そうにしているの、ちゃーんとわかっちゃうんだから。
ね、さあや、僕のこの姿はいや?」

「……きれいだとは、思うよ」

「そっか。狐の姿は好き?」

「うん」

銀乃はそっかぁというと、嬉しそうにあははと笑った。

「ねぇ今日、僕に名前つけてくれたじゃない?助かったよ、とっさに思いつかなかったし」

「そんな顔してたね」

やっぱり思いついていなかったのか。

「ね、コンってさ、やっぱり僕が狐だから?コンコン」

銀乃は狐の鳴きまねをしてみせる。
道は大通りから、私の家に続く細い住宅街に差し掛かる。踏切近く。あの幽霊にあったところだ。
カンカンカンカン、踏切が下りてくる。

「うん…ううん、違うよ。紺色が、良く似合っていたから」

銀乃は自転車を止めて、私に振り向いた。

「ああ、これね」

9月のマフラーをふわふわさせて、銀乃は笑った。

「ちょっと寒かったからね。似合ってたなら嬉しいな。
そっか、紺色の、コンなんだ」

ファーンと電車が通り過ぎていく。

「そういえば、君は少し寒そうだね。マフラーないの?」

マフラーはない。まだアルバイトのお金が足りてなくて、冬の服はそろっていない。いや、おばさんちにはあるかもだけど、冬服を送ってもらえていない。

「まだ買ってない」

ふうん、と銀乃が自分の首に巻いていたマフラーをくるくるとはずすと、私の首にぐるっと巻いた。ふわっと、何かお香のようないい香りがした。

踏切が上がっていく。
銀乃はよいしょとペダルに足をかけて、

「寒いからね、これ貸してあげる。今だけね!」

と私に目配せをした。
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