彼はオタサーの姫

穂祥 舞

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第3幕/学歴は、洗いません。

第5場②

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 これ、と片山が開いて見せたのは、「君をのせて」だった。ええやん、と咲真は同意して、ピアノに向かった。

「これと? 片山ってシューベルト得意なんやろ、ベタやけど『菩提樹』とかどないや」

 ピアノの蓋の鍵を開けて、スタジオジブリの主題歌集を用意した。片山が横に来て、楽譜が見える場所に立つ。

「俺はいいよ、『菩提樹』は原語か?」
「やな、ドイツ語もできるとこを見せつけたれ」
「誰に何を見せつけるんだよ」

 笑い混じりに片山が言うと、咲真は楽しくなり、早速「君をのせて」の前奏を弾き始める。ピアノソロで弾いた時も、客の食いつきが良かった。歌が入れば、きっともっと楽しんでもらえる。そこら辺は、片山の歌次第だが……。彼が息を吸った。

「『あの地平線、輝くのは……どこかに君を、隠しているから』」

 おぼこい男子は、予想外に豊かで滑らかな歌声だった。さらに咲真が驚いたのは、彼の歌詞がとても聞き取りやすいことである。日本人でも、日本語の歌が下手な歌手は多い。
 さっきまで授業で歌っていたから声帯は温まっているのだろうが、いきなり渡した楽譜なのに、技術的にも危なっかしいところが全く無い。
 こいつやるやん。何か耳に心地いい声で、歌に力がある。歌い分けているのかもしれないが、クラシック臭くないのもいいと思った。
 それに、テンポ感や息を継ぐタイミングを、こちらにしっかり伝えてくれるので安心だ。じっと彼の顔や身体を見ていなくても、微かな呼吸音が感じ取れる。それで咲真も、一気に曲に乗ることができた。

「おおっ、いけるやん、超ええ感じ」

 後奏を弾き終え思わず言った咲真に、片山は照れ笑いのようなものを見せた。彼も楽しかったのだという確信が持て、咲真の気分が高揚した。

「曲目提出しとくわ、もしかしたらもう1曲って言うてくるかも」

 軽くはしゃぐ咲真を見て、片山はわかった、と軽く応じた。

「これでお金になるのかぁ」

 しみじみと言う片山が可笑しい。今回は少し特殊な仕事ではあるが、演奏して金を得る、つまり演奏レベルに一定の責任が発生するという経験は、多いほうがいい。

「まあでも楽しくやろう、お客さん近いしこっちの感情伝わるからな」
「へぇ……今何か松本のこと尊敬した」

 人の良さげな笑顔を向ける片山を見て、やっぱりおぼこい、と咲真は思う。ところが彼は、可愛らしささえ感じる笑顔のまま、咲真の急所に矢を放った。

「松本って、伴奏目指してるの?」

 えっ。咲真は自分でもおかしいと思うくらい動揺した。あ、いや、と意味を成さない音が唇から洩れる。
 片山は咲真の顔を見て、何かを察したようだった。

「ごめん、余計なこと言ったかな」

 おそらく彼は、咲真が彼の音楽家としての履歴を調べたように、咲真の無駄に多い戦歴を目にしたのだろう。コンクールでどうしても3位以内に入れない中で、期せずして受賞した「ベスト・アンサンブル・ピアニスト賞」は、否が応でも目立つ筈だ。

「……片山が謝ることちゃうし……まあな、お察しの通り悩ましいところなんです」

 冗談めかして答えつつ、歪んだ笑いが出てしまう。片山は眉の裾を下げた。

「そうか、すっげ歌いやすかったって言いたかったんだけど、やめとく」

 それを聞いた咲真は、ぴょこんと心臓が跳ねたのを感じたが、ピアノの椅子の上で、がくっと左肩を落とす関西人的反応をしてしまった。

「言うてるやんけ」
「あっごめん」

 真面目に謝る片山はやはり少しボケ寄りである。とは言え、嬉しいのは確かだった。
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