ドッペルゲンガー渋谷に現る!

くしき 妙

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ドッペルゲンガー渋谷に現る!

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 波乱万丈じゃない人生なんてつまらない。のめり込ませてくれる人を梅は探していた。

 梅は独身のOLだ。大学を卒業してから独り暮らしをしている。平均的独身女子だ。そして、26歳に至る今日まで彼氏ができたことがない。

 梅は、美人というわけでもないが10人並みの容姿をしている。気立ても悪くないが男性から告白を受けたこともなければ、食事に誘われたこともない。いつもつるんでいるのは、同期入社の舞だ。

 隣の席からこそこそと舞が囁く。梅は、PC画面から目を離すこともなく、企画書を仕上げることと舞のくだらないお喋りの相手を両立していた。

 「ねえ、梅! 新入社員の小池君、可愛いわよね?」
 「そう? 普通でしょう? 舞ってすぐ年下の子に色目使うけど、なにがいいの?」

 「だって! 手つかずで、私色に染められるじゃない!」
 「へ~、何も悩まないで生きてきた子供の延長みたいな男のなにがいいの?」

 「梅こそ、バックボーンが複雑な男がいいとか、腹に何か飼っている男が痺れるとか、私からしたら、そんな男よほど老人か、活字の世界にしかいないと思うよ」

 「私、何も乗り越えてこなかった男なんて全然惹かれないんだもん」
 「そんな非現実的なことばっかり言っていると行き遅れになるよ」
 「全然、平気よ」

 「ねえ、加藤さんが見てるわよ。多分、梅に気がある」
 「よしてよ! ミスター平坦人生には用がないのよ」

 梅は、パチパチとキーボードを叩きながら鼻で笑った。

 梅は行き遅れるなんて気にしていない。好きでたまらない人じゃないと駄目だから。そして、梅にはいるのだ、その大好きな人が。でも、その人は現実には存在しない。それはアニメの登場人物の一人だから。

 アニメは作画が凄く綺麗で、正月休みに一気に全部視聴した。世界観にはまりにはまった。怪物に対して、単に鍛えた人間が立ち向かっていくストーリーなのだが、登場人物のそれぞれにドラマチックな人生が設定されている。怪物にさえ生きてきた背景があり勧善懲悪を超えた人間ドラマに梅は強く惹かれた。

 そして、アニメも第2シーズンに突入すると主要人物の中でも設定年齢が比較的高く、その人生観が突出したキャラクターが登場してきた。

 その人は元忍びだ。彼は、派手好きで一見すると軽薄そうだ。が、暗殺を稼業とする家に生まれたので幼い時から厳しい訓練を受け、普通の子供とは違う体験をしてきた。他の人とは違う人生観を持っている。
 
 彼自身、子供の頃から暗殺業に身を投じてきた。そして、姉も弟達も訓練や任務の過程で命を落とした。父親によって、兄弟同士で殺し合いまでさせられてきた。
 そんな悲惨な体験を背中に背負っているのに、洒落て気の利いた戯言、華やかな笑い声をたてるその男は、どんな心の葛藤を乗り越えてきたのだろうかと思うと、梅は痺れるほどかっこいいと思った。

 梅は一人暮らしを寂しく感じもしない。だって、このキャラクターといつも一緒だから。PCの壁紙には元忍びがいつも微笑んでいる。PCでアニメの主題歌を鳴らしながら、PCの壁紙の彼に語りかける。日記がわりにブログを更新しているから、毎日PCを立ち上げる。つまり、毎日彼に語りかけているのだ。

 部屋のドアにも彼の立ち姿のイラストが貼ってある。部屋を出る時にはいつもその彼に向って声をかけている。
 
「行ってくるね! 今日は残業がないから早く帰れるわ」
―ああ、待ってるよ。

 行ってきますと言った後だって彼はいつも脳内にいる。

 今日も梅は通勤電車に揺られながら、元忍びと脳内会話を楽しんでいる。キャラクターを担当している声優の声は目を瞑れば耳に流れ込んでくる。

 脳内会話は梅を冒険の世界に誘う。元忍びに寄り添っていれば、梅は屋根にだって上れる。空だって駆けまわるのだ。

 「梅! こっちだ! さあ、飛ぶぞ! 思い切り大地を蹴るんだ!」
 「了解! すごい! 上空は冷気に覆われてる!」
 「ああ、そうさ! ド派手に気持ちいいだろう!」

