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宴の前 七
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裾をなおされ、どうにか一息ついたものの、前後にほどこされた責め具のせいでラオシンの息はあがりっぱなしだ。その狂おしい状況で廊下を歩かされ、宴の場となる広間へ連れて行かれる。
ラオシンがその広間を見たのは初めてだった。室内は広々としており、天井から吊りさげられた、いくつもの吊り洋燈が、床の人魚や半人半馬のモザイク画を妖しく照らし出している。
待ちきれない客がどんどん入室しはじめ、奴隷たちがあわてて座椅子やクッションを用意していく。
絹の衣に色とりどりの宝石の飾りを見につけた裕福そうな客たちが円になって座り、美しい娼婦たちのさしだす紅玉髄の杯で美酒をたのしみ、真珠を散りばめた器で珍味を味わっているが、やはり一番の目的は宴の目玉である美妓の踊りだろう。皆、どこかそわそわして落ち着かないようだ。
やがて室の隅にならんだ三人の楽師たちが、仕事に入り、室内にはねっとりとした淫靡な音楽がひびきだした
「殿下、ここでしばらく待っていてね」
出番を待つ者たちが控えられるように黒い紗を室のすみに張りめぐらした場所があり、そこでラオシンは他の娘たちが音色にあわせて舞台となる部屋の中央にすすんでいくのを黙って見ていた。そのあいだにも、下肢はむず痒く疼き、ラオシンを悩ませる。
白や黒、紅や青の薄布をまとった女たちは、つぎつぎと中央にすすみ、音楽に合わせて身体をゆらし、腰をひねり、煽情的な姿態をとる。見ていてラオシンは堪らなくなってくる。自分もあんな真似をしなければならないのだ。
「金貨十枚」
「十五枚」
「二十枚」
そんな声がとびかい、売り手のついた娘はその男に手をひっぱられ、男の膝のうえに抱きかかえられる。
異国の血を引くらしい金髪の娘にはやはり客も多く、金額がどんどん吊り上がっていくが、途中でさすがに声がとぎれた。そこで決まるかと思うや、リリが優美に笑いながら舞台中央に歩みより、優雅な手つきで娘の衣を剥ぎ取る。男たちから歓声があがった。白い身体が玉のように薄闇に浮かびあがる。娘ははにかみながら、しなやかそうな両手で乳房をかくす。その嬌羞あふれる姿が男たちの欲望をあおりぬく。
「どうです? もう一声」
マーメイがよく通る声でそう告げると、さらに金貨の数が増える。
「あと一声」
観客がざわめいたのは、リリの手によって金髪の娘からすべての衣がはぎとられ、中央で一糸まとわぬ身体にされてしまったからだ。
「金貨五十」
庶民なら一生遊んで暮らせる額である。
それ以上は声があがらず、娘はその声の主に買われることになった。見ていたラオシンは眩暈がしそうになった。
動揺をおさえきれないでいるラオシンだが、さらに恐ろしいことに、観客のなかに見知った顔を見い出してしまった。
学問所で幾度か見かけた学者だ。さらに向かい側には、宮廷でよく顔を合わせたことのある高名な将軍もいる。どちらも顔を隠すように黒布の覆いをかぶっているが、ラオシンには一目瞭然だった。ラオシンは一瞬、身体の疼きも忘れて恐怖に硬直した。
「殿下、ちょっと、どうしたの?」
ジャハギルに背を突かれて、ラオシンは息を切らしながら言葉を放った。
「で、できない……。無理だ、私にはできない」
「何言っているのよ。さんざん練習したでしょう? ……大丈夫よ、誰も殿下がラオシン=シャーディーだとは気づかないわよ。よく似た人だと思うぐらいよ、私みたいねに」
その言葉でラオシンはジャハギルが最初からすべて知っていたことを悟って、いっそう絶望におそわれた。足元がぐらついて立っていられなくなる。
「殿下、しっかりしなさいよ。みんな殿下を待っているのよ。ほら、あの坊やだって」
ジャハギルは黒紗のはざまから、ある方向に向かって指をさす。そこにいた小柄な人物を目にし、ラオシンは息をのんだ。
