保護猫subは愛されたい

あうる

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いない。いないいないいない。

静まり返った薄暗い社内。
デスクの上に置かれた荷物を全て床にぶちまけても一向に収まらないだろう苛立ちを胸に、唸るように吼える一人の男。

「………どこへ行った?」

海外への赴任を受入れたのは、生活の基盤をあちらに移し、何れは「彼」を引き抜く為の下準備として必要なプロセスだと思ったからだ。

長くても一年。
それだけの時間であちらに拠点を築き、共同研究者として「彼」を呼び寄せる。
そのプランが、全て崩壊した。

「篠原さぁん、お帰りなさ~い!!寂しかったですぅ~」

甘ったるい声で腕を絡めてくる女は、かつて一度抱いただけの、名前すらも憶えていない女。
帰社時間はとっくに過ぎているというのに今だ残っていたということは、わざわざここで男を待ち伏せしていたと言う事に他ならない。

だとしても、場の空気を読む能力すらもないのかと苛立つが、今は少しでも情報を集めることが優先だと気持ちを切り替えた。

「……野崎が、仕事を辞めたって?」
「あぁ、そうなんですよ~。野崎さん、実はsubだったらしくてぇ」

男が自分を見たことに愉悦を覚えながら、自分を上位だと信じて疑わずほくそ笑む女の、嘲りを多分に含んだ醜悪な顔。

「……吐き気がする」
「え?なんですか?」
「いやーーなんでもないよ。
帰ってきたばかりで社内の情報に疎くてね。色々聞かせてもらえると助かるんだが」

見せかけだけの笑顔に、「勿論ですぅ!折角ですから今夜………ね?」と、露骨な誘いをかけてくる女。

「申し訳ないが、まだあちらから戻ってきたばかりで何かと整理がついていなくてね。
留守にしていた間の引き継ぎもしたいし、一度野崎と連絡をとりたいんだが……」
「引き継ぎなら、データとして全部そこに残されてますしぃ、わざわざ辞めた人から聞かなくてもいいんじゃないですかぁ?」
「ーーこんなデータ一つで、野崎のこれまでが全てが引き継がれたと?」
「部長はそうおっしゃってましたけど?」

なにか問題でも?と、何も理解していない顔で首を傾げる。
湧き上がる凶暴な衝動に拳を握り堪えた。

「すべてが引き継がれたと言うなら、なぜこの部署はこんな有様に陥ってるんだ?」
「え?」

日本に戻ってから見せられた部署内の現状は、想像以上に悲惨なもので。
彼と二人で回していた頃から考えると、実質半分以下の働きしかできていない。
それでも、彼はなんとかしてエースである相方の穴を埋めようと遮二無二努力したのだろう。
ボロボロに崩れ始めたのは彼が社を辞してからのことで、それまで危ういバランスながら、なんとか現状を維持してこれたのは、その大半が彼の功績だった。

「過剰労働による精神的、肉体的疲労。その果てにsubとして覚醒した野崎を、あっさり切り捨てた」

その結果が、これだ。

「でも、新しい人材も入りましたし、篠原さんも戻ってきてくれましたから、野崎さんの穴くらい、あっという間に……」
「埋まると思っているのなら、随分お目出度いことだな」

社の上層部が、今必死になって彼を呼び戻そうとしていることも知らないのだろう。
道化相手に、最早言葉を取り繕おうとする気力すら起きない。
明らかに苛立ちを見せる男に、なんとかして取り入ろうと懸命な女は、「そうだ」と。


「野崎さんが本社に出した診断書が総務にあるはずですぅ。
それを見れば、野崎さんがどこの病院に通っているかわかるかもぉ?」
「すぐに持ってきてくれ」
「でも、社外秘ですしぃ」

嫌らしい笑みを浮かべる女。
あぁ、全て叩き壊してしまいたい。

この期に及んでもなお、場の主導権を握っているのは自分だと勘違いしている愚かさ。

彼がいないのなら、もう取り繕う必要などない。

「………え?」

女の貼り付けた笑みが、男から放たれる威圧に、キンと凍りついた。

「subだから首にした?そんなものが理由になると?」
「あ、あの……」
「出るところに出れば訴訟沙汰だな。
米国ならまず認められない話だ」

表向きは過労による自主退職とでもしているのだろう。
彼は、それに抗わなかったはずだ。
なぜならそれが、彼の本能的な性質だから。

crawl這いつくばれ

「………!!」

女の足がガタガタと震え、みっともなく地面に膝をついた。

「な、なんで……?私……subじゃ…」

焦ったように声を上げる女。

「ただの威圧だ。subが相手でなくともこの程度のことはできる」
「そんな……え……じゃあ……?」


たどり着いた答えに信じられない思いなのだろう。

男は皮肉げに口を歪め、言い放った。
こんな女には、這いつくばらせる価値もない。
男が欲しかったのはただ一人。

「俺は、domだ」
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