煉獄の歌 

文月 沙織

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 あり得なくもない。なんといっても、亡母は際立った美貌で知られた芸者だったのだ。いくら嫌でも、ときには裕福な客の相手をせねばならないことがあったかもしれない。
 ちゅっ、ちゅっ、と男は執拗に、敬のふくらみのない胸に執着を示し、蛭のような唇を押し当ててくる。
 嫌だ、嫌だ、と敬は叫びながら首を振っていた。
 だが、やがて、左胸に別の感触を感じて、首を振るのも出来なくなった。
(あ……、駄目)
 左胸に顔を埋めているのは、兄勇だった。
 敬は一瞬、呆然となって天井を見つめた。
 数秒後、視界に兄の精悍な顔が入って来る。嗅ぎ覚えのある整髪料の香が懐かしい。
 匂いに意識を奪われた次の瞬間、胸に熱い舌先の感触が走り、背に電流が走るような錯覚をおぼえた。
 かすかに見えた兄の表情は、眉を寄せ、怒っているようでもあり、苦しそうでもある。
 敬の方が泣きたくなった。
(あ、いや、兄さん、……駄目)
 宇田に対しては、生理的な無意識の抵抗をあらわさずにいられなかったが、兄の唇を胸の突起に感じた瞬間、微妙な痺れが背骨や腰骨に走る。
 だが、敬に涙を流させるのは、この異常な状況で強いられた卑猥な行為もさることながら、自分のみならず、兄までもが浅ましい男たちを喜ばせるために晒しものになっていることだ。
 敬の苦悶をよそに、兄が身を起こし、顔を寄せてくる。
 ゆっくりと、だが、確実に勇の口は敬の唇へと下りてきた。
 一瞬、気の遠くなるような陶酔。
 だが、次には、眩暈めまいがするほどの屈辱に敬は身体をひねって、勇から逃れようとしていた。
 逃げる敬を、勇は追うようにして逞しい身体を密着させてくる。
 勇の熱が、体臭が、たしかな重さを持った肉体が、敬を圧倒する。
 憧れつづけ、求めつづけた相手と、これほど身体を触れ合わせているというのに、敬の胸には悲しさが湧きあがる。兄は何を想って、ここへ来たのか。どんな気持ちで人前で異母弟と醜態を演じているのか。
「い、いやだ……」
 敬は煩悶した。
 ふと、閉じていた目を開けると、兄の目とかちあった。
 漆黒の目には、いつもどおり鋭い銀針をふくんだかのような油断できないきらめきがある。
 その目からは、兄が何を考えているのかは敬には計り知れない。だが、喜んでいるわけでないことはだけは確かだ。
 敬は無意識に首を横に振っていた。
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