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10章
夏が覗いたもの
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夕方なのに、太陽が高くにある。本当に、夜になるのかとさえ、疑ってしまう。
「秋元先生、もう帰れる?」
「はい。」
「晩ごはんの材料買いに行こう。秋元先生の家に寄って、着替えをとって家に行こう。」
「そうですね。」
早和は校門を方を見た。
きっと奏は、もうすぐやってくる。そして、いつまでも自分を待っているだろう。
学校の電気が全部消えたら、諦めて帰ってほしい。
「原田先生、早く行きましょう。」
早和は時計を見た。
18時。
急いで学校を出ないと、奏と会ってしまう。
職員玄関を出ると、凌は携帯を忘れたと学校へ戻った。なかなか戻ってこない凌を待っていると、奏がやってきた。
「早和。」
「先生。」
「大丈夫かい?なんか、調子悪そうだけど。」
「大丈夫。」
「梶原先生、心配してたよ。全然病院に来ないから。」
「この近くの病院に変えたの。大学病院には遠くて通えないから。」
「それならちゃんと紹介状書いてもらわないと。同じ薬ならいいってわけじゃないんだよ。」
「先生。私、もう先生と一緒に働いてないんだし、あの病院の看護師でもない。だから、どこの病院にかかるかなんて、自由でしょう。」
「それは、そうだけど。」
「これからね、なんでも教えてくれる先生の家に行くの。」
「早和。」
奏は早和の腕を掴んだ。
「熱、あるだろう。いつから風邪を引いた?」
早和は奏の手を振りほどいた。
「もう、関係ないでしょう。」
凌が玄関から出てきた。
「ごめん、木田先生に捕まっちゃって。行こう。」
「早和、病院へ行こう。」
奏は早和の腕を掴んだ。
「なんですか、あなた。」
凌が奏に言った。
「病院へ行かないと、取り返しのつかない事になるよ。」
凌は奏の手を早和から離そうとした。
「先生、」
早和は奏の体に寄り掛かろうとして、地面にしゃがみ込んだ。
「救急車、呼ぶからね。」
「俺、車取ってきます。その方が早い。」
「ありがとう、そうしてくれるかい。」
病院のベッドで、点滴を受けていると、梶原が早和に強い口調で、早和を怒った。
「勝手に病院を変えた患者なんか、本当は診ないんだからね。澤口先生がどうしてもって言うから、仕方なく診察したんだ。」
「梶原先生、後でちゃんと言っておきますから。」
「澤口先生が甘いから、こうなるんだよ。本気で病気を治す気のない患者を、治療するつもりはないからね。」
「すみません、先生。」
「さっきから、澤口先生が謝ってるけど、秋元さんは、何も言わないのかい?」
梶原の言っている事が、聞こえないはずの左耳にまで刺さってきた。
せっかく遠ざけたものが、また近くに塊となってぶつかってきた。
飲み込んでいたら言葉をどうやって伝えたらいいか、自分でもよくわからなくなってきた。小さい頃の思い出が、点滅する青信号のように早和を急かした。
「梶原先生、ご迷惑掛けてすみません。いろいろありがとうございました。」
「次にこんな事をしたら、もう診ないからね。」
早和は起き上がると、点滴を抜いた。
針の痕から出ている血が、早和の腕から指に伝っていく。
「家に帰ります。もう、大丈夫ですから。」
「秋元さん、バカな事するんじゃない。ちょっと、誰か来てくれ、この人、そのまま入院になるから。」
何人かの看護師が、早和を押さえつけて病棟へ運んだ。
病室のベッドに拘束される時、男性看護師が早和の腕を強く掴んだ。
涼子の家に行った時に、航矢との間にあった事を思い出した。
涼子はもう助けてくれない。
精一杯の力を込めていろんな手を振り払うと、体が軽くなった。
