帝国秘話―落ちた花ー

文月 沙織

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蛇の舌

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 一瞬ひいた血が、南方人の熱い血が、体内で逆流しているのをイリカは感じた。だが、今の彼になにができるだろう。
「失礼いたします」
 ミルニアスがけっして目を合わさないようにして縄をもって近づいてくる。
「よ、よせっ! なにをする!」
 後ずさってのがれようとした瞬間、太もものあたりに火を当てられたような痛みがはしった。
「くぅ!」
「いいか、よく聞け」
 タキトゥスがいつの間に手にしていたのか、ふりあげた鞭で空を切る。
 イリカは自分がされたことが信じられない。
 下級の神官や巫女が粗相をしたときに叱りつけじょうでついたことはあったが、まさか自分が打たれるなど想像したこともなかったのだ。生まれてはじめて与えられた暴力に身体がすくみあがってしまった。
 イカラス軍が敗北し、王家の宮殿に見慣れぬ銀の甲冑姿の男たちが嬉々として侵入してきたときよりも、神聖な神殿に黄金の髪をもつ目のまえの野獣のような男が押し入ってきて真珠色のめんしゃを彼からはぎとったときよりも、この一撃はイリカを驚愕させ、逆上させ、ひるませた。
 神に通じる者、神の子として国王ですら敬意をもって接してきた《イカラスの秘宝》イリカ=イカラシアは今、自分が本当に異国の奴隷に堕とされたことをみとめなければならなかった。
 それは、今まで生きてきた彼の価値観や世界がすべてくつがえされた瞬間だった。
 放心して立ちつくしているイリカをタキトゥスが獰猛な獅子そのものに見下ろしている。
「おまえは貢ぎものとしてわが国におくられるのだ。もはや王子でも神官でもない。おまえの勤めはただひとつ、俺の命令にしたがうことだ。おまえはな、」
 かたい鞭の先がイリカの顎にふれる。
 発された言葉は鞭よりきびしい。
「帝国に帰るまでに立派な性奴隷に仕込まれ皇帝にささげられるのだ。自分の立場をわきまえて、足をひらけ」
「な、なにを」
 無言のままミルニアスがタキトゥスに縄をかけはじめる。手馴れた様子で首、胸元、腰とかけていく。
「よせ……、ああ、よせ!」
 恐怖と屈辱にふるえる上半身がみるみるうちに縄の衣でおおわれていく。首にかけられた縄は太いものだが、胸の果実を強調するようにあてがわれた縄はほそく、いまだかつて体験したことのない刺激をともなって肌にくいこみイリカをさらに狼狽させた。だが、ミルニアスの動きはとまらない。
「失礼いたします」
 もう一度そう言うと、背をかがめイリカの腰に手をあててきたのだ。
「や、やめろ!」
 イリカは自分がされていることが信じられない。
 ミルニアスはとまどうことなくイリカのしたごろもや下帯をはぎとってしまい、蝋燭の火にほのかに照らされた下肢を上半身とおなじように縄でおおっていくのだ。
「あっ、ああ! よせ、やめろ、やめないか!」
「なんともお粗末なものでございますね」
 アレイガの嘲笑にタキトゥスが苦笑する。
「神官だったからな。おそらくまったくの手いらずで、ろくにいじってやったこともなかったのだろう。これから俺たちでどんどんしごいてやらねば、このまま国王の前に連れていかれれば、イカラス人の男の名誉にもかかわるぞ」
 いまだかつて聞いたこともないような下品な嘲笑にイリカは舌を噛みきって果ててしまいたいとすら思ったが、彼にはそれがゆるされない。
 イカラスの神官は、なにがあろうと自死をしてはいけないことになっている。
