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1章
夏のかたち
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緑色のジュータンが広がる中に、点々と草を喰む馬が見える。道に残る汚れた雪は、いつになったら姿を消すのだろう。
時折、冷蔵庫の様な冷たい空気が漂うこの町は、広い道のどこにも、人なんて歩いていない。
バスから降りた城田夏希《しろたなつき》は、いつも変わらない風景に、深い溜息をついた。
あっ、お弁当!
肌寒い春の空気が舞い上げた砂埃は、バスの後ろをモヤモヤとついて行く。
降りる直前まで、手に持っていたはずなのに。
3年生になって、これで何回目だろう。
家に帰ると、母の依子《よりこ》がため息をついて、夏希に呆れていた。
「こんばんは。」
「あら、松木さん。また、夏希の忘れ物でしょう?」
「はい。お弁当箱。」
「いつもすみません。」
「田舎のバスだもの、客の事はだいたいわかってるって。夏希ちゃんが降りる時は、いつも気に掛けて見てるんだけど、今日の運転手は初めての人でさあ。」
「新人さん、入ったの?」
「前はタクシーをやってたらしいよ。今は個人じゃ、厳しいからね。」
「松木さん、ちょっと待って。」
依子は台所からビニール袋を持ってきた。
「奥さんに持っていって。真美ちゃん、アスパラ好きでしょう?」
「なんだかかえって、悪いね。アスパラをもらいにきたみたいだね。」
「こっちこそ、夏希がいつもすみません。」
母は松木を見送ると、居間にいる夏希の頭を、お弁当箱でコツンと叩いた。
「松木さんがいなかったら、お弁当箱、何個無くしたと思ってるの!」
「ごめんなさい。」
「夏希、いい加減髪切ったら?部活の時、邪魔になるでしょう。」
「縛れば大丈夫だよ。」
部屋に入ると、3つ違いの姉の春香《はるか》が勉強をしていた。
「お姉ちゃん、帰ってたんだ。」
「大学は夏休み。バイトも来週まで休みだし。」
春香は教育大の3年生になる。
高校から家を離れ、この町よりも、うんと大きな町で、一人暮らしをしている。
「夏希、勉強しなくていいの?」
「大丈夫。」
「もう高校3年なのに、すごい神経。」
「お姉ちゃんと違って、私は行きたい所なんて選べないもん。」
「どういう事?」
「試験じゃ無理だから、指定校推薦で大学に行くの。」
「気楽なもんね。校内選考に漏れたらどうするの?」
「そしたら、どこかに就職しようかな。」
「高卒なんて、今はどこも雇ってくれないよ。生涯賃金だって、大卒と高卒は全然違うんだし、無理してでも大学に行った方が、人生の幅が広がるって。」
「お姉ちゃんは自分が受け持った生徒にも、そうやって言うつもり?」
「もちろんそうよ。わざわざ苦労する道を子供に選ばせる大人なんて、どうかしてる。」
「そうかなぁ。」
夏希はため息をついた。春香は夏希の持っているバトミントンの道具が入ったカバンを見て、
「部活引退したら、ちゃんと勉強しなよ。」
そう言った。
小さな町の子供達は、ひとつしかない小学校から、そのままひとつしかない中学へと進んでいく。
町に一つだけあった高校は、10年前に廃校になり、中学を卒業した生徒の大半が、隣町の高校へバスで通学するか、町から離れた進学に有利な高校の近くに、下宿をしていた。
頭の良かった姉の春香は、高校から家を離れ、大学も希望の場所にすんなり入った。
自宅からバスで高校に通っている夏希は、勉強よりも、部活動に明け暮れていた。
高校生活も残りわずか。
小学校から一緒にバトミントンをやってきた梨田優芽《なしだゆめ》とは、優芽の父の聡《さとし》が、地元の小中学生を指導している夜間や休日の練習に、高校へ入ってからも、一緒に参加してきた。
そんなバトミントン漬だった日々も、進路を選ぶ時期が近づいてくると、そろそろ終わりが見えてくる。
「夏希、紐ほどけてるよ。」
「本当だ。」
優芽が夏希の隣りに座る。
「来週で最後だね。」
優芽は夏希に言った。
「なんか淋しいね。」
夏希はそう言って、シューズの紐を結んだ。
「あいつ、大学決まったらしいよ。」
優芽は廣岡を見てそう言った。
「もう?」
「東京の大学みたいだね。」
優芽がそう言うと、
「廣岡くんは、ここにいるような人じゃないからね。」
夏希はもう片方のシューズの紐も結び直した。
「夏希はどうするの?」
「私は指定校で入れる所に入る。優芽は?」
「私はここから一番近い大学に行こうと思うの。」
「それなら、農大に行くの?」
「そう、農大。」
優芽は立ち上がると、腰を伸ばした。
「そっか、優芽の家は酪農だったよね。」
「移住で都会からこっちに来て、両親は町の事を気にすごく入ってる。」
「優芽は家を継ぐの?」
「私にはそれしか知らないからね。」
高校に入ってすぐ、隣りの席になった廣岡湊《ひろおかみなと》は、県の中でも名前の知れた、バトミントンの選手だった。
プライドが高く、自信に満ち溢れた廣岡は、少し話し掛けにくい存在。
「また、城田の隣りかよ。ついてねー。」
3年生になって登校した初日、廣岡は夏希に対してそう言った。
「あっ、どうも。」
夏希は廣岡の言葉に、いつも自然に答える事ができない。
部活の間、1人だけ違うメニューを行っている廣岡には、彼に近づこうとバトミントン部に入部した女の子達が、いつも周りを囲んでいた。
たいして汗もかかず、廣岡に笑顔で話し掛けているその子達が、夏希は少し羨ましかった。
廣岡は部活の練習中も、夏希の事をよくバカにした。
少し伸びた前髪が、汗で夏希のおでこに張り付いていると、