「原田先生、あのヘビ、お腹すいてたみたいですね。」
早和はそう言うと、意識を失った。
「大丈夫ですか?」
凌は梶原に聞いた。
「少し、眠らせましたから。本当はあまり使いたくないんだけど。」
「そうですか。」
「君は同じ職場の人?先生って言われてるって事は、医者なのかい?」
「自分は教師です。」
「そうか、秋元さんは、養護教諭になったんだったね。あんなに感情を出す子だとは思わなかったよ。」
「梶原先生が、患者を怒るなんて久しぶりに見ました。」
奏が言った。
「病院は、病気を治したい人が来る場所なのに、自分の体を大切にしない患者には、少し腹が立ってね。秋元さんに、改心するように、2人からちゃんと言ってくれよ。」
「秋元さん!」
NICUの師長がやってきた。
「長岡先生から聞いて、びっくりした。やっぱり、引き止めておけば良かったわね。」
師長がそう言うと、
「秋元先生がうちに来てくれて、みんな喜んでるんです。看護師をしてた頃はどうか知りませんが、学校では、子供達といろんな話しをしてますよ。」
凌が言った。
「じゃあ、俺は行くから。面会時間はとっくに過ぎてるから、早く患者を休ませてくれよ。」
梶原は病室を出ていった。
「私も行くから。明日、河口さんと一緒にまたここへくるから。」
奏は凌に
「座らないか。」
そう言って、椅子を勧めた。
「いいんですか、帰らなくても。」
「もう少し、いいだろう。」
「新しい、小児科の先生って、あなたでしたか?」
「そうだよ。月に2回、あの病院へは診療に行ってる。」
「なかなか、予約が取れないって聞きました。」
「小児精神はどこもそうだろう。一人ひとりの診察時間も長いし。心理士も少ないからね。」
「秋元先生とは、同じ病院だったんですか?」
「そう。NICUでね。」
「看護師さんが来るって期待したら、インスリンも、胃ろうも知らなくて、びっくりしましたよ。」
「アハハ、NICUは特殊だからね。」
「それでも、秋元先生はよくやってます。」
「早和は看護師じゃなくて、教師で入ったんだから、昔の事なんて、思い出す事もないだろうね。」
「先生と秋元先生は、どういう関係だったんですか?」
「結婚しようって言ったら、逃げられたんだよ。」
「俺も好きだって言ったら、逃げられました。今日は、先生が来るのを知ってて、俺の家に来ようとしてたんですね。いつも、誘っても断るのに、おかしいと思いました。」
「どうしてこうも人を遠ざけるのか、わからないよ。」
「耳の事と、腎臓の事は、何か関係がありますか?」
「あるのかも知れないけど、その事は、あまり話さないから。去年、早和の同級生の赤ちゃんがNICUに入院して来てね。赤ちゃんもお母さんも、助からなかったんだけど、その時にいろいろあったみたいなんだ。みんなどうせ嘘だからって、よく言うよ。」
「ヘビの話し、」
「さっきの?」
「ヘビがお腹すかせてるんじゃなくて、ヘビを捕まえた女の子がお腹をすかせてるんですよ。秋元先生には、それがわかる。それなのにどうして、自分の気持ちには、気が付かないんですかね。」
「大人になると、見えないフリをするからね。それができない子供は、いつも真正面からぶつかってしまう。教師は難しいだろう。」
「そうですね。医者だって、そうでしょう。」
「そろそろ、看護師が見回りに来るよ。帰ろうか。」
「秋元先生、大丈夫ですか?」
「大丈夫。さっきデータを見たけど、2、3日で良くなると思うよ。」
「先生、送って行きますよ。」
「じゃあ、甘えるよ。」
次の朝早く。
「梶原先生、昨日はすみませんでした。」
早和は梶原に謝った。
「薬飲むまで、見てるから。」
「ちゃんと飲みますから。」
「秋元さんには、何回も嘘をつかれてるからね。」
