燃ゆるローマ  ――夜光花――

文月 沙織

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遥かなりローマ 一

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「聞いたか? 皇帝が病気らしい」
「危篤だとか」
「いや、俺は死んだと聞いたがな」
 馬を急がせていると、そんな会話が通りでちらほら聞こえる。
 人々は青天の霹靂のようなできごとに驚きながらも、その声音には世のなかが変わることへの期待と興奮をにじませていた。だが、元老院は皇帝の死をいまだ公表していない。皇帝はローマに帰還したものの、体調が思わしくなく静養中である、という程度の噂をゆるすぐらいだ。だが、ちかぢか次期皇帝にカリギュラが選出されることは、もはや大筋で認められているらしい。
「いつまでそんな顔をしているのだ?」
 ディオメデスは腕のなかの麗人を揶揄した。
「放っておいてくれ」
 むっすりとした顔をしているのだろうが、背後のディオメデスには見えない。だが怒っていてもリィウスは美しいのだろう、と馬鹿なことを考えてしまう。
 結局、タルペイアは折れて、リィウスの身請けを認めてくれた。リキィンナが口添えしてくれたのも効いたのだろうが、なにより世の中の急激な転変期に、あまりいさかいごとを抱えたくないという保身や警戒の気持ちもあったはずだ。
 ディオメデスは全財産をはたいてリィウスを身請けし、わずかに残った金でリィウスが所有していた田舎の別荘を買った。借金の担保として商人のマロが所有していたが、意外にも安価でゆずってくれたのだ。
(私もしばらくはローマを離れようと思っているのです)
 狡猾といわれる彼から、思いもよらぬあっさりした言葉を聞き、ますます意外な気がしたが、ローマの影の経済界を牛耳っていたウリュクセスも亡くなり、皇帝が代替わりしようとしている今、きたるべき政権交代に彼もまもた不穏なものを感じとったのだろう。彼のように不安を感じてローマから離れていこうとしている者は多い。
 勿論、新時代にひともうけしようという輩や、転機や出世を望むものも大勢おり、新たにローマに流れてきた者や、いっそう腰を据えてローマに居座ろうという者も無数におり、この華の都は相変わらずにぎやかだ。
 今もすさまじい大通りの喧騒を眺めながら、世界の中心から去っていくことに一抹の寂しさを感じつつディオメデスは馬首をすすめた。
「……本当にいいのか?」
 ぽつり、とリィウスが訊いた、というより呟いた。
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