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狂宴の果て 四
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黒い布が肩から落ちると、藍色の衣につつまれたほっそりとした背中が客に見える。肩から腰にかけて銀鎖に碧玉をつないだ装飾品が光り、さすがに金貨千枚をぽんと払えるだけの裕福さが全身から滲み出ているが、男たちが一瞬目をこらしたのは、彼がひどく若いことだ。
黒い髪はまっすぐに腰まで伸ばされ、つややかにきらめいており、かすかに見える顎から首にかけての肌はサファヴィア人にしては色がかなり白い。おそらく滅多に外に出ることのない名家の令息なのだろうと客たちは推察する。
「しかし若いな。娼館で遊ぶにはまだ早いのではないか?」
誰かがやっかみ半分でそう言うと、それに応えるようにどこからともなく、
「坊や、ちゃんとお相手できるのか?」
という嘲りをふくんだ声がたつ。
ラオシンはいつになったらこの悪夢が終わるのか、祈るような想いで天井のスフィンクスの顔をぼんやりと眺めていた。その間も脚は獣の目をした男たちのまえに広げられ、中心につなげられた天鵞絨の黒紐が妖しくぬめっていることも、黄金の鈴がゆれる音もすべてさらけ出され、限界を超えるこの恥辱に舌を噛む気力もわかなかった。
(夢だ……これは、悪い夢なのだ)
思っていたことを口にしてしまっていたようだ。自分におおいかぶさってくる相手が呟いた。
「夢ではない、ラオ、余を見ろ」
「……」
ラオ、というのは幼い頃のラオシンの愛称である。両親や伯父王、そして二つ年下のいとこは彼のことをそう呼んでいた。血のつながった彼ら四人だけが王子ラオシンをそう呼んだ。
「……陛下、本当に?」
相手の、ラオシンとおなじく黒い瞳がラオシンのはだけられた胸、うすい下腹、そして戒められた雄芯をなぶるように見る。視線の針につつかれてラオシンは身震いする。
「どうして、ですか? なぜ、私にこのような真似を?」
勿論、王太后エメリスがこの奸計の首謀者で、憎いジャハンと組んで自分を地獄に突き落とし、死ぬより辛い目に合わせた張本人だということは知っている。それに信用していたアラムが加わっていたことも知ってしまった。そのアラムは室の隅で今のラオシンの無残な姿を見ているのだろう。
だが、今までアイジャルのことはあまり思い出さなかった。もしかしたら母親の悪だくみを知ってはいても、気の弱い彼は母に逆らうこともできず、ラオシンを救うこともできず、ただ拱手傍観しているのだろうとは想像していたが、憎みはしなかった。
ジャハンや王太后を憎む心が強すぎて、アイジャルのことを憎む暇がなかった、ともいえるが、なによりもアイジャルというのはラオシンにとっては影の薄い、影響力のほとんどない存在だったのだ。憎んだり恨んだり、競ったりするような感情を持ったこともなければ、ぎゃくに、いとこ以上としての愛情や友情、親愛の情ももつことのない、どこか、遠く、空ろな存在だったのだ。偉大な亡父にすこしも似たことのない、母親の言いなりの木偶のように見なしていた。
ラオシンは、嫌ってこそはいなかったが、早く言えばアイジャルを軽んじていたのだ。憎むほどの値打ちもない、というふうに。王位にまったく興味がなかったのも、アイジャルと競り合うことに意味が無いように感じていたせいだ。もし、アイジャルに対してわずかでも競争心なり対抗意識があれば、彼を刺激するために、形のうえだけでも王位に執着する素振りを見せたかもしれないが、そんな気持ちも毛頭わかなかった。
だが、その、ラオシンにとっていてもいなくて同然のようだったいとこが、今ラオシンに挑みかかろうとしている。やや離れた所からサルドバが複雑な表情でラオシンを見下ろしている。アイジャルよりもサルドバの視線が辛くてラオシンは身をよじる。
「ラオ、余を見ろ」
アイジャルの細い指がラオシンの胸のうえを這う。その感触がむずがゆくてラオシンは身体をひねる。手に胸の突起をつつむようにされて、ラオシンは思わず息を吐く。
「へ、陛下」
「聞け、ラオ、ラオは今から余のものになるのだ。悔しいか?」
「な、なぜ、そんな……」
黒い目がラオシンを見下ろす。あまり目を見交わしたことなどなかったが、アイジャルの瞳の奥にひそむ黒炎に今はじめてラオシンは気づいた。あの脆弱ないとこが、これほど激しく誰かを見ることがあったとは。
「余は……ずっとラオが欲しかった。ラオを余だけのものにしたかった」
「陛下……まさか、陛下がこれを?」
ラオシンを罠にはめたのは、王太后ではなく、アイジャルだったのか。
黒い髪はまっすぐに腰まで伸ばされ、つややかにきらめいており、かすかに見える顎から首にかけての肌はサファヴィア人にしては色がかなり白い。おそらく滅多に外に出ることのない名家の令息なのだろうと客たちは推察する。
「しかし若いな。娼館で遊ぶにはまだ早いのではないか?」
誰かがやっかみ半分でそう言うと、それに応えるようにどこからともなく、
「坊や、ちゃんとお相手できるのか?」
という嘲りをふくんだ声がたつ。
ラオシンはいつになったらこの悪夢が終わるのか、祈るような想いで天井のスフィンクスの顔をぼんやりと眺めていた。その間も脚は獣の目をした男たちのまえに広げられ、中心につなげられた天鵞絨の黒紐が妖しくぬめっていることも、黄金の鈴がゆれる音もすべてさらけ出され、限界を超えるこの恥辱に舌を噛む気力もわかなかった。
(夢だ……これは、悪い夢なのだ)
思っていたことを口にしてしまっていたようだ。自分におおいかぶさってくる相手が呟いた。
「夢ではない、ラオ、余を見ろ」
「……」
ラオ、というのは幼い頃のラオシンの愛称である。両親や伯父王、そして二つ年下のいとこは彼のことをそう呼んでいた。血のつながった彼ら四人だけが王子ラオシンをそう呼んだ。
「……陛下、本当に?」
相手の、ラオシンとおなじく黒い瞳がラオシンのはだけられた胸、うすい下腹、そして戒められた雄芯をなぶるように見る。視線の針につつかれてラオシンは身震いする。
「どうして、ですか? なぜ、私にこのような真似を?」
勿論、王太后エメリスがこの奸計の首謀者で、憎いジャハンと組んで自分を地獄に突き落とし、死ぬより辛い目に合わせた張本人だということは知っている。それに信用していたアラムが加わっていたことも知ってしまった。そのアラムは室の隅で今のラオシンの無残な姿を見ているのだろう。
だが、今までアイジャルのことはあまり思い出さなかった。もしかしたら母親の悪だくみを知ってはいても、気の弱い彼は母に逆らうこともできず、ラオシンを救うこともできず、ただ拱手傍観しているのだろうとは想像していたが、憎みはしなかった。
ジャハンや王太后を憎む心が強すぎて、アイジャルのことを憎む暇がなかった、ともいえるが、なによりもアイジャルというのはラオシンにとっては影の薄い、影響力のほとんどない存在だったのだ。憎んだり恨んだり、競ったりするような感情を持ったこともなければ、ぎゃくに、いとこ以上としての愛情や友情、親愛の情ももつことのない、どこか、遠く、空ろな存在だったのだ。偉大な亡父にすこしも似たことのない、母親の言いなりの木偶のように見なしていた。
ラオシンは、嫌ってこそはいなかったが、早く言えばアイジャルを軽んじていたのだ。憎むほどの値打ちもない、というふうに。王位にまったく興味がなかったのも、アイジャルと競り合うことに意味が無いように感じていたせいだ。もし、アイジャルに対してわずかでも競争心なり対抗意識があれば、彼を刺激するために、形のうえだけでも王位に執着する素振りを見せたかもしれないが、そんな気持ちも毛頭わかなかった。
だが、その、ラオシンにとっていてもいなくて同然のようだったいとこが、今ラオシンに挑みかかろうとしている。やや離れた所からサルドバが複雑な表情でラオシンを見下ろしている。アイジャルよりもサルドバの視線が辛くてラオシンは身をよじる。
「ラオ、余を見ろ」
アイジャルの細い指がラオシンの胸のうえを這う。その感触がむずがゆくてラオシンは身体をひねる。手に胸の突起をつつむようにされて、ラオシンは思わず息を吐く。
「へ、陛下」
「聞け、ラオ、ラオは今から余のものになるのだ。悔しいか?」
「な、なぜ、そんな……」
黒い目がラオシンを見下ろす。あまり目を見交わしたことなどなかったが、アイジャルの瞳の奥にひそむ黒炎に今はじめてラオシンは気づいた。あの脆弱ないとこが、これほど激しく誰かを見ることがあったとは。
「余は……ずっとラオが欲しかった。ラオを余だけのものにしたかった」
「陛下……まさか、陛下がこれを?」
ラオシンを罠にはめたのは、王太后ではなく、アイジャルだったのか。
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