夏のかけら

小谷野 天

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4章

手のひらの汗

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 まだ夜が明けて少ししか経っていないのに、すでに高く昇ってしまった太陽が、乾いたアスファルトをさらにジリジリと焦がすように照らしている。

 紺色のストライプのシャツに、同じく紺色の薄手のジャケットの羽織った凪は、公用車の荷台を開けた。
「ナツさん、荷物どうぞ。」
 小さなキャリケースを凪に渡した広川は、
「運転は私がするから。」
 そう言って、凪の前に手を出した。
「いえいえ、私が運転しますから。」
 凪はそう言ったが、広川は凪の手に持っている鍵を自分の手に移した。
「隣りに乗ると、どうしても人の運転を注意したくなるのよ。」
 広川は苦笑いした。
「早く乗って。」
 運転席に乗り込んでエンジンを掛けようとしている広川に急かされるように、凪は慌てて助手席に乗り込み、シートベルトを締める。
「暑いわね。」
 広川はクーラーをつけ、車内の温度を下げようとした。
「寒かったら言ってね。渡会さん、ジャケットなんか着てたら窮屈よ。車の中は女だけなんだし、それ、脱いでしまったらどう?」
「そうですね。」
 広川に言われるまま、凪はジャケットを脱いで、畳んで膝に置いた。うぶ毛は濃い方ではない。だからムダ毛の処理なんてしたことがない。夏になる少し前になると、女子達との会話中に、その話題を振られるのが苦手だった。
 そういうのって、女の子の常識なの?
 凪はすでに半袖になっている広川の腕をチラッと見た。目立たない程度の、うっすらとしたうぶ毛が見える。それはけして気にならず、女性の腕だということを忘れない。ナツさんは別にいいのか。もう子供だっているんだし、男性に全てをさらけ出した後だから。
「喉乾いたね。ちょっと待ってて。」
 広川は会社の近くのコンビニに車を停めた。冷たいお茶を買ってに車に戻ってくると、
「これ、後ろに置くね。」
 そう言って凪のジャケットを後部座席に置いた。
軽くなった膝の上に、汗をかいたペットボトルの雫が落ちる。
「渡会さんの膝を見たのって、入社式の時だけね。」
 広川が言った。
「スカートって、あんまりはかないですからね。」
「そうね、いつもズボンのイメージ。ネイルもしないし、ピアスもしてない子って、最近珍しいわよね。休日にオシャレして出掛ける事ってあるの?」
「ないですよ。出掛けても、パーカーが多いですし。」
「どうして?自分を少しでもよく見せたいとは思わない?ヒラヒラしたワンピースとか、着たらいいじゃない。」
「そういうの、自信がないっていうか。似合わないと思うし。」
「そっか、それが、渡会さんなのか。別に人と同じにしなくても、自分が落ち着くんなら、それはそれでいいんだよね。」
 ショートカットの広川は、いつも揺れるピアスをしている。小さな石が耳たぶの下でキラキラと光るたび、彼女の持つ上品さが引き出される。
「ピアスはいつ開けたんですか?」 
 凪が聞いた。
「これ?もう25年前になるかな。二十歳の記念にね、自分で開けたの。」
「自分でですか?」
「そう。バチーンッてあけるやつあるじゃない?それで。」
「運命って変わりました?」
「アハハ、それはどうかな。確かにショートにするようになったのは、ピアスをしてからね。長い髪は女の象徴みたいに言われるけど、短くしてから、性格は前向きになったかもね。」
「それからずっとショートですか?」
「ううん。結婚式の時は伸ばしてたわよ。子供を産んでからも、美容院なんてしばらく行かれなかったし。離婚してからかな、また短くしたのって。そう考えると、長い髪の自分って、けっこう闇ね。」
「ナツさんのお子さんって?」
「高校生で、今は寮に入っているから。」
「へぇ~、何かされてるんですか?」
「野球をやってるの。本人が夢中になってるから、私はそれを応援するだけ。もう日に焼けて真っ黒。それも今年の夏で引退よ。来週最後の試合が終わったら、寮を出て家に戻ってくる事になってる。」
「そうなんですか。」
「まあ、一時の話しよ。その先はまた出ていくみたいだし。小さい頃は、私からずっと離れなかったのに、心配しなくても、ちゃんと自立していくもんね。」
「ナツさんが、うらやましい。」
「どうして?」
「仕事はできるし、頼もしいお母さんでもあるし。」
「渡会さんは、仕事のスキルを上げて、なおかつ家庭を持てたら幸せだって思ってる?」
「そうですね、やっぱりそうかな。」
「嘘ばっかり。そんなふうには見えないわよ。職場ではなるべく目立たず、家族を持つなんて、ちょっと面倒だって思ってるくせに。」
「バレてますか?」
「わかるわよ。」
「何もない日が続く方が、楽ですから。それ以上の事は贅沢です。」
「アハハ。渡会さんって、自分が思ってる以上にけっこう欲しがりかもよ。欲しいものは贅沢じゃなくて、譲れないものね。価値観なんて人それぞれなんだし。」
「母からは、扱いにくくいってよく言われてました。」
「そうね。わりと卒なくこなしてるっていうか、あんまり、努力してるように見えないわね。本当はとっくに自分のキャパを超えてるのに、大丈夫って言い聞かせて。もしかして、ずっと一人でいるほうが楽だって、自分に言い聞かせてるでしょう?わざとに女の子らしくする事から遠ざけてる。」
「私、元々そういうのって苦手で。」
 凪は渡会への気持ちを誤魔化した。
「本当は好きな人の前ではキレイになりたいって思ってるはずよ。」
「う~ん、私がですか?」
「まっ、今日は美味しいものでも食べに行きましょう。お酒、飲めるでしょう?どうせ1人でお店なんて入れないんだろうし、普段行かない様なお店に、連れて行ってあげるから。私なら、なんにも気遣いなんていらないわよ。1人で飲んで、楽しくなる方だから。」
 平岡が厳しいと言っている広川は、自分にはなぜか優しい。広川は誰よりも仕事ができるのに、結婚や子育てで、出世の機会を逃した上に、会社が女子職員に望む、癒しやビジュアルの部分を持ち合わせていない。なんだかんだ言ったって男性優位の社会の中では、広川を認める評価項目が、未だに作られていない。

