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7 えんそうかい
3-⑤
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伯母が椅子から離れて、奏人のほうを見た。奏人はソファから立ち上がり、ピアノに向かう。グランドピアノが、何となくいつもより大きく、威圧感があるように見えた。
「なんて顔してるの、私と信介さんしか聴かないのに」
伯母は言いながら、奏人の両肩に手を置いて軽く揺すった。わかっていないと奏人は思う。あんな迫真の演奏を見せられた後で、緊張するなと言うほうが無理だ。
「ほら、奏大くんが必死で吹くからかなちゃんが硬くなっちゃったじゃない」
笑い含みの伯母の言葉に、奏大はえっ、と声を裏返す。
「僕のせいですか? まあ必死だったのは確かかも」
奏大はグラスの水をひと口飲んでから、奏人に目線の高さを合わせた。
「大丈夫、さっきみたいにゆったりやればいいし、今日まで練習してきた自分を信じて」
「ミスタッチしたらごめんね」
奏人が先に謝ると、奏大はだめだめ、と言った。
「やってもいないミスに対して謝るなんてことはしちゃだめだ」
小さく頷き、奏人はピアノに向かう。椅子の高さを合わせるところから演奏は始まると、先生も伯母も言う。きちんと合わせないと、何らかの負担が腕や手にかかるからだ。
奏大がピアノの前に来たので、奏人は一度椅子から降りて、奏大とともに伯母夫婦に向かい一礼した。再度フルートがチューニングをする。伯父がビデオカメラに触れたのが見えた。
「奏人くんのタイミングで始めて」
奏人が座るのを確かめ、奏大は微笑して前を向く。胸はどきどきしているのに、妙に頭が冴えたような、おかしな気分だった。
少し目を閉じて、ひとつ深呼吸した。目を開き、鍵盤に指を伸ばす。
優しく、しかし明瞭に最初の和音を鳴らすことができた。2小節の前奏で奏大がスタンバイするのがわかる。
奏大はプロコフィエフとは全く違う音色で、文字通り歌い始めた。奏人はそのメロディを右手でなぞりつつ、左手で支える。
リディア、貴女の薔薇色の頬と清らかで白いうなじに、貴女の解かれた髪が金色の流れとなりきらめく。奏人の楽譜には歌のパートとフランス語の詩が書かれているが、旋律を暗譜している奏大のフルートの音が、確かにそう語っているように聞こえた。
一瞬転調して不安定になる和声を解決するのは、ピアノの役目だ。奏人がその部分を丁寧に弾くと、奏大はメロディに僅かに膨らみを持たせ合わせてくれる。いや、花のような唇、と歌って奏大がテンポを揺らすのに、自分が合わせているのかもしれない。1番が緩やかに締まると、また2小節でテンポを戻す。
「なんて顔してるの、私と信介さんしか聴かないのに」
伯母は言いながら、奏人の両肩に手を置いて軽く揺すった。わかっていないと奏人は思う。あんな迫真の演奏を見せられた後で、緊張するなと言うほうが無理だ。
「ほら、奏大くんが必死で吹くからかなちゃんが硬くなっちゃったじゃない」
笑い含みの伯母の言葉に、奏大はえっ、と声を裏返す。
「僕のせいですか? まあ必死だったのは確かかも」
奏大はグラスの水をひと口飲んでから、奏人に目線の高さを合わせた。
「大丈夫、さっきみたいにゆったりやればいいし、今日まで練習してきた自分を信じて」
「ミスタッチしたらごめんね」
奏人が先に謝ると、奏大はだめだめ、と言った。
「やってもいないミスに対して謝るなんてことはしちゃだめだ」
小さく頷き、奏人はピアノに向かう。椅子の高さを合わせるところから演奏は始まると、先生も伯母も言う。きちんと合わせないと、何らかの負担が腕や手にかかるからだ。
奏大がピアノの前に来たので、奏人は一度椅子から降りて、奏大とともに伯母夫婦に向かい一礼した。再度フルートがチューニングをする。伯父がビデオカメラに触れたのが見えた。
「奏人くんのタイミングで始めて」
奏人が座るのを確かめ、奏大は微笑して前を向く。胸はどきどきしているのに、妙に頭が冴えたような、おかしな気分だった。
少し目を閉じて、ひとつ深呼吸した。目を開き、鍵盤に指を伸ばす。
優しく、しかし明瞭に最初の和音を鳴らすことができた。2小節の前奏で奏大がスタンバイするのがわかる。
奏大はプロコフィエフとは全く違う音色で、文字通り歌い始めた。奏人はそのメロディを右手でなぞりつつ、左手で支える。
リディア、貴女の薔薇色の頬と清らかで白いうなじに、貴女の解かれた髪が金色の流れとなりきらめく。奏人の楽譜には歌のパートとフランス語の詩が書かれているが、旋律を暗譜している奏大のフルートの音が、確かにそう語っているように聞こえた。
一瞬転調して不安定になる和声を解決するのは、ピアノの役目だ。奏人がその部分を丁寧に弾くと、奏大はメロディに僅かに膨らみを持たせ合わせてくれる。いや、花のような唇、と歌って奏大がテンポを揺らすのに、自分が合わせているのかもしれない。1番が緩やかに締まると、また2小節でテンポを戻す。
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