ほつれた心も縫い留めて ~三十路の女王は紳士な針子にぬいぐるみごと愛でられる~

穂祥 舞

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普通の人っぽいGW

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 蕎麦に3貫の寿司がついているセットを頼んで周りを見回すと、家族連れや高齢の夫婦、外国人の若いカップルなど、いろいろな人が座っていた。
 
「さっきの女の子、これから帰省かな」
 
 千種は言った。彼女はリュックを背負い、母親はキャリーケースを引いていた。大切なぬいぐるみを連れてくるくらいだから、祖父母の家に遊びに行くといったところかもしれない。
 
「帰省って羨ましかったな、私両親とも関東圏だから……大西さん大阪だよね、今も帰ってるし」
 
 亜希が言うと、千種はマスクを取りながら笑った。
 
「子どもの頃より今のほうが帰省してる」
「今大阪にはお母様だけ?」
「うん、祖父は割と早くに逝って、祖母は今年で3年」
 
 では、まだ母方の祖母は亡くなったばかりだということか。千種の母親も寂しいだろうなと思う。彼は続けた。
 
「父方の祖母は埼玉の施設で元気にしてて、俺が独りでふらっと顔を見に行ったら、まだお父さんと仲直りしてないのかっていつも訊く」
「うーん、何だかおばあちゃん可哀想……ってうちも父方の祖父母は常に私と妹にやたらと同情的なんだけど」
 
 それまで笑っていた千種は、冗談とも本気ともつかない口調になる。
 
「両親が離婚するのは勝手だけどさ、お年寄りに気を揉ませることになるのが辛みだなぁ……だって双方の祖父母にとって基本孫は可愛いんだから」
 
 トートバッグから耳の先を覗かせるももちゃんを視界に入れながら、この子がきれいになったのを、おばあちゃんに見てほしいなと亜希は思ってしまう。まあ、こんな歳になっても持ち歩いているのかと、心配されるかもしれないが。
 
「あ、そうだ、大西さん」
「はい、大西さんやめて」
 
 その時、お待たせしましたぁという明るい声とともに、蕎麦寿司セットがやってきた。蕎麦はいい匂いの湯気をたて、寿司のねたはつやつやしている。
 千種はいただきます、と手を合わせて、目の前に置かれた盆から箸を取り上げる。
 
「俺を名前で呼ぶのはそんなに嫌ですか?」
 
 亜希もいただきます、と呟いた。
 
「そういう訳じゃないけど、切り替えるタイミングを逸してる」
「……そんな大げさなこと?」
「大げさよね、でも大西さんはももちゃんの主治医だから」
 
 それが一番、亜希の気持ちに近いような気がする。
 
「敬意を持って接してた相手と……まあこういう風に会うようになって、いきなり下の名前で呼べないし」
 
 それを聞いて、千種は肩をゆすって笑う。いや、めちゃくちゃ真面目に語ったんだけど?
 
「わかった、大西さん学生時代友達に何て呼ばれてた?」
 
 亜希は鼻から息を抜いて、目の前で蕎麦をすする男に訊いてみる。しかし彼の答えは、亜希にはやや受け入れ難かった。
 
「え? ちぐりん」
「あっ……それだめ」
 
 額を押さえる亜希に、千種はどうしてだよ、と迫った。
 
「うちの惣菜チーフが和田さんっていうんだけど、その人のあだ名がワダリンだから」
「え? あの時ほんとは亜希さんの代わりに、お弁当持って来てくれるはずだった人だよね?」
 
 運命でも感じたのか、千種の声は楽しげである。その前に、和田のことをそんな風に彼に説明したかどうかがよくわからない。
 
「うん、その人なんだけど」
「そのチーフのこと嫌いなの?」
「そんなことないよ、うちの店の中ではベテランだし安心して頼める人だし」
 
 でも皆が和田をワダリンと呼ぶように、千種をちぐりんとは呼びたくない。
 
「じゃあ千種さんにする、ノーマルでいいでしょ?」
 
 半ば投げやりになってしまったのが伝わったのか、千種は首を傾げる。
 
「ちぐささんってさが続くから言いにくくないかな」
「あ、そのうち慣れます、はい」
 
 何故こんなどうでもいい話をしているのだろう? 亜希は馬鹿馬鹿しく思うのだが、ちょっと楽しいのが困りものである。
 
「お蕎麦もお寿司も美味しいね、千種さん」
 
 亜希が言うと、千種は明らかに嬉しそうな顔になった。口許を緩めながら、まぐろの寿司を箸で摘む。可愛いとこあるな、と思い、この人にこういう感情を持つようになったのかと、勝手に感心した。
 ももちゃんのおかげだ。亜希は自分の右手に置いているトートバッグの口を少し下ろして、ももちゃんの目を見た。つぶらな瞳が、きらっと光を宿したように見えた。
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