秋の風 冬の色

小谷野 天

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6章

冬が連れてきたもの

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 久しぶりに帰ってきた実家には、大きなサボテンがあった。
 人を寄せ付けない鋭く白いトゲは、緑の幹を守っている様だ。

「まだ、あったの、これ。」 
 早和は柊子に言った。
「そう。早和が1年生になった時に、買ってくれたんだよね。サボテンは話し掛けると、言葉がわかるようになるって、花屋の奥さんの言葉を信じて。母の日にカーネーションじゃなくて、サボテンを買ってくるなんて、早和らしい。」
 柊子はそう言った。
「早和、私にもくれたよね、サボテン。」
 咲子が言った。
「3人の中で一番お喋りだったのに、いつの間にかあんまり話さなくなって。」
 柊子は早和の髪の毛を触った。
「ずいぶん短くしたのね。」
「咲子さんが、寝癖がつかないようにしてくれた。」
「相変わらず、厚い髪よ。たくさん梳いたから、軽くなったでしょう。」  
 咲子はそう言った。

 兄夫婦も来たので、久しぶりの実家の夜は賑やかだった。

 夕食を終えて自分の部屋だったドアを開けると、時が止まったまま、何もかもが残されていた。
 電気をつけず、窓を眺めていても、涼子はなかなか現れなかった。
 
 本当に、行ってしまったんだ。

「早和、澤口さんがきたよ。」
 柊子が奏を連れてきた。
「電気つけなさい。」
 部屋の電気をつけると、早和は眩しくて目を細めた。
「先生、仕事は?」
「終わったよ。最近、忙しくて、全然会いに行けなくてごめんね。」
「ううん。」
「体調は大丈夫?」
「うん、大丈夫。」
「早和、来週からNICUに戻ってくるって聞いたけど。」
「人がいないみたいだね。境さん、産休に入るみたいだし。」
「そっか、来年、新人が入るまで、異動は無理か。」
「先生、私、病院辞めようかな。」
「どうして?」
「病気と関係のない場所で働きたい。」
「それは、早和の自由だけど、どういう所で働くの?」
「養護学校。」
「早和、教職持ってたの?」
「うん。病院から少し離れた所にある養護学校が、看護師経験のある養教を、募集してるって聞いたから。」
「そっか。」
「先生は、4月から小児科へ行くんでしょう?」
「そうだね。」
「先生が背中を触ってくれると、赤ちゃんはみんな安心したのに。」 
「赤ちゃんの背中はおしゃべりだからね。」
 奏は早和に顔を近づけた。  
「先生、ご飯食べたの?」
 早和は奏から顔を反らした。
「食べたよ。早和のお母さんが、たくさん用意してたから。」
「そっか。」
「今度は家においでよ。」
「ううん。行かない。」
「どうして、行きたくない理由でもあるの?」 
「別に、何も。」
「じゃあ、行こう。それから2人で、暮らそうよ。」 
「私はずっと1人でいる。」
「早和が1人でいるって言うなら、俺も1人でいるよ。」
「ダメ、先生はしっかりした女の人と、幸せな結婚をして。」
「相手が早和では、ダメなのかい?」 
「私は片方しかない人間だし。」
「完璧な人間なんて、どこにもいないよ。みんなどこかしら、欠けているんだよ。」
「そんなの、キレイごと。私は本当の欠陥品。」
「どうしたの?急にそんな事、言うなんて。」
 早和は窓に目をやった。