「城田、風呂でも入ったのか?すごい、ブス。」
そうやってからかってきた。夏希は廣岡を避けるように、廣岡の視線感じると、タオルで真っ赤になっている顔を覆った。
廣岡の打ったシャトルが、夏希の肩にあたった。
「そこ邪魔だからどけろって。」
廣岡がいつもの様に冷たく言った。
「絶対、わざとだね。」
優芽がシャトルを廣岡に向かって打った。
練習が終わると、廣岡が夏希の前に来た。また、何か文句をつけてくるんだろう。
夏希はそう思って、急いで荷物をまとめていた。
「さっきはごめん。青くなったんじゃないかと思って。」
廣岡は夏希の隣りにしゃがんだ。
夏希は近くにいる廣岡と、目を合わせることができない。
いつもは冷たい言葉しか言わないのに、自分を心配して近くにきてくれた廣岡に、夏希の体を循環する血液が速くなった。
「大丈夫か?」
廣岡は夏希の半袖のシャツを少し捲った。
「あたったっけ?」
夏希は話しをはぐらかす。
「痛くないなら、それでいいけど。」
廣岡は夏希の顔を覗き込んだ。
「あんた、わざとでしょう?」
優芽が廣岡にそう言うと
「おまえらが、あんな所で喋ってるから、悪いだろう。邪魔なんだよ。」
廣岡はいつもの様に、冷たい言葉を投げた。
高体連の日。
朝から雷を伴うひどい雨が降っていた。
バスは運休となり、夏希の母が、優芽とは夏希を乗せて、試合が行われる体育館まで送ってくれた。
「お母さん、ありがとう。」
「終わるのは何時くらい?」
「16時かな。」
「じゃあ15時にはここに来るようにするから。最後の試合なのに、仕事で応援ができなくてごめんね。2人共、頑張ってね。」
依子はそう言って、2人に手を振った。
「優芽、行こう。もう、みんな来てるかも。」
体育館の2階へ続く階段を昇ると、今年から顧問になった原田が、皆を集めてミーティングをしていた。
「遅いぞ、早く並べ。」
優芽と夏希は列の後ろについた。
「今年は団体で優勝するのが目標だ。廣岡一人に頼らずに、他のメンバーも、強い気持ちで試合に臨むそうに。女子はまずは1セット、必ず取るように。」
ミーティングが終わり、原田が夏希と優芽が遅れて来た事を注意した。
「雨が降るってわかっているのなら、前の日からきちんと準備をしておけ!」
原田がやっと2人に背中を向けた時、
「何よ!有紗達には何も言わないのに、なんで私達には、厳しいのよ。」
優芽はそう言って、ふてくされた。
「優芽見て、1回戦、西高の双子だよ。」
夏希は優芽のユニフォームの袖を引っ張った。
「くじ引きの神様は冷たいね。廣岡が顧問になってから、ぜんぜん運がなくなった。」
2人は深い溜息をついた。
「梨田、城田、1回戦の相手が変わるから。」
原田が言いに来た。
「なんでですか?」
優芽が原田に聞くと、
「インフルエンザにかかったそうだ。」
その言葉に夏希と優芽は、顔を見合わせた。
「夏希、神様はいるよ。」
優勝候補の選手が欠場になり、試合の行方は誰もが予想できない状況となった。
優芽と夏希の出場している女子の団体戦は、順調に勝ち進み、次の準決勝というところで、一度休憩となった。
優芽と2人で昼食を食べていると、廣岡ともう一人の男子が、夏希と優芽の前にやってきた。
「おまえら、ついてるな。本当ならすぐに敗退だったのによ。」
廣岡がバカにする様に言った。
「運も勝負のうちだよね、夏希。」
優芽は廣岡にツンとした態度でそう言った。
「団体で勝ったら、3年の女子は、みんな管内大会に行くのか?」
廣岡についてきた青田瞬《あおたしゅん》が、優芽にそう聞いた。
「どうかな。だって、3年の女子だけでも、12人いるんだよ。しかも、半分以上がこいつのファン。」
優芽は廣岡を指さした。
「澤山は違うだろう。あいつは中学からバトミントンやってたから。」
青田が言った。
「七海は違うよ。普通にこっちの仲間だから。」
優芽は下を向いた廣岡に向かって、なんとなく嫌味っぽい言い方をした。
「あいつ、なんで団体戦のメンバーに選ばれなかったんだ?」
青田が言うと、
「学校来てないのに、試合ができるわけないでしょう。」
優芽はそう言った。
「3年はたくさんいるのにさ、梨田がシングルとダブルスの2つに出るって、変じゃない?」
「そうだよ。休む暇なし。だけど次は、夏希がシングルで出るよ。」
優芽が言うと、
「城田が?」
廣岡はそう言って笑った。
「次は夏希で行くって、先生が言ってた。」
優芽は青田と廣岡に言った。
「城田がシングルで試合に出るの、久しぶりだな。」
青田が言うと、
「こいつ、ここぞって時に、外すからな。まっ、応援くらいしてやるよ。」
廣岡は笑いながら、青田と自分達の席に戻っていった。
「何あいつ、めっちゃ感じ悪い。」
優芽はそう言った。
「七海、どうしたんだろうね。」
夏希が言った。
「夏希、知らないの?」
「何が?」
「廣岡が七海に告白したのを知って、有紗達が七海をイジメてた話し。」
優芽は小さな声で言った。
「そうなの?」
「本当だよ。七海、それで学校に来れなくなったんだから。」
夏希は廣岡が七海を好きだった事のショックと、七海がイジメられているのを知らなかった事に、愕然とした。
何もなかったかのように、七海をイジメている有紗達と楽しそうに話す廣岡を見ると、全身の血が沸騰してくるのを感じた。
「ひどいやつ。」
夏希はそう言った。
「お昼、もう終わりにしようか。もうすぐ試合が始まるよ。」
夏希と優芽は、食べ掛けのお弁当の蓋を閉めた。
澤山七海《さわやまなみ》は、夏希と同じクラスだった。
中学は違ったが、バトミントンの試合ではよく会っていたので、高校へ入る前から、夏希や優芽とも仲がよかった。
