53 / 65
狂宴の果て 四
しおりを挟む
黒い布が肩から落ちると、藍色の衣につつまれたほっそりとした背中が客に見える。肩から腰にかけて銀鎖に碧玉をつないだ装飾品が光り、さすがに金貨千枚をぽんと払えるだけの裕福さが全身から滲み出ているが、男たちが一瞬目をこらしたのは、彼がひどく若いことだ。
黒い髪はまっすぐに腰まで伸ばされ、つややかにきらめいており、かすかに見える顎から首にかけての肌はサファヴィア人にしては色がかなり白い。おそらく滅多に外に出ることのない名家の令息なのだろうと客たちは推察する。
「しかし若いな。娼館で遊ぶにはまだ早いのではないか?」
誰かがやっかみ半分でそう言うと、それに応えるようにどこからともなく、
「坊や、ちゃんとお相手できるのか?」
という嘲りをふくんだ声がたつ。
ラオシンはいつになったらこの悪夢が終わるのか、祈るような想いで天井のスフィンクスの顔をぼんやりと眺めていた。その間も脚は獣の目をした男たちのまえに広げられ、中心につなげられた天鵞絨の黒紐が妖しくぬめっていることも、黄金の鈴がゆれる音もすべてさらけ出され、限界を超えるこの恥辱に舌を噛む気力もわかなかった。
(夢だ……これは、悪い夢なのだ)
思っていたことを口にしてしまっていたようだ。自分におおいかぶさってくる相手が呟いた。
「夢ではない、ラオ、余を見ろ」
「……」
ラオ、というのは幼い頃のラオシンの愛称である。両親や伯父王、そして二つ年下のいとこは彼のことをそう呼んでいた。血のつながった彼ら四人だけが王子ラオシンをそう呼んだ。
「……陛下、本当に?」
相手の、ラオシンとおなじく黒い瞳がラオシンのはだけられた胸、うすい下腹、そして戒められた雄芯をなぶるように見る。視線の針につつかれてラオシンは身震いする。
「どうして、ですか? なぜ、私にこのような真似を?」
勿論、王太后エメリスがこの奸計の首謀者で、憎いジャハンと組んで自分を地獄に突き落とし、死ぬより辛い目に合わせた張本人だということは知っている。それに信用していたアラムが加わっていたことも知ってしまった。そのアラムは室の隅で今のラオシンの無残な姿を見ているのだろう。
だが、今までアイジャルのことはあまり思い出さなかった。もしかしたら母親の悪だくみを知ってはいても、気の弱い彼は母に逆らうこともできず、ラオシンを救うこともできず、ただ拱手傍観しているのだろうとは想像していたが、憎みはしなかった。
ジャハンや王太后を憎む心が強すぎて、アイジャルのことを憎む暇がなかった、ともいえるが、なによりもアイジャルというのはラオシンにとっては影の薄い、影響力のほとんどない存在だったのだ。憎んだり恨んだり、競ったりするような感情を持ったこともなければ、ぎゃくに、いとこ以上としての愛情や友情、親愛の情ももつことのない、どこか、遠く、空ろな存在だったのだ。偉大な亡父にすこしも似たことのない、母親の言いなりの木偶のように見なしていた。
ラオシンは、嫌ってこそはいなかったが、早く言えばアイジャルを軽んじていたのだ。憎むほどの値打ちもない、というふうに。王位にまったく興味がなかったのも、アイジャルと競り合うことに意味が無いように感じていたせいだ。もし、アイジャルに対してわずかでも競争心なり対抗意識があれば、彼を刺激するために、形のうえだけでも王位に執着する素振りを見せたかもしれないが、そんな気持ちも毛頭わかなかった。
だが、その、ラオシンにとっていてもいなくて同然のようだったいとこが、今ラオシンに挑みかかろうとしている。やや離れた所からサルドバが複雑な表情でラオシンを見下ろしている。アイジャルよりもサルドバの視線が辛くてラオシンは身をよじる。
「ラオ、余を見ろ」
アイジャルの細い指がラオシンの胸のうえを這う。その感触がむずがゆくてラオシンは身体をひねる。手に胸の突起をつつむようにされて、ラオシンは思わず息を吐く。
「へ、陛下」
「聞け、ラオ、ラオは今から余のものになるのだ。悔しいか?」
「な、なぜ、そんな……」
黒い目がラオシンを見下ろす。あまり目を見交わしたことなどなかったが、アイジャルの瞳の奥にひそむ黒炎に今はじめてラオシンは気づいた。あの脆弱ないとこが、これほど激しく誰かを見ることがあったとは。
「余は……ずっとラオが欲しかった。ラオを余だけのものにしたかった」
「陛下……まさか、陛下がこれを?」
ラオシンを罠にはめたのは、王太后ではなく、アイジャルだったのか。
黒い髪はまっすぐに腰まで伸ばされ、つややかにきらめいており、かすかに見える顎から首にかけての肌はサファヴィア人にしては色がかなり白い。おそらく滅多に外に出ることのない名家の令息なのだろうと客たちは推察する。
「しかし若いな。娼館で遊ぶにはまだ早いのではないか?」
誰かがやっかみ半分でそう言うと、それに応えるようにどこからともなく、
「坊や、ちゃんとお相手できるのか?」
という嘲りをふくんだ声がたつ。
ラオシンはいつになったらこの悪夢が終わるのか、祈るような想いで天井のスフィンクスの顔をぼんやりと眺めていた。その間も脚は獣の目をした男たちのまえに広げられ、中心につなげられた天鵞絨の黒紐が妖しくぬめっていることも、黄金の鈴がゆれる音もすべてさらけ出され、限界を超えるこの恥辱に舌を噛む気力もわかなかった。
(夢だ……これは、悪い夢なのだ)
思っていたことを口にしてしまっていたようだ。自分におおいかぶさってくる相手が呟いた。
「夢ではない、ラオ、余を見ろ」
「……」
ラオ、というのは幼い頃のラオシンの愛称である。両親や伯父王、そして二つ年下のいとこは彼のことをそう呼んでいた。血のつながった彼ら四人だけが王子ラオシンをそう呼んだ。
「……陛下、本当に?」
相手の、ラオシンとおなじく黒い瞳がラオシンのはだけられた胸、うすい下腹、そして戒められた雄芯をなぶるように見る。視線の針につつかれてラオシンは身震いする。
「どうして、ですか? なぜ、私にこのような真似を?」
勿論、王太后エメリスがこの奸計の首謀者で、憎いジャハンと組んで自分を地獄に突き落とし、死ぬより辛い目に合わせた張本人だということは知っている。それに信用していたアラムが加わっていたことも知ってしまった。そのアラムは室の隅で今のラオシンの無残な姿を見ているのだろう。
だが、今までアイジャルのことはあまり思い出さなかった。もしかしたら母親の悪だくみを知ってはいても、気の弱い彼は母に逆らうこともできず、ラオシンを救うこともできず、ただ拱手傍観しているのだろうとは想像していたが、憎みはしなかった。
ジャハンや王太后を憎む心が強すぎて、アイジャルのことを憎む暇がなかった、ともいえるが、なによりもアイジャルというのはラオシンにとっては影の薄い、影響力のほとんどない存在だったのだ。憎んだり恨んだり、競ったりするような感情を持ったこともなければ、ぎゃくに、いとこ以上としての愛情や友情、親愛の情ももつことのない、どこか、遠く、空ろな存在だったのだ。偉大な亡父にすこしも似たことのない、母親の言いなりの木偶のように見なしていた。
ラオシンは、嫌ってこそはいなかったが、早く言えばアイジャルを軽んじていたのだ。憎むほどの値打ちもない、というふうに。王位にまったく興味がなかったのも、アイジャルと競り合うことに意味が無いように感じていたせいだ。もし、アイジャルに対してわずかでも競争心なり対抗意識があれば、彼を刺激するために、形のうえだけでも王位に執着する素振りを見せたかもしれないが、そんな気持ちも毛頭わかなかった。
だが、その、ラオシンにとっていてもいなくて同然のようだったいとこが、今ラオシンに挑みかかろうとしている。やや離れた所からサルドバが複雑な表情でラオシンを見下ろしている。アイジャルよりもサルドバの視線が辛くてラオシンは身をよじる。
「ラオ、余を見ろ」
アイジャルの細い指がラオシンの胸のうえを這う。その感触がむずがゆくてラオシンは身体をひねる。手に胸の突起をつつむようにされて、ラオシンは思わず息を吐く。
「へ、陛下」
「聞け、ラオ、ラオは今から余のものになるのだ。悔しいか?」
「な、なぜ、そんな……」
黒い目がラオシンを見下ろす。あまり目を見交わしたことなどなかったが、アイジャルの瞳の奥にひそむ黒炎に今はじめてラオシンは気づいた。あの脆弱ないとこが、これほど激しく誰かを見ることがあったとは。
「余は……ずっとラオが欲しかった。ラオを余だけのものにしたかった」
「陛下……まさか、陛下がこれを?」
ラオシンを罠にはめたのは、王太后ではなく、アイジャルだったのか。
1
あなたにおすすめの小説
鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる
結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。
冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。
憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。
誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。
鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。
【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます
腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった!
私が死ぬまでには完結させます。
追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。
追記2:ひとまず完結しました!
【完結】愛されたかった僕の人生
Kanade
BL
✯オメガバース
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。
今日も《夫》は帰らない。
《夫》には僕以外の『番』がいる。
ねぇ、どうしてなの?
一目惚れだって言ったじゃない。
愛してるって言ってくれたじゃないか。
ねぇ、僕はもう要らないの…?
独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
世界を救ったあと、勇者は盗賊に逃げられました
芦田オグリ
BL
「ずっと、ずっと好きだった」
魔王討伐の祝宴の夜。
英雄の一人である《盗賊》ヒューは、一人静かに酒を飲んでいた。そこに現れた《勇者》アレックスに秘めた想いを告げられ、抱き締められてしまう。
酔いと熱に流され、彼と一夜を共にしてしまうが、盗賊の自分は勇者に相応しくないと、ヒューはその腕からそっと抜け出し、逃亡を決意した。
その体は魔族の地で浴び続けた《魔瘴》により、静かに蝕まれていた。
一方アレックスは、世界を救った栄誉を捨て、たった一人の大切な人を追い始める。
これは十年の想いを秘めた勇者パーティーの《勇者》と、病を抱えた《盗賊》の、世界を救ったあとの話。
秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~
めぐみ
BL
☆俺はお前を何度も抱き、俺なしではいられぬ淫らな身体にする。宿命という名の数奇な運命に翻弄される王子達☆
―俺はそなたを玩具だと思ったことはなかった。ただ、そなたの身体は俺のものだ。俺はそなたを何度でも抱き、俺なしではいられないような淫らな身体にする。抱き潰すくらいに抱けば、そなたもあの宦官のことなど思い出しもしなくなる。―
モンゴル大帝国の皇帝を祖父に持ちモンゴル帝国直系の皇女を生母として生まれた彼は、生まれながらの高麗の王太子だった。
だが、そんな王太子の運命を激変させる出来事が起こった。
そう、あの「秘密」が表に出るまでは。
殿下に婚約終了と言われたので城を出ようとしたら、何かおかしいんですが!?
krm
BL
「俺達の婚約は今日で終わりにする」
突然の婚約終了宣言。心がぐしゃぐしゃになった僕は、荷物を抱えて城を出る決意をした。
なのに、何故か殿下が追いかけてきて――いやいやいや、どういうこと!?
全力すれ違いラブコメファンタジーBL!
支部の企画投稿用に書いたショートショートです。前後編二話完結です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる