6 / 11
第5話
しおりを挟む
タバコの煙が充満して、まるで霧がかかったような編集室。
そこへ、時雨が戻ってきた。
「編集長、いるにはいたんですけどね。」
夕張から帰ってきた時雨は編集長にことの顛末を報告していた。
「まどろっこしいな。当たりだったのか、はずれだったのか、どっちなんだよ。」
「人違いだと言ってましたけど、あれは本人に間違いないですよ。法要のことを書いたメモを置いてきたので、それに食いついてくれれば。」
「頼むよ、時雨。九人の最期を知っているたった一人の生き証人。そして、裏切り者。これは、読者の興味をそそるよ、間違いなく。」
ただの興味本位か野次馬根性か、社会正義のための新聞といいながら、結局は金儲けのための記事を書いて販売部数が伸びさえすればよいのかもしれない。
昔は理想や理念を追いかけていた編集長と時雨であったが、日本という国が戦後復興をする中で、いや、国家も国民も ”銭” を追い求める社会となってしまった中で、彼ら自身も国家や国民の生き写しになってしまっていた。
札幌の郊外にある寺。
そこでは、亡くなった電話交換手の法要が営まれており、様々な思いを抱いた者たちが集っていた。
もちろん、時雨も、そして、磯風ハナエも。
本堂から読経の声が響き渡る中、境内の片隅に人目を避けるように佇む女がいた。
じっと立っていたかと思うと、帰ろうとうするのか門の方へ向かい、しかし、再び境内へ戻るということを繰り返していた。
彼女はどうしても本堂の扉を開いて中に入ることができなかった。
どれだけの時間が経ったであろうか、勇気を振り絞って扉を開こうとしたその時であった。
「ばかやろー!」
「お前のせいで娘は死んだんだ!」
本堂から激しい怒声が響いてきた。
扉の隙間から中の様子を覗くと、土下座をする老人を大勢の者が責め立てている光景が目に飛び込んできた。
「加賀局長!」
間違いない、あれは加賀局長だ。
土下座をする彼の姿を見て、女はガタガタと震え出した。
さらに追い打ちをかけるように、女の耳に言葉が飛び込んできた。
「お前が逃げさえしなければ、誰も死なずにすんだんだ!」
「郵便局に行こうとしたんです、でも、ソ連兵に脚を撃たれて…」
加賀局長は畳に額を擦りつけながら許しを請うていた。
しかし、最愛の娘や姉妹を失った遺族たちが局長の言葉を信じるはずもなかった。
「嘘をつくな、怖くなって逃げたんだろ!」
「ここで死んで詫びろ!」
絶対にこの男を許さない、そういう気迫が見て取れた。
そうであろう、何をどう言ったところで、どういった状況であれ、若い女性達を見捨てたことに変わりはない。
”仕方がなかった” ”知らなかった”
人の上に立つ者にはそういう言葉は絶対に許されない。
加賀局長は死ぬまで十字架を背負うしかない。
そして、彼を責め続けることでしか、自分たちの気持ちを晴らすことのできない遺族たち。
もちろん、そんなことをしたところで何もならないことを遺族たちだって分かっている…
そのような光景を見て、女は一刻も早くその場を立ち去ろうとした。
その時、背後から聞き覚えのある声がした。
「京子ちゃん、京子ちゃんなのね。」
間違いない、懐かしい磯風ハナエの声だった。
その声を聞いて女は立ち止まり、ゆっくりと振り返った。
蒼白の表情をもって。
「ハナエちゃん…」
ハナエは京子の親友であったトミ子の妹であり、もちろん、ハナエとも姉妹のように親しくしていた間柄であった。
ハナエとは10数年前に樺太からの引揚船が着いた函館で別れて以来だ。
京子は精一杯の作り笑顔でハナエに話しかけた。
しかし、笑顔を浮かべながらも、両の脚が小刻みに震えていた。
「久しぶり、元気だった。」
「まあ、元気は元気だったけど。」
笑顔の京子とは対照的にハナエの顔に笑みなど全くなかった。
それでも、この凍りきった二人のいる空間をなんとかしようと、京子は懸命に会話を続けた。
「今、どこで何してるの。」
「札幌の電報電話局で交換手をしてる。お姉ちゃんと同じ。」
ハナエがわざと ”お姉ちゃん” という言葉を使っていることは、京子にも察しがついた。
「お父さんとお母さんは。」
「父さんは露助に捕まってシベリアに送られたっきり。生きているのかも分からない。母さんは元気。」
「そうなんだ…。私は結婚して夕張にいるんだ。高波から青葉に苗字が変わっちゃった。ハナエちゃんは。」
「結婚したけど苗字は変わっていない。せめて磯風の家を残すために、お婿さんをもらったの。お姉ちゃんが死んだから。」
京子に突き刺さる ”お姉ちゃん” という言葉。
そして、ハナエの容赦のない言葉が京子を襲った。
「そんなことはどうでもいいの。どうしてお姉ちゃんは死んで、京子ちゃんは生きているの。ずっと、そのことを聞きたかった。」
「…」
「ずっと一緒だって言っておいて、親友を死なせておいて、殺しておいて、何も思わないの。」
自分の言葉に驚いたのか、ハナエの表情が一瞬だが変わった。
