帝国秘話―落ちた花ー

文月 沙織

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敗者の作法

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 翌日、人質の受けわたしの儀式は夕靄のなかで行われた。緑葉と真紅のはすがエメラルド色とルビーの色の霧をそれぞれほのかにはなち、庭園を昼に見るときとはまったくちがう幽玄的な場所に見せる。
 そのなかで世にも美しい神官は、美しい奴隷として父王の手から敵兵の手にゆだねられた。 
 だが、王自身はその場には居合わせず、代理の王太子が姿を見せたにすぎない。彼も異腹の弟とは目を合わせようとせず儀式はあっけなく終わり、神官たちのすすり泣きがひそかに靄のなかにひびいた。
「きゃつらはいったいどこまで我が国を辱めればすむのだ?」
「しっ! 声が大きい」
「神官長を人質にさしだすなど、このような事があっていいのか……」
「陛下ももうお歳だし、気が弱くなられているのだろう」
「ならば、なおさら神官長が異国へ行くなどあってはならぬことではないか」
 そんな怨嗟のつぶやきが殿でんしゃのあちこちでささやかれたが、タキトゥスの耳にまで入れる勇気のある者はイカラスにはいない。
 こうして、イリカはイカラス神殿と王宮を出た。もしかしたら、もう二度と帰ることはないのかもしれないと、本人をはじめ宮殿じゅうの誰もが思ったことだろう。

「満足か? 野蛮人」
 ともに乗りあわせた二頭だての馬車のなかでイリカはタキトゥスに憎悪の目をむけると、我慢していた怒りの言葉をたたきつけた。
「おやおや、お上品なお人形だと思ったら、けっこう言うではないか」
 ふたりっきりになると、もはや形の上だけの礼儀も遠慮もなくタキトゥスはイリカの細い手を握りしめた。思ったとおり、相手は怒りにまなじりをつりあげる。
「手をはなせ! 下種」
(神官長というから、冷静、かつ冷血と思っていたら、なんとまぁ激しい心の持ち主だ。これはおもしろい獲物を手にいれたぞ)
 タキトゥスは声を出して笑わずにはいられない。
「活きがいいな。これは陛下の前に出すまえに躾けが必要だな」
 見下した言い方にイリカはますます激昂したが、タキトゥスがいつの間に用意していたのか、ふところから縄をとりだしたのを見ると蒼白となった。
「なにをする?」
 おびえた顔にますますタキトゥスの胸は燃える。
 
 タキトゥスはあるときから己のなかにひそむ残酷な獣の存在に気づいていた。
 とらえた捕虜や人質にひどい仕打ちをするのがたまらなくたのしくなるときがあるのだ。
 そしてその相手は決まって高慢で権高けんだかな貴族の子女なのだが、今回は王族であり高貴なうえにも高貴な神官長である。これは絶品だ。すでに胸のうちは征服と陵辱の欲で満ちていた。
 仁将として知られているディトスなどは彼のそういった性癖を折にふれては非難したが、この時代そういったことはめずらしくもなく、勝利者の役得として見過ごされており、タキトゥスは耳を貸さない。とはいうものの下級の兵士とはちがってさすが将軍となると帝国軍の風聞もあるので、せめては人目のないところで、というのが彼とディトスのあいだでの最低限の譲歩案となっている。 
「な、なにをするのだ?」
「人質らしく縛ってやるのだ。おとなしくしていろよ」
 縛られると聞いてイリカはいっそうまなじりをつりあげた。信じられないことだ。
「は、はなせ! 私はイカラス王の息子で神官長だ。そんな辱めを受けるいわれはない!」
 逆上するイリカを片手一本でおさえこむとタキトゥスは残酷に言いはなった。
「あなたは、いや、おまえはもう王族でも神官長でもない。人質になるということがどういうことなのか、アルゲリアスに着くまでのあいだに、これから俺がたっぷりと教えてやろう」 
 タキトゥスは残酷に笑った。そのときからイリカの地獄がはじまった。

