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Extra Track とある婦人の日記
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ピアノの前に座った牧野さんが軽やかに弾き始めると、すぐに衝立から男性が出てきて、緊張ではなくおそらく演技で、眉間に軽く皺を寄せ、唇を動かしました。舞台の上にいた、サンゴとワカメの被り物をつけた女の子たちが彼に手を振りましたが、彼が心ここに在らずの風情でおざなりに手を振り返すので、軽い笑いが起こります。
下手からシルバーのスラックスとシャツを着た小柄な男性が、軽い足音とともに登場しました。皆がそちらに注目します。彼によると、上手で独り言を言う男性は「くじら」で、恋をして普段通りではないようです。
シルバーのスラックスの「いるか」君はとても透明感のある声で、白い肌と整った容貌も相まって何となく人魚のようです。「くじら」君も、少し地味ですがきれいな顔立ちの子で、第一声に思いがけない落ち着いた色気があってどきりとさせられました。
好きな人ができると、鏡ばかり見たり、色つきの長い夢を見たり。2人、いいえ、2頭と言うべきでしょうか、彼らは恋をした時の変化を語ります。この場にいる老人たちのどれくらいが、彼らの会話に共感できたかわかりませんが、私はこれでも、先立った主人を割と愛していましたから、彼と出会った頃のことを思い出してしまいました。
いるか君の方が恋の経験は多いのか、自信が持てないらしいくじら君をはげまします。するとくじら君も、惚気ているのか、彼女といると、詩がどんどん書けるなどと語り始めます。2人とも何でもないようにのびのびと歌いますが、多少音楽をたしなんだ私には、難しい曲だということくらいはわかります。でも彼らは、音程もリズム感も良くて、聴いていて安心でした(学生さんだと必ずしもそうでないこともあるので)。何よりも、2人の声がハーモニーを作るととても豊かな響きになり、うっとりしてしまいました。
やがて、彼女にプレゼントしろとバラをいるか君から手渡されたくじら君は、好きな人(やはりくじらなのでしょうか)をお嫁さんにしたら、いつでも好きな時に、綺麗だねと言ってあげられるのだと、素朴さとしっとりした色気がブレンドされた声で歌います。それを聞いた私は、ちょっとどきどきしました。私も若い頃は、綺麗だねと、死んだ主人を含めた何人かの男性(ここだけの話です)から言われたものです。たとえお世辞でも、素敵な気分になるものですよ。
いるか君は、くじら君が大好きなのでしょう、その彼女に、貴女は僕の親友のお嫁さんですね、と言ってあげたい、とチャーミングに歌います。彼は小柄ですが、銀色に光るものを会場にさらりと撒くような存在感があり、本当に賢いいるかを連想させました。
音楽が盛り上がると、くじら君は、ピアノの前にかかっていたタキシードのジャケットに初めて腕を通しました。今からプロポーズに行くために正装し、表情も引き締めて、いるか君と握手してからバラを片手に舞台を去ります。途中で、クマノミの被り物をつけた中学生たちが彼に手を振ると、緊張した顔でぎくしゃくと応じるのが少しコミカルです。くじら君は、お芝居も上手でした。
残されたいるか君もジャケットを着て、緩やかな伴奏の中で、紙とペンを取り出しました。そして、会場にいる全員に、海の皆さん、と呼びかけます。中学生たちが、彼の話を聞くために、舞台に近寄ってきて、三角座りになりました。
いるか君は、友達のくじら君の結婚招待状を、私たち全員にくれるということのようです。好きな人に、いつでも好きな時に、綺麗だねと言ってあげたいので、お嫁さんになってほしいと頼んだのだと、さっきのくじら君の美しいメロディをいるか君がリフレインするのがじんとします。お祝いに来てほしいという、希望に満ちた明るい声が響きました。
いるか君が深々とお辞儀をして、優しく後奏が終わりました。すっかり歌手の2人に目と耳を奪われてしまいましたが、牧野さんの伴奏はさすがです。若い歌い手を支え、時には導くような素敵な音楽でした。
残響が消え、いるか君が胸に当てていた手を下ろすと、後ろのほうの一般のお客様からまず拍手が起こり、それが一瞬で会場全体に広がりました。いるか君が右手を出すと、下手の扉からくじら君が出て来て、拍手がわっと大きくなります。