 梅の仮想彼氏はいつも2次元の人だった。子供の頃の脳内の恋人は怪盗ルパンの孫だった。軽薄そうに見えて実は深い情の持ち主。ジョークがうまくて、周囲をあっという間に明るくする派手な男。そして、破天荒で洒落っ気を纏っていても、腹に抱えるものは重くて深くて、孤独な男の世界を持っている。そんな男に痺れる少女が梅だった。

 大泥棒の孫以来、夢中になったのがだったのだ。前は大泥棒、今度は暗殺者。本当に泥棒や人殺しだったら、梅もお近づきにはならないだろうが。

 三次元にいる男たちにこんな人物を見つけることなど不可能だろう。当然だ。フィクションなのだから。大体、こんな犯罪者たちが社会にのさばっていたら大変だ。

 しかし、生きてきた背景が作り出す美。普通の人が持っていないものを持っているということ。つまりそれは作者が思い入れてつくりこんだキャラクターだからこその美。その美学に心を惹きつけられてやまない。

あり得ないのだ。そんな人は現実にはいない。だからこそ、惹かれるのだ。

 忍びの男は2メートル近い長身と女の胴回りくらいありそうな上腕二頭筋を持つ。そして、思わず女の目を釘づけにするような美しい顔の造作。こんな人物が実際いたら、きっとカッコ良すぎてまともに見つめることなんて不可能だと梅は思うのだった。

 梅は、元忍びを好きになってから、2メートルくらいの背丈の20代の男ばかりが目に飛び込んできてしかたない。あの男のレプリカのような生身の人間がいたら逃がさないけどと、あり得ないことを想像しては梅は自嘲する。いや、想像が楽しいのだ。別に本当に探しているわけではない。

 街を歩いていても、視線はいつも上にある。2メートルを見上げるのだから、当たり前であろう。

 見上げると、夜空をバックに輝くネオンが目に入る。田舎町から出てきた梅にとっては都会の摩天楼は星空よりも心を惹きつける。

 だが、摩天楼の輝きが色を失う夜があった。
 
 ある日、会社から帰る途中だった。道玄坂を駅に向かって下りていく途中で、梅はとうとう見つけた! そう!元忍びにそっくりの2メートルに近い身長で、上腕二頭筋が梅のウェストくらいあって、その男の特徴である銀髪と夕陽のような赤い目まで同じ!まるで、生き写したような男だ。現代軸のスピンオフで身に纏っているフーディー姿だった。

 梅は雷に打たれたように立ちすくんだ。

「あれは、彼……」

 その男は、かなり目立つ。なによりあの長身だ。人混みの中で頭一つ抜けている。なのに、誰も振り返らない。

 なぜだ? 不思議すぎる! 梅は追いかけた。男は大きな歩幅でどんどん遠ざかっていく。梅は追いつくために小走りになる。

 どんどん、文化村の裏の人気のない路地へ路地へと彼にそっくりの男が歩いていく。梅は見失うまいとして必死に追いかけた。

 彼が通りを左に曲がったので、走っていって梅もそこの角を曲がった。しかし、そこには、もうその男の影も形もなかった。

 梅は辺りをくまなく探したが、まったく手がかりもなく男は消えてしまった。

 幻を見たのか……。あり得るだろうか? 似ているだけの男はこの世にいないとは言えないが、角を曲がったら消えたのだ。

 元忍びが好きすぎてドッペルゲンガーを見た? いや、そもそも実在しない人間のドッペルゲンガーなどいるのだろうか?

 基本的にドッペルゲンガーは自分の分身のはず……。

 梅は釈然としなかったが、今は忘れるしかないと自分に言い聞かせて帰宅した。

 ただいまと声に出してドアを開けるが誰も「お帰り」とは言ってくれない。寂しい一人暮らしだ。 

「ねえ! 今日、貴方のドッペルゲンガー見たんだけど、貴方だったの?」

 梅がパソコンの壁紙の元忍びに声をかけても、当然、壁紙は何も答えなかった。

 翌朝、ルーティーンを正しく繰り返し、梅は出勤した。朝起きて、体操をする。朝食を作る際にお弁当も詰め込む。さあ、準備万端と家を出るのだ。

 通勤電車では運よく座れたので、ふと視線を上にやると、席に座れず立っている男性達がいつもよりやけに大きく感じた。日本人の平均身長は170㎝だから、そうそう2メートルの男性はいないはずだが……。