 会議が終わり、いくつかの会社に挨拶回りを済ませたあと、凪はホテルのロビーで広川と待ち合わせをした。
 ジャケットではなく、薄手のカーディガンを羽織った凪は、蒸し暑い夏の夜の空気が、腕とカーディガンの隙間を汗として流れていくのを感じていた。さらに、広川が連れて行ってくれた古い居酒屋は、焼き鳥の匂いが充満し、クーラーはついているのに、外と同じくらい、室温が暑く感じる。とうとうカーディガンを脱いだ凪は、目の前で焼かれている焼き鳥の煙を見ながら、広川と冷たいビールを飲んでいた。
「こういうとこ、滅多にこないでしょう?」
 広川が言う。
「来たことないです。」
「若い子はチェーン店に行く事が多いんでしょう?安いしさ、だいたい食べるものなんで決まってるんだし。」
「そうですね。」
 広川は慣れた感じで何品か注文する。そして、料理がくる前にビールを飲み終えた広川は、店長と楽しげに話し、日本酒を飲み始めた。
「渡会さんは自分のペースで飲めばいいから。」
 広川はそう言って、グイグイと日本酒を飲んでいる。
「ナツさん、お酒、強いですね。」
 凪は広川に言った。
「強いって言うか、進むんだよね。」
 凪は出された料理を黙々を食べる。どこにでもあるお皿に、どこにでもある料理が乗せられている。それを店の中で食べると、いつもと違った物を食べている様な気持ちになる。
 店内は混み合って、アルバイトの女性がひっきりなしに動き回っていた。後ろの席のYシャツ姿の男性達が、部長だの課長だのと、大声で話しをしている。
「あっちも愚痴と、ヨイショばっかり。」
 広川はそう言って笑った。
「渡会さん、もう一軒行こうか。」
 ほろ酔いの広川に付き合って、ホテルに戻ってきた時には、時計は午前0時を回っていた。
 凪はシャワーを浴び、ベッドに寝ころんだ。
 スマホを充電しようと手に取ると、ラインのマークがついている。
 “日曜日は空いてる?”
 渡会から21時にラインと着信があった。もう遅いし、返信は明日にしようと思い、少し頭がクラクラする凪は、そのまま目を閉じた。
 ウトウト眠りかけた時、スマホがなった。凪は相手を見ずに電話に出ると、
「起きてたのか?」
 電話のむこうで男性の声がする。
「誰?」
「俺、渡会。」
「あっ、渡会くん。ごめん、ちょっと出てたから、返信ができなくて。」
 凪はびっくりして酔いが吹き飛んだ。
「ごめん、忙しかったのか。」
「違う。ちょっと出張で。」
「そっか。」
 少しずつ意識がはっきりしてくる。電話の相手が渡会だと思うと、凪はベッドの上に正座した。
「日曜日、何があるの?」
 鼓動は速かったが、電話越しだと、渡会と普通に会話ができる。
「ダブルスの相手、探しててさ。」
「私なんて無理だよ。渡会くんとは実力が違うから。」
「渡会がまだバトミントン続けてたんだって思ったら、なんか懐かしくってさ。」
「私は遊びでやってだけ。」
「そっちはどこで、やってるんだ?」
「会社の近くの中学校で。」
「そっか、学校開放の日かなんかなのか?俺は社会人のサークルに入ってるんだ。練習は火曜日。今度の日曜日に試合があるから、渡会とペアを組もうと思ってさ。」
「私、きっと渡会くんの足を引っ張ると思うよ。」
「別にそんな大した試合じゃないんだし、楽しくやればいいだろう。」
「うーん。」
「場所と時間は明日送るよ。」
「えっ、ほんとにやるの?」
「やろうよ。俺、ダブルス知らないから、渡会が教えてくれよ。」
「え~、私が?」
「頼んだからな。ごめん、遅くに電話して。また連絡する。おやすみ。」
「おやすみ。」
 ずっと好きだった渡会と、こんなに長い会話をした。
 さっきまで少し酔っていた頭の中は、渡会の言葉をひとつひとつ記憶に留めようとしている。
 
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