夏のかけら

小谷野 天

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7章

夏の影

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 夕方なのにまだ明るい空は、夜なんてこないのかと錯覚をさせる。
 少しずつ暗闇に目が慣れると、同じ時間が流れていた事に気がつく。

 冷たいやつ。

 凪はその言葉を心の中で繰り返した。

 詰め込んだ古い書類の入った段ボールを自分の車に積み込むと、駐車場でさっきの男性に会った。
「今、帰り?」  
 男性が言った。
「そうです。」
 凪が答える。男性はこれから帰る様で、手にカバンを持っている。
「もしかして、これから焼却場?」
 自分が段ボールを車に積んでいる姿を、男性はどこかで見ていたのだろう。
「はい、どうしても今日中に捨ててしまい物があるりまして。」
 男性が凪の車の中にある2つの段ボールを見て、
「良かったら俺が帰りに捨ててくるよ。」
 そう言った。
「いいですよ、自分のゴミですから。」
 凪は男性の好意を断る。
「うちはここから少し遠いんだ。焼却場のもっと向こうだから。どうせ帰り道なんだし、持っていってあげるよ。」
 男性が凪の車を開けて、段ボールを取り出そうとした。
「いいですって。もう仕事が終わってるのに。」
「俺、こう見えてけっこうお節介だから。」
 男性は段ボールを抱えて笑った。
「すみません、ありがとうございます。」
 凪は男性に頭を下げた。
「渡会さん、今日は大変だったね。ゆっくり休みなよ。」
「はい、そうします。お疲れ様でした。」
 凪が頭を下げると、男性は自分の車へとむかった。
 いつもは話す事なんてない男性の優しさが、人を拒絶しようとしていた自分をまた少し追い詰めた。
 みんなと上手くやれないのは、自分が持って生まれた性格のせいなのか。
 沈みそうにない太陽を見ると、早く涼しげな顔をしている月に会いたいと思いながら車に乗り込んだ。
 
 渡会と約束している練習時間までは、まだ少し余裕がある。
 一度家に帰って少し休もう。
 凪はそう思い、家にむかった。

 どれくらい眠っていたのだろう。
 残業が続いたせいなのか、削られた睡眠時間を取り戻す様に、少しの休憩では足りなくなっていた。
 気がつくと、カーテンを掛けなくても真っ暗な部屋の中で、凪は目を覚ました。 
 慌てて時計を確認する。
 21時。
 凪はびっくりして飛び起きた。スマホを覗くと、着信がある。
 凪は渡会との連絡をすっぽかした自分を責め、スマホを見つめたまま、言い訳を考えていた。
 風邪、残業、急な用事、
 いくらでも思いつく理由を並べても、それならそれで、もっと早くに断れたはず。
 素直に謝ってしまえばいいのに、相手が渡会だと思うと、嫌われるのが怖くて素直になれない。
 迷いながら30分が経った頃、渡会から電話がきた。
「もしもし。」
 凪は小さな声で電話に出る。
「なんだよ、普通に電話に出れたのか。」
 渡会が言った。
「ごめん。」
 凪はさっきよりも小さな声で謝った。
「仕事か?」
「ううん。違う。行こうと思ったの。それなのに寝ちゃってて。」
 凪はさっきまで考えていた言い訳がででてこなかった。
「もっと、うまい嘘をつけないのかよ。」  
 渡会が許してくれたのかどうなのかもわからない。
「ごめん、本当に…。」
 謝ろう。約束を守らなかった事は、嘘をつく事と同じなのだから。
「試合にはこれそうか?」  
 そう言ってくれた渡会の言葉が自分を救ってくれた。
「うん。大丈夫。絶対行く。」
 固くなっていた心が、少しずつ解ける。
「迎えに行こうか?」
「いいよ、自分で行けるから。」
 やっぱり好きな人の前は、どうしても強がってしまう。
「渡会には他にも相手がいるんだろう。名前がもうひとつあったよな?」
 凪の頭の中に、自分をからかう平岡の顔が浮かんだ。
「そうだけど、その人は棄権。今日、仕事で右手の骨を折ったから。」
 渡会には、平岡とダブルスを組む事が、ただの人数合わせだと思わせたい。
「そりゃ、残念だったな。それに、いろいろ右手なら大変だろうな。」
「そうかもしれないね。」
 興味のないように答えると、
「同じ会社の人?」
 渡会が聞いてきた。
「そう。」
「渡会は何の仕事してんの?」
「う~ん、普通の事務職。」 
「そっか。」
「渡会くんは?」
「俺もそうだよ。普通の会社員。」
「こっちに住んでるの?」
「そう。去年教師を辞めて、隣町の会社に転職したんだ。」
「教師だったんだ。渡会くんなら、女の子からモテたでしょう?」
「モテたりなんかしないよ。この髪の色のせいで、チャラチャラしてるって思われてて、ずっと居心地が悪かった。」
「それ、本当?」
「本当だよ。渡会は昔のまんまか?」
「それはどうかな。」
「やっぱり、俺、迎えに行くわ。また寝坊されたら困るからな。」
 渡会と話したあとに浴びたシャワーは、自分の汚れた心を洗い流す共に、ただの水の匂いさえも、淡い花の様に感じる。
 まるで自分のためにだけ世界が動いている様な感情に浸っていた凪は、平岡が骨折した事など忘れていた。