壁際にぼんやりと立っているのは、アラムだった。
「アラム、なぜここに……?」
一瞬、アラムがたったひとりでも自分を助けに来たのかと思ったラオシンは、今の自分の惨めな境遇もわすれてマーメイに懇願していた。
「た、たのむ、あの子には手を出さないでくれ」
マーメイとジャハギルは目を見合わせた。おたがいの意志を読みあって、残酷な火花を交わし、マーメイは頷いた。
(これは荒療治ね)
マーメイはうっすら笑って、あえて残忍な顔をつくる。
「殿下、まだ気づかないの? あの子はジャハンと通じていたのよ。殿下をここへおびきいれるのにも一役買っていたのよ」
「そ、そんな!」
マーメイの告げた事実にラオシンは完全に足元がくずれ、闇に落ちていく錯覚をした。
「そんな、そんなことあるわけが……」
だが、ラオシンはそれ以上言葉がつづけられなかった。目がかすんできた。
思えば、たしかに最初にこの館に来た日のアラムの憂いをふくんだ目を見たとき、もっと考えるべきだったのだ。
本当なら気づいていたはずだ。だが、最後の頼みの綱のように思っていたアラムを疑う勇気は、虜囚の身に堕ちたラオシンにはなかったのだ。
今もアラムは壁際で、悲しそうな目をしてラオシンを待っている。
「あの子にも事情があったのよ」
家族を守るためだ。そして、ラオシンへの秘めた恋慕と情欲。マーメイはそれ以上なにも言わず、ラオシンの背を押す。
「さ、行くのよ、殿下。恨み言や泣き言はあとにして、今はとにかく踊ることだけ考えるのよ。アラムのまえでもうんと腰を振るのよ」
「そうそう、何度も教えたように色っぽくね」
魔物たちにどんどん背を押され、呆然としていたラオシンはとうとう黒幕のそとへと出されてしまった。
吊りランプの銀の鉢から幻惑的な光がこぼれ、その光の束のしたにラオシンはいつの間にか立たされていた。
観客たちが進みでてきた黒衣の美女に賞賛の目をむける。
しばし止んでいた音楽がふたたび始まった。
ラオシンのみならず、背後で彼を見つめるマーメイやジャハギル、そしてディリオスも予感した。
今宵、この宴が終わるとき、王子ラオシン=シャーディーは完全にこの世から消えてなくなるのだと。
ラオシンがその広間を見たのは初めてだった。室内は広々としており、天井から吊りさげられた、いくつもの吊り洋燈が、床の人魚や半人半馬のモザイク画を妖しく照らし出している。
待ちきれない客がどんどん入室しはじめ、奴隷たちがあわてて座椅子やクッションを用意していく。
絹の衣に色とりどりの宝石の飾りを見につけた裕福そうな客たちが円になって座り、美しい娼婦たちのさしだす紅玉髄の杯で美酒をたのしみ、真珠を散りばめた器で珍味を味わっているが、やはり一番の目的は宴の目玉である美妓の踊りだろう。皆、どこかそわそわして落ち着かないようだ。
やがて室の隅にならんだ三人の楽師たちが、仕事に入り、室内にはねっとりとした淫靡な音楽がひびきだした
「殿下、ここでしばらく待っていてね」
出番を待つ者たちが控えられるように黒い紗を室のすみに張りめぐらした場所があり、そこでラオシンは他の娘たちが音色にあわせて舞台となる部屋の中央にすすんでいくのを黙って見ていた。そのあいだにも、下肢はむず痒く疼き、ラオシンを悩ませる。
白や黒、紅や青の薄布をまとった女たちは、つぎつぎと中央にすすみ、音楽に合わせて身体をゆらし、腰をひねり、煽情的な姿態をとる。見ていてラオシンは堪らなくなってくる。自分もあんな真似をしなければならないのだ。
「金貨十枚」
「十五枚」
「二十枚」
そんな声がとびかい、売り手のついた娘はその男に手をひっぱられ、男の膝のうえに抱きかかえられる。
異国の血を引くらしい金髪の娘にはやはり客も多く、金額がどんどん吊り上がっていくが、途中でさすがに声がとぎれた。そこで決まるかと思うや、リリが優美に笑いながら舞台中央に歩みより、優雅な手つきで娘の衣を剥ぎ取る。男たちから歓声があがった。白い身体が玉のように薄闇に浮かびあがる。娘ははにかみながら、しなやかそうな両手で乳房をかくす。その嬌羞あふれる姿が男たちの欲望をあおりぬく。
「どうです? もう一声」
マーメイがよく通る声でそう告げると、さらに金貨の数が増える。
「あと一声」
観客がざわめいたのは、リリの手によって金髪の娘からすべての衣がはぎとられ、中央で一糸まとわぬ身体にされてしまったからだ。
「金貨五十」
庶民なら一生遊んで暮らせる額である。
それ以上は声があがらず、娘はその声の主に買われることになった。見ていたラオシンは眩暈がしそうになった。
動揺をおさえきれないでいるラオシンだが、さらに恐ろしいことに、観客のなかに見知った顔を見い出してしまった。
学問所で幾度か見かけた学者だ。さらに向かい側には、宮廷でよく顔を合わせたことのある高名な将軍もいる。どちらも顔を隠すように黒布の覆いをかぶっているが、ラオシンには一目瞭然だった。ラオシンは一瞬、身体の疼きも忘れて恐怖に硬直した。
「殿下、ちょっと、どうしたの?」
ジャハギルに背を突かれて、ラオシンは息を切らしながら言葉を放った。
「で、できない……。無理だ、私にはできない」
「何言っているのよ。さんざん練習したでしょう? ……大丈夫よ、誰も殿下がラオシン=シャーディーだとは気づかないわよ。よく似た人だと思うぐらいよ、私みたいねに」
その言葉でラオシンはジャハギルが最初からすべて知っていたことを悟って、いっそう絶望におそわれた。足元がぐらついて立っていられなくなる。
「殿下、しっかりしなさいよ。みんな殿下を待っているのよ。ほら、あの坊やだって」
ジャハギルは黒紗のはざまから、ある方向に向かって指をさす。そこにいた小柄な人物を目にし、ラオシンは息をのんだ。
壁際にぼんやりと立っているのは、アラムだった。
「アラム、なぜここに……?」
一瞬、アラムがたったひとりでも自分を助けに来たのかと思ったラオシンは、今の自分の惨めな境遇もわすれてマーメイに懇願していた。
「た、たのむ、あの子には手を出さないでくれ」
マーメイとジャハギルは目を見合わせた。おたがいの意志を読みあって、残酷な火花を交わし、マーメイは頷いた。
(これは荒療治ね)
マーメイはうっすら笑って、あえて残忍な顔をつくる。
「殿下、まだ気づかないの? あの子はジャハンと通じていたのよ。殿下をここへおびきいれるのにも一役買っていたのよ」
「そ、そんな!」
マーメイの告げた事実にラオシンは完全に足元がくずれ、闇に落ちていく錯覚をした。
「そんな、そんなことあるわけが……」
だが、ラオシンはそれ以上言葉がつづけられなかった。目がかすんできた。
思えば、たしかに最初にこの館に来た日のアラムの憂いをふくんだ目を見たとき、もっと考えるべきだったのだ。
本当なら気づいていたはずだ。だが、最後の頼みの綱のように思っていたアラムを疑う勇気は、虜囚の身に堕ちたラオシンにはなかったのだ。
今もアラムは壁際で、悲しそうな目をしてラオシンを待っている。
「あの子にも事情があったのよ」
家族を守るためだ。そして、ラオシンへの秘めた恋慕と情欲。マーメイはそれ以上なにも言わず、ラオシンの背を押す。
「さ、行くのよ、殿下。恨み言や泣き言はあとにして、今はとにかく踊ることだけ考えるのよ。アラムのまえでもうんと腰を振るのよ」
「そうそう、何度も教えたように色っぽくね」
魔物たちにどんどん背を押され、呆然としていたラオシンはとうとう黒幕のそとへと出されてしまった。
吊りランプの銀の鉢から幻惑的な光がこぼれ、その光の束のしたにラオシンはいつの間にか立たされていた。
観客たちが進みでてきた黒衣の美女に賞賛の目をむける。
しばし止んでいた音楽がふたたび始まった。
ラオシンのみならず、背後で彼を見つめるマーメイやジャハギル、そしてディリオスも予感した。
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