早和は薬を飲んだ。
「少し前から、何を食べても味がしないんです。だけど、この薬はすごく苦く感じました。」
「それなら甘いシロップにするかい?」
「もっと飲めません。シロップだと飲み込む事が出来ないんです。」
「じゃあ、鼻から入れるかい?」
「どうしても、飲まないとダメですか?」
「薬を飲まないなら、もう診ないよ。」
「先生、意地悪ですね。」
優芽と師長がきた。
「秋元さん、あんまりわがまま言わないで。知識と行動が合ってないわよ。」
「秋元さん、大丈夫かい?」
長岡がきた。
「先生、早和ね、また薬の事で、梶原先生に怒られてる。」
「苦いなら、オブラートに包めばいいだろう。梶原先生、粉にしてあげたら?」
長岡は言った。
「秋元さんの薬は粉に出来ないよ。」
「錠剤なら、苦くないだろう。きっと苦いって意識が働くんだよ。」
長岡は言った。
「澤口先生は?」
優芽が言った。
「また、寝坊か。」
長岡が言った。
「NICUにいた時は、早く来てたのに、小児科へ行ってから、診察時間の直前にくるみたいだよ。看護師達が寝癖って呼んでるよ。」
「早和のせいだよ。」
優芽が言った。
「退院したら、ゆっくり話そう。今度は長岡先生の奢りで。」
梶原はそう言った。
夕方。
校長と玲が光を連れてやってきた。
「秋元先生、あげる。」
光はちくわを早和に渡した。
「貴重なのよ、光がちくわを誰かにあげるなんて、めったにないから。」
早和は笑った。
「原田先生から、聞きました。ちゃんと病院に通ってくださいね。自分の体が壊れると、何もできませんよ。」
「すみません。原田先生、何か言ってましたか?」
「何も言ってませんよ。あっ、今日から、まーちゃんのお菓子係になりました。なかなかお菓子を食べてくれなくて、困ってました。」
校長が言った。
「まーちゃん、保健室じゃないと、お菓子は食べませんよ。」
「そっか。保健室はお菓子、給食は教室って思ってるんだ。お腹すいてても、絶対食べない時って、そういう事だったんだね。」
玲がそう言った。
「秋元先生、ゆっくり治して、帰ってきてね。病院に戻りたいって思うのは無しだよ。」
「早和。」
「お姉ちゃん。」
母と妹との早紀が来た。
「秋元先生のお母さんですか。校長の宮本です。こちらは、教員の澤山です。」
柊子が頭を下げると、光も深く頭を下げた。
「うちの息子の光です。」
「まあ。かわいい。」
柊子は光の頭を撫でた。
「私達はこれで。」
「バイバイ。」
「早和。お母さん、初めて見た。天使だって聞いた事あるけど、本当に天使みたいだね。」
「そうでしょう。」
「お姉ちゃん、これは?」
「光くんにもらった。」
「ちくわだよ、これ。」
「ちくわが好きなんだって。大切なものなのに、私にもくれたの。」
「ちくわは向こうが見えるから、安心なんだね。れんこんは、たくさん穴があるから、どれを覗けばいいか選べない。」
「早紀、よく知ってるね。」
「早和。もっと自分を大切にしないと。」
「お母さん、ずっとそうやって生きてきたから、どうしていいかわからないよ。病院でも、暴れちゃったし。」
「早和はお母さんが、お医者さんに怒られてるのが忘れらないんでしょう。あの時、すごい暴れたんだから。初めは黙って聞いていても、だんだん我慢できなくなって、点滴を抜いて先生に向かって行った。」
「そんな事、あったかな。」
「熱があったから、朦朧として覚えてないだけよ。それから、あのお医者さんは早和にもお母さんにも優しくなったし。」
「お姉ちゃん、いつも寒い格好してるから、風邪引くんだよ。ほら、かわいい部屋着買ってきたから、これ着てよ。」
「早紀は就職したんだっけ。」
「そうだよ。もう10人くらいに結婚申し込まれて、全部断ったの。」
「すごいね、相変わらずモテモテ。」
「早和、早紀が就職したのは、幼稚園だよ。」
3人は笑った。
「ご飯下げてくるね。」
早紀がお膳を持って出ていった。
「先月、奏さんが家にきたよ。早和、何にも話さないで、いなくなったんだってね。」
「……。」
「結婚の返事をしないのは、お母さんのせい?」
「どうして?」
「早和、耳の事と腎臓の事を気にして、結婚しないんじゃないかって思って。」
「お母さん、それは違うよ。」
「だったら、幸せになってよ。いつまでも悲しい顔してると、お母さん、ずっと辛くて。」
「ごめんね、お母さん。」
「澤口さんが、来たよ。」
早紀が奏とやってきた。
「こんばんは。」
奏が早和に言った。
「こんばんは。」
「澤口さん、またお世話になりましたね。迷惑ばっかり掛けてすみません。」
柊子が頭を下げた。
「澤口さん、お姉ちゃんってどうしてこんなに風邪を引くんだろうね。だらしないからでしょう。時々、いつご飯食べたかも忘れてるし。」
「そうだね、あんまりちゃんと食べないよね。」
奏は早和を見た。
「澤口さんがちゃんと見張っててよ。」
「そうする。」
「そうだ、ケーキ買ってきたんだ。一緒に食べて。早紀、帰ろう。」
「じゃあ、お姉ちゃん。またね。」
「早和。」
「先生、後で食べて。」
早和はケーキを、奏に渡した。
「一緒に食べようよ。」
「あんまり、食べたくない。」
「せっかく、買ってきてくれたのに。」
「なんだろう、ずっと気持ち悪いの。」
「もしかしたら、点滴のせいかな。梶原先生に話しておくよ。」
「大丈夫、自分で言うから。」
早和はベッドに横になった。
「早和。」
「何?」
「みんなここへ来たんだろう。師長も長岡先生も、優芽さんも。みんな早和の事、話してた。」
「さっき、校長先生もきた。」
「このちくわは?」
「一緒にきた先生の息子さんが、くれたの。」
「光くんかい?」
「知ってるの?」
「ちくわしか食べないって、お母さんが言ってたから。」
「そう。家にお邪魔した時に、鍋の中からちくわばっかり取って食べてた。」
「ちくわが食べられたら、それでいいんだよ。」
「原田先生もそう言ってた。自分の常識を押し付けたらダメだね。」
早和は胸をさすっていた。
「気持ち悪いの?」
奏は早和の背中を擦った。
「大丈夫。」
早和は目を閉じた。
「先生が触ると、なんだろう、すごく眠くなった。」
「早和。」
眠ってしまったのか。
23時。
「面会時間はとっくに終わってますよ。」
見回りにきた看護師が、奏に言った。
「ごめん。もう帰るから。」
奏が答えると、看護師は名札を見て、
「先生だったたんですか、すみません。」
奏に謝った。
「規則だもんね。もう帰るから。」
「先生は、この患者さんの身内ですか?」
「違うよ。」
「この患者さんは、梶原先生の親戚?」
「違うよ。」
「じゃあ、なんでみんなこの患者さんを特別にするんですか?」
「どうしてだろうね。君は新人さん?」
「そうです。」
「こんなに早く、1人で夜勤ができるんだ。」
「普通でしょう?そういうキャリアラダーがあるんだから。」
「そっか。これ、食べるといいよ。」
奏はケーキを看護師に渡した。
「点滴のせいかな、この人は気持ちが悪いみたいでね。」
「じゃあ、先生が食べたら?」
「俺はケーキは食べれないんだ。」
エアコンが効いている病室は、少し肌寒い。熱がある早和には、ちょうどいいのか。
早和。
結婚なんて、早和を縛り付けて置くための理由のひとつだったのかもしれない。
俺は早和が寄り掛かりたい時に、寄り掛かってくれれば、それで良かったんだ。
初めて早和を見た時から、その背中を触りたくて、仕方なかった。どうして、そんなにいろんな感情を背負い込むんだろう。誰かの痛みも、誰かの悲しみも、全部自分が背負って、いつの間にか、いなくなろうとする。
