レターレ・カンターレ

穂祥 舞

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4 自主練習

4-④

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「くじらは身体が大きいし、性格もおとなしいから、あまり動かないほうがいいな……動きはいるかが作ろうか」

 言いながらこちらにやって来る篠原の足許はやけに軽い。只者ではないと感じたので三喜雄が確認してみると、小中学生の頃、ジャズダンスを習っていたという。学部生時代に演技は少し齧ったけれど、ダンスのたしなみがほぼ無い三喜雄は、これは負けるなぁと咄嗟に思う。

「動くの得意なんだな、オペラもいけるじゃん」
「得意じゃないし、生臭い歌は嫌いなんだって」

 篠原が頑なに言うのが、ちょっと子どもっぽくて面白い。高校時代、人生3回目のような落ち着き払った態度をよく見せた高崎とは、そこは全く違った。
 ふと三喜雄は、いつも篠原を後輩と比べている自分が少しおかしいと思った。篠原は高崎に雰囲気が似ているし、高崎が今どうしているのかは、今でも気になる。しかしたぶんこの華奢なテノールは、後輩が無欲でどこか達観していたのとは全く違う。好き嫌いがはっきりしていて躊躇わずにそれを口にするし、今日は最後まで大まかな動きを三喜雄と決めるのだという強い意志が伝わってきた。
 曲調が変わる場面に入った。くじらが恋する相手について語る箇所で、三喜雄が先導する掛け合いになる。

「『あのひとと散歩すると、あぶなくないかどうか』」

 いるかの篠原が楽しそうに追いかけてくる。三喜雄は顔の前に手をかざし、上半身を前に傾けた。

「『いつも遠くを、みはっているのさ』」

 そこを歌った時、三喜雄の胸の深いところがいきなりきしんだように感じた。突然のことに、集中力がぷつんと途切れる。
 待って、これ何だ?
 聴覚から音が消え、代わりに脳内に忍び込んできたのは、昔何度となく繰り返した後悔だった。
 どうしてあの時、高崎が危ないかもしれないと予感したのに、ちゃんと見ておいてやらなかったんだろう。俺があの時すぐに美術室に行ってさえいれば、あんなことにはならなかった――。
 次の音楽で三喜雄が入ってこないので、篠原も歌を止める。

「どうした? 大丈夫か?」

 覗きこんできた目は長い睫毛に縁取られ、心配そうな色を湛えていた。高崎もこんな目で、そう訊いてきたことがあった。
 片山先輩、大丈夫ですか?
 今どうして、昔のことがフラッシュバックするのか。軽く心臓がどきどきしている。
 こんな風に歌が切れてしまうのは初めてで、三喜雄は動揺した。しかし篠原に向かって、無理に笑いを作った。

「……ごめん、ちょっと気が散った」

 すると篠原も、軽い戸惑いのようなものを見せる。

「疲れてきたなら無理しないでおこう」
「大丈夫だよ、続きからいこう」

 今日は伴奏者もいないので、最初から全力で歌っていた訳ではなかった。動きをつけ始めたとはいえ、疲れるほど動いたとも思わない。しかし篠原は、薄く眉間に皺まで寄せて、被さるように念を押す。

「駄目だ、休もう」

 どちらかというと静かに話す篠原らしからぬ強い口調に、三喜雄は少し驚いた。それに気づいた篠原もはっとして、美しい茶色の瞳を泳がせる。

「いや、えっと……じゃあとりあえず最後まで行っとく?」
「うん、楽譜に動きの指示があるとこだけ確認しておこうよ」
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