曇天の下のてんとう虫

小谷野 天

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10章

大丈夫

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 金曜日。
「真中。」
 朝、梶原がポットを抱えた美里の隣りにやってくる。
「おはよう。」
 美里は目を合わせようとしなかった。
「大丈夫か?」
「大丈夫。」
「相川さんと、なんて話しをしたんだよ。」
「相川さんとはもう、終わったの。」
「そっか。昨日、電話待ってたのにな。」
「ごめんなさい。やっぱり、一人でいる。」
「何言ってるんだよ。大丈夫か、本当に。」
「大丈夫。じゃあ。」

 課長のお茶を入れている美里。
「真中くん。俺の定年までは総務にいてくれよ。」
 課長はそう言った。
「ずっといますよ。」
 美里がそう言うと
「今日は人事異動があるらしい。」
 課長はそう言った。
 10時。
 社内メールで人事異動の発表が流れた。
 真由は制作部へ異動となった。梶原は企画部の係長として昇進が決まった。他の職員も一斉に異動が発表され、異動がなかった美里の所へ来た課長は
「真中くん。総務は欠員だよ。これからは二倍働いてくれ。コーヒー入れてくれないか。」
「課長がコーヒーなんて珍しいですね。」
「真中くんが残ってくれて安心したよ。」 
 課長は美里にそう言った。
 
 夕方、段ボールに荷物をまとめている真由の所に蓮がきた。
「制作の課長は厳しいからね。」
 蓮は真由にそう言った。
「なんで私が異動なの? 美里ちゃんの方が長いのに。」
 ふてくされている真由に
「異動できるうちが華なんだって。必要ってされてる事だよ。」
 蓮はそう言った。
「そっか、美里ちゃんは総務しかいる所ないんだ。」
 真由は美里を見た。
「真中さんはあの課長が離さないんだって。」
 蓮が真由にそう言った。
「ふーん。気の毒。」
「城田、もう人の事を気にするのはやめな。」
 蓮は真由の段ボールを持って総務を出ていった。
 
 残業をしていた美里の所に梶原がやってきた。
「もう、仕事終わるのか?」
「あと少し。」
 梶原は美里の隣りに座った。
「梶原くん、昇進おめでとう。まだ、帰らないの?」
「真中を待ってるよ。」
「帰ってよ。」
「いいだろう。今日はうちにこいよ。」
 美里のパソコンを見た梶原は、ここ間違ってる、と指を指した。
「よく気がつくね。」
「よく間違えるね。帰ろうよ。早く仕事終わらせてくれよ。」

 駅まで歩いてる2人。
「何か食べて行こうか。」
「ううん。私、家に帰る。」
「何言ってんだよ。うちにこいよ。」
「ごめん。」
「相川さんと別れたんだろう。」
「梶原くんにも嫌な思いさせたね。」
「真中は俺を選んだと思ってるよ。」
「ごめんなさい。」
 梶原は美里の手を握った。
「じゃあ、真中の家に行っていいか。」
「ごめん。一人でいたい。」
「どうしたんだよ、おまえ、本当に大丈夫か?」
「大丈夫。梶原くん、私、本屋さんに寄るからここで。」
 美里は梶原の手を離して歩き出した。

 本屋に寄った美里は、悲しい物語の小説を探していた。やっぱり、家に帰ってあの本を読もう、そう思って本屋を出た。
 
 梶原から何度も電話があったが、美里はそのままベッドに入る。枕元ある本を探したけれど、どこにもなかった。

 あの本も私に呆れて出ていったんだ。

 机の上には相川が置いて行った本があった。すぐ近くにあるのに、ページを開く気にはならない。

 美里が何度も読んだあの本の中に出てくる女性は、自分の淋しさとは比べ物にならないほど、不幸の中にいる。幸せになろうなんて思えば、あなたはこっちよ、そう言って隣りに呼んでくる。大切なものが粉々になってしまったら悲しいよ。最初から、不幸の中にいるほうが、きっと楽だから。誰も私達の気持ちなんて、わかってもらえないよのね、そう言って美里により掛かる。

 月曜日。
「真中くん、職員の応募があったよ。」
 課長は美里に履歴書を見せた。
「あっ、亜沙美さん。」
「そうだよ。水野くんが辞めたあと、そこの課長が園田くんに声を掛けたんだ。」
「良かったですね。亜沙美さんが入ってくれたら、助かりますね。」
「形式張った事になるけど、一応試験の準備をしてくれよ。」
「わかりました。」
「それから、新しい名札できたから。」
 美里は課長から名札を受け取った。
「課長、これ、間違ってますよ。」
「主任になったの、知らなかったのか。」
「……えっ?」
「これから残業が増えるぞ。ちゃんと栄養つけないと乗り切れないからな。」

 21時。
 誰もいない職場に、キーボードを打つ音だけが響いている。あとは、明日にしようと立ち上がった美里は、ふらついて机に手をついた。
 また、お姉ちゃんに怒られる。美里は机に入っていた飴を口に入れた。

 水曜日。
「真中、亜沙美さんが来るって本当かよ。」
「おはよう、梶原くん。」
 眼鏡をかけている美里は、今にも消えていきそうだった。
「亜沙美さんがくるの楽しみだね。」
「お前、大丈夫かよ。」
「何が?」
「顔色悪いぞ、少し休めよ。」
「梶原くん、亜沙美さんが来たら、みんな助かるね。」
「おい、今日、うちにこいよ。」
「行かないよ。」
「だったら、俺がそっちに行くから待ってろよ。」

 お昼休み。
 美里はたいしてお腹は空いてなかったけれど、裏のお弁当屋さんから、買ってきたお弁当を公園で食べていた。
 今日は何時に終わるだろう。美里は曇り空を眺める。
 雨の匂いのする心地よい風が吹いていた。
「真中。」
「梶原くん。」
「今日はちゃんと食べてたのか。」
「仕事、終わりそうにないし。」
「亜沙美さんの入社の手続き、面倒なのか。」
「私、仕事が遅いから。」
「一人足りなくなったから、負担が増えるのは仕方ないよ。課長のお茶係なんかやめろよ。」
「それは、別にいいんだけど。」
「今日、待ってるからな。」
「梶原くん。亜沙美さんが戻ってくるんだよ。」
「俺は真中を選んだんだ。真中も相川さんじゃなくて俺を選んだんだろう。」
「私は一人でいるよ。」
 ポツポツと雨が降り出す。
「早く戻ろう。」
 梶原は美里の手を握る。
 会社に着くと、雨に濡れた二人を見ていた真由は笑った。
「美里ちゃん、また風邪引くよ。」

 夕方。
 梶原が美里の所にきた。
「終わるか?」
「ううん。」
「今日は帰ろうよ。うまい唐揚げ、奢ってやるからさ。」
「これ、やらないと明日も残業になるし。」
「そんなの、明日やればいいだろう。」
 梶原は最後の一人がいなくなると、美里の隣りに座って手を止めた。
「いいから、帰るぞ。」

 駅から別の方向に行こうとした美里の手を梶原は掴んだ。黙って梶原についてきた美里は、何度も目をこすっているうちに、眼鏡をカバンにしまった。
「見えるのか?」
「あんまり。」
 梶原は美里の手をしっかり掴んで歩き出す。
「疲れたんだろう。」
「少しね。」
 梶原の家に着くと、美里は床に横になった。
「お前、だらしないぞ。」
「わかってる。」
「ご飯作るから、先にシャワー入ってこいよ。」
 動かない美里に梶原が声を掛ける。
「大丈夫か?」
「大丈夫。ごめん。」
 美里は起き上がったが、自分の体の様で自分の体ではない様な感じがした。
「やっぱり、このままベッドで寝てな。できたら起こしてやるよ。」
「ごめん。何もいらない。」

「少し食べろよ。」
 ベッドで寝ていた美里を梶原が起こした。梶原の手が美里のおでこを触る。ひんやりとして気持ちがいい。美里は目をまた閉じた。
「風邪引いたのかよ。」
「違うよ。眠いだけ。」
 目を閉じている美里に梶原はキスをする。なんの抵抗もなく自分を受け入れる美里に、梶原は安心した。
「寒いのか。」
「大丈夫。」
 服を脱がせようとした梶原に美里は言った。
「迷惑掛けてばっかりだね。」
 虚ろな美里の目は、いつもよりキレイに見える。
 梶原は美里の頬に手をやると、手のひらは熱を感じた。
「真中、なんか熱いぞ。」
 梶原は、淋しさや相川への優越感だけで、美里を抱こうとしてる自分が情けなくなる。
「やっぱり、風邪引いたのかもな。」
 そう言うと美里にベッドに寝せた。
「ごめんな。本当は家に帰りたかったんだろう。」
「ついてきたのは私だし。」
「ちょっと待ってろ。」
 梶原は立ち上がり、また美里の隣りに座る。
「ほら、着替えろよ。それと薬。これ飲んで、もう寝ろよ。」
「ありがとう。」
「なんてタイミングの悪い風邪なんだよ。」
「ごめん。」
「梶原くん、伝染るといけないから、私、下で寝るよ。」
「俺は伝染っても構わないけど。」
「亜沙美さんが来るよ。梶原くん、良かったね。」
「何言ってんだよ。真中を選んだって言っただろう。」
「ごめんなさい。すごく眠い。」
 美里は目を閉じた。
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