ここに置いていきなよ。
明日にはなれば、みんな笑い話しにしてくれるから。
「秋元先生、もう帰れる?」
「はい。」
「晩ごはんの材料買いに行こう。秋元先生の家に寄って、着替えをとって家に行こう。」
「そうですね。」
早和は校門を方を見た。
きっと奏は、もうすぐやってくる。そして、いつまでも自分を待っているだろう。
学校の電気が全部消えたら、諦めて帰ってほしい。
「原田先生、早く行きましょう。」
早和は時計を見た。
18時。
急いで学校を出ないと、奏と会ってしまう。
職員玄関を出ると、凌は携帯を忘れたと学校へ戻った。なかなか戻ってこない凌を待っていると、奏がやってきた。
「早和。」
「先生。」
「大丈夫かい?なんか、調子悪そうだけど。」
「大丈夫。」
「梶原先生、心配してたよ。全然病院に来ないから。」
「この近くの病院に変えたの。大学病院には遠くて通えないから。」
「それならちゃんと紹介状書いてもらわないと。同じ薬ならいいってわけじゃないんだよ。」
「先生。私、もう先生と一緒に働いてないんだし、あの病院の看護師でもない。だから、どこの病院にかかるかなんて、自由でしょう。」
「それは、そうだけど。」
「これからね、なんでも教えてくれる先生の家に行くの。」
「早和。」
奏は早和の腕を掴んだ。
「熱、あるだろう。いつから風邪を引いた?」
早和は奏の手を振りほどいた。
「もう、関係ないでしょう。」
凌が玄関から出てきた。
「ごめん、木田先生に捕まっちゃって。行こう。」
「早和、病院へ行こう。」
奏は早和の腕を掴んだ。
「なんですか、あなた。」
凌が奏に言った。
「病院へ行かないと、取り返しのつかない事になるよ。」
凌は奏の手を早和から離そうとした。
「先生、」
早和は奏の体に寄り掛かろうとして、地面にしゃがみ込んだ。
「救急車、呼ぶからね。」
「俺、車取ってきます。その方が早い。」
「ありがとう、そうしてくれるかい。」
病院のベッドで、点滴を受けていると、梶原が早和に強い口調で、早和を怒った。
「勝手に病院を変えた患者なんか、本当は診ないんだからね。澤口先生がどうしてもって言うから、仕方なく診察したんだ。」
「梶原先生、後でちゃんと言っておきますから。」
「澤口先生が甘いから、こうなるんだよ。本気で病気を治す気のない患者を、治療するつもりはないからね。」
「すみません、先生。」
「さっきから、澤口先生が謝ってるけど、秋元さんは、何も言わないのかい?」
梶原の言っている事が、聞こえないはずの左耳にまで刺さってきた。
せっかく遠ざけたものが、また近くに塊となってぶつかってきた。
飲み込んでいたら言葉をどうやって伝えたらいいか、自分でもよくわからなくなってきた。小さい頃の思い出が、点滅する青信号のように早和を急かした。
「梶原先生、ご迷惑掛けてすみません。いろいろありがとうございました。」
「次にこんな事をしたら、もう診ないからね。」
早和は起き上がると、点滴を抜いた。
針の痕から出ている血が、早和の腕から指に伝っていく。
「家に帰ります。もう、大丈夫ですから。」
「秋元さん、バカな事するんじゃない。ちょっと、誰か来てくれ、この人、そのまま入院になるから。」
何人かの看護師が、早和を押さえつけて病棟へ運んだ。
病室のベッドに拘束される時、男性看護師が早和の腕を強く掴んだ。
涼子の家に行った時に、航矢との間にあった事を思い出した。
涼子はもう助けてくれない。
精一杯の力を込めていろんな手を振り払うと、体が軽くなった。
「原田先生、あのヘビ、お腹すいてたみたいですね。」
早和はそう言うと、意識を失った。
「大丈夫ですか?」
凌は梶原に聞いた。
「少し、眠らせましたから。本当はあまり使いたくないんだけど。」
