帝国秘話―落ちた花ー

文月 沙織

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白蛇亭

「ふうむ……皇帝にやるには、惜しいのぅ。バイランにやったら高く売れるじゃろう。わしもたまに遊びに行くゆえ、そこで男娼として磨きをかけるがよい」
 ドノヌスの声が遠くなる。イリカは自分の身の上よりも、タキトゥスのことが気にかかってしかたない。
(あんな……、あんな目をして)
 傷ついたあおい目がイリカの胸を突く。
 タキトゥスはイリカにとっては本来は敵である。恋人とは呼べないし、愛人ともいえず、友でもない。祖国イカラスを攻撃し、王子であるイリカに残虐非道な仕打ちをした、憎い男のはずである。
 だが、熱に苦しむ彼を看病してくれた。みずから身体を氷水で冷やし、一晩中かけてイリカの熱を冷ましてくれた。
(そうだ。そこのことに関しては私は彼に借りがあるのだ)
 自分の乱れる感情をどうにかして納得させようとしたが、タキトゥスを助けるどころではなかった。
「さあ、来い」
 背後の兵士に背を押され、イリカは馬車に乗せられた。

 しばらくしてたどり着いた場所は、深夜だというのに並ぶ店先にかがり火や松明が灯され、辺りはひどく明るい。
「ここがバイランでもっとも有名な店、《百蛇亭はくじゃてい》じゃ」
 ドノヌスの言葉にイリカは唾を飲んだ。タキトゥスやアレイガたちが何度も口にしていた大陸一の歓楽街であり、淫蕩と快楽の街のまんなかに自分はいるらしい。
「ここで、男娼としての技術を仕込んでやる。それから人犬にしても遅くはなかろう」
 ひひひひ……と、ドノヌスはいやらしく笑う。
 大きな木の扉がひらかれ、扉の左右にひかえていた白人の娘と黒人の娘が膝をつき頭をたれる。 ふたりとも透けて見える白羅びゃくらをまとっているが、ほとんど裸同然で、腕、胸、腰に宝石の飾りものを着けており、それぞれの栗色の髪と黒髪から、官能の匂いが麝香とともにただよってくる。ドノヌスにせっつかれてふたりの間をとおるとき、ふたりの胸にちいさな蛇の入れ墨があることにイリカは気づいた。白人の娘の白い肌には黒い蛇が、黒人の娘の黒い肌には白い蛇が、それぞれ蛇体をうねらせ豊かな胸上でおどっている。
「面白いじゃろう。ここの娼婦や男娼はみな身体のどこかに蛇の入れ墨をしておるのじゃよ。あのふたりは売れっ子じゃ。あとで、ふたりが張型で遊ぶのを見せてやろう。参考になるぞ」
 ドノヌスはそこでまた下品に笑い、イリカは足がふるえるのを感じた。
 麝香にうめつくされた店内には、うすものをまとった姿の白人や黒人、東方の黄色人種などさまざまな男女がおり、なかにはまだ幼い子どももいる。金髪銀髪、赤毛、黒髪、おどろいたことに禿頭くとうの女もいる。
「世間には髪のないのが好きじゃというのもおるのよ。もちろん、あれは下の毛もない」
 イリカは今すぐにこの場を逃げだしたい気持ちになったが、扉付近には店の用心棒らしき大男がおり、すぐそばにはドノヌスの配下の兵士もひかえている。とうてい逃げだせるわけもなく、そのままドノヌスに引きずられるようにして奥へすすんだ。
「これから、ここでじっくり仕込んでやるぞ。楽しみにしておれ」
「店主を呼んでくるからここでしばらく待っておれ」
 イリカは地下の一室に連れこまれた。それはとりあえず新しく来た人間を閉じこめておくための場所らしい。
 灯りも窓もないその黴くさい室でしばし呆然としていたイリカの耳に、奇妙な音が響いてきた。

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