 バスケットボールのロゴの入ったジャージを着た高校生達がいた。バスケの選手なら2メートルある人もいるだろうなと思って目が釘付けになった。

 出社すると、座席の前のパソコンを立ち上げる時間もくれないで、仲良しの舞が早速話しかけてきた。

「ちょっと~! あんたも隅におけないわね!」
「なにが? 」
「あんた、彼氏できたって全然言わないんだもん! 水くさい!」
「待って、待ってよ。なんのこと? 未だ、彼氏いない歴26年だけど?」
「昨日、2メートルくらいある男と腕組んで歩いてたじゃないよ!」
「!!! ちょっと待って、どこで?」
「道玄坂の文化村のあたりよ」
「見間違いだと思う……」
「確かにあんただった!」
「その男って、銀色の髪してた?」
「してた!」

 まさか! 元忍びを見かけたのは確かに道玄坂だ。そして、見失ったのはその奥の路地。でも、指一本触れてないのに腕組んで歩くわけがない。

 気になって気になって、また、会社帰りに道玄坂に行ってみた。街のネオンが今日はやけにけばけばしく感じられる。夜の街の喧騒が梅の焦燥を深めた。その日は元忍びの男を見かけることはなかった。

 帰宅して、PCを立ち上げ日記をつけた。相変わらずPCの壁紙の元忍びの男の上腕二頭筋は見事なもので、微笑む口元は梅を笑顔にする。

 ― 私は、幻を見たのだろうか? それとも世間の熱い期待に応えて忍の男は実体を持った? いやいや、あり得ない。

 梅は、妄想もいい加減にしようと思ってパジャマに着替えてベッドに入った。枕には忍びの男のイラストがプリントしてあった。

 翌日、出社して席につくと、隣の席の舞がにやにやしている。

「ねえ、お熱いわね~」
「なにが?」
「2メートルの男とセンター街の路地でチューしてたでしょう?」
「え! してないって!!」
「してたよ、高校生たちがたむろしているところで堂々とさ!」
「……」

 梅は、絶句した。昨日は見てもいないのに? どうやって実体のない男とチューできるんだ?
 してない! したいけど、してない! 会ってないんだからできるわけもない。

 掴まえないと! ミスター平坦人生の加藤さんが、「え? もう帰るの?」と目を見張るのを尻目に、終業のベルと同時に会社を飛び出した。
 
 この日も道元坂で元忍びを探し回った。

 この夜は、渋谷の街はいつも以上に騒がしかった。人出がいつもよりも多いのは、人気タレントが路上でゲリラライブを行ったからだそうだ。

 梅は、遠目に背の高い男を目認した。いた!あれだ! 脱兎のごとく走った。実体のない男がこの渋谷の街を歩いている。なんとしても謎を突き止めなくては!

 思い切り大声で、彼の名を呼んだ。彼は一瞥した。しかし、口を開こうとしない。ただ、振り返って、見返しているだけだ。真実への欲求が梅を突き動かした。触れるのか? 実体があるのか?

 走った! が、元忍びも走った。あの長い脚で逃げられたら追いつけるわけもない。そして、設定的に物凄く足が速いことになっている。白いスニーカーの足が怖ろしい速さで遠ざかっていった。

 追いつけなかった。そっちへ行くともうラブホ街に入るというあたりで見失った。またしても忽然と消えたのだ。諦めて帰宅することにした。

 渋谷の街は深夜になっても眠らない。若い学生たちや、会社帰りに一杯飲んで帰るサラリーマンたちが終電に遅れまいと小走りに走るのを横目に梅も電車に滑りこむ。

 ぐったり疲れて独り暮らしの部屋に辿り着いた。カギを開け内ドアに貼ったイラストに話しかけてみた。

「ねえ? 貴方はこの世にいるの?」

 イラストは黙しているだけだった。

 翌日出社すると、舞がすぐ側に寄ってくる。今度は幾分心配そうにヒソヒソ声で言った。

「ねえ、喧嘩したの? 2メートル君と」
「え、なんで?」
「2メートル君に縋って泣いてたじゃん!」
「私が?」
「うん、あれ、梅だよ、だって、昨日来てたワンピだったもん」
「うそ……」

 もう、発狂しそうだった。これは……、もう、間違いない。元忍びがドッペルゲンガーなんじゃない。私だ! 私自身のドッペルゲンガーが出たんだ!

 元忍びはなぜいるんだ! 私が、彼を好きすぎて幻を作り出し、幻と仲良くするために自分のドッペルゲンガーまで生んだのか?

