たかが、青

小谷野 天

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11章

ピンク色のカーディガン

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 蓮見が新しい職場に向う日、龍はフェリー乗り場まで見送った。荷物ひとつで船に乗り込もうとすると、龍はひと目も気にせず蓮見を抱きしめてキスをした。
 行かせたくない、離れたくない、自分から蓮見に行ってこいと言ったのに、龍は本当はその手を離したくはなかった。
 蓮見は涙が落ちないように笑って手を振ったが、あっという間に龍の姿は涙で見えなくなった。
 お互いに言えない気持ちが、波の泡になる。
 
 島に着くと、牧田が港に迎えにきていた。
「里田さん。待ってたよ。想像してるよりすっごい田舎だよ。」
 蓮見の荷物を持とうとする牧田に、大丈夫、と蓮見は言った。
「私、支所に寄ってから家に行きます。」
「俺もついていくよ。里田さん、迷うだろうし。」
「大丈夫です。」
 牧田が後をついてくる。
「里田さんは、そんなに頑張らなくてもいいんだって。ベテランのおばちゃん看護師がいるし。」
「部長から、ここでは訪問看護をするように言われました。早く道を覚えないと。」
「それなら、俺から部長に言っておくよ。」
「牧田さん、部長とよく話すの?」
「いや、それは、たまたまだよ。」
 島の人に会うと、皆、若い男女が並んで歩いているのを不思議そうに見ている。
「あの、支所はどこですか?」
 蓮見は一人の老人に声を掛ける。
 耳が遠い老人は、蓮見の声が聞こえない。蓮見が老人の耳もとで大きな声を掛けると、
「あっち。」
 老人は指を指した。
「ありがとうございます。」
 蓮見はまた歩き出す。
「なんか大変な人ばっかりだね。」
 支所で手続きを終え、住宅の鍵をもらった。
「里田さんの部屋は、俺の部屋と隣りなんだ。」
 牧田はそういった。
「そうなんですか。」
 蓮見は家まで急いで歩いた。

 家に着いて、窓を開けると海の匂いがした。
 フェリー乗り場で抱きしめてくれた龍の腕の感触が、蓮見の背中にまだ残っている。
 蓮見は大きなため息をついた。
 牧田の誘いに乗るもんか、看護師長の脅しに引っかかるもんか、蓮見は荷物の中から、青いTシャツを出した。

 次の日、診療所の前の満開に咲く桜を見ていると、
「おはよう。早いわね。」
 中年の女性から声を掛けられた。
「おはようございます。もしかして、新しい看護師さん?」
「そうです。よろしくお願いします。」
「私は矢橋東子《やはしとうこ》、確か里田さんって言ったかしらね、どうぞよろしく。」
 東子は蓮見を診療所の中へ案内する。
「ここは、なにもかも古いでしょう。時が止まっているみたいだって、先生達はいうの。」
 蓮見に渡された白衣は、昔ながらのデザインだった。
「島の人はね、このスタイルじゃないと誰も看護師さんって呼ばないの。はい、寒いからこれ着て。」
 東子はピンク色のカーディガンを蓮見に渡した。
「やっぱり里田さんの方が似合うわね。息子がくれたんだけど、私は派手ではずかしいのよ。」
 東子は紺色のカーディガンを着ていた。
「ありがとうございます。」
「もう少ししたら、先生がくると思うから。今日はお昼からは往診もあるから。」
 東子が穏やかな人で、蓮見はホッとしていた。ここではゆっくり時間が過ぎていく。
 さっき診療所を開けたばかりなのに、数人の患者さんがすでに待合に座っていた。
「おはようございます。」
 受付の男性が診察券を受け取っている。
「あの人が事務長。」
「事務長が受付をしてるんですか?」
「そうよ。もう少ししたら、島のハズレにいる患者さんを迎えに行くから、その間は私達で受付と会計をやるのよ。」
「えっ、そうなんですか?」
「都会からきた里田さんには信じられないでしょうね。大丈夫よ、すぐに覚えるから。あっ、事務長に挨拶しましょう。」
 東子が事務長のもとへ蓮見を連れて行こうとした時、牧田がやってきた。
「あら、技師さん、おはようございます。」
 東子は牧田に声を掛ける。
「おはようございます。」
「里田さん、眠れた?」
「はい。眠れました。」
 東子が隣りにいるのに、牧田は蓮見だけに話し続けた。
「昨日、カレー作り過ぎちゃったから、今日、食べに来ない?」
「せっかくだけど、ごめんなさい。」
 先生が診療所に着くと急に慌ただしくなった。
 蓮見は東子にぴったりついて、メモを取っている。
「新しい人が入ったの?」
 島の人が東子に聞いている。
「里田蓮見ちゃんっていうの、よろしくね。」
 東子が蓮見の事を紹介していた。
「蓮見ちゃん、そんなに熱心にメモしなくても、ここは使う薬もワンパターンよ。」
 お昼になり、お茶を飲んでいた蓮見に、東子が声を掛ける。
「ご飯食べないの?」
「向こうにいた時、お昼は食べない事が多くて。」
「そうだったの。そういえば、さっき、技師さんが探してたよ。」
「そうですか。」
「あの人は蓮見ちゃんの彼氏?」
「違いますよ!」
「そうよね、だと思った。これ、良かったら食べて。」
 東子はいなり寿司を蓮見に出した。
「家に98歳になるジジがいるんだけど、これしか食べないのよ。毎朝作るから、これから蓮見ちゃんにおすそ分けすわね。」
 いなり寿司を頬張った蓮見が、東子にお礼を言う。
「ありがとうございます。すごく美味しいです。」