「ほら、入れ!」
 タキトゥスはたくましい手でアルゲリアス帝国の紋章である蛇の尾をもつ金の獅子の刺繍がほどこされた天幕の布をひらけると、後手でしばられているイリカを乱暴に押しこむ。両手を後ろでしばられているイリカは長衣の裾をふみ、一瞬ころびそうになったが、なんとか胸をそらしてタキトゥスをにらみつける。
「無礼な!」
 さらに罵ってやろうとイリカは口をひらきかけたが、天幕内に十三、四歳ほどの小姓がふたりならんでいることに気をそがれた。
「金髪の方はアレイガ、黒髪の方はミルニアス。今日からおまえの世話係り兼調教師だ。仲良くするといい」
 イリカはこわばった表情でふたりの少年を見下ろした。
 アレイガは金髪に碧の目でアルゲリアス人らしい風貌だが、横に立つミルニアスは肌の色こそ帝国人らしく白いが目は黒く、どことなく東方人らしい風貌に見える。
 だが外見よりも、イリカの頬をかたくさせたのは、小姓のお仕着せらしい薄紅色の衣につつまれた、少年にしては奇妙になよやかな彼らの体格と、全身からかもし出される異様な色気だ。アレイガなどはかすかに化粧もほどこしているようで唇が異常に赤い。
 一目見て、そういったことにうとかったイリカにも、ふたりが主人の閨にはべる陰間かげまなのだと知れた。
 めずらしい隠花植物を見ているようだが、神につかえる身として禁欲をたっとび清廉を第一としてきたイリカには、ふたりが異形の未知の生物に思え、本能的な拒絶を感じてしまい、我知らず黒い瞳を冷たく光らせてしまう。
 その視線に反応してかアレイガは生意気そうに顎をそらし、ミルニアスは黒い睫をふせて顔をうつむける。どうやらふたりは対照的な性格のようだ。
「アレイガ、このイリカは、わが帝国軍によって敗れ属国となったイカラス王国の王子であり神殿につかえる神官様だ。属国からの人質として帝国につれていくことになった。世話をたのむぞ。おまえに任せておけばまちがいないからな」
 タキトゥスが金色の眉を性悪げにゆがめる様子は、まさに草食動物をまえにして舌なめずりする獰猛な肉食獣だ。
 イリカは無言でひたすら憎悪をこめて目のまえの男をにらみつけたが、いかに悔しくとも、虜囚となった亡国の王族の身、まして両腕をいましめられている立場ではなにもできず、ただひたすら今は失われた祖国の名誉をまもるためにも、なにがあろうと、なにをされようと弱音ははくまいと決意して唇をかみしめるしかない。
 これから我が身に起こることを、世俗のことに無知であったイリカもすでに知らされていた。敵国への生贄、人質にされたのだ。
 人質といってもアルゲリアスの剣に屈した小王国の王子、それも庶子である。なにほどの価値もなく、ただアルゲリアス帝や勝者たちへ征服のあかし、戦利品としておくりとどけられ、なぐさみ者にされる運命なのだ。
(なにがあろうと、私は死ぬまでイカラスの王子であり、神官だ)
 その誇りだけは死んでも失うまいとイリカは覚悟を決めた。そんなイリカの覚悟を知ってか知らずか、アレイガが毒づく。 
「二十二? もう年増ではありませんか。小姓にするにはとうが立ちすぎております。色は黒いし、身体もかたそうですし、髪はちぢれている! これは相当手間がかかるやしれませぬ」
 猛獣におもねる小獣そのままにアレイガがタキトゥスにしなだれ、その様子を見たかたわらのミルニアスがぽっと頬を赤らめる。
「ハハハ、あいかわらずものをはっきり言うな、アレイガは。だからこそおまえにたのむのだ。おまえならイリカを立派な陰間に仕込んでくれると見込んでな」
 陰間――。
 イリカのほっそりとした顔が怒りと憎悪にふるえるが、二匹の獣たちは生贄いけにえの苦痛などいっこうに気にかけていないようだ。
「ミルニアスをうまく仕込んでくれたようにな」
 そこでタキトゥスは内気そうなもうひとりの少年に目をむけ、少年は主の視線に消えいりそうに身をちぢこませる。