「そうですか。」
「君は同じ職場の人?先生って言われてるって事は、医者なのかい?」
「自分は教師です。」
「そうか、秋元さんは、養護教諭になったんだったね。あんなに感情を出す子だとは思わなかったよ。」
「梶原先生が、患者を怒るなんて久しぶりに見ました。」
奏が言った。
「病院は、病気を治したい人が来る場所なのに、自分の体を大切にしない患者には、少し腹が立ってね。秋元さんに、改心するように、2人からちゃんと言ってくれよ。」
「秋元さん!」
NICUの師長がやってきた。
「長岡先生から聞いて、びっくりした。やっぱり、引き止めておけば良かったわね。」
師長がそう言うと、
「秋元先生がうちに来てくれて、みんな喜んでるんです。看護師をしてた頃はどうか知りませんが、学校では、子供達といろんな話しをしてますよ。」
凌が言った。
「じゃあ、俺は行くから。面会時間はとっくに過ぎてるから、早く患者を休ませてくれよ。」
梶原は病室を出ていった。
「私も行くから。明日、河口さんと一緒にまたここへくるから。」
奏は凌に
「座らないか。」
そう言って、椅子を勧めた。
「いいんですか、帰らなくても。」
「もう少し、いいだろう。」
「新しい、小児科の先生って、あなたでしたか?」
「そうだよ。月に2回、あの病院へは診療に行ってる。」
「なかなか、予約が取れないって聞きました。」
「小児精神はどこもそうだろう。一人ひとりの診察時間も長いし。心理士も少ないからね。」
「秋元先生とは、同じ病院だったんですか?」
「そう。NICUでね。」
「看護師さんが来るって期待したら、インスリンも、胃ろうも知らなくて、びっくりしましたよ。」
「アハハ、NICUは特殊だからね。」
「それでも、秋元先生はよくやってます。」
「早和は看護師じゃなくて、教師で入ったんだから、昔の事なんて、思い出す事もないだろうね。」
「先生と秋元先生は、どういう関係だったんですか?」
「結婚しようって言ったら、逃げられたんだよ。」
「俺も好きだって言ったら、逃げられました。今日は、先生が来るのを知ってて、俺の家に来ようとしてたんですね。いつも、誘っても断るのに、おかしいと思いました。」
「どうしてこうも人を遠ざけるのか、わからないよ。」
「耳の事と、腎臓の事は、何か関係がありますか?」
「あるのかも知れないけど、その事は、あまり話さないから。去年、早和の同級生の赤ちゃんがNICUに入院して来てね。赤ちゃんもお母さんも、助からなかったんだけど、その時にいろいろあったみたいなんだ。みんなどうせ嘘だからって、よく言うよ。」
「ヘビの話し、」
「さっきの?」
「ヘビがお腹すかせてるんじゃなくて、ヘビを捕まえた女の子がお腹をすかせてるんですよ。秋元先生には、それがわかる。それなのにどうして、自分の気持ちには、気が付かないんですかね。」
「大人になると、見えないフリをするからね。それができない子供は、いつも真正面からぶつかってしまう。教師は難しいだろう。」
「そうですね。医者だって、そうでしょう。」
「そろそろ、看護師が見回りに来るよ。帰ろうか。」
「秋元先生、大丈夫ですか?」
「大丈夫。さっきデータを見たけど、2、3日で良くなると思うよ。」
「先生、送って行きますよ。」
「じゃあ、甘えるよ。」
次の朝早く。
「梶原先生、昨日はすみませんでした。」
早和は梶原に謝った。
「薬飲むまで、見てるから。」
「ちゃんと飲みますから。」
「秋元さんには、何回も嘘をつかれてるからね。」
早和は薬を飲んだ。
「少し前から、何を食べても味がしないんです。だけど、この薬はすごく苦く感じました。」
「それなら甘いシロップにするかい?」
「もっと飲めません。シロップだと飲み込む事が出来ないんです。」
