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2 まほうのふえ
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食事を終えて1時間ほどすると、3人で伯母の「音楽室」に向かった。伯母は窓を閉めて、黒々としたグランドピアノの蓋を開く。
奏大はテーブルに置かれていた、横に長い黒いケースを開いた。青いビロードの内張りの中に、金色の物体が鎮座しているのを見て、奏人はあ、と思わず声を上げた。
「フルートを近くで見るのは初めて?」
奏大は微笑しながらそれを手慣れた様子で組み立てる。3分割されていたそれが、金色に輝く楽器の姿をとる。
「魔法の笛みたい」
奏人はその美しさに、少し興奮した。
「タミーノが吹くやつ……」
「『魔笛』? 奏人くんはマニアックだなぁ」
奏大が笑うと、伯母も小さく笑った。
「マニアックだなんて、教養があるとおっしゃい」
「春に学校から舞台鑑賞に行ったんだ、短いオペラみたいなの」
ああ、なるほど、と奏人の言葉に伯母が目を見開く。奏大は楽器を構えて、明るいメロディを鳴らした。部屋を満たす清々しい音色に奏人は驚く。そんなに大きな身体ではない奏大が放つものとは思えなかった。音が全身を撫でていくようだ。
「こんな曲とか出てきたかな」
吹き終えて、奏大が笑う。奏人はその一節を覚えていた。
「うん、鳥みたいな格好をした面白い男の人が歌ってたよ、鳥を捕まえるのが俺の仕事だって自己紹介するの」
パパゲーノね、と伯母が楽しげに言う。反対に奏大は顔から笑いを消した。
「奏人くん、この曲はその時初めて聴いた? そのあともう一回聴いたりして覚えてたの?」
奏人はどきりとして、その時だけ、と小さく答えた。何か良くないことを言ったのだろうか。
「涼子さん、この子……」
奏大は伯母にやや深刻な口調で呼びかけた。伯母はあら、とあっさり応じる。
「かなちゃんは曲を覚えるのが早いのよ、その辺で流行ってる歌なんか2回聴いたらだいたい口ずさめるわよ」
そりゃ凄い、と奏大は目を丸くした。叱られる訳ではないようなので、奏人は胸を撫でおろした。
テレビで流れるコマーシャルの音楽を鼻歌でなぞると、行儀が悪いからやめなさいと祖母がいつも言ったのだが、母はそんな奏人を見て、父や祖母を説き伏せピアノを習わせ始めた。今思えば、常に父に逆らわない母にしては、強気な態度だった。
「今日はドイツ語圏でなくてフランス語圏の曲を演るよ」
奏人がピアノから少し離れた椅子に座ると、伯母が薄い冊子になった楽譜を開く。奏大は暗譜しているらしく、グランドピアノの窪みの辺りに、金色の笛だけ持って立った。彼の元々明るい色の髪も、明かりに透けて金色味を帯びている。
「フォーレの『シシリエンヌ』」
奏大は少し首を傾けて、楽器を構えた。良く似合う、と思った。流れるようなピアノの静かな前奏に、やや憂いを帯びたフルートのメロディが滑り込んでくる。奏人はその曲を知っていた。ピアノの発表会で、よく弾かれるからだ。しかし生のフルートで聴くのは初めてだった。
奏大の音は、さっきのパパゲーノのアリアの時とは明らかに違った。切なくて、じわりと訴えかけてくる音。転調して艶やかな高い音が響くと、腕に鳥肌が立った。ピアノが繊細で複雑な和音を奏でていることも、伯母の演奏ならよく分かる。こんなに素敵な曲なんだ。奏人は今までになく、音楽そのものに心を奪われていた。
元のメロディを取り戻したフルートは、やがて静かに沈んでいく。森を密やかに吹き抜ける風に揺らされた木々の葉が、静まっていくようだった。安曇野に吹く風と、濃い緑を奏人は連想する。
奏大はテーブルに置かれていた、横に長い黒いケースを開いた。青いビロードの内張りの中に、金色の物体が鎮座しているのを見て、奏人はあ、と思わず声を上げた。
「フルートを近くで見るのは初めて?」
奏大は微笑しながらそれを手慣れた様子で組み立てる。3分割されていたそれが、金色に輝く楽器の姿をとる。
「魔法の笛みたい」
奏人はその美しさに、少し興奮した。
「タミーノが吹くやつ……」
「『魔笛』? 奏人くんはマニアックだなぁ」
奏大が笑うと、伯母も小さく笑った。
「マニアックだなんて、教養があるとおっしゃい」
「春に学校から舞台鑑賞に行ったんだ、短いオペラみたいなの」
ああ、なるほど、と奏人の言葉に伯母が目を見開く。奏大は楽器を構えて、明るいメロディを鳴らした。部屋を満たす清々しい音色に奏人は驚く。そんなに大きな身体ではない奏大が放つものとは思えなかった。音が全身を撫でていくようだ。
「こんな曲とか出てきたかな」
吹き終えて、奏大が笑う。奏人はその一節を覚えていた。
「うん、鳥みたいな格好をした面白い男の人が歌ってたよ、鳥を捕まえるのが俺の仕事だって自己紹介するの」
パパゲーノね、と伯母が楽しげに言う。反対に奏大は顔から笑いを消した。
「奏人くん、この曲はその時初めて聴いた? そのあともう一回聴いたりして覚えてたの?」
奏人はどきりとして、その時だけ、と小さく答えた。何か良くないことを言ったのだろうか。
「涼子さん、この子……」
奏大は伯母にやや深刻な口調で呼びかけた。伯母はあら、とあっさり応じる。
「かなちゃんは曲を覚えるのが早いのよ、その辺で流行ってる歌なんか2回聴いたらだいたい口ずさめるわよ」
そりゃ凄い、と奏大は目を丸くした。叱られる訳ではないようなので、奏人は胸を撫でおろした。
テレビで流れるコマーシャルの音楽を鼻歌でなぞると、行儀が悪いからやめなさいと祖母がいつも言ったのだが、母はそんな奏人を見て、父や祖母を説き伏せピアノを習わせ始めた。今思えば、常に父に逆らわない母にしては、強気な態度だった。
「今日はドイツ語圏でなくてフランス語圏の曲を演るよ」
奏人がピアノから少し離れた椅子に座ると、伯母が薄い冊子になった楽譜を開く。奏大は暗譜しているらしく、グランドピアノの窪みの辺りに、金色の笛だけ持って立った。彼の元々明るい色の髪も、明かりに透けて金色味を帯びている。
「フォーレの『シシリエンヌ』」
奏大は少し首を傾けて、楽器を構えた。良く似合う、と思った。流れるようなピアノの静かな前奏に、やや憂いを帯びたフルートのメロディが滑り込んでくる。奏人はその曲を知っていた。ピアノの発表会で、よく弾かれるからだ。しかし生のフルートで聴くのは初めてだった。
奏大の音は、さっきのパパゲーノのアリアの時とは明らかに違った。切なくて、じわりと訴えかけてくる音。転調して艶やかな高い音が響くと、腕に鳥肌が立った。ピアノが繊細で複雑な和音を奏でていることも、伯母の演奏ならよく分かる。こんなに素敵な曲なんだ。奏人は今までになく、音楽そのものに心を奪われていた。
元のメロディを取り戻したフルートは、やがて静かに沈んでいく。森を密やかに吹き抜ける風に揺らされた木々の葉が、静まっていくようだった。安曇野に吹く風と、濃い緑を奏人は連想する。
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