ほつれた心も縫い留めて ~三十路の女王は紳士な針子にぬいぐるみごと愛でられる~

穂祥 舞

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女王の身辺を探る者

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 午前中の店内の混雑が一段落し、入荷した消耗品をようやくチェックすることができた亜希は、とっととそれらを各部門に配ってしまうことにした。
 今日は大きなチラシが入っているために商品のストックが多く、バックヤードが物だらけだ。普段は各部門に取りに来いと伝えて、事務所の傍に台車を置き消耗品を積んでおくのだが、こんな場所に台車があることさえ微妙だった。下手をすると、商品の台車に埋もれてしまい、閉店間際まで消耗品を受け取れない部門が出てしまう。
 休憩を済ませた阪口が、消耗品を小さな台車に移す亜希に気づいて、ぱたぱたと階段を降りてきた。

「チーフ、私やりますよ、お昼回ってください」
「いいよ、これ撒いたらそのまま休憩行くから……あっ外線」

 電話の音に、阪口は慌てて鍵を出し、事務所の扉を開けた。受話器を掴み、よそ行きの声で応じる。

「お待たせいたしました、ハッピーストア鷺ノ宮店の阪口です」

 亜希は電話を部下に任せて、カウンタークロスや手袋の箱を台車に載せていった。

「はい? はい、住野はうちの従業員ですが……勤務中でございますので、差し支えなければ用件を伺ってもよろしいでしょうか?」

 阪口が事務所の小窓を開けて、話しながら亜希に困惑の目線を送ってきた。

「お名前を頂戴できますか? はい、本人に繋ぐことはできますので……」

 阪口は珍しく苦慮している。彼女は学生時代に、アルバイトでオペレーターをしていたことがあり、電話でのちょっとやそっとのクレームでは動じない。
 従業員に外線電話を通してはならないというマニュアルは無い。家族からの緊急電話もあるし、同じ部門の他店の担当者からの連絡も多いからだ。ただ、従業員の身辺を探るような妙な電話がたまにあるのも事実で、とにかく相手に名乗らせるのが、電話対応の基本である。

「はい、あっ……」

 電話が切れてしまったようだった。阪口は首を傾げた。

「若くも歳でもないって感じの男性でした、住野亜希さんはそちらにお勤めですかって訊いてきて……何だかそれだけ確認したかったみたいな」

 亜希は薄ら寒さを覚えた。心当たりが全く無い。

「お怒りとかではなく?」
「はい、最後まで丁寧で穏やかでしたよ」
「うーん、何なんだろ……上に店長いるよね? 自分で報告しとくわ」
「見かけたら次長にも話しときます」

 台車を押して、生鮮部門のバックヤードを順番に訪うと、ごめんねー、とパートさんたちが口を揃える。
 その時ふと亜希は、まだ辞めたくないなあ、と思った。昼休みが終わったら、真庭が事務とレジのパートタイマーを数人ずつ呼び、順番に面談をする予定だ。先日の会議で、レジの新機種導入の話に伴う人件費削減の話が出たのだろう。パートさんたちは今すぐどうこうということはないだろうが、真庭は勤務時間の短縮を希望する人を募るつもりかもしれない。
 阪口と亜希は、レジ担当を兼務する可能性を言い出されそうだ。亜希は既に、阪口にその話を少ししている。彼女は溜め息をついて、婚活しようかなぁ、と言った。転職でなく婚活と言うのが、彼女らしいと言うべきなのか。
 バリキャリプラス結婚子育てを望んでいる訳ではないが、この職場は家庭を持つ女子社員が勤め上げる環境が無いので、はなからそんな未来を描くことができない。小売店の事務は自分のキャリアになるのだろうかという、いつもの疑問が亜希の頭の中に浮かんだ。
 食堂にいた真庭に、おかしな電話の話をすると、そのテーブルにいた全員がええっ? と声を揃えた。

「住野さん、最近いろいろ大変だな」

 真庭は言った。心配してはくれているらしい。亜希は突っ込んでみる。

「他に大変なことって、何を指してます?」
「え? 車上狙いに襲われたこととか、榊原くんに絡まれたこととか」

 テーブルの男子社員たちが、忍び笑いを洩らす。亜希は彼らをじろりと軽く睨みつつ、千種のことはバレていないようだとほっとする。まあ、あれ以来鷺ノ宮周辺で彼と会ってはいないが。
 真庭は真面目に言う。

「またかかってきたら代わろう、バシッと言ってやる」

 頼もしい、と本気とも冗談ともつかない声が上がる。あまり当てにならないが、亜希は一応礼を言っておいた。
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