「じゃあ、鼻から入れるかい?」
「どうしても、飲まないとダメですか?」
「薬を飲まないなら、もう診ないよ。」
「先生、意地悪ですね。」
優芽と師長がきた。
「秋元さん、あんまりわがまま言わないで。知識と行動が合ってないわよ。」
「秋元さん、大丈夫かい?」
長岡がきた。
「先生、早和ね、また薬の事で、梶原先生に怒られてる。」
「苦いなら、オブラートに包めばいいだろう。梶原先生、粉にしてあげたら?」
長岡は言った。
「秋元さんの薬は粉に出来ないよ。」
「錠剤なら、苦くないだろう。きっと苦いって意識が働くんだよ。」
長岡は言った。
「澤口先生は?」
優芽が言った。
「また、寝坊か。」
長岡が言った。
「NICUにいた時は、早く来てたのに、小児科へ行ってから、診察時間の直前にくるみたいだよ。看護師達が寝癖って呼んでるよ。」
「早和のせいだよ。」
優芽が言った。
「退院したら、ゆっくり話そう。今度は長岡先生の奢りで。」
梶原はそう言った。
夕方。
校長と玲が光を連れてやってきた。
「秋元先生、あげる。」
光はちくわを早和に渡した。
「貴重なのよ、光がちくわを誰かにあげるなんて、めったにないから。」
早和は笑った。
「原田先生から、聞きました。ちゃんと病院に通ってくださいね。自分の体が壊れると、何もできませんよ。」
「すみません。原田先生、何か言ってましたか?」
「何も言ってませんよ。あっ、今日から、まーちゃんのお菓子係になりました。なかなかお菓子を食べてくれなくて、困ってました。」
校長が言った。
「まーちゃん、保健室じゃないと、お菓子は食べませんよ。」
「そっか。保健室はお菓子、給食は教室って思ってるんだ。お腹すいてても、絶対食べない時って、そういう事だったんだね。」
玲がそう言った。
「秋元先生、ゆっくり治して、帰ってきてね。病院に戻りたいって思うのは無しだよ。」
「早和。」
「お姉ちゃん。」
母と妹との早紀が来た。
「秋元先生のお母さんですか。校長の宮本です。こちらは、教員の澤山です。」
柊子が頭を下げると、光も深く頭を下げた。
「うちの息子の光です。」
「まあ。かわいい。」
柊子は光の頭を撫でた。
「私達はこれで。」
「バイバイ。」
「早和。お母さん、初めて見た。天使だって聞いた事あるけど、本当に天使みたいだね。」
「そうでしょう。」
「お姉ちゃん、これは?」
「光くんにもらった。」
「ちくわだよ、これ。」
「ちくわが好きなんだって。大切なものなのに、私にもくれたの。」
「ちくわは向こうが見えるから、安心なんだね。れんこんは、たくさん穴があるから、どれを覗けばいいか選べない。」
「早紀、よく知ってるね。」
「早和。もっと自分を大切にしないと。」
「お母さん、ずっとそうやって生きてきたから、どうしていいかわからないよ。病院でも、暴れちゃったし。」
「早和はお母さんが、お医者さんに怒られてるのが忘れらないんでしょう。あの時、すごい暴れたんだから。初めは黙って聞いていても、だんだん我慢できなくなって、点滴を抜いて先生に向かって行った。」
「そんな事、あったかな。」
「熱があったから、朦朧として覚えてないだけよ。それから、あのお医者さんは早和にもお母さんにも優しくなったし。」
「お姉ちゃん、いつも寒い格好してるから、風邪引くんだよ。ほら、かわいい部屋着買ってきたから、これ着てよ。」
「早紀は就職したんだっけ。」
「そうだよ。もう10人くらいに結婚申し込まれて、全部断ったの。」
「すごいね、相変わらずモテモテ。」
「早和、早紀が就職したのは、幼稚園だよ。」
3人は笑った。
「ご飯下げてくるね。」
早紀がお膳を持って出ていった。
「先月、奏さんが家にきたよ。早和、何にも話さないで、いなくなったんだってね。」
「……。」
