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新たなる朝 一
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満月が庭に下りてきたかのような明るい夜を、ラオシンを抱いたアイジャルがゆっくりと進んでいく。
このときラオシンが感じたのは館から出られるという安堵よりも、宮殿に戻って旧知の人間と顔をあわせる恐怖だった。しかも、アイジャルはラオシンを側室にするという。そんなことがあるのだろうか。
「へ、陛下、おゆるしを!」
抱かれながらラオシンはすっかり挫かれた心をどうにか立て直し、哀願した。
「駄目じゃ。もう決めたのだ。局も用意してある。庭には沐浴のための浴場もあるし、ラオの好きな水仙もたんと植えているぞ」
実際には、水仙が好きだったのは亡き母アーミアであり、ラオシンは母を偲んで自分の宮殿によく水仙をかざっていたのだ。その母の愛した花に囲まれてこれから送る日々のことを想像すると、ラオシンはいっそう怯えた。
「陛下、お願いです。宮殿につれて行くのだけはやめて……」
知らず知らず、その口調もどこか弱くなってきていることにラオシンはまだ気づいていない。
かつての、やや生意気で凛々しいラオシンを知る者が見れば驚くだろう。アイジャルはラオシンの、そんな変化を内心うれしく思いながらも、告げる言葉をきびしくした。
「ラオ、奴隷は主に逆らってはいけない。これ以上あれこれ言うなら、サルドバに言って尻を打たせなければならぬぞ」
ラオシンは絶句した。すぐそばにはサルドバがいるのだ。思わず向けた視線が彼の青い目とかちあい、羞恥のあまり消え入りたくなる。
「陛下、ラオシン様を躾けるのなら、このジャハンにおまかせくだされ」
ジャハンがおたおたと敷石のうえを走ってきて、褒美をねだるように息を切らせてアイジャルの藍色の裾にしがみつく。主に餌をねだる犬そのものである。そんな家臣を見るアイジャルの目に、ラオシンは一瞬、氷室からとりよせた氷を見た気がした。
「ジャハンよ、おまえは今回のことでよくやってくれた」
「めっそうもない。臣下として当然のことをしたまでで」
ジャハンは卑屈に笑う。アイジャルの顔が以前にまして別人のように変わっていくのをラオシンは不吉な想いを感じながら眺めていた。
「おまえがラオを殺すかわりに性奴隷に堕とすことを強く母上や余にすすめてくれたおかげで、ラオは命をうしなうこともなく、こうして余の可愛い人となった」
聞いているラオシンは内心歯ぎしりしたい気分だ。いったん打ち砕かれた心が、憎い相手をまえにして再生されていき、そしてまた新たな侮辱にきしみをあげる。
(いったい……どこまで私は苦しまねばならないのだ……?)
涙を見られたくなく、アイジャルの胸に顔をうずめてしまう。アイジャルの手が、なだめるようにラオシンの髪を撫でる。
「さ、さようでございますとも。身共はすべて陛下と王太后陛下、そしてラオシン殿下のために尽力したのでございます。これからもラオシン様が誠心誠意陛下に忠勤をつくすよう、ご協力するつもりでございます」
ラオシンは嗚咽をこらえた。
「うむ。ありがたいと思っている。さらにもうひとつ頼みがある」
「はい。なんでございましょう?」
ぐひひひひ、と笑いながらジャハンはいつものように相手を下からうかがい見るように見上げる。
「母上は、おいたつきで、寝込まれているらしい」
「へ? そ、そんな」
これにはジャハンのみならずラオシンも驚いて顔をあげた。
「母上が亡くなられたりすれば、大変じゃ」
不吉なことを、アイジャルは妙にわざとらしく言う。
「お、王太后陛下が……? す、すぐに医師を」
ジャハンの顔色が変わったのは無理もない。王太后は彼にとって大事な保護者であり、後ろ盾であると同時に、彼のゆがんだ欲望をなしとげるための貴重な手駒なのだ。
「案ずるな、母上にはよく効くと評判の薬をおとどけてしている。おまえが、かつて父上のもとに運ばせたのとおなじ薬じゃ」
このときラオシンが感じたのは館から出られるという安堵よりも、宮殿に戻って旧知の人間と顔をあわせる恐怖だった。しかも、アイジャルはラオシンを側室にするという。そんなことがあるのだろうか。
「へ、陛下、おゆるしを!」
抱かれながらラオシンはすっかり挫かれた心をどうにか立て直し、哀願した。
「駄目じゃ。もう決めたのだ。局も用意してある。庭には沐浴のための浴場もあるし、ラオの好きな水仙もたんと植えているぞ」
実際には、水仙が好きだったのは亡き母アーミアであり、ラオシンは母を偲んで自分の宮殿によく水仙をかざっていたのだ。その母の愛した花に囲まれてこれから送る日々のことを想像すると、ラオシンはいっそう怯えた。
「陛下、お願いです。宮殿につれて行くのだけはやめて……」
知らず知らず、その口調もどこか弱くなってきていることにラオシンはまだ気づいていない。
かつての、やや生意気で凛々しいラオシンを知る者が見れば驚くだろう。アイジャルはラオシンの、そんな変化を内心うれしく思いながらも、告げる言葉をきびしくした。
「ラオ、奴隷は主に逆らってはいけない。これ以上あれこれ言うなら、サルドバに言って尻を打たせなければならぬぞ」
ラオシンは絶句した。すぐそばにはサルドバがいるのだ。思わず向けた視線が彼の青い目とかちあい、羞恥のあまり消え入りたくなる。
「陛下、ラオシン様を躾けるのなら、このジャハンにおまかせくだされ」
ジャハンがおたおたと敷石のうえを走ってきて、褒美をねだるように息を切らせてアイジャルの藍色の裾にしがみつく。主に餌をねだる犬そのものである。そんな家臣を見るアイジャルの目に、ラオシンは一瞬、氷室からとりよせた氷を見た気がした。
「ジャハンよ、おまえは今回のことでよくやってくれた」
「めっそうもない。臣下として当然のことをしたまでで」
ジャハンは卑屈に笑う。アイジャルの顔が以前にまして別人のように変わっていくのをラオシンは不吉な想いを感じながら眺めていた。
「おまえがラオを殺すかわりに性奴隷に堕とすことを強く母上や余にすすめてくれたおかげで、ラオは命をうしなうこともなく、こうして余の可愛い人となった」
聞いているラオシンは内心歯ぎしりしたい気分だ。いったん打ち砕かれた心が、憎い相手をまえにして再生されていき、そしてまた新たな侮辱にきしみをあげる。
(いったい……どこまで私は苦しまねばならないのだ……?)
涙を見られたくなく、アイジャルの胸に顔をうずめてしまう。アイジャルの手が、なだめるようにラオシンの髪を撫でる。
「さ、さようでございますとも。身共はすべて陛下と王太后陛下、そしてラオシン殿下のために尽力したのでございます。これからもラオシン様が誠心誠意陛下に忠勤をつくすよう、ご協力するつもりでございます」
ラオシンは嗚咽をこらえた。
「うむ。ありがたいと思っている。さらにもうひとつ頼みがある」
「はい。なんでございましょう?」
ぐひひひひ、と笑いながらジャハンはいつものように相手を下からうかがい見るように見上げる。
「母上は、おいたつきで、寝込まれているらしい」
「へ? そ、そんな」
これにはジャハンのみならずラオシンも驚いて顔をあげた。
「母上が亡くなられたりすれば、大変じゃ」
不吉なことを、アイジャルは妙にわざとらしく言う。
「お、王太后陛下が……? す、すぐに医師を」
ジャハンの顔色が変わったのは無理もない。王太后は彼にとって大事な保護者であり、後ろ盾であると同時に、彼のゆがんだ欲望をなしとげるための貴重な手駒なのだ。
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