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62、お前のキスからはじまった (4) side天馬
しおりを挟むーー楓花……
道路沿いに立って楓花が乗って行ったタクシーを見送っていると、ハッと我に返り、右手を上げる。
「タクシー!」
スウェットの上下にサンダル履き、財布も持っていない。だけど躊躇している時間は無かった。
彼女はもうすぐこの街を離れて行く。
「くそっ……逃すかよ」
目の前に止まったタクシーに乗り込むと、新幹線の駅に向かうよう告げる。
何故かは分からない。だけど楓花は泣きながらキスをした。その理由を、その意味を知りたいと思った。
ほんの少しの希望と期待。それが当たっていてくれたらいいのに……そう思いながら、逸る気持ちを抑えて窓の外を見つめた。
駅に着いてタクシーを降りようとしたら、「はい、ちょうど千円になります」と言われ、ハッとした。
「すぐに戻って来るから、ここで待っててもらえますか?」
「ちょっと、乗り逃げは困りますよ。免許証とか身分を証明するものは?」
慌ててポケットを探るけれど、そんなものは持ち合わせていない。
参ったな……と駅の方を見たら……
「あ………」
楓花がアイツに……彼氏に抱きついていた。
男の胸に顔を埋め、背中を抱き締められて……。
昔よく目にした風景が蘇る。『かぜはな』の奥の席で向かい合い、笑顔で見つめ合っていたお似合いな2人……。
高揚していた気持ちが一気に萎んで絶望へと変わる。
ーーなんなんだよ……人にキスしておいて、その直後に公衆の面前でラブシーンかよ!
そんなの見せつけてんじゃねえよ。
さっきのは単純に別れの挨拶だったのかよ。アメリカ人かよ!
俺のファーストキスを……いとも簡単に奪ってんじゃねえよ……。
天馬は浮かしていた腰をシートに沈めて前を向いた。
「運転手さん、元の場所に戻って下さい」
「えっ?」
「帰ります。そこで料金を支払うんで」
駅から遠ざかるタクシーから、天馬は一度も振り返らなかった。
だけど唇が覚えた柔らかさと胸の高鳴りは消すことが出来なくて……苦しく苦い痛みとともに、心の奥に複雑に積み重なって、深く濃く刻み付けられていった。
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