管内の女子の中では、七海に勝てる相手はいなく、部活の時は、よく廣岡と一緒に練習をしていた。
色白で目鼻立ちがはっきりした七海は、学校の中でも、男子に人気があった。
「夏希、そろそろコートに行こうか。」
優芽が言った。
「うん。」
「夏希、わかりやすいわ。」
「何が?」
「なんでもない、試合、頑張ろう。」
試合が始まった。
優芽と組んだダブルスをストレートで勝ち、次は夏希のシングルスの試合となった。
隣りのコートでは、もうひとつのダブルス、ミカとカオルの試合が行われていたが、1セット目を落とし、2セット目が、もうすぐ終わろうとしていた。
ミカ達の試合が終わると、夏希が試合がコールされた。
「城田、頑張れよ。」
突然、廣岡が夏希に声を掛けた。
夏希は黙って、ラケットを握った。
試合が始まり、久しぶりに1人で入るコートは、なんだか、とても広くて寒く感じた。
練習では時々、人数合わせのためにシングルスの試合をする事はあったが、ラインが違うシングルスとダブルスでは、夏希はすぐにその切り替えができなかった。
思うようにシャトルを打ち返せない状態が続くと、夏希は焦って、ミスばかりするようになる。
夏希は個人戦で試合に出ても、いつも思うような結果が出なかった。
「城田はダブルス一本でいけ。お前はダメだ。すぐに切り替えができないから。シングルの方は澤山がいるから、どうせおまえの出番はないし。」
原田はそう言っていって、個人戦のシングルスの登録からも、夏希を外した。
七海が学校に来なくなると、代わりに優芽がシングルスを任される様になり、青田が優芽の相手をよくしていた。
夏希は優芽と青田が練習をしている間、1人で練習しているフリをして、廣岡の事を目で追っていた。
試合が始まった。
相手は左利きの夏希に、すっかりペースを崩されたようで、立て続けにミスが続いた。
思いもかけず、あっという間に1セットをとると、
「城田、気を抜くなよ。お前はここぞと言うところでミスるからな。」
原田がコートチェンジの最中に、横でゴチャゴチャ何かを言ってきた。
次のセットも順調に勝ち、決勝もシングルスは夏希で行くと原田が言った。
「優芽、水なくなったから買ってくる。」
「私も行く。」
2人はギャラリーの階段を降りていく。
自動販売機の前につくと、同じバトミントン部の女子達の数人が、別の自販機の前の近くで、ジュースを買って飲んでいた。
「夏希、絶対勝ってね。私達も廣岡くんと一緒に県大会に行きたいから。」
同じクラスの砂田有紗《すなだありさ》がそう言った。
「七海がいなくても、夏希と優芽だけでぜんぜん余裕。」
取り巻きのリサとミノリが、ケラケラと笑っている。
「行こう、夏希。」
優芽が夏希の袖を引っ張ると、そこに廣岡がやってきた。
「あっ、廣岡くん。」
有紗は笑顔になり、3人の女子は廣岡の周りを囲んだ。
「城田、次も頑張れよ。」
廣岡が夏希に声を掛けた時、有紗の視線が、夏希に突き刺さった。
夏希と優芽は、その場から離れ、買ってきた水を、急いでボトルに入れ直した。
「いいよね。こっちは真剣にやってるのに、有紗達は気軽で。廣岡が目的でバトミントン部に入ってきて、勝手な事ばっかりやってさ。」
優芽がそう言うと、
「私達、さっきから休みなし。」
夏希は苛ついていた。
決勝戦の相手は、優勝候補の私立高校の選手だった。
エースが欠場しても、2番手3番手の選手を相手に、夏希と優芽には、苦戦した。
試合中、無理な体制で打ち返した優芽は、足をひねり、痛みで足を床につける事ができなくなってしまうと、試合は途中で棄権となった。
「優芽、階段昇るの無理だね。ここにいて。」
夏希はロビーの椅子に夏希を座らせた。
「ごめんね、夏希。」
「湿布と、冷やすもの持ってくる。」
夏希がメディカルバックの中を覗いていると、原田が夏希の隣りに来た。
「城田、県大会へ行く事はもう決まっているから、あとは、適当でもいいからな。」
原田の投げやりな言葉に、夏希は顔が熱くなっていくのを感じた。原田の方を見ると、有紗達と楽しそうに話している。そんなニヤけた顔が、夏希の導火線に火をつけた。
「城田、お前の相棒は?」
青田が夏希の所にきた。
「下にいるよ。足が痛くて、ここまで上がって来れない。」
青田は夏希の後ろについてきた。
「優芽、急いで病院に行こうよ。」
夏希は優芽の痛めた右足に湿布を貼った。
「夏希、最後の試合だよ。ちゃんと出てよ。」
「試合なんていいよ。すぐに病院に行こう。うちの親、もうすぐ迎えにくると思うし。」
「大丈夫、私、親に連絡するから。」
「優芽の家は今忙しい時間じゃでしょ?お母さんはお腹が大きいんだし、聡さんは抜けられないよ。うちの親がきたら、すぐに優芽を病院に連れて行くから。」
夏希はそう言って、優芽の腫れてきた足を見た。
「夏希の試合は?」
「出ないよ。もういいの。」
夏希は時計に目をやる。
「夏希、お願い、試合に出てよ。それじゃないと、うちのお父さん、また怒るから。」
夏希は少し考えた。
「城田行けよ。俺がここについているから。」
「いかない。」
夏希はそう言った。
「夏希は意地っ張りだね。」
優芽が言った。
「意地じゃないよ。試合なんて、もうどうでもいいの。」
その場を動かない夏希の肩に、優芽は手をおいた。
「夏希のお母さんが来たら、一緒に病院に行こう。それまでは、青田についててもらうから、夏希は試合に出て。」
「城田、行ってこいよ。」
優芽と青田が夏希を見ている。優芽は2人を見て迷っていた。
「原田をぎゃふんと言わせろよ。」
青田がそう言った。
「そうだよ!」
優芽が言うと、夏希は渋々わかったと頷いた。
髪を結び直すと、夏希は一人でコートに向かった。
「城田は頑固だな。」
青田は夏希がコートへ向かう背中を見てそういった。
「そうだね。頑固だし、鈍感。」
優芽が言った。
「湿布なんて話しじゃないだろう、これ。」
青田は優芽の足を見て言った。
「梨田、ついてないな。俺、原田に言ってくるから。」
青田はギャラリーに戻り原田を探したが、
原田はすでに夏希の試合について、コートの横に座っていた。
「青田、どこ行ってたんだ。城田の試合が始まるぞ。」
廣岡が青田を呼びにきた。
「なぁ青田。城田、案外いいかもな。」
廣岡は青田に言ったが、青田は優芽の所へ戻った。
「城田、頑張れ!」
廣岡が夏希を応援する横に、有紗が並んだ。
「負けても次の大会には行けるんでしょう?」
有紗か廣岡に聞くと、
「そうだよ。」
廣岡は有紗に答えた。
試合の開始が告げられた。
初めは相手のサーブから始まるので、夏希は構えてシャトルを待った。
高く上がった大きなサーブは、ラインの外に落ちて、アウトになった。
夏希は静かにシャトルを拾う。
相手の構えを確認して、夏希は高くシャトルを飛ばすと、シャトルを見送った対戦相手の期待を裏切り、ラインの上にストンと落ちた。
対戦相手が審判を見てすぐに悔しそうな顔をして夏希にシャトルを渡した。
原田が横で何かを言っているが、夏希には何も聞こえなない。
結局、相手のミスも重なり、夏希はストレートで試合に勝った。
真っ赤になった顔にタオルをあてると、
「城田、そんなにムキになる事なんてないのに。」
原田がそういって、夏希の肩を叩いた。
無言でラケットをしまうと、ギャラリーに残る自分の荷物と、優芽の荷物を抱えた。
「おい、城田、聞いてんのか?」
「先生、これで帰ります。親が迎えに来るんで、梨田さんを連れて、病院へ行きます。」
「帰るって、お前は終わっても、他の皆の試合はまだ残ってるんだ。同じ仲間なんだから、最後まで応援しろよ。勝手な事は許さない。」
原田は夏希を止めた。
「梨田さんは怪我をしています。」
「試合が終わってから、病院に行けばいいだろう。」
「先生は見てないからわからないけど、すごく痛そうだし、腫れているから、早く病院に行かせてください。」
「ダメだ。表彰式も残っているのに。」
「それは別の人が、出たらいいじゃないですか。」
「勝手なこと言うな。指導者に歯向かうつもりか!」
「歯向かってなんていません。」
「ちょっと勝ったからって、生意気だぞ。」
夏希が原田と言い合いになっていると、それに気がついた周りの部員達は、一斉にザワザワし始めた。
「梨田は湿布貼って冷やしてるんだろう?ちょっと捻ったくらいで大袈裟だ。」
「あの腫れ方は、おかしいです。折れていたら、梨田さんのお父さんが怒って学校にきますよ。」
夏希がそう言うと、原田の目が泳いだ。
「折れてるなら仕方ないか。」
優芽の父親は、原田のやり方に時々文句をつけるので、原田から相談された校長が、部活動への出入りを禁止とした。
「もうすぐ私の親が迎えにくるので、梨田さんと一緒に帰ります。」
「わかった。城田、明日は遅れないで、ちゃんと来なさい。今日だって本当は、遅刻者は出場させないつもりだったんだからな。」
「明日は来ません。梨田さんが出場しないなら、私も出られせませんから。それに私と梨田さんは、タイムテーブルも何ももらってません。昨日、開会式の時間だけ聞いただけです。」
「デタラメ言うな、ちゃんとメールで流しただろう!」
「先生が流したのは、ラインですよね?私はグループには入ってませんから。」
夏希は顔が赤くなっていくのがわかる。
「おい、お前は個人戦も登録してるんだ。どうするんだよ。」
「梨田さんが出ないなら、私も出られませんから。」
「シングルスの方は?」
「登録してませんよ。先生がそうしたじゃないですか。」
原田は明日のトーナメント表を見返していた。
「いいから、明日はちゃんと試合にこい!」
原田は次の試合が始まるので、コートへ走って行った。
夏希はロビーに座っていた優芽の所にきた。
「城田、どうしたんだよ。」
苛立っている夏希の後を追って、廣岡がやってきた。
「馬鹿みたい。」
夏希は優芽の肩を支えて、立ち上がらせた。
「帰るのかよ。俺等の試合がまだあるんだぞ。ちゃんと応援しろよ。」
廣岡が言った。
「七海が学校に来なくなったのは、廣岡くんのせいなんでしょう。最低!」
夏希は廣岡に向かって言った。
いつも強気な廣岡が、夏希の言葉に目を反らした。
「城田、それはさ、」
青田が夏希を止めたが、
「すごい神経だね、信じられない。」
夏希は廣岡に向かってそう言うと、優芽と一緒に玄関に向かった。
ちょうど迎えにきた母に、夏希は事情を話した。
「優芽ちゃん、早く病院に行こう。診てもらえるように、厚生病院へ連絡してみるから。」
依子は病院に連絡をした。
「夏希、原田には帰るって言ってきたの?」
優芽が心配して夏希に聞いた。
「私、けっこう火が付くの早いからさ。言いたい事、全部言ってやった。」
夏希はそう言って笑った。
何度も髪を切ろうとしたが、廣岡が隣りの席になった時、城田は長い方が似合うと廣岡が言った。
それからずっと、夏希は髪の伸ばし続けた。
馬鹿みたい。
もう、髪を切ろう。
優芽がこんな事になるなんて、きっと、人の不幸を喜んだバチが当たったんだ。
時折、冷蔵庫の様な冷たい空気が漂うこの町は、広い道のどこにも、人なんて歩いていない。
バスから降りた城田夏希《しろたなつき》は、いつも変わらない風景に、深い溜息をついた。
あっ、お弁当!