 家に帰り、窓を開ける。心地よい海の匂いを大きく吸い込む。
 龍から電話がきた。
「元気?」
「元気。」
「そっちはどう?」
「海の匂いがする。龍さんは仕事?」
「今、伊豆にいる。新婚の友達の家の打ち合わせ。こっちの写真送るよ。」
 龍は桜の写真を送ってきた。一緒に見たいな、蓮見は隣りに牧田に聞こえないよう、小さな音で曲を掛けた。龍の声がする。その場に毛布を持ってくると、硬い床の上、曲を聞いたまま眠りについた。
 
 島に来てから初めての週末。東子が作ってくれたお弁当を食べていた蓮見は、東子から携帯を渡された。
「これからは蓮見ちゃんに待機をお願いするように言われたの。ほら、向こうではICUにいたんでしょう? 急変しても経験があるから、事務長が、これからは蓮見ちゃんに持たせるようにって。」
「はい……。」
 携帯を見つめている蓮見を見た東子は
「本当は帰りたいわよね。私、やっぱり事務長に掛け合ってくるわ。」
 蓮見が手にしていた携帯を取った。
「東子さん、いいですよ。私の仕事なんですから。」
 蓮見は携帯をもらうと白衣のポケットに入れた。
「蓮見ちゃん、向こうに彼氏いるんでしょう?」
 蓮見は頷いた。
「見せて。どんな人?」
 蓮見は携帯を東子に見せる。
「まあ。芸能人みたいね。」
 蓮見は笑った。
「会いたいわよね。こんなに素敵なら、他の子に取られたりしないか心配でしょう。」
「ええ。」
「私、やっぱり事務長に掛け合ってくるわ。」

 土曜日。買い物に行こうと玄関を出ると、牧田も玄関から出てきた。
「出掛けるの? 俺、車持ってきてるから、乗せてくよ。」
「雨降りそうだから、やっぱり家にいます。」
 蓮見はそう言って、家に戻った。
 なんで、いつも同じタイミングで牧田に会うのか、蓮見は不思議だった。

 青いパーカーの写真が送られてきた。龍だ。
「これ、蓮見にあげる。」
「本当!」
 空になったウイスキーの瓶の写真が送られてきた。
「なくなったよ。」
「会いたいな。」
「こっちにはこれないの?」
「週末は待機なの。携帯持つ事になった。」
「じゃあ、俺がそっちに行こうか?」
「忙しいでしょう?」
「そうだけど。なんとかする。」
 蓮見は新月の写真を送った。 
「こんなに、月って痩せるんだね。」
「蓮見はあんまり食い過ぎるなよ。」
 玄関に出ると、牧田か出てくる。
「出掛けるの?」
「ううん。出掛けない。」
 蓮見はそのまま部屋に戻った。
 その後、牧田から携帯に何度か着信があったが、蓮見は出なかった。
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