160 / 360
四
しおりを挟む
なんとかして若いうちに、できれば財力のある良い人とめぐりあって、ここから出たい、とベレニケだとて望んではいる。そして、そんな儚い夢を想いえがくとき、瞼に浮かぶのはいつもディオメデスだった。
そのディオメデスは、リィウスという新参男娼に夢中になり、いまや彼自身が危うい陥穽におちいりかけている。
(ディオメデスはもっと強い男だと思っていたのに……)
若くたくましく美しく、頭脳も優れ、血筋も良く、柘榴荘に来る客のなかでは、抜きんでて目立つ男だった。狡猾なほどに賢く、うまく世間を生き抜く男だと思っていた。出世争いに負けて失意のはてに亡くなったベレニケの父とはまるで違っていると思っていた。
だが、しょせんは、ディオメデスも若いだけに、世間知らずで未熟な生身の一人の男だったのだ。
こうもあっさりリィウスに骨抜きにされるとは。いや、タルペイアの仕掛けた罠にはまるとは。ベレニケは歯がゆく、悲しい。
(男というものは……、いいえ、男も女も、ヴィーナスの呪いを受けると、こんなにも弱いものなんだわ)
ベレニケ自身も、まったく経験ないわけではないが、人は恋に夢中になると、ここまで愚かで脆くなるとは。ベレニケの味わった恋とは、相手を想って切なくなったり、焼きもちをやいたりはしても、ただそれだけで終わる儚いものだった。娼婦という立場上、好きになった客がべつの娼婦を選んだからといって、詰ることも怒ることもできなければ、あからさまに、結婚して欲しい、身請けして欲しい、などと言うこともできず、柘榴荘という娼館の一室で金のやり取りで始まり、気づけば溜息で終わっているような、ささやかな情動の発露にしか過ぎなかった。
自分のために相手が全財産を投げすて夢中になったり、自分が命を失ってもいいと思い詰めるような熾烈で過激な経験はいまだかつて一度もない。これから先も一生縁がないだろう。そう思うとほろ苦いものが胸にわく。
(そこまで誰かに恋したことも、恋されたことも、私にはなかった……)
そう、ディオメデスは、本人は決して認めはしないだろうが、まちがいなくリィウスに恋をしているのだ。
自分のものを人に奪われるのが我慢できないだけだ、とディオメデス自身はアウルスに言ったそうだが、その異常なまでの、狂気をにおわせる執着ぶりは、どう見てもリィウスに恋狂っているとしか見えない。
自身の自由になる財産はすでにあらかた使い果たしていると、アウルスやアスパシアから聞いたりもした。その噂はすでに柘榴荘内は勿論、出入りする客たちのあいだでも広まっており、エトルクス家の跡取り息子が、男娼に夢中になって身上をつぶしかけていると、都じゅうに知れわたっているらしい。
下手したら廃嫡されるのではないか、という声すら、ベレニケの耳にまで聞こえてきているぐらいだ。
そのディオメデスは、リィウスという新参男娼に夢中になり、いまや彼自身が危うい陥穽におちいりかけている。
(ディオメデスはもっと強い男だと思っていたのに……)
若くたくましく美しく、頭脳も優れ、血筋も良く、柘榴荘に来る客のなかでは、抜きんでて目立つ男だった。狡猾なほどに賢く、うまく世間を生き抜く男だと思っていた。出世争いに負けて失意のはてに亡くなったベレニケの父とはまるで違っていると思っていた。
だが、しょせんは、ディオメデスも若いだけに、世間知らずで未熟な生身の一人の男だったのだ。
こうもあっさりリィウスに骨抜きにされるとは。いや、タルペイアの仕掛けた罠にはまるとは。ベレニケは歯がゆく、悲しい。
(男というものは……、いいえ、男も女も、ヴィーナスの呪いを受けると、こんなにも弱いものなんだわ)
ベレニケ自身も、まったく経験ないわけではないが、人は恋に夢中になると、ここまで愚かで脆くなるとは。ベレニケの味わった恋とは、相手を想って切なくなったり、焼きもちをやいたりはしても、ただそれだけで終わる儚いものだった。娼婦という立場上、好きになった客がべつの娼婦を選んだからといって、詰ることも怒ることもできなければ、あからさまに、結婚して欲しい、身請けして欲しい、などと言うこともできず、柘榴荘という娼館の一室で金のやり取りで始まり、気づけば溜息で終わっているような、ささやかな情動の発露にしか過ぎなかった。
自分のために相手が全財産を投げすて夢中になったり、自分が命を失ってもいいと思い詰めるような熾烈で過激な経験はいまだかつて一度もない。これから先も一生縁がないだろう。そう思うとほろ苦いものが胸にわく。
(そこまで誰かに恋したことも、恋されたことも、私にはなかった……)
そう、ディオメデスは、本人は決して認めはしないだろうが、まちがいなくリィウスに恋をしているのだ。
自分のものを人に奪われるのが我慢できないだけだ、とディオメデス自身はアウルスに言ったそうだが、その異常なまでの、狂気をにおわせる執着ぶりは、どう見てもリィウスに恋狂っているとしか見えない。
自身の自由になる財産はすでにあらかた使い果たしていると、アウルスやアスパシアから聞いたりもした。その噂はすでに柘榴荘内は勿論、出入りする客たちのあいだでも広まっており、エトルクス家の跡取り息子が、男娼に夢中になって身上をつぶしかけていると、都じゅうに知れわたっているらしい。
下手したら廃嫡されるのではないか、という声すら、ベレニケの耳にまで聞こえてきているぐらいだ。
0
あなたにおすすめの小説
【完結】 男達の性宴
蔵屋
BL
僕が通う高校の学校医望月先生に
今夜8時に来るよう、青山のホテルに
誘われた。
ホテルに来れば会場に案内すると
言われ、会場案内図を渡された。
高三最後の夏休み。家業を継ぐ僕を
早くも社会人扱いする両親。
僕は嬉しくて夕食後、バイクに乗り、
東京へ飛ばして行った。
身体検査
RIKUTO
BL
次世代優生保護法。この世界の日本は、最適な遺伝子を残し、日本民族の優秀さを維持するとの目的で、
選ばれた青少年たちの体を徹底的に検査する。厳正な検査だというが、異常なほどに性器と排泄器の検査をするのである。それに選ばれたとある少年の全記録。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる