燃ゆるローマ  ――夜光花――

文月 沙織

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 なんとかして若いうちに、できれば財力のある良い人とめぐりあって、ここから出たい、とベレニケだとて望んではいる。そして、そんな儚い夢を想いえがくとき、瞼に浮かぶのはいつもディオメデスだった。
 そのディオメデスは、リィウスという新参男娼に夢中になり、いまや彼自身があやうい陥穽かんせいにおちいりかけている。
(ディオメデスはもっと強い男だと思っていたのに……)
 若くたくましく美しく、頭脳も優れ、血筋も良く、柘榴荘に来る客のなかでは、抜きんでて目立つ男だった。狡猾なほどに賢く、うまく世間を生き抜く男だと思っていた。出世争いに負けて失意のはてに亡くなったベレニケの父とはまるで違っていると思っていた。
 だが、しょせんは、ディオメデスも若いだけに、世間知らずで未熟な生身の一人の男だったのだ。
 こうもあっさりリィウスに骨抜きにされるとは。いや、タルペイアの仕掛けた罠にはまるとは。ベレニケは歯がゆく、悲しい。
(男というものは……、いいえ、男も女も、ヴィーナスの呪いを受けると、こんなにも弱いものなんだわ)
 ベレニケ自身も、まったく経験ないわけではないが、人は恋に夢中になると、ここまで愚かでもろくなるとは。ベレニケの味わった恋とは、相手を想って切なくなったり、焼きもちをやいたりはしても、ただそれだけで終わる儚いものだった。娼婦という立場上、好きになった客がべつの娼婦を選んだからといって、なじることも怒ることもできなければ、あからさまに、結婚して欲しい、身請けして欲しい、などと言うこともできず、柘榴荘という娼館の一室で金のやり取りで始まり、気づけば溜息で終わっているような、ささやかな情動の発露にしか過ぎなかった。
 自分のために相手が全財産を投げすて夢中になったり、自分が命を失ってもいいと思い詰めるような熾烈しれつで過激な経験はいまだかつて一度もない。これから先も一生縁がないだろう。そう思うとほろ苦いものが胸にわく。
(そこまで誰かに恋したことも、恋されたことも、私にはなかった……)
 そう、ディオメデスは、本人は決して認めはしないだろうが、まちがいなくリィウスに恋をしているのだ。
 自分のものを人に奪われるのが我慢できないだけだ、とディオメデス自身はアウルスに言ったそうだが、その異常なまでの、狂気をにおわせる執着ぶりは、どう見てもリィウスに恋狂っているとしか見えない。
 自身の自由になる財産はすでにあらかた使い果たしていると、アウルスやアスパシアから聞いたりもした。その噂はすでに柘榴荘内は勿論、出入りする客たちのあいだでも広まっており、エトルクス家の跡取り息子が、男娼に夢中になって身上をつぶしかけていると、都じゅうに知れわたっているらしい。
 下手したら廃嫡されるのではないか、という声すら、ベレニケの耳にまで聞こえてきているぐらいだ。
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