「ミルニアスはな、遠国の貴族の子弟だったが家が没落し、人買いに売られてアルゲリアスの娼館に買われたのだ。貴族の子だけあってなかなか高慢なところがあったが、アレイガの調教によって今では」
 タキトゥスのふくみ笑いを察したアレイガが甲高い声をあげた。
「ミルニアス、イリカ様にご挨拶!」
 ミルニアスには一瞬、身体をふるえさせたが、やがておずおずと足をすすめてイリカに近よった。
「ミルニアスと申します。どうぞよろしくお見知りおきを」
 豹の毛皮の敷物のうえにひざまずくと、イリカの皮のサンダルのまえにぬかづき、怪訝そうに見下ろす彼の足の指先に接吻した。
 奴隷の作法である。それも最下級の。
 イリカは驚きと哀れみをこめて、自分と似た境遇の歳若い下僕を見つめ、思わずそんなことをするな、と敷物のうえにうずくまる彼の両肩をゆさぶりたくなったが、縛られた腕の痛みで自分もおなじ囚われの身であることを思い出し、むなしさに凍えた。
「彼にそんなことをさせるのは止めてくれ。仮にしもべにするにしても、貴族の子ならそれなりのあつかいをすべきだ」
「おまえにも、か?」
 タキトゥスは近くの台におかれた銀皿からオレンジを一個手にとって一口噛みくだき、わざと下品に唇をなめる。
「当然だ! 私はいくら敗れたりとはいえイカラス国王の子であり、イカラスの守護神につかえる神官だ。相応の待遇をもとめる。一軍の将たるもの、それに応じるべきだ」
「それはおまえの国の習慣かもしれぬが、わが帝国にはそのような礼儀も習慣もないのでな」
 タキトゥスがイリカのゆったりとした薄紫の衣で手についた果汁をふく。
「礼儀知らず!」
「わが国では勝利がすべてであり、負けたものにはなにもない。これはよく知っておくがよい」 
「あっ!」 
 刹那、天幕に衣をさく音がひびき、イリカの上半身がむきだしにされた。
「なにをする! はなせ、無礼者、それがアルゲリアス帝国一の勇将といわれた男のすることなのか!」
「これがアルゲリアス一の勇将といわれた男のすることだ。ああ、やっぱり……美しいものだな」
 太い指がイリカの細い首にからまるいくつもの宝玉をつらねた首かざりをもてあそぶ。その指の感触にイリカは怖気だった。
 宝玉は天幕のすみに置かれた燭台の光にでられ、なないろのあやしいきらめきを放ったが、それよりもタキトゥスの目をひいたのはイリカの南方人らしい褐色の肌だ。
「ほう」
 金髪碧眼の白人種らしい傲慢さと偏見で、肌は白ければ白いほど美しく品がよいと思いこんでいたタキトゥスに、そのくる色にかがやく肌の照りは新鮮だった。さらに胸元に実るふたつの小さな果実も。
 細身に見えて、儀式の折には長時間神にささげる舞をこなす神官であるイリカの身体はそれなりに鍛えられており、歴戦の勇士であるタキトゥスには比べるべくはないものの、しなやかな筋肉もついている。
「あっ、つぅ」
 子どもが美しい小石を見つけたような率直さで、タキトゥスはかたい二本の指でイリカの乳首をつまむ。
「よ、よせ、下種!」
 思いもよらぬことをされ逆上したイリカは全身で拒絶をあらわしたが、その場にはイリカを助けてくれる者が誰ひとりいない。それどころか、天幕のむこうでは何千人、何万人もの屈強の仇国の戦士たちが勝利と帰国のよろこびにわいて酒盛りに興じているのだ。なんとか外へ逃げだしても狼たちに道をふさがれ散々な辱めをくわえられることは目に見えていた。
「ふむ。どうだ? アレイガ、仕込みがいがありそうだろう?」
「ま、やってみましょう。では、イリカ様、ご準備をさせていただきます」
「な、なにをする!」
 ミルニアスが馬鹿丁寧なほどうやうやしくさしだした銀盆を一目見て、イリカは呆然となった。
 皿のうえにあったのは縄と鞭だったのだ。
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