 涼子、早く迎えにきて。

「早和?」
「先生、少しだけ、寄りかかってもいい?もう、全部忘れるから。」
「ほら。忘れるなんて、淋しい事いうなよ。」
 奏は早和の肩を抱いて、自分に寄せた。
「みんな嘘でしょう。好きって言葉も、何かを隠すためについてるひどい嘘。」
「嘘なんかついてないよ。」
「ずっと一緒にいようなんて、時間が経てば、その言葉に後悔する。」
「早和?」
 奏は早和の顔を見つめた。
「私、涼子を待ってるの。涼子が死んでから、時々、私の前にきてね、子宮をちょうだいって言うの。私なんか何もない人間だし、涼子に全部あげるから、そう言ったの。だけど涼子は、私が約束を守らないから、一番大事なものをもらうから、先生を連れて行くって、言ってる。」
「俺はずっと早和のそばにいるよ。」
「涼子の旦那さん、ずっと涼子を裏切ってたみたい。さっきもね、」
 早和は、何かを言い掛けてやめた。
「一生幸せにするなんて、そんな言葉、信じられない。」
 早和は奏から離れた。
「早和。なんて言ったらわかってもらえる?俺は早和が好きなんだ。」
「わからないよ。こんなに嫌な思いをするなら、1人で生きてるほうがずっといい。」
 奏は早和の腕にある青痣を見つけた。
「どうしたの、これ。」
「ぶつけた。」
「こんなに所、どうやってぶつけるの?」
 早和の首に付いていた赤い痣を奏は触った。
「今日は誰かと会ったの?」
「咲子さんに、髪を切ってもらった。」
 早和は奏から目を逸らした。
「それだけ?さっき、どうしたの?」
「それだけだよ。」
「早和。嘘は嫌いだって言ってるくせに、自分は嘘を平気でつくの?」
 早和は首を振った。
「言いたくない事なら、無理に言わなくてもいいけど。」
 奏は早和の髪を撫でた。
 早和は奏の手を振り払うと、
「先生、全部忘れてよ。」
 そう言った。

 柊子が奏にお風呂に入るように呼んでいる。
「今日は泊まっていくからね。」 
 
 奏がお風呂へ行っている間、早和は涼子を待っていた。

「涼子、早く来て。」
 早和は涼子を呼んだ。
「私はもう来ないって言ったでしょう。」
 涼子が赤ちゃんを抱いて早和の隣りに座る。
「涼子、約束したよね。」
「私ね、赤ちゃんのお世話、忙しいの。早和と話してる暇なんかないの。」
「先生を連れて行かないで。」
「早和の彼氏なんか、連れて行かないよ。」
「じゃあ、私を連れて行って。」
「ダメ。先生を1人にするつもり?」
「先生は、きっとすぐにいい人ができるよ。私が隣りにいると、邪魔になる。」
「バカだね、早和。」
「バカだよ。」
「航矢の事はごめんね。早和にあんな事するなんて、思わなかった。」
「涼子がいなくなって、きっと辛いんだよ。」
「だったら、浮気なんてしなきゃいいのに。」
「本当だね。」
「早和、あの先生がたくさん背中を触ったせいで、背中を撫でてないと眠らない子になっちゃった。」
「涼子、赤ちゃんと会えたの?」
「私も夫よりも先に死んだから、地獄に落ちたの。だから、赤ちゃんとやっと会えた。」
「そんな。おかしな話しだよ、それ。」
「愛するものより先にいなくなるって、それだけ悲しいって罪なのよ。」
「地獄に落ちるのは、涼子の旦那さんの方じゃない?」
「そうね。」
 涼子は早和の手についている青痣を触った。
「地獄なんて本当はないのよ。死んだらみんな一緒。残した気持ちを拾った人が、地獄に行くとか、天国に行くとか人生を振り分ける。航矢は私の事をどっちにいれるんだろうね。許して、早和。私はそれでも航矢が好きなの。」
「涼子。」
「早和も先生に撫でてもらうといいよ。これからは、私を呼んじゃダメだよ。みんなのおかげでこの子に会えて、この子を大切にしてくれて、すごく感謝してる。」
「涼子、もう会えないの。」
「この世の中には、もう未練なんてない。早和、体大切にしなきゃダメだよ。」

「早和。」
 奏が早和の背中に手を置いた。
「先生、聞いてたの?」
「何が?」
「なんでもない。」
「早和も、早くお風呂入ってしまってだって。」
「わかった。」

 お風呂から上がると、
「お姉ちゃん、どこでそんなに青痣作ってきたの?」
 早紀が言った。
「本当だ。」
 短パンとノースリーブのシャツになった早和の腕や足には、航矢が掴んだ痕が青くなって残っていた。
「ちょっと、そんな格好で、2階に行くの?」
 柊子が言った。
「いつもだよ。」
「ちゃんとパジャマきたら?」
「これが1番楽なの。」
「彼氏も、それじゃあ、目のやり場に困るよ。」
 早紀がそう言った。
「いつも裸の赤ちゃんを見てるから、きっと何とも思わないよ。」
「まさか。早和は神経質そうでズボラね。」
「そうかな。」
「お姉ちゃんはどうでもいい事は、とことん手を抜くし。」
 柊子と早紀はそう言って笑った。
「そんなじゃないと、看護師なんて務まらんだろう。家に帰ったら、だらしなくなるのは、お母さんも同じだろう。」
 父はそう言った。
「寒いから、風邪引かないでよ。」
 柊子が言った。

