夏のかけら

小谷野 天

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15章

思い出のかけら

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 思い出せば、渡会はいつも自分と同じものを持っていた様な気がする。
 ノートもシャープペンもそうだったし、バドミントンのバッグも、ラケットケースもそうだった。
 同じドリンクボトルで、間違えて渡会が自分の水を飲んでいた時も、凪が目立たないように書いてある名前に気がつくまでは、渡会は気が付かなかった。
 もしかしたら、渡会はわざとに間違える様に同じものにしていたのかもしれない。

「あなたが辛いって思うのは、1日のうちどれくらい?」
 中年の女医が凪に聞いた。
 渡会が風邪を引いた時に薬をもらいに行くという近所の診療所は、精神科の院長と内科の女医が同じ苗字だった。たぶん夫婦で経営しているのだろう。渡会の話しでは、場合によって、院長と女医の立場を入れ替えるという。
 土曜日だというのに、待合室は人で溢れ、小さな子供からお年寄りまで、多くの人が順番を待っていた。
 初診で予約もとっていないのに、丁寧に話しを聞く女医に、凪はなんだか申し訳なくなってきた。
「それほど、辛くはないです。時々、眠れないくらいで…。」
 凪は忙しく動き回る看護師をチラッと見た。
「質問を変えるわね。あなたを辛くさせてるのは、仕事?それとも家庭?」
「仕事、かな。」
「じゃあそれは、人間関係?仕事の量?」
「う~ん、どっちかな…。」
 凪の視線が泳いだ。
「うちは電子カルテじゃないからね。診察には元々時間がかかるの。予約を取ったって病気は順番にやってこないし、いいのよ、時間なんて気にしなくても。」
 女医は紙のカルテにサラサラと文字を書いている。
「あなたが言いにくい事を、聞きとる私の商売って、本当に嫌ね。まあ、原因がわからくても、ある程度の治療はできるけど。」
 女医は凪の腕をぎゅっと掴んだ。
 小さな手から伝わる温かい優しさが、この人は自分を助けてくれる人のかもしれないと、凪には感じた。
「そのうち話してくれる?」
 女医の言葉に凪は頷いた。
「今日は気持ちを落ち着けるお薬と、眠り薬を出しておくわね。残念ながら、何かを忘れる薬って、この世にはまだないのよ。忘れたくない人の薬はどんどん開発されていくのに、記憶を切り取る治療は、誰も手をつけていない。結局辛い思いを抱えた人は、時間をかけてそれを薄めていくしかないのよね。また来てちょうだい。あなたが話せる様になるまで、私は付き合うから。」
 女医はそう言ってまた紙のカルテにむかった。
「先生、私は元に戻れますか?」
 書き物をしている女医に凪は聞いた。
「あなたを元に戻す約束をしたら、私は嘘つきになるかもしれないのよ。今はあなたのままで、そこにいるだけでいいんじゃない?」 
 女医はそう言って優しく微笑んだ。
  