「ねえ、舞! 体調大丈夫?」

 急に、友達が心配になって聞いた。他人のドッペルゲンガーを2回見ると死ぬという話もある。

「大丈夫だけど?」

 ほや~んとした舞は、何処も悪そうには見えなかった。

 「あの……」
 
 ミスター平坦人生の加藤さんが声をかけてきた。

 「はい?」
 「顔色が優れないようだけど、僕で良ければ相談に乗るけど?」
 「いえ、大丈夫です」

 にっこり笑って退けた。舞が目くばせしてきたが、知らんふりした。

 平坦人生の人と人生を共にしたら、平坦な人生になる。波乱万丈の人生が憧れなの、ごめんなさい、加藤さん、と彼の背中に手を合わせた。
 
 会社の終業が待ち遠しくて時計ばかりが気になってしまう。

 やっと終業のベルがなったので、道玄坂へと急いだ。最初に彼を見かけた文化村の角に立ってみた。ただ、そこに突っ立って待った。

 元忍びの男が歩いてきた。梅は、今度は自分からは近づかない。ただ、彼を見上げた。そして、ついに目に捉えたのだ。元忍びの腕に絡みついている自分とそっくりの女を!

 自分にそっくりの女は、服装も全く同じだった。舞は、昨日はワンピ―ス姿の私を見たと言っていたが、その女は、今日の私の白いブラウスに薄紫のマーメイドスカートに白いパンプスという服装もそのまま同じだった。髪型も今日は、いつものポニーテールではなくて、カチューシャをつけて髪をおろしてきたが、それもそっくりだ。

 ドッペルゲンガーの自分は何も言わないで、ただ、じっと見ている。ドッペルゲンガーを見たら、思い切り悪口を言えとネットに書いてあった。

「あんた! なにやってんの? 私の推しとイチャイチャしてんじゃないわよ!」

 ドッペルゲンガーは何も言わない。

「私の人生を乗っとる気? あんたに私の魂は渡さないわよ!」

「……」

「この性悪女! 魂を返せ! 推しに触るな!」

 ドッペルゲンガーと元忍びは腕を絡ませたまま、何も言わず梅の側をすり抜けて遠ざかっていった。

 その場を立ち去る以外に残されたことはなかった。

 梅は帰宅して考えた。どうしよう? どうなる、私? 自分のドッペルゲンガーを見たら死ぬんだ!

 このままでは自分は死ぬ。きっと死ぬ。なんとか回避しないと。どうすればいい? 何を間違えた? 推しに肩入れしすぎた? 忍びの男が悪いのか? のめり込みすぎた相手が悪かった? なんで!!! だって、相手は生きてないのよ! 実体のない相手にのめり込んだからってドッペルゲンガーが出る? 私は病んでいるの?

 いや、死ぬわけにはいかない! 人生まだ26年しか生きてないんだから。恋人もできず、清らかな体のまま棺桶に入るなんてまっぴらだわ! 

 ああ、怪盗が仮想彼氏だった時には何事もなかったじゃない? やっぱり、忍びの男は暗殺者。私の命を取りにきたんだ!

 渡さない! 心はあんたに捧げたが、命だけは私のものだ! PCの壁紙で食えない微笑みを浮かべている忍びの男に向かってアカンベーをした。

 嫌いになってやる! 嫌いになればいいんだ。そうすれば、きっと幻は消える。そして、幻を恋い慕う己のドッペルゲンガーも消える。そう踏んで、忍びの男の微笑む姿に向かって言い放った。

「終わりにしよう!」

 梅は、持っていたありとあらゆる彼にかかわるグッズはゴミ箱に捨てた。貼ってあったイラストもドアから剥した。

 パソコンの壁紙を消去した。パソコンのディスプレイはデフォルトの何の変哲もない青い画面に戻った。きれいさっぱり脳の中からも仮想彼氏を消去した。

 その夜、夢を見た。夢の中で、元忍びの男は微笑んでいた。

 男はアニメの中に出てくる剣士の姿ではなく、まさに元の稼業の忍びの装束だった。彼は何も言わずに暗器を梅の首筋にあてた。


 翌日、いつまでたっても出社してこない梅を心配して、舞が梅の部屋にやってきた。鍵がかかっている。ドアフォンを何度押しても応答がない。舞は胸騒ぎがした。

 大家さんに頼み込んで、ドアを開けてもらった。

 そこには、パソコンの画面に頬を押しつけて微笑んで息絶えている梅の姿があった。PCの壁紙には、アニメのキャラクターが意味ありげな食えない微笑みを浮かべていた。


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