夏のかけら

小谷野 天

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9章

明け方の月

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「けっこう飲むのか。」
 渡会が凪に聞いた。
「そうだね。飲むほうかも。」
 凪は缶ビールのプルを開けた。
「渡会が飲むなんて、そんなイメージなかったわ。」
 乾杯という言葉を言わずに缶ビール同士をぶつけた2人は、乾いた喉を潤す様にビールを流し込んだ。
「悪かったな、急にきて。」
 渡会が言った。
「渡会くん。シャワー、使うでしょう?」
「あっ、そうだな。あのさ、渡会。」
「何?」   
 仕方がない事だか、お互いを渡会と呼び合うのは、なんとなくおかしな気分になる。
「これ、洗ってくれるか?」
 渡会は汗で濡れたユニフォームを凪に渡した。
 まだ濡れている服のどこを掴んでいいのかわからずに、凪はそれを恐る恐る受け取った。
「そんなに汚いものかよ。」
 渡会は笑っていた。
「違う。汗でまだ濡れてるから。」 
 凪は渡会が着ているジャージも、一緒に洗うから脱ぐように言った。
「夏だから、きっとすぐに乾くよ。」
 そう言うと、渡会はジャージの上着を脱いでそれで凪の顔を包んだ。
 まるで中学生のいたずらの様な楽しい時間は、自然に笑顔を作っていく。 
 卑屈に生きてきたこれまでの自分が、やっと素直に何もかもを受け入れたいと思うようになっていく。

 渡会がシャワーを浴びている間に、洗濯機の前に立った。特別な時にと思って買ってあった高い柔軟性の香りを確かめると、願いを込めるように洗濯機に流し込む。
 洗濯機が回る音を聞きながら、考えごとをしていると、渡会が浴室から裸で出てきた。
「ごめん。」
 凪は慌てて脱衣場から出ていく。
 濡れた髪の渡会がリビングに戻ってくると、恥ずかしくて顔を上げられない凪は、すぐにドライヤーを取りに脱衣場にむかった。
 凪の後をついてきた渡会は、凪が手に取ったドライヤーを受け取った。
「先に入って悪かったな。渡会だって疲れてるのに。」
「大丈夫。」
「入ってこいよ。」
「うん。」
 凪は渡会を脱衣場から追い出した。  
 髪を乾かしてリビングに戻ると、渡会がスマホを見ていた。
「いつも、家で何してんの?」
 渡会がこっちを見た。
「何も。帰ってきて寝るだけ。」
 凪はそう言うと、冷蔵庫から水を出してコップに注いだ。
「どうぞ。」
 凪は渡会に水を出した。
「転校って、何回もしたの?」
 凪が渡会に聞いた。
「そうだな。親父の仕事の関係でだいたい3年くらいで移動だよ。」
「お父さんって、銀行だったっけ?」
「そう。」
「新しい人の中に入るって大変だったでしょう?」
「まぁな。転校を繰り返してると、別にどこかに属さなくてもなんとかなるって、諦めがつく様になったけど。」
「転校生って、そんな感じなんだね。」
「渡会と一緒だった中学は、ちょっと面倒だったな。俺が雰囲気壊したみたいでさ。」
「部活の事ね。みんな馴れ合いでやってたのもあるから仕方ないよ。」
「目立たない様にしても、何かある度に渡会と被るからさ、皆がからかってきて。」
「渡会くん、モテたんだよ。だから、私の下駄箱に、渡会くん宛の手紙が入ってた。」
「その手紙、どうしたんだよ?」
「渡会くんの下駄箱に入れたよ。それを女子に見られて、いろいろしつこく聞かれたけど。そう言えば、健康カード、届けてくれたんだよね。」
「そんな事もあったな。本当は中身がすごく気になっていたけど、さすがに見たらまずいだろうって、でもみたいってソワソワしてさ。まるで鶴の恩返しだよ、見たら最後。本当の正体を知ると、二度と会えないような気がしてた。」
「渡会くん、純粋だったんだね。」 
 水を飲み干した渡会は、コップをキッチンに持っていった。
 凪は脱衣場へむかい、洗濯物を干した。
 自分の下着は、渡会のものと一緒に洗うのも干すのが恥ずかしくて、洗濯機に入れたままになっている。
 ほんのり漂う柔軟剤の香りが、脱衣場を包んだ。
「悪いな、渡会。」
 渡会が凪の隣りにきた。
「朝には乾くから。ねぇ、渡会くん、押し入れから布団を出して。」
 渡会は凪に言われるまま、押し入れにむかった。押し入れに手を掛けた所で立ち止まると、
「いらないよ。俺はソファで寝るから。」
 渡会はそう言った。
「それじゃあ、身体が痛くなるよ。」
 凪は渡会の前に出て、押し入れを開けようとした。
「一緒に寝ればいいだろう。」
 渡会はベッドを指さした。
「ダメ。渡会くん、私、寝相悪いなら、隣りにいたら蹴飛ばされるよ。」
 凪が言った。
「蹴飛ばすって、渡会はどんな夢を見てるんだよ?」
「夢?夢なんて見ないよ。見てるかもしれないけど覚えてない。」
 渡会は顔が赤くなっていく凪の頭を撫でた。
「話したい事がまだあるんだ。眠くなったら、最後まで聞かないで、そのまま眠ってしまってもいいから。」
 渡会は凪をベッドまで連れていった。
「電気消すか。」
「そうだね。」
 凪は立ち上がって電気を消しに行った。
 渡会の近くに行こうとしている自分は、触れてほしいと期待しているはずなのに、触れる事も触れられる事にも自信がなかった。
「渡会、早く来いよ。」
 渡会が呼んでいる。
「こういう事、慣れてるの?」  
 ベッドの横には座った凪は、渡会に言った。
「そんなわけないだろう。」
 渡会は凪の腕を引っ張った。
 あっという間に渡会の腕の中に抱かれると、そのまま唇を重ね合う。
 初めてのキスの相手は、ずっと好きだった渡会だと思うと、凪は緊張して息ができなかった。
「大丈夫か。」
 渡会が凪に言った。
「うん。」
 本当はキスをする前に、好きだと言って欲しかった。自分の理性がまだはっきりしているうちに、渡会に気持ちを確かめたい。
 もう一度、唇を重ねようとしている渡会に、
「話しって何?」
 凪は聞いた。渡会は凪を胸に抱くと、
「俺、渡会に手紙を書いた事があるんだ。」
 そう言った。
「それはいつ?」
「夏休みの前かな。渡会の机に入れたのに、次の日、それが俺の下駄箱に入ってた。誰かに見られたかもしれないって、すごく焦ってさぁ。渡会に聞こうと思ったけど、結局聞けなくて。」
 凪は机の中にあった何も書いていない封筒があった事を思い出した。それは渡会の事が好きな女の子が自分の机と渡会を間違えて入れたもので、自分宛のものだとは思いもしなかった。放課後、渡会の机に入れようと、誰もいない教室をウロウロしていたら、突然入ってきたサッカー部の男の子達に、誰に渡すのかしつこく聞かれた。
 それでその封筒は、自分の下駄箱に入っていた渡会へのラブレターと一緒に、渡会の下駄箱へ入れて帰った。
「知らなかった。」
 さっきから力が抜けた様になっている凪は、渡会の胸に顔を埋めた。
「眠いのか?」
「ううん。」
「渡会。」
「何?」
「ずっと好きだった。ずっと会いたくて、やっと会えた。」
 渡会はそう言うと凪をきつく抱きしめた。
 さっきよりも深いキスをすると、渡会はなぞる様に自分を触っていく。渡会に触れられた身体は、また触れてくれるのを待っている。
 凪は自分を触る渡会の手を止めた。少し驚いて凪の顔を見た渡会に、小さく首を横に振った。
「ダメなのか?」
 渡会が言った。
「1回、息をさせて。」
 凪は胸を押さえて起き上がった。
 渡会が凪の背中を撫でる。
「渡会?」
 凪の顔を覗き込んだ渡会は、
「明日は早いからもう寝ようか。」
 どんなに息を吸い込んでも苦しい緊張感から解放され、凪はごめんと呟くように言うと、
「謝るなよ。」
 渡会はそう言ってベッドに横になった。
「渡会が寝るまで、ずっと見てるから。」
「そんな事されたら、恥ずかしいよ。」
 凪は背中を渡会にむけた。
 渡会は凪の背中をそっと包む。渡会の底しれない優しさが、背中に刺さっているトゲを抜いてくれた。
 
 次の日の朝早く、渡会は帰っていった。
 少しだけ眠った様に思えたが、時間はあっという間に進んでいた。
 また連絡する、そう言って小さく手を振り出ていった渡会は、朝の光りに吸い込まれて、日常という寂しさに溶けていく。
 渡会が触った凪の身体の中の細胞は、水を獲てパンパンに大きくなっている。
 いつもはなかなか開かない目も、朝の空にに残る薄い月がはっきり見えるくらいに、大きく見開いている。
 会うだけで良かったという感情は、また会いたいという欲望に変わっていた。
 
   
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