 診察室から出てきた凪は待合室で待つ渡会の隣りに座った。何も言わない凪の手をぎゅっと握った渡会の手からは、女医の温かさとは違った体温を感じる。

 外は雨だった。
 朝から降り続いている冷たい雨の中を、同じ色の傘を持った2人が無言で歩いている。
 渡会の家に着くと、渡会は急いでストーブをつけて、凪をストーブの前に座らせた。
 冷蔵庫からペットボトルのお茶を2つ持ってくると、1つはストーブの凪の足元に置いて、渡会はそれを抱え凪の隣りに座った。
「やっぱり、車で行けば良かったなぁ。」
 渡会はペットボルトを開けてお茶を飲んだ。
「駐車場、すごく混んでたね。」
 凪はペットボトルを手に取った。
「飲まないの?」
 渡会が言った。
「飲むよ。」
 凪がふたを取ろうとすると、渡会が代わりにふたを取って、凪に渡した。
「こっちは、渡会くんの。」
 渡会は笑っていた。
「わざとなんでしょう?」
 凪が聞いた。
「先生が健康カードを間違えて渡した事があっただろう。それから同じものにすると、間違えたって渡会に話し掛けられるかと思ってさ。」
 隣りにいる渡会は、中学生のままの笑顔だった。
「渡会くん、私、もう戻れないよ。」
 凪は膝を抱えて顔を伏せた。
 先の事を考えれば考えるたび、道が塞がれる。このまま渡会の家にいるわけにはいかないし、仕事は3日も休んでしまった。
 さっきの女医から診断書を休暇のためのもらおうかとも考えたが、会社に提出すれば、自分が精神科にかかった事がバレてしまう。このまま仕事を辞めるにしても、次の道をすぐには考えられない。しっかりしなければと思えば思う度に、すれ違うスーツ姿の男性は、みんな同じ様な生業をして暮らしている様な感じがして、町を歩くのすら怖くなる。
「渡会はずっと渡会のままだと思うけどな。」
 渡会が言った。
「違うよ。すごく嫌な大人になった。」
 凪は顔を伏せたまま渡会に言った。
「渡会、結婚しようか。」
「えっ?」
「結婚しても、俺達はなんにも変わらないじゃないか。」
「そうだね、だけど…、」
「渡会の逃げ道は、俺が作ってやる。」
 
 日曜日。
 凪の両親と渡会の父親へ挨拶に行った。
 渡会の出任せの様な説明に、皆呆気に取られて結婚を反対する間合いもなかった。
「凪のどこが良かったの?」
 凪の母は、渡会に聞いた。
「中学の時、よく間違えられまして、それからずっと意識してました。」
「直さんだっけ。あなたはもしかしてずっと、凪の事を思っていたの?」
「そうです。これってもう、運命ですよね。」
 両親とそこにいた姉にそう言った渡会は、こんなにもおしゃべりな人間だっただろうか。運命と言われれば、結婚にシビアな凪の母親も反対はできない。
「凪、あんたあの人でいいの?」 
 凪の姉が小さな声で言った。
「よくわかんない。」
 凪が言った。
「ねぇ、結婚って一生の事よ。凪はそれをよくわかんないで決めていいの?」
 姉の声は渡会にも聞こえているはず。
「私と渡会くんは、結婚してもしなくても何も変わらないから。」
 凪は久しぶりに父が家にいるのを不思議に思った。
「お父さん、今日はどうしたの?」
 凪が言った。
「どうしたのって、日曜日は休みだろう。」
「ふ~ん。」
 父の言葉が凪には白々しかった。
「どの人もこの人もみんな自分勝手。いつも相談なしに決めて、好きなように報告にくる。」
「お母さんと凪さんはよく似てます。この先自分が勝手に何か決めても、凪さんはきっと許してくれる気がします。」
「凪はこう見えて執念深いわよ。ずっと前の事も、忘れずに覚えているから。」
 凪の姉の言葉に渡会は、凪を見た。
「そうですね。昔の俺の事も、よく覚えててくれましたから。」
 
 渡会の父親に会いに行った時。
 渡会の父親は、白井から凪の事を聞いていた様だった。
「直の母親が亡くなったのは直が7歳の時でね。小学3年までは、母方の祖父母のところに預けていたんだよ。祖父母が体調を悪くしたのもあって、直が自分は一緒に暮らし始めたんだけど、2年置きくらいに転勤が続いたから、ずいぶんと苦労させたと思っている。一文字違いの同級生がいるって事は、何かの時に担任から聞いていてね。白井の会社にも似たような子がいるとは聞いていたんだよ。やっぱり、君がそうなのか。」
 渡会の父親はキレイな黒髪をしていた。
「直は一人っ子じゃなかったんだ。本当は双子のもう一人がいてね。その子は母親のお腹の中で死んでしまったんだけど、生きていたら、学校では間違いだらけだっただろうね。」
 渡会の父がそう言うと、
「俺、そんな話し初めて聞いたよ。」
 渡会は驚いていた。
「お前こそ、彼女がいたなら話してくれれば良かったじゃないか。勝手に結婚をするって挨拶されてもさあ、息子に彼女ができたって話しくらい、会社で自慢でもしたかったなぁ。」 

 月曜日の朝。
 渡会は会社の昼休みに婚姻届けを役所に出しに行くと言った。
「本当に結婚していいの?」
 凪が言った。渡会は笑っていた。
「結婚して、何か変わるのか?」
「そうだね、何もかわらない。」
「言っただろう。逃げ道をひとつ作ってやるよ。」
「渡会くん、これから会社に行ってくる。始発に乗れば、ギリギリ間に合うから。それから家を片付けて、こっちに戻ってくる。」

 凪は退職届けを会社に出した。
「ずいぶん急な話しだね。仕事の引き継ぎはどうするの?」
 秘書課の課長が凪に言った。
 北川が凪をずっと見ている。
「渡会さん、荷物整理したら、引き継ぎは私が聞くわ。」
 北川はそう言って、課長を納得させた。
「まったく、突然の退職は今年で何人目だよ。」
 課長がボソッと呟いた。

「誰にも話してないわよね。」
 荷物の整理を終えた凪を、北川は廊下の隅に呼び出した。
「はい。」
「結婚なんて言い訳ね。あんな事をした女をもらってくれる男なんているのかしら。」
 北川が言った。
「あなたさえ、良かったら、いい仕事紹介するわよ。」
 北川が凪と話していると、
「渡会、元課長が探してる。」
 平岡がやってきた。
「北川さん、いい加減にしたらどうですか。」
 平岡はそう言うと、一人で階段を昇っていった。
「平岡さん、あの、」
 凪は平岡の後をついていく。
「恩を仇で返すとはこの事だな。なぁ、本当に結婚するのかよ。」
「うん。」
 凪は立ち止った。
「渡会は逃げてるだけだろう。この先逃げる先がなくなったらどうするんだよ。」
「どうしようかな。」
 凪はまだ考えていた。
「お前を責めたってどうしようもないか。」  
 平岡は一人で階段を昇って行った。

「渡会、急に結婚するなんて聞いてないぞ。」
 課長は前の様に苛ついた顔をしている。
「すみません。たくさんお世話になったのに。」
 凪はそう言って頭を下げた。
「結婚式は挙げるのか?」
「そういうのは、まだ何も。」
「相変わらず、段取りが悪いやつだな。おい、花届いたか?」
 課長は係長に指示をした。
「考え直すなら今だぞ。」
 課長は凪に花束を渡した。
「ありがとうございます。」
 チラホラ集まってきたかつての仲間が控えめな拍手をしてくれた。
  
 凪はアパートに戻り、荷物を整理していると、白井が広川を連れてやってきた。
「渡会さん、おめでとう。」
 広川が言った。
「私は幸せになんてなれませんよ。だって、相手を騙しているんですから。」
 凪は封筒に入っているお金を広川に渡した。
「これ、北川さんに返してください。お金を返したら、少しは罪が軽くなりますかね。」
「ならないわよ。」
 広川は凪に封筒を戻した。
「渡会さんが幸せじゃなくても、相手が幸せって思うならいいじゃない。このお金はね、仕事でもらったのよ。辛い仕事だったのかものしれないけど、渡会さんはよくやった。」
 広川は凪の手を握った。
「直なら大丈夫だ。」  
 白井が言った。
「白井さん、渡会くんは会社であった事を知ってますか?」
「さあね。渡会さんが言いたくない事は、直も聞きたくないんじゃないかな。渡会さんが話したいと思ったら、直も聞きたいって思うんだし。」
 白井は段ボールを積み重ね始めた。
「引っ越しはいつするの?」
 広川が聞いた。
「まだ、業者が見つからなくって。」
「じゃあ、知り合いの運送屋を紹介するよ。引っ越しの専門じゃないけど、うまくやってくれると思うから。」
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