タキシード姿の2人は舞台の真ん中で、何度も頭を下げました。彼らは止まない拍手に少し困惑していましたが、久しぶりにこんなに会場が盛り上がり、私も驚きました。くじら君はピアニストの牧野さんをまず舞台の前方に連れ出し、3人で礼をした後、中学生たちを手招きします。舞台の上が華やかになり、拍手も一層高くなりました。
最後に辻井さんが客席の後ろのほうから舞台に向かって走って来て、ありがとうございました、と言いました。それに合わせて舞台上の全員が頭を下げ、長いアンコールが終わりました。
下手からシルバーのスラックスとシャツを着た小柄な男性が、軽い足音とともに登場しました。皆がそちらに注目します。彼によると、上手で独り言を言う男性は「くじら」で、恋をして普段通りではないようです。
シルバーのスラックスの「いるか」君はとても透明感のある声で、白い肌と整った容貌も相まって何となく人魚のようです。「くじら」君も、少し地味ですがきれいな顔立ちの子で、第一声に思いがけない落ち着いた色気があってどきりとさせられました。
好きな人ができると、鏡ばかり見たり、色つきの長い夢を見たり。2人、いいえ、2頭と言うべきでしょうか、彼らは恋をした時の変化を語ります。この場にいる老人たちのどれくらいが、彼らの会話に共感できたかわかりませんが、私はこれでも、先立った主人を割と愛していましたから、彼と出会った頃のことを思い出してしまいました。
いるか君の方が恋の経験は多いのか、自信が持てないらしいくじら君をはげまします。するとくじら君も、惚気ているのか、彼女といると、詩がどんどん書けるなどと語り始めます。2人とも何でもないようにのびのびと歌いますが、多少音楽をたしなんだ私には、難しい曲だということくらいはわかります。でも彼らは、音程もリズム感も良くて、聴いていて安心でした(学生さんだと必ずしもそうでないこともあるので)。何よりも、2人の声がハーモニーを作るととても豊かな響きになり、うっとりしてしまいました。
やがて、彼女にプレゼントしろとバラをいるか君から手渡されたくじら君は、好きな人(やはりくじらなのでしょうか)をお嫁さんにしたら、いつでも好きな時に、綺麗だねと言ってあげられるのだと、素朴さとしっとりした色気がブレンドされた声で歌います。それを聞いた私は、ちょっとどきどきしました。私も若い頃は、綺麗だねと、死んだ主人を含めた何人かの男性(ここだけの話です)から言われたものです。たとえお世辞でも、素敵な気分になるものですよ。
いるか君は、くじら君が大好きなのでしょう、その彼女に、貴女は僕の親友のお嫁さんですね、と言ってあげたい、とチャーミングに歌います。彼は小柄ですが、銀色に光るものを会場にさらりと撒くような存在感があり、本当に賢いいるかを連想させました。
音楽が盛り上がると、くじら君は、ピアノの前にかかっていたタキシードのジャケットに初めて腕を通しました。今からプロポーズに行くために正装し、表情も引き締めて、いるか君と握手してからバラを片手に舞台を去ります。途中で、クマノミの被り物をつけた中学生たちが彼に手を振ると、緊張した顔でぎくしゃくと応じるのが少しコミカルです。くじら君は、お芝居も上手でした。
残されたいるか君もジャケットを着て、緩やかな伴奏の中で、紙とペンを取り出しました。そして、会場にいる全員に、海の皆さん、と呼びかけます。中学生たちが、彼の話を聞くために、舞台に近寄ってきて、三角座りになりました。
いるか君は、友達のくじら君の結婚招待状を、私たち全員にくれるということのようです。好きな人に、いつでも好きな時に、綺麗だねと言ってあげたいので、お嫁さんになってほしいと頼んだのだと、さっきのくじら君の美しいメロディをいるか君がリフレインするのがじんとします。お祝いに来てほしいという、希望に満ちた明るい声が響きました。
いるか君が深々とお辞儀をして、優しく後奏が終わりました。すっかり歌手の2人に目と耳を奪われてしまいましたが、牧野さんの伴奏はさすがです。若い歌い手を支え、時には導くような素敵な音楽でした。
残響が消え、いるか君が胸に当てていた手を下ろすと、後ろのほうの一般のお客様からまず拍手が起こり、それが一瞬で会場全体に広がりました。いるか君が右手を出すと、下手の扉からくじら君が出て来て、拍手がわっと大きくなります。
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最後に辻井さんが客席の後ろのほうから舞台に向かって走って来て、ありがとうございました、と言いました。それに合わせて舞台上の全員が頭を下げ、長いアンコールが終わりました。
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