 早和は2階へ上がると、奏が電話をしていた。
「病院から?」
 早和は聞いた。
「梶原先生から。」
「薬はちゃんと飲むようにって。」
「先生、私、本当は助からない病気なの?みんなでそれを、隠してるとか。」
 奏は笑った。
「自分の血液検査見ただろう。どこが悪いかなんて、自分が1番わかってるはず。梶原先生は、早和が時々、薬を捨てていた事を、知っていたよ。」
「バレてたか。」
「ちょっと呆れてた。」
「ほら、またそんな寒い格好して、それに目のやり場に困るよ。」
「先生、そうやって言うけど、どこが困るの?いつも裸の赤ちゃんを見てるじゃない。」
「早和、ちょっとこっちにきて。」
 早和は少し考えて、奏の隣りに座った。
 奏は早和の足にある青痣を触って、
「古林さんの家に行ってきたんだってね。」
 そう言った。
「奥さんと子供を亡くしてすぐだからね、だいたい想像がつく。」
「先生。涼子がいなくなってから、大切だった事に気がつくなんて、旦那さんは、どうかしてるね。」
「男なんて、そんなもんだよ。」
「先生だって同じでしょう?」
「俺は後から気付くなんてことはしない。」
「嘘ばっかり。」
 早和はうつむいた。
「早和、さっきから俺を誘ってなんだよ。」
 奏は早和の腕を触った。
「誘ってないよ。先生が勘違いしてるんでしょう?」
 奏は早和を抱きしめた。
「私の背中、そんなに触りたかった?」
「そうだよ。」
 奏は、早和の赤い痣に軽く口をつけた。
「1人になりたいなんて、嘘つくなよ。」
「嘘じゃないよ。先生の背中じゃ、私の事は守れない。」
「ちゃんと守るよ。もうずっと離さない。」
 奏は早和の唇を指で触ると、目を閉じた早和に唇を重ねた。
 少し冷たくなった早和の体は、温かい奏の体に、静かに包まれた。
  
「先生。」
 腕の中で眠っていたと思った早和が、奏を見上げた。
「どうした?」
「涼子の赤ちゃん、先生がたくさん背中を触ったせいで、撫でないと眠らなくなったって。」
「そうなんだ。」
 奏は早和の頬を撫でた。
「どうして、小児科の先生になろうと思ったの?」
「それはね、俺が小2の時、弟が死んでね。元々心臓が悪かったけど、普通の生活もできるようなっていたのに、定期検査の最中に突然亡くなってしまったんだ。」
 奏は早和を見つめた。
「先生は、何も失った事のない人だと思ってた。」
「俺も早和と同じだよ。それ以来、弟の思い出が縛り付けてる両親に対して、どう接していいか、わからなくなってね。」
「困ったねぇ。私達。」 
「早和。今、NICUはわりと落ち着いているんだ。来週の週末、家の両親に会ってくれるかい?」
 早和はすぐに返事をしなかった。
「結婚なんかしなくても、こんなふうに一緒にいられたら、私はそれでいい。」 
「それは、世間的にはいけないことだろう。」
「だったら先生は、先生の両親が望む人と一緒になって。」
「早和。」
「先生。私はもう、充分だから。」
 早和は奏に背中を向けて眠った。

 カーテンの隙間から、少し入ってくる明るい光りは、反対側の壁まで、細く長く照らしている。

 先生。
 好きだって言ったら、それ以上の気持ちがなくなる気がして、少し悲しいよ。
 大切な思いは、ずっと胸にしまっておきたいの。
 先生が言ってる好きだって気持ちは、あと少ししたら、色褪せてしまうかもよ。そんなに簡単に言ったらダメだよ。

 
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