「結婚の返事をしないのは、お母さんのせい?」
「どうして?」
「早和、耳の事と腎臓の事を気にして、結婚しないんじゃないかって思って。」
「お母さん、それは違うよ。」
「だったら、幸せになってよ。いつまでも悲しい顔してると、お母さん、ずっと辛くて。」
「ごめんね、お母さん。」
「澤口さんが、来たよ。」
早紀が奏とやってきた。
「こんばんは。」
奏が早和に言った。
「こんばんは。」
「澤口さん、またお世話になりましたね。迷惑ばっかり掛けてすみません。」
柊子が頭を下げた。
「澤口さん、お姉ちゃんってどうしてこんなに風邪を引くんだろうね。だらしないからでしょう。時々、いつご飯食べたかも忘れてるし。」
「そうだね、あんまりちゃんと食べないよね。」
奏は早和を見た。
「澤口さんがちゃんと見張っててよ。」
「そうする。」
「そうだ、ケーキ買ってきたんだ。一緒に食べて。早紀、帰ろう。」
「じゃあ、お姉ちゃん。またね。」
「早和。」
「先生、後で食べて。」
早和はケーキを、奏に渡した。
「一緒に食べようよ。」
「あんまり、食べたくない。」
「せっかく、買ってきてくれたのに。」
「なんだろう、ずっと気持ち悪いの。」
「もしかしたら、点滴のせいかな。梶原先生に話しておくよ。」
「大丈夫、自分で言うから。」
早和はベッドに横になった。
「早和。」
「何?」
「みんなここへ来たんだろう。師長も長岡先生も、優芽さんも。みんな早和の事、話してた。」
「さっき、校長先生もきた。」
「このちくわは?」
「一緒にきた先生の息子さんが、くれたの。」
「光くんかい?」
「知ってるの?」
「ちくわしか食べないって、お母さんが言ってたから。」
「そう。家にお邪魔した時に、鍋の中からちくわばっかり取って食べてた。」
「ちくわが食べられたら、それでいいんだよ。」
「原田先生もそう言ってた。自分の常識を押し付けたらダメだね。」
早和は胸をさすっていた。
「気持ち悪いの?」
奏は早和の背中を擦った。
「大丈夫。」
早和は目を閉じた。
「先生が触ると、なんだろう、すごく眠くなった。」
「早和。」
眠ってしまったのか。
23時。
「面会時間はとっくに終わってますよ。」
見回りにきた看護師が、奏に言った。
「ごめん。もう帰るから。」
奏が答えると、看護師は名札を見て、
「先生だったたんですか、すみません。」
奏に謝った。
「規則だもんね。もう帰るから。」
「先生は、この患者さんの身内ですか?」
「違うよ。」
「この患者さんは、梶原先生の親戚?」
「違うよ。」
「じゃあ、なんでみんなこの患者さんを特別にするんですか?」
「どうしてだろうね。君は新人さん?」
「そうです。」
「こんなに早く、1人で夜勤ができるんだ。」
「普通でしょう?そういうキャリアラダーがあるんだから。」
「そっか。これ、食べるといいよ。」
奏はケーキを看護師に渡した。
「点滴のせいかな、この人は気持ちが悪いみたいでね。」
「じゃあ、先生が食べたら?」
「俺はケーキは食べれないんだ。」
エアコンが効いている病室は、少し肌寒い。熱がある早和には、ちょうどいいのか。
早和。
結婚なんて、早和を縛り付けて置くための理由のひとつだったのかもしれない。
俺は早和が寄り掛かりたい時に、寄り掛かってくれれば、それで良かったんだ。
初めて早和を見た時から、その背中を触りたくて、仕方なかった。どうして、そんなにいろんな感情を背負い込むんだろう。誰かの痛みも、誰かの悲しみも、全部自分が背負って、いつの間にか、いなくなろうとする。
ここに置いていきなよ。
明日にはなれば、みんな笑い話しにしてくれるから。
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