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第二十七話 着物の誰か

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9月いっぱいあった大学の夏休みも終わろうとしていた。銀乃は相変わらず家事に掃除にと大忙しで、私は大学の後期授業は何を受けるか考えつつ、アルバイトにもいそしんでいた。

「一か月もあっという間だったな……」

バイト代の収支を通帳で確認しつつ、丸まって部屋の隅のお気に入りブランケットの上で眠っている銀乃を眺める。
基本銀乃は狐のままでいる。

まぁそのほうがいい……男の人がこの狭い六畳一間にいるとすごく圧迫感がすごい。銀乃もそれは気にしているようで、基本的に私が寝ている間とか料理の間とかしか人間の姿はとっていない。
丸まった銀乃のつややかな黒い背中をなでると、銀乃の耳がぴっと小さく動いて、銀乃が顔を上げた。

「……何か用事?」

「別に、つやつやしてるなぁと思って」

「まぁね……僕のチャームポイントは毛並みだから……」

眠たげに銀乃は言うと、また顔を前足の間にうずめて、なでられながら眠り始めた。

「ペットがいる生活って、いいなぁ……」

「……僕はペットじゃない……保護者……」

銀乃は薄めを開けて抗議したものの、そのまままた眠っている。
しばらくなでながら、そういえば冷凍庫にアイスを置いていたことを思い出した。
このアイスは近所のコンビニでなぜか39円で売っており、謎の39円アイスとして学生たちの間で人気を博していた。
食べようと冷凍庫を開ける。入ってない。銀乃が食べちゃったのかも。

じゃあ買いに行くか。
とりあえず近所のコンビニまでアイスを買いに行こうと、私は靴をひっかけて、玄関を出た。

もうすぐ冬だ、日が落ちるのが早い。冬至の前とはいえ、17時半を過ぎるとだいぶくらい。かすかな夕焼けの赤さを残して、空は深い藍色に染まっていた。

いつもの踏切を渡って大通りにでれば、すぐにコンビニだ。
うちから出てすぐの踏切の遮断機は、今ちょうど降りてくるところで、私は電車を行き過ぎるのを待つ。

あまり人通りがない住宅街の中にある踏切は、誰かとすれ違うこともめったにない。そういえば以前ここで、あのカオナシお化けと遭遇したんだっけ、と私は急に思い出した。

何となく怖いから、誰も向かいに来ないといいなぁ。
あまりにも恐怖であったお化け遭遇事件を思い出して、私はそんなことを思う。

電車の音が聞こえてくる。誰も来ない。向こうにも誰もいない。私はほっとする。電車が通り過ぎていき、下がったままの踏切、さぁ踏切を渡って、

……踏切の向こうに、人がいた。それも、着物をきた不思議な感じのする人。

さっきまで誰もいなかったのに。胸の内が冷えるような気がした。
いや、人くらいいるだろう。きっと踏切が閉まったあとにむこうからきたんだ、私はそう言い聞かせる。この間のお化け事件以来、少々過敏になってしまっているのかもしれない。

だが過敏と言われようがなんだろうが怖いもんは怖い。私はしまった踏切の向こうの何者かをガン見すると、できるだけはじにより、踏切があがった瞬間からダッシュで踏切を通り過ぎるスターティングの準備を始めた。

踏切の遮断機があがっていく。
薄暗い日暮れ時、早い街頭が、明かりをつけて踏切を照らす。私はもう一度だけ、ちらりと人に視線を向けた。

彼が少し顔を上げた。踏切を隔てて、視線が合った、ような気がした。
踏切が上がりきったというのに、彼はそのまま、立ち止まっていた。私は走りだそうとして、声に引き留められた。

「まって、君、なんか落とした」

え、と私は彼のほうを見た。そして、自分の周辺をぐるりと見る。
彼は踏切を渡ってすたすたと私のほうへくると、ほらそれ、と指さした。
指さしたほうには、100円玉が落ちていた。お財布から落としちゃったんだろうか。いや、これ私がほんとに落とした?と思ったものの、とりあえず私は拾い上げる。

「……あ、ありがとうございます」

「ああ、君、見えるんだやっぱ」

彼はそう言って笑うと、そのままそこに立っていた。
何だか違和感があった。何気ない風を装って、私を意識しているような。自意識過剰かもしれないけど。

コンビニに続く大通りに出る前に、私はもう一度だけ踏切に振り返った。
彼はまだ立っていた。何をするでもなく、踏切の遮断機の前に。
そして、気のせいかもしれないけれど、私を見ていた。遠くなのに、視線が合った気がして、私は目をそらすと、小走りに大通りへと抜けだした。
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