肌寒い春の空気が舞い上げた砂埃は、バスの後ろをモヤモヤとついて行く。
降りる直前まで、手に持っていたはずなのに。
3年生になって、これで何回目だろう。
家に帰ると、母の依子《よりこ》がため息をついて、夏希に呆れていた。
「こんばんは。」
「あら、松木さん。また、夏希の忘れ物でしょう?」
「はい。お弁当箱。」
「いつもすみません。」
「田舎のバスだもの、客の事はだいたいわかってるって。夏希ちゃんが降りる時は、いつも気に掛けて見てるんだけど、今日の運転手は初めての人でさあ。」
「新人さん、入ったの?」
「前はタクシーをやってたらしいよ。今は個人じゃ、厳しいからね。」
「松木さん、ちょっと待って。」
依子は台所からビニール袋を持ってきた。
「奥さんに持っていって。真美ちゃん、アスパラ好きでしょう?」
「なんだかかえって、悪いね。アスパラをもらいにきたみたいだね。」
「こっちこそ、夏希がいつもすみません。」
母は松木を見送ると、居間にいる夏希の頭を、お弁当箱でコツンと叩いた。
「松木さんがいなかったら、お弁当箱、何個無くしたと思ってるの!」
「ごめんなさい。」
「夏希、いい加減髪切ったら?部活の時、邪魔になるでしょう。」
「縛れば大丈夫だよ。」
部屋に入ると、3つ違いの姉の春香《はるか》が勉強をしていた。
「お姉ちゃん、帰ってたんだ。」
「大学は夏休み。バイトも来週まで休みだし。」
春香は教育大の3年生になる。
高校から家を離れ、この町よりも、うんと大きな町で、一人暮らしをしている。
「夏希、勉強しなくていいの?」
「大丈夫。」
「もう高校3年なのに、すごい神経。」
「お姉ちゃんと違って、私は行きたい所なんて選べないもん。」
「どういう事?」
「試験じゃ無理だから、指定校推薦で大学に行くの。」
「気楽なもんね。校内選考に漏れたらどうするの?」
「そしたら、どこかに就職しようかな。」
「高卒なんて、今はどこも雇ってくれないよ。生涯賃金だって、大卒と高卒は全然違うんだし、無理してでも大学に行った方が、人生の幅が広がるって。」
「お姉ちゃんは自分が受け持った生徒にも、そうやって言うつもり?」
「もちろんそうよ。わざわざ苦労する道を子供に選ばせる大人なんて、どうかしてる。」
「そうかなぁ。」
夏希はため息をついた。春香は夏希の持っているバトミントンの道具が入ったカバンを見て、
「部活引退したら、ちゃんと勉強しなよ。」
そう言った。
小さな町の子供達は、ひとつしかない小学校から、そのままひとつしかない中学へと進んでいく。
町に一つだけあった高校は、10年前に廃校になり、中学を卒業した生徒の大半が、隣町の高校へバスで通学するか、町から離れた進学に有利な高校の近くに、下宿をしていた。
頭の良かった姉の春香は、高校から家を離れ、大学も希望の場所にすんなり入った。
自宅からバスで高校に通っている夏希は、勉強よりも、部活動に明け暮れていた。
高校生活も残りわずか。
小学校から一緒にバトミントンをやってきた梨田優芽《なしだゆめ》とは、優芽の父の聡《さとし》が、地元の小中学生を指導している夜間や休日の練習に、高校へ入ってからも、一緒に参加してきた。
そんなバトミントン漬だった日々も、進路を選ぶ時期が近づいてくると、そろそろ終わりが見えてくる。
「夏希、紐ほどけてるよ。」
「本当だ。」
優芽が夏希の隣りに座る。
「来週で最後だね。」
優芽は夏希に言った。
「なんか淋しいね。」
夏希はそう言って、シューズの紐を結んだ。
「あいつ、大学決まったらしいよ。」
優芽は廣岡を見てそう言った。
「もう?」
「東京の大学みたいだね。」
優芽がそう言うと、
「廣岡くんは、ここにいるような人じゃないからね。」
夏希はもう片方のシューズの紐も結び直した。
「夏希はどうするの?」
「私は指定校で入れる所に入る。優芽は?」
「私はここから一番近い大学に行こうと思うの。」
「それなら、農大に行くの?」
「そう、農大。」
優芽は立ち上がると、腰を伸ばした。
「そっか、優芽の家は酪農だったよね。」
「移住で都会からこっちに来て、両親は町の事を気にすごく入ってる。」
「優芽は家を継ぐの?」
「私にはそれしか知らないからね。」
高校に入ってすぐ、隣りの席になった廣岡湊《ひろおかみなと》は、県の中でも名前の知れた、バトミントンの選手だった。
プライドが高く、自信に満ち溢れた廣岡は、少し話し掛けにくい存在。
「また、城田の隣りかよ。ついてねー。」
3年生になって登校した初日、廣岡は夏希に対してそう言った。
「あっ、どうも。」
夏希は廣岡の言葉に、いつも自然に答える事ができない。
部活の間、1人だけ違うメニューを行っている廣岡には、彼に近づこうとバトミントン部に入部した女の子達が、いつも周りを囲んでいた。
たいして汗もかかず、廣岡に笑顔で話し掛けているその子達が、夏希は少し羨ましかった。
廣岡は部活の練習中も、夏希の事をよくバカにした。
少し伸びた前髪が、汗で夏希のおでこに張り付いていると、
「城田、風呂でも入ったのか?すごい、ブス。」
そうやってからかってきた。夏希は廣岡を避けるように、廣岡の視線感じると、タオルで真っ赤になっている顔を覆った。
廣岡の打ったシャトルが、夏希の肩にあたった。
「そこ邪魔だからどけろって。」
廣岡がいつもの様に冷たく言った。
「絶対、わざとだね。」
優芽がシャトルを廣岡に向かって打った。
練習が終わると、廣岡が夏希の前に来た。また、何か文句をつけてくるんだろう。
夏希はそう思って、急いで荷物をまとめていた。
「さっきはごめん。青くなったんじゃないかと思って。」
廣岡は夏希の隣りにしゃがんだ。
夏希は近くにいる廣岡と、目を合わせることができない。
いつもは冷たい言葉しか言わないのに、自分を心配して近くにきてくれた廣岡に、夏希の体を循環する血液が速くなった。
「大丈夫か?」
廣岡は夏希の半袖のシャツを少し捲った。
「あたったっけ?」
夏希は話しをはぐらかす。
「痛くないなら、それでいいけど。」
廣岡は夏希の顔を覗き込んだ。
「あんた、わざとでしょう?」
優芽が廣岡にそう言うと
「おまえらが、あんな所で喋ってるから、悪いだろう。邪魔なんだよ。」
廣岡はいつもの様に、冷たい言葉を投げた。
高体連の日。
朝から雷を伴うひどい雨が降っていた。
バスは運休となり、夏希の母が、優芽とは夏希を乗せて、試合が行われる体育館まで送ってくれた。
「お母さん、ありがとう。」
「終わるのは何時くらい?」
「16時かな。」
「じゃあ15時にはここに来るようにするから。最後の試合なのに、仕事で応援ができなくてごめんね。2人共、頑張ってね。」
依子はそう言って、2人に手を振った。
「優芽、行こう。もう、みんな来てるかも。」
体育館の2階へ続く階段を昇ると、今年から顧問になった原田が、皆を集めてミーティングをしていた。
「遅いぞ、早く並べ。」
優芽と夏希は列の後ろについた。
「今年は団体で優勝するのが目標だ。廣岡一人に頼らずに、他のメンバーも、強い気持ちで試合に臨むそうに。女子はまずは1セット、必ず取るように。」
ミーティングが終わり、原田が夏希と優芽が遅れて来た事を注意した。
「雨が降るってわかっているのなら、前の日からきちんと準備をしておけ!」
原田がやっと2人に背中を向けた時、
「何よ!有紗達には何も言わないのに、なんで私達には、厳しいのよ。」
優芽はそう言って、ふてくされた。
「優芽見て、1回戦、西高の双子だよ。」
夏希は優芽のユニフォームの袖を引っ張った。
「くじ引きの神様は冷たいね。廣岡が顧問になってから、ぜんぜん運がなくなった。」
2人は深い溜息をついた。
「梨田、城田、1回戦の相手が変わるから。」
原田が言いに来た。
「なんでですか?」
優芽が原田に聞くと、
「インフルエンザにかかったそうだ。」
その言葉に夏希と優芽は、顔を見合わせた。
「夏希、神様はいるよ。」
優勝候補の選手が欠場になり、試合の行方は誰もが予想できない状況となった。
優芽と夏希の出場している女子の団体戦は、順調に勝ち進み、次の準決勝というところで、一度休憩となった。
優芽と2人で昼食を食べていると、廣岡ともう一人の男子が、夏希と優芽の前にやってきた。
「おまえら、ついてるな。本当ならすぐに敗退だったのによ。」
廣岡がバカにする様に言った。
「運も勝負のうちだよね、夏希。」
優芽は廣岡にツンとした態度でそう言った。
「団体で勝ったら、3年の女子は、みんな管内大会に行くのか?」
廣岡についてきた青田瞬《あおたしゅん》が、優芽にそう聞いた。
「どうかな。だって、3年の女子だけでも、12人いるんだよ。しかも、半分以上がこいつのファン。」
優芽は廣岡を指さした。
「澤山は違うだろう。あいつは中学からバトミントンやってたから。」
青田が言った。
「七海は違うよ。普通にこっちの仲間だから。」
優芽は下を向いた廣岡に向かって、なんとなく嫌味っぽい言い方をした。
「あいつ、なんで団体戦のメンバーに選ばれなかったんだ?」
青田が言うと、
「学校来てないのに、試合ができるわけないでしょう。」
優芽はそう言った。
「3年はたくさんいるのにさ、梨田がシングルとダブルスの2つに出るって、変じゃない?」
「そうだよ。休む暇なし。だけど次は、夏希がシングルで出るよ。」
優芽が言うと、
「城田が?」
廣岡はそう言って笑った。
「次は夏希で行くって、先生が言ってた。」
優芽は青田と廣岡に言った。
「城田がシングルで試合に出るの、久しぶりだな。」
青田が言うと、
「こいつ、ここぞって時に、外すからな。まっ、応援くらいしてやるよ。」
廣岡は笑いながら、青田と自分達の席に戻っていった。
「何あいつ、めっちゃ感じ悪い。」
優芽はそう言った。
「七海、どうしたんだろうね。」
夏希が言った。
「夏希、知らないの?」
「何が?」
「廣岡が七海に告白したのを知って、有紗達が七海をイジメてた話し。」
優芽は小さな声で言った。
「そうなの?」
「本当だよ。七海、それで学校に来れなくなったんだから。」
夏希は廣岡が七海を好きだった事のショックと、七海がイジメられているのを知らなかった事に、愕然とした。
何もなかったかのように、七海をイジメている有紗達と楽しそうに話す廣岡を見ると、全身の血が沸騰してくるのを感じた。
「ひどいやつ。」
夏希はそう言った。
「お昼、もう終わりにしようか。もうすぐ試合が始まるよ。」
夏希と優芽は、食べ掛けのお弁当の蓋を閉めた。
澤山七海《さわやまなみ》は、夏希と同じクラスだった。
中学は違ったが、バトミントンの試合ではよく会っていたので、高校へ入る前から、夏希や優芽とも仲がよかった。
管内の女子の中では、七海に勝てる相手はいなく、部活の時は、よく廣岡と一緒に練習をしていた。
色白で目鼻立ちがはっきりした七海は、学校の中でも、男子に人気があった。
「夏希、そろそろコートに行こうか。」
優芽が言った。
「うん。」
「夏希、わかりやすいわ。」
「何が?」
「なんでもない、試合、頑張ろう。」
試合が始まった。
優芽と組んだダブルスをストレートで勝ち、次は夏希のシングルスの試合となった。
隣りのコートでは、もうひとつのダブルス、ミカとカオルの試合が行われていたが、1セット目を落とし、2セット目が、もうすぐ終わろうとしていた。
ミカ達の試合が終わると、夏希が試合がコールされた。
「城田、頑張れよ。」
突然、廣岡が夏希に声を掛けた。
夏希は黙って、ラケットを握った。
試合が始まり、久しぶりに1人で入るコートは、なんだか、とても広くて寒く感じた。
練習では時々、人数合わせのためにシングルスの試合をする事はあったが、ラインが違うシングルスとダブルスでは、夏希はすぐにその切り替えができなかった。
思うようにシャトルを打ち返せない状態が続くと、夏希は焦って、ミスばかりするようになる。
夏希は個人戦で試合に出ても、いつも思うような結果が出なかった。
「城田はダブルス一本でいけ。お前はダメだ。すぐに切り替えができないから。シングルの方は澤山がいるから、どうせおまえの出番はないし。」
原田はそう言っていって、個人戦のシングルスの登録からも、夏希を外した。
七海が学校に来なくなると、代わりに優芽がシングルスを任される様になり、青田が優芽の相手をよくしていた。
夏希は優芽と青田が練習をしている間、1人で練習しているフリをして、廣岡の事を目で追っていた。
試合が始まった。
相手は左利きの夏希に、すっかりペースを崩されたようで、立て続けにミスが続いた。
思いもかけず、あっという間に1セットをとると、
「城田、気を抜くなよ。お前はここぞと言うところでミスるからな。」
原田がコートチェンジの最中に、横でゴチャゴチャ何かを言ってきた。
次のセットも順調に勝ち、決勝もシングルスは夏希で行くと原田が言った。
「優芽、水なくなったから買ってくる。」
「私も行く。」
2人はギャラリーの階段を降りていく。
自動販売機の前につくと、同じバトミントン部の女子達の数人が、別の自販機の前の近くで、ジュースを買って飲んでいた。
「夏希、絶対勝ってね。私達も廣岡くんと一緒に県大会に行きたいから。」
同じクラスの砂田有紗《すなだありさ》がそう言った。
「七海がいなくても、夏希と優芽だけでぜんぜん余裕。」
取り巻きのリサとミノリが、ケラケラと笑っている。
「行こう、夏希。」
優芽が夏希の袖を引っ張ると、そこに廣岡がやってきた。
「あっ、廣岡くん。」
有紗は笑顔になり、3人の女子は廣岡の周りを囲んだ。
「城田、次も頑張れよ。」
廣岡が夏希に声を掛けた時、有紗の視線が、夏希に突き刺さった。
夏希と優芽は、その場から離れ、買ってきた水を、急いでボトルに入れ直した。
「いいよね。こっちは真剣にやってるのに、有紗達は気軽で。廣岡が目的でバトミントン部に入ってきて、勝手な事ばっかりやってさ。」
優芽がそう言うと、
「私達、さっきから休みなし。」
夏希は苛ついていた。
決勝戦の相手は、優勝候補の私立高校の選手だった。
エースが欠場しても、2番手3番手の選手を相手に、夏希と優芽には、苦戦した。
試合中、無理な体制で打ち返した優芽は、足をひねり、痛みで足を床につける事ができなくなってしまうと、試合は途中で棄権となった。
「優芽、階段昇るの無理だね。ここにいて。」
夏希はロビーの椅子に夏希を座らせた。
「ごめんね、夏希。」
「湿布と、冷やすもの持ってくる。」
夏希がメディカルバックの中を覗いていると、原田が夏希の隣りに来た。
「城田、県大会へ行く事はもう決まっているから、あとは、適当でもいいからな。」
原田の投げやりな言葉に、夏希は顔が熱くなっていくのを感じた。原田の方を見ると、有紗達と楽しそうに話している。そんなニヤけた顔が、夏希の導火線に火をつけた。
「城田、お前の相棒は?」
青田が夏希の所にきた。
「下にいるよ。足が痛くて、ここまで上がって来れない。」
青田は夏希の後ろについてきた。
「優芽、急いで病院に行こうよ。」
夏希は優芽の痛めた右足に湿布を貼った。
「夏希、最後の試合だよ。ちゃんと出てよ。」
「試合なんていいよ。すぐに病院に行こう。うちの親、もうすぐ迎えにくると思うし。」
「大丈夫、私、親に連絡するから。」
「優芽の家は今忙しい時間じゃでしょ?お母さんはお腹が大きいんだし、聡さんは抜けられないよ。うちの親がきたら、すぐに優芽を病院に連れて行くから。」
夏希はそう言って、優芽の腫れてきた足を見た。
「夏希の試合は?」
「出ないよ。もういいの。」
夏希は時計に目をやる。
「夏希、お願い、試合に出てよ。それじゃないと、うちのお父さん、また怒るから。」
夏希は少し考えた。
「城田行けよ。俺がここについているから。」
「いかない。」
夏希はそう言った。
「夏希は意地っ張りだね。」
優芽が言った。
「意地じゃないよ。試合なんて、もうどうでもいいの。」
その場を動かない夏希の肩に、優芽は手をおいた。
「夏希のお母さんが来たら、一緒に病院に行こう。それまでは、青田についててもらうから、夏希は試合に出て。」
「城田、行ってこいよ。」
優芽と青田が夏希を見ている。優芽は2人を見て迷っていた。
「原田をぎゃふんと言わせろよ。」
青田がそう言った。
「そうだよ!」
優芽が言うと、夏希は渋々わかったと頷いた。
髪を結び直すと、夏希は一人でコートに向かった。
「城田は頑固だな。」
青田は夏希がコートへ向かう背中を見てそういった。
「そうだね。頑固だし、鈍感。」
優芽が言った。
「湿布なんて話しじゃないだろう、これ。」
青田は優芽の足を見て言った。
「梨田、ついてないな。俺、原田に言ってくるから。」
青田はギャラリーに戻り原田を探したが、
原田はすでに夏希の試合について、コートの横に座っていた。
「青田、どこ行ってたんだ。城田の試合が始まるぞ。」
廣岡が青田を呼びにきた。
「なぁ青田。城田、案外いいかもな。」
廣岡は青田に言ったが、青田は優芽の所へ戻った。
「城田、頑張れ!」
廣岡が夏希を応援する横に、有紗が並んだ。
「負けても次の大会には行けるんでしょう?」
有紗か廣岡に聞くと、
「そうだよ。」
廣岡は有紗に答えた。
試合の開始が告げられた。
初めは相手のサーブから始まるので、夏希は構えてシャトルを待った。
高く上がった大きなサーブは、ラインの外に落ちて、アウトになった。
夏希は静かにシャトルを拾う。
相手の構えを確認して、夏希は高くシャトルを飛ばすと、シャトルを見送った対戦相手の期待を裏切り、ラインの上にストンと落ちた。
対戦相手が審判を見てすぐに悔しそうな顔をして夏希にシャトルを渡した。
原田が横で何かを言っているが、夏希には何も聞こえなない。
結局、相手のミスも重なり、夏希はストレートで試合に勝った。
真っ赤になった顔にタオルをあてると、
「城田、そんなにムキになる事なんてないのに。」
原田がそういって、夏希の肩を叩いた。
無言でラケットをしまうと、ギャラリーに残る自分の荷物と、優芽の荷物を抱えた。
「おい、城田、聞いてんのか?」
「先生、これで帰ります。親が迎えに来るんで、梨田さんを連れて、病院へ行きます。」
「帰るって、お前は終わっても、他の皆の試合はまだ残ってるんだ。同じ仲間なんだから、最後まで応援しろよ。勝手な事は許さない。」
原田は夏希を止めた。
「梨田さんは怪我をしています。」
「試合が終わってから、病院に行けばいいだろう。」
「先生は見てないからわからないけど、すごく痛そうだし、腫れているから、早く病院に行かせてください。」
「ダメだ。表彰式も残っているのに。」
「それは別の人が、出たらいいじゃないですか。」
「勝手なこと言うな。指導者に歯向かうつもりか!」
「歯向かってなんていません。」
「ちょっと勝ったからって、生意気だぞ。」
夏希が原田と言い合いになっていると、それに気がついた周りの部員達は、一斉にザワザワし始めた。
「梨田は湿布貼って冷やしてるんだろう?ちょっと捻ったくらいで大袈裟だ。」
「あの腫れ方は、おかしいです。折れていたら、梨田さんのお父さんが怒って学校にきますよ。」
夏希がそう言うと、原田の目が泳いだ。
「折れてるなら仕方ないか。」
優芽の父親は、原田のやり方に時々文句をつけるので、原田から相談された校長が、部活動への出入りを禁止とした。
「もうすぐ私の親が迎えにくるので、梨田さんと一緒に帰ります。」
「わかった。城田、明日は遅れないで、ちゃんと来なさい。今日だって本当は、遅刻者は出場させないつもりだったんだからな。」
「明日は来ません。梨田さんが出場しないなら、私も出られせませんから。それに私と梨田さんは、タイムテーブルも何ももらってません。昨日、開会式の時間だけ聞いただけです。」
「デタラメ言うな、ちゃんとメールで流しただろう!」
「先生が流したのは、ラインですよね?私はグループには入ってませんから。」
夏希は顔が赤くなっていくのがわかる。
「おい、お前は個人戦も登録してるんだ。どうするんだよ。」
「梨田さんが出ないなら、私も出られませんから。」
「シングルスの方は?」
「登録してませんよ。先生がそうしたじゃないですか。」
原田は明日のトーナメント表を見返していた。
「いいから、明日はちゃんと試合にこい!」
原田は次の試合が始まるので、コートへ走って行った。
夏希はロビーに座っていた優芽の所にきた。
「城田、どうしたんだよ。」
苛立っている夏希の後を追って、廣岡がやってきた。
「馬鹿みたい。」
夏希は優芽の肩を支えて、立ち上がらせた。
「帰るのかよ。俺等の試合がまだあるんだぞ。ちゃんと応援しろよ。」
廣岡が言った。
「七海が学校に来なくなったのは、廣岡くんのせいなんでしょう。最低!」
夏希は廣岡に向かって言った。
いつも強気な廣岡が、夏希の言葉に目を反らした。
「城田、それはさ、」
青田が夏希を止めたが、
「すごい神経だね、信じられない。」
夏希は廣岡に向かってそう言うと、優芽と一緒に玄関に向かった。
ちょうど迎えにきた母に、夏希は事情を話した。
「優芽ちゃん、早く病院に行こう。診てもらえるように、厚生病院へ連絡してみるから。」
依子は病院に連絡をした。
「夏希、原田には帰るって言ってきたの?」
優芽が心配して夏希に聞いた。
「私、けっこう火が付くの早いからさ。言いたい事、全部言ってやった。」
夏希はそう言って笑った。
何度も髪を切ろうとしたが、廣岡が隣りの席になった時、城田は長い方が似合うと廣岡が言った。
それからずっと、夏希は髪の伸ばし続けた。
馬鹿みたい。
もう、髪を切ろう。
優芽がこんな事になるなんて、きっと、人の不幸を喜んだバチが当たったんだ。
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