怒りの表情から後悔と悲しみの表情に。
”殺しておいて”
もちろん、ハナエはそんなことを思ってはいない。
どうしてそんな言葉が口をついてしまったのか、彼女にも分からなかった。
「殺しておいてって、そんな…」
たまらず京子の目に涙が浮かび始めた。
責め立てるハナエの目にも涙が浮かんでいる。
京子への憎しみの涙なのか、京子を責め続ける自分自身に対する涙なのか。
「だってそうでしょ!」
「私だって…」
「なに?」
「私だって、私だって死のうと思った、でも…」
「だからなに、死のうと思ったから許されるって言うの。思っただけで、死んでないでしょう、生きているでしょう!」
「ごめん、ハナエちゃん…」
京子はハナエに背を向けて走り出した。
「待ちなさいよ、また逃げるの!」
ハナエは、走り去る京子を追うことはしなかった。
こんな形で会いたくなかった、こんなことを言いたくもなかった。
昔の思い出話をしたり、お互いの近況を語り合ったり、お互いの苦労を慰めあったり、そういう話をしたかった。
幼馴染として、そして家族のように。
「ハナエ、鬼になってはいけないよ。そんなことをしても、お姉ちゃんは悲しむだけだよ。」
声をかけてきたのは、ハナエの母だった。
京子を責めることの無意味さはハナエも理解している。
決して京子が憎いわけではない、決して…
そこへ、時雨が戻ってきた。
「編集長、いるにはいたんですけどね。」
夕張から帰ってきた時雨は編集長にことの顛末を報告していた。
「まどろっこしいな。当たりだったのか、はずれだったのか、どっちなんだよ。」
「人違いだと言ってましたけど、あれは本人に間違いないですよ。法要のことを書いたメモを置いてきたので、それに食いついてくれれば。」
「頼むよ、時雨。九人の最期を知っているたった一人の生き証人。そして、裏切り者。これは、読者の興味をそそるよ、間違いなく。」
ただの興味本位か野次馬根性か、社会正義のための新聞といいながら、結局は金儲けのための記事を書いて販売部数が伸びさえすればよいのかもしれない。
昔は理想や理念を追いかけていた編集長と時雨であったが、日本という国が戦後復興をする中で、いや、国家も国民も ”銭” を追い求める社会となってしまった中で、彼ら自身も国家や国民の生き写しになってしまっていた。
札幌の郊外にある寺。
そこでは、亡くなった電話交換手の法要が営まれており、様々な思いを抱いた者たちが集っていた。
もちろん、時雨も、そして、磯風ハナエも。
本堂から読経の声が響き渡る中、境内の片隅に人目を避けるように佇む女がいた。
じっと立っていたかと思うと、帰ろうとうするのか門の方へ向かい、しかし、再び境内へ戻るということを繰り返していた。
彼女はどうしても本堂の扉を開いて中に入ることができなかった。
どれだけの時間が経ったであろうか、勇気を振り絞って扉を開こうとしたその時であった。
「ばかやろー!」
「お前のせいで娘は死んだんだ!」
本堂から激しい怒声が響いてきた。
扉の隙間から中の様子を覗くと、土下座をする老人を大勢の者が責め立てている光景が目に飛び込んできた。
「加賀局長!」
間違いない、あれは加賀局長だ。
土下座をする彼の姿を見て、女はガタガタと震え出した。
さらに追い打ちをかけるように、女の耳に言葉が飛び込んできた。
「お前が逃げさえしなければ、誰も死なずにすんだんだ!」
「郵便局に行こうとしたんです、でも、ソ連兵に脚を撃たれて…」
加賀局長は畳に額を擦りつけながら許しを請うていた。
しかし、最愛の娘や姉妹を失った遺族たちが局長の言葉を信じるはずもなかった。
「嘘をつくな、怖くなって逃げたんだろ!」
「ここで死んで詫びろ!」
絶対にこの男を許さない、そういう気迫が見て取れた。
そうであろう、何をどう言ったところで、どういった状況であれ、若い女性達を見捨てたことに変わりはない。
”仕方がなかった” ”知らなかった”
人の上に立つ者にはそういう言葉は絶対に許されない。
加賀局長は死ぬまで十字架を背負うしかない。
そして、彼を責め続けることでしか、自分たちの気持ちを晴らすことのできない遺族たち。
もちろん、そんなことをしたところで何もならないことを遺族たちだって分かっている…
そのような光景を見て、女は一刻も早くその場を立ち去ろうとした。
その時、背後から聞き覚えのある声がした。
「京子ちゃん、京子ちゃんなのね。」
間違いない、懐かしい磯風ハナエの声だった。
その声を聞いて女は立ち止まり、ゆっくりと振り返った。
蒼白の表情をもって。
「ハナエちゃん…」
ハナエは京子の親友であったトミ子の妹であり、もちろん、ハナエとも姉妹のように親しくしていた間柄であった。
ハナエとは10数年前に樺太からの引揚船が着いた函館で別れて以来だ。
京子は精一杯の作り笑顔でハナエに話しかけた。
しかし、笑顔を浮かべながらも、両の脚が小刻みに震えていた。