 イカラスでは神官の役目とは死者の魂を天界へみちびくことだとされており、その神官が自死すると、みちびかれた魂すべてが地獄に落ちると信じられている。
 イリカは王宮をはなれ神殿で暮らすことになった五歳のとき、先の神官にきびしくそのことを教えこまれた。当時は意味がよくわからなかったが、神官にとって最大の禁忌とはみずから死ぬことだと長じるにしたがって理解し、それはイリカにとって絶対の信条となった。
(イリカ様、なにがあろうと、決してみずから死をえらんではいけません)
 おそらくイリカの身に起こることをさとっていたのだろう。老神官が涙ぐみながら訴えた言葉が胸をえぐる。
「ああ……」
 切なげに身をよじり、あきらめのため息をこぼしたイリカはミルニアスにされるがままだった。
「あーっ」
 極細の縄紐が、イリカの股間にくくりつけられていく。根元にも、未熟なそうの果実にもまきつけられた縄は、完全に彼の自由をうばってしまう。太ももも、足も、その必要はないはずなのに縄でいましめられたイリカの姿は敗者の悲惨さを象徴していた。
「負ける、ということは辛いことだな、神官殿。かつては神殿の神秘の花がすっかり落ちぶれて、異国の小姓のなぶりものにされているのだからな。どうだ? 悔しいか? 案外そうでもなかろう。気持ちいいだろう?」
「こ、こんな卑劣な真似をして、堕ちたのはおまえの方だ!」
 タキトゥスは金髪をゆらしてのけぞった。
「そのかっこうで凄まれてもおもしろいだけだな」
 さらにイリカを嬲るように太ももを、まるで聞きわけの悪い子どもをなだめるように平手でかるくたたいた。
 あまりの屈辱に顔をどす黒く染めているイリカの髪をひっぱると、片方の手の指で珊瑚色の唇をなぞってみたりする。
「イカラスの秘宝か。……なるほどな」
 碧い瞳を一瞬、ほんの一瞬だけやわらげると、タキトゥスは自分の唇をイリカの唇にかさねた。
(あっ――)
 それは、イリカにとって生まれてはじめての体験だった。
「う、いや……だ」
 あらがってはみたもののゆるされず、上唇を舐められ、つぎには下唇を甘噛みされた。幾度も、幾度も吸われ、イリカは息苦しさと、今まで味わったことのなかった不思議なたかぶりに我を忘れた。
(え――?)
 イリカはうろたえた。
 縄をうたれている足がもじもじと女のような仕草でゆれている。下半身が自分の身体ではないようだ。
「あ、な、なに?」
「これは……、おどろいたなぁ」
 タキトゥスがあきれた顔を見せた。
「この神官殿は、本当に無垢のようだ」
「……無垢、とはもう言えませぬ。ごらんくださいませタキトゥス様、神官殿のを」
「ふうむ」
 ミルニアスまでもがめずらしそうに頬を染めてイリカの下肢で萌えはじめた雄花を見つめている。
「うぶだな」
 タキトゥスが残酷なやさしさで、色づきはじめた花芯と熟しはじめた双つの果実を撫でたが、細縄で巧みにいましめられているそこは、それ以上の開花をゆるされず、切なげにあえいでいる。
 イリカは羞恥と憤怒のあまり頬が燃えるのを感じた。
 背に汗がしたたり、悔し涙がわく。しかもこれは、彼にとってははじめての体験なのだ。
「ふうむ……俺は異民族の奴隷もいろいろためしてみたが、おまえの茎はなかなかおもしろいな」
 タキトゥスが膝をついて、いつになく生真面目な表情で、茎の先のうすい薔薇色の包みをむこうとしたとき、とうとうイリカは悲鳴をあげた。
「や、やめてくれ、やめて!」
「あとで紐をほどいてやるから、な」
 甘やかすようにささやかれ、熱い吐息をそこに吹きつけられイリカはもうどうしようもなく、目をとじて首を左右にふるしかできない。
 だが、我慢できずに瞼をひらいた瞬間、紅い蛇がもうひとりの自分をむさぼろうとしているのを見てしまった。
 それは彼にとって、生まれてこの方、このような行為が世のなかに存在することさえ想像したことのない動作だった。
 この時代はアルゲリアス帝国をはじめ、どこの国でも信仰や宗教というものは形骸化けいがいかされた習慣となっており、神官や僧侶たちはおもてむきは純潔をたっとびながらひそかに妻帯することもあり、巫女や尼僧などでも密通をおこなう者は少なくなかった。
 もちろんなかにはあくまでも貞操をまもり生涯不犯をつらぬく者や、さらに厳密に教義をまもりみずから我が身を汚すことすらいとうという潔癖な神職者もごくわずかにいるが、どうやらイリカはそのごくわずかな方の神官だったらしい。
 イカラスの秘宝は真実、世にもまれな貴石であったのだ。
 タキトゥスの内に情欲の炎が燃えた。
 にわかに手の動きがはやまる。
 「ああっ! そんな!」
 墨をかけられた純白の花のように、泥のなかに落とされた白銀の真珠のように、今のイリカは痛ましく、哀れで、切なそうで、見る者の胸をかきむしる。
「うううっ! うぐっ!」
 イリカは恐ろしいことが自分に起ころうとしているのをさとって、天をあおいで泣きじゃくった。
 そういったことにいっさい知識をあたえられなかったイリカにはわからないが、この地獄のような焦燥感が終わるとき、自分は変わってしまうのだと本能でさとった。
 これが終われば、自分は堕ちてしまうのだとイリカは絶望感に痙攣しそうになりつつも、なんとしてでもこらえねば、耐えなければという意地に押されて足をふんばった。
(私が堕ちてしまえば、イカラスの名誉が、誇りが本当に消えてしまう)
 さらにそこにいるアレイガとミルニアスふたりの傍観者の存在がイリカの意地を後押しした。年下の色小姓たちのまえでこれ以上の不様をさらすことは、イリカの傲慢なまでの誇りがゆるさなかったのだ。
「強情だな」
 タキトゥスはまるでイリカの気持ちを察したように指と舌の動きをとめた。だがそれはイリカの気持ちをくんでゆるしてやったのではなく、さらにこの悶絶の時間を長びかせ、彼をいたたまれなくさせるためだった。
「初々しい双果だ」
「はあっ」
 賞賛と嘲弄をこめて先端を指でつまみあげると、ゆるんできた縄紐をしばりなおしてイリカをいじめた。
 イカラスを守る海原の底にしげる海藻のような下肢の茂みを焦らすようにひっぱてみる。
「ううっ……、ふぅ……くぅ」
 嬲られ全身で泣いているイリカを、膝をついた体勢のまま見上げ、タキトゥスは柄にもなく、そのまだ汚れを知らぬ者がもつ痛々しい美しさをみとめ、ほとんど陶酔の心もちになってきた。 
 南の小国の、日のささぬ深海のような神殿の最奥、神秘のりょうにつつまれはぐくまれたこの飴色の真珠を、どうしても天の太陽は愛さずにはおれなかったのだろう。
 堅牢な神殿の天井も神聖な神官の綾羅も神衣しんいすらもさしつらぬいて、こっそり太陽神は彼をいつくしみ、そのあかしに、白人が持ちえぬ黄金の果実の肌のかがやきを陽の愛撫のなごりとして彼の身体にのこしたのでは、と思わせるような美肌美肉びはだびにくだ。この肌と身体は男を狂わせずにはおれない。
 はりつめた腹のあたりに頬をよせると、かすかに感じた太陽の匂いに一瞬、心をうばわれた気がしてタキトゥスはどうしてか怒りをおぼえた。
(ゆるせん!)
 とことん汚してしまいたい。
 清らかな身体を嬲りつくし、情欲を教えこみ、男では、いや、人ではなくしてやりたい。そうしないと気がすまなかった。そうしないと、自分の心を盗まれてしまいそうだった。
「アレイガ、《蛇の舌》をもってこい!」

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