彼はオタサーの姫

穂祥 舞

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第1幕/甘く匂う蓮

第2場②

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 特別美味しい訳でもないと一樹が判断したオムライスを、片山は美味しそうに食べている。彼がバリトンであるという情報は、何となく得ていた。この学校の中で声楽を専攻する界隈は、そんなに広くはない。

「3限目が休講になってしまって、図書館にでも行こうかと思ってて、その前にたまには学食使おうかなって来てみたらこの混雑でした」
「図書館……もいいですけど、空いてる部屋で練習とかしないんですか?」

 一樹もこの曜日は3限が空いているので、自主練に充てていることが多い。試験前なので尚更、個人練習をしたいところだが、片山は一樹の言葉に、意外そうな顔をした。

「こんな時間に空いてる部屋ってあります?」
「奥の部屋なら割と空いてますよ」

 空き部屋が無ければ、近所のカラオケボックスへ行くのが声楽科の人間の定番の行動である。院生なのに場慣れしていないというか、何処となく鈍い反応だと思ったら、片山は学部卒業生ではなく、院で初めてこの大学に来た人だった。

「俺、北海道の教育大学卒なんですよ……東京も初めてだし、こんな大きな大学も初めてで、まだ実はわからないことも多くて」

 それを聞き、一樹は片山への親近感が増すのを感じた。自分が常々抱いている淡いアウェー感を、共有してもらえそうだ。とりあえず、これから空いている練習室を探しに行こうという運びになった。
 涼しい学食を出て、暑さに焼かれそうになりながら、練習室の集まる建物に向かう。横に並ぶと、片山の身長が自分とあまり変わらないのも何やら安心感があった。それでつい雑談ついでに、やや彼に踏み込んでみる。

「片山さん、香水か何か使ってます? 俺匂いの勉強してたので、気になって」

 使っている香水について尋ねると、異性が相手だと誤解を生んだこともあった。だから、自分の専攻を引き合いに出す癖が一樹にはついている。蝉の声がじいじいとうるさい中、片山は一樹の顔を真っ直ぐ見て、使ってないです、と答えた。その時彼は軽く瞬きをしたが、きれいな形の目だなぁと一樹は思った。

「あ、そうですか? 今日はわからないんだけど、イタリア語の日はいつも、甘い匂いがするから……」

 一樹が言うと、あっ、と片山は呟き、苦笑を見せた。

「もしかすると、ドーナツ屋でバイトした後だから、キッチンで匂いがついてるのかも」

 なるほど、フェンネルは微妙だが、確かにあれはお菓子系の匂いだ。一樹は勝手に恥ずかしさを覚えた。食品メーカーの研究室を目指していた身としては、やや不甲斐ない。というか……一樹は疑問が頭の中を駆け巡るのを感じた。学部生ならともかく、院生が菓子店で、授業に来る前にバイトするものなのだろうか? 一樹は現在、理系科目の通信教育の採点アルバイトをしている。家庭教師もできると思うが、体力の温存と、練習時間を確保するために、労働は控えめにしていた。
 だが一樹が片山にほっとさせられるのは、彼が声楽科の女子たちのように、如何にもいい家の子だというオーラを発していないからでもあった。彼女らはおそらく、切羽詰まってアルバイトなどしていない。庶民的な院生はあっけらかんと説明する。

「地元でもずっとやってて、仕事は一緒だから働きやすいし、割とシフト融通きくんですよ……1日2時間でもOKなんです」

 片山がアルバイトに励むのは全国チェーンのドーナツショップで、彼の故郷の札幌にも、この東京にも複数の店舗がある。

「へぇ、それならいいですね……下宿先の近くですか?」

 一樹の問いに、片山は千駄木で暮らし、駅前の店で働いていると答えた。一樹の自宅から行きやすい場所ではないが、一度店を覗きに行ってやろうと思った。
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