「久しぶり、元気だった。」
「まあ、元気は元気だったけど。」
笑顔の京子とは対照的にハナエの顔に笑みなど全くなかった。
それでも、この凍りきった二人のいる空間をなんとかしようと、京子は懸命に会話を続けた。
「今、どこで何してるの。」
「札幌の電報電話局で交換手をしてる。お姉ちゃんと同じ。」
ハナエがわざと ”お姉ちゃん” という言葉を使っていることは、京子にも察しがついた。
「お父さんとお母さんは。」
「父さんは露助に捕まってシベリアに送られたっきり。生きているのかも分からない。母さんは元気。」
「そうなんだ…。私は結婚して夕張にいるんだ。高波から青葉に苗字が変わっちゃった。ハナエちゃんは。」
「結婚したけど苗字は変わっていない。せめて磯風の家を残すために、お婿さんをもらったの。お姉ちゃんが死んだから。」
京子に突き刺さる ”お姉ちゃん” という言葉。
そして、ハナエの容赦のない言葉が京子を襲った。
「そんなことはどうでもいいの。どうしてお姉ちゃんは死んで、京子ちゃんは生きているの。ずっと、そのことを聞きたかった。」
「…」
「ずっと一緒だって言っておいて、親友を死なせておいて、殺しておいて、何も思わないの。」
自分の言葉に驚いたのか、ハナエの表情が一瞬だが変わった。
怒りの表情から後悔と悲しみの表情に。
”殺しておいて”
もちろん、ハナエはそんなことを思ってはいない。
どうしてそんな言葉が口をついてしまったのか、彼女にも分からなかった。
「殺しておいてって、そんな…」
たまらず京子の目に涙が浮かび始めた。
責め立てるハナエの目にも涙が浮かんでいる。
京子への憎しみの涙なのか、京子を責め続ける自分自身に対する涙なのか。
「だってそうでしょ!」
「私だって…」
「なに?」
「私だって、私だって死のうと思った、でも…」
「だからなに、死のうと思ったから許されるって言うの。思っただけで、死んでないでしょう、生きているでしょう!」
「ごめん、ハナエちゃん…」
京子はハナエに背を向けて走り出した。
「待ちなさいよ、また逃げるの!」
ハナエは、走り去る京子を追うことはしなかった。
こんな形で会いたくなかった、こんなことを言いたくもなかった。
昔の思い出話をしたり、お互いの近況を語り合ったり、お互いの苦労を慰めあったり、そういう話をしたかった。
幼馴染として、そして家族のように。
「ハナエ、鬼になってはいけないよ。そんなことをしても、お姉ちゃんは悲しむだけだよ。」
声をかけてきたのは、ハナエの母だった。
京子を責めることの無意味さはハナエも理解している。
決して京子が憎いわけではない、決して…
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末
松風勇水(松 勇)
歴史・時代
旧題:剣客居酒屋 草間の陰
第9回歴史・時代小説大賞「読めばお腹がすく江戸グルメ賞」受賞作。
本作は『剣客居酒屋 草間の陰』から『剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末』と改題いたしました。
2025年11月28書籍刊行。
なお、レンタル部分は修正した書籍と同様のものとなっておりますが、一部の描写が割愛されたため、後続の話とは繋がりが悪くなっております。ご了承ください。
酒と肴と剣と闇
江戸情緒を添えて
江戸は本所にある居酒屋『草間』。
美味い肴が食えるということで有名なこの店の主人は、絶世の色男にして、無双の剣客でもある。
自分のことをほとんど話さないこの男、冬吉には実は隠された壮絶な過去があった。
多くの江戸の人々と関わり、その舌を満足させながら、剣の腕でも人々を救う。
その慌し日々の中で、己の過去と江戸の闇に巣食う者たちとの浅からぬ因縁に気付いていく。
店の奉公人や常連客と共に江戸を救う、包丁人にして剣客、冬吉の物語。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
還暦の性 若い彼との恋愛模様
MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。
そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。
その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。
全7話
花嫁
一ノ瀬亮太郎
歴史・時代
征之進は小さい頃から市松人形が欲しかった。しかし大身旗本の嫡男が女の子のように人形遊びをするなど許されるはずもない。他人からも自分からもそんな気持を隠すように征之進は武芸に励み、今では道場の師範代を務めるまでになっていた。そんな征之進に結婚話が持ち込まれる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる