艶夢百景

文月 沙織

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花の宿 一

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月島豊円つきしまほうえん先生はもういらしていますか?」
 比奈世光則ひなせみつのりは薄暗い玄関で迎えに出た女性にたずねた。
「はい。先ほどよりお待ちでございます」
 根岸色の着物に身をつつんだ女は顔を伏せたまま告げる。
 丁寧にまとめあげられた髪は半ばは白くなっているが、老いよりも熟練したものを感じさせるのは、長く働いてきた女の気骨がにじみ出ているせいだろう。
 この店の女将か、もしくは店をたばねている仲居頭のような存在なのか。
 店といっても大きくはない。都会のはずれにひっそりとある小さな料亭である。光則は最寄りの駅から下りて、繁華街の真ん中を歩きここまできた。わずか十数分で、こんなしずかな場所があることが驚きだ。
 この店は、著名人や金満家よりも、静かにくつろぐことを目当てにやってくる客を相手にしているのだろう。
 著名な日本画家の月島豊円は、時折この料亭へ息抜きしにやってくるという。
 庭に面した廊下を、女主人に案内されるがままにすすみ、奥まったあたりの一室へ導かれた。
 庭には山茶花の木が見え、そろそろ紅い花が開きはじめている。塀の外を歩いているときも目に入った。まだ小ぶりだが、その花に引かれるようにしてこの建物にたどりついたのだ。
「先生、お客様がいらっしゃいましたよ」
 女が襖をあけて、声をかける。豊円へ向けられた声音には親しみが感じられ、通常の客とは違うものが察せられた。
 光則はややあわてて彼女の後ろに座った。彼女の項あたりがなぜか目につく。老境に入っていても、どこか色気が匂うのに、この人は花柳界にいた人なのかとふと思ってしまった。
「ああ、来たか。千沙さん、あとで比奈世君に茶をもってきてくれ」
「かしこまりました」

 彼女が静かに立ち去ってから、あらためて光則は豊円にあいさつした。
「豊円先生、ご無沙汰しておりました。今回は、無理なお仕事を引き受けてくださり、ありがとうございます」
 光則の勤めている出版社で取りくむ特集に、豊円の絵をつかい、随筆を書いてもらうことがきまり、その打ち合わせのために時間をつくってもらったのだ。
 月島豊円は近代日本画ではそこそこの大家である。賞もいくつか取っており、日展にも何度も出品している。だが、それ以上に彼は日本の美術界、とくに日本画の世界においてある種の権力をもっていた。
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