 次の日。
 電気が復旧している会社は、いつもと変わらない日常に戻っていた。
 朝から忙しく電話を掛けている課長は、相変わらずイライラしている。
 羽田がコーヒーを持って課長の前に行くと、
「羽田は気が利くな。」
 そう言って凪の方をチラッと見た。
 何をやったって、自分はあの人に褒めわれる事なんてない。容姿は生まれ持ったものだから、仕方ないにしろ、努力して掴み取った仕事だって、それが当たり前だと言われる自分と、よくやったと認められる羽田との差は、私には嫌われる要素があるからなんだろう。
 そんな事、もうどうでもいい。
 それを取り除いてまで、課長に好かれたいとは思わないし、あの人とは初めから馬が合わない。
 
「渡会、ちょっと。」
 右腕を吊った平岡が、凪の前にきた。
 ネクタイもせず、いつもはセットしている髪が、今日はサラサラとしていた。
 羽田がこっちを見ている。凪は羽田の手招きした。
「おい、渡会だけでいいんだって。」
 平岡は小さな声で凪に言った。
 平岡の話しはだいたい想像がつく。どうせ身の回りの事を頼みたいんだろう。
 嬉しそうにやってきた羽田は、平岡を心配して声を掛ける。
「真姫ちゃんに、いろいろと頼みたいそうよ。」
 凪はそう言うと2人を残し席を立った。
 時間を潰そうとお手洗いに入ったが、鏡映る自分を見るのが嫌で、小さな窓から下を見て時間を潰した。結局、席に戻ってくる途中で、平岡に捕まった。
「お前、ちょっと冷たくないか?」
 平岡はそう言って凪を人影に連れていった。
「俺、こんなだから明日からリモート出勤になるんだ。家にこもる前に、買い物に付き合ってほしくてさ。」
 平岡は凪を責めるように上から見つめている。
「だから、それは真姫ちゃんにお願いしてください。」
 凪はそう言って、自席に戻ろうとした。
「渡会。」
 平岡の呼ぶ声に、凪は振り返った。
「俺はお前に頼みたいんだけど。」
 平岡は目は真剣だった。いつもと違うサラサラと揺れる前髪に、凪はドキッとする。
 怪我をして不自由なのは同情するけれど、平岡にはこれ以上は踏み入ってはいけないと、冷たい態度をとった。
「なぁ、今日だけ頼みを聞いてくれよ。」
 凪は首を振って、その場を後にした。
 
 席に戻ると、課長から呼ばれた。
「昼からの会議で使うから、30部印刷。今日の日付になってるもの全部だぞ。印刷が終わったら、会議室Bに並べておけ。」
 バンッと凪の前に置かれたUSBを受け取ると、凪は自分のパソコンでそれを開いた。
 今日の日付のものって、100枚以上もあるじゃないか。昼休み、取れないかも。凪は急いで席を立つと、
「凪さん、さっきねぇ~、」
 羽田が近づいてきた。
「真姫ちゃん、ごめん。これ終わったらゆっくり聞くから。」
 凪はそう言って印刷室へむかった。
 ガラガラと印刷をするコピー機の前で、数字が増えていくのを黙って見つめている。ある程度印刷を終えると、集めて大きなホチキスで端を止める。
 いつの間にか黒ずんだ自分の指先。
 昼休み、終わっちゃった。
 凪はため息をついてその指を見つめた。
 印刷室に昨日の男性が入ってきた。
「渡会さん、昨日はお疲れ様。」
 男性が声を掛けた事で我に返った凪は、
「こちらこそ、いろいろありがとうございます。」
 そう言って頭を下げた。
 男性の名札を見ると、そこには白井輝《しらいひかる》と書いてあった。
「松井課長とは同期でね。俺はこの通り、あいつは課長で、時期部長だよ。あいつはずいぶん、渡会さんの事、小間使いさせてるようだね。」
 男性はそう言うと、凪が両手で押そうとしていた大型ホチキスを軽く押した。
「これ、全部閉じればいいんだろう?」
「そうです。」
 凪は男性を頼るように、束になっている書類を手渡しした。
 一通り作業を終えると、
「知り合いの子で、渡会さんに似た名前の男の子がいてね、ちょうど年も同じくらいかな。」
 白井が言った。
「あんまりない名前なんですけどね。」
 凪はもしかしたら渡会の事を言っているのかと思ったが、それ以上は話さなかった。
「すごくいい子なんだよ。小さい頃から苦労してるけど、素直でさ。なんとなく、渡会さんと重なってね。」
 男性はそう言うと、レジ袋を凪に差し出した。
「後で食べなよ。松井はああいうヤツだから、まともに向き合ってたら潰れちまうよ。適当に手を抜いて、上手くやりな。」
 レジ袋の中には、サンドイッチとお茶が入っていた。チョコレートや飴も入っている。
 凪はそれを腕に通し、出来上がった資料を持って階段を駆け上がった。
 平岡が玄関を出ていく姿が見えた。隣りには羽田ではない別の女性が並んでいた
 課長に言われた通り、会議室に資料を並べる。
 窓から見える駐車場に目をやると、平岡がその女性と一緒に車に乗り込むところだった。
 楽しそうに笑っている平岡の顔は、さっき見た顔とは別人の様に思えた。

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