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第3話 契約の白と、自由の青写真
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「……やっぱ書面、大事よね」
窓から差し込む柔らかな陽射しの下、セリーヌは机に向かい、羽ペンでさらさらと文字を綴っていた。
白い結婚の確約を得た今でも、どこか心が落ち着かないのは、あの“好きな女がいる発言”がやけに生々しかったからだ。
(万が一、彼女に振られたとか、気まぐれで“やっぱ君にするわ”とか言い出したら最悪すぎる)
だから――契約だ。
書き出しには、でかでかとこう記した。
「白い結婚契約書」──。
・ライナルトとセリーヌは、3年間の別居生活ののちに離縁する。
・離縁日は、籍を入れてからちょうど3年後とする。
・互いに離縁届に署名したものを保持し、一方が提出を拒んだ場合は、もう一方が速やかに提出する。
・別居中の住居および生活費は、ライナルト側が全額負担すること。
・互いの交友関係・生活には一切干渉しない。
・夫婦としての社交の場には、最低限の参加に留める。
・報告連絡はすべて書面にて行う。
・面会が必要な場合は、事前申請・許可制とする。
・離縁後は一切の馴れ合いを禁じ、以後は完全な他人とすること。
「……短くしたつもりだったんだけど、意外と多い」
呟きながら、契約書の隣に離縁届を二通並べる。
すでに自分の署名は済ませてある。あとは、渡すだけだ。
ライナルト付きの侍従・アイザックに書類を手渡すと、彼は何とも言えない表情で受け取った。
「……セリーヌ様……本気で?」
「もちろんよ。冗談で離縁届は書かないわ」
引き攣った笑みを浮かべるアイザックを背に、セリーヌはそそくさと屋敷を後にした。
向かう先は――ナリスティアの元。
唯一信頼できる、そして現実的なアドバイスをくれる親友だった。
リュモン子爵家の血を引く彼女は、今ではマデラン伯爵家の若き夫人。
その実家は、質素倹約を貴しとする商才の家柄で、領民想いの善政ぶりでも有名だった。
(お金のことなら、ナリスティアが一番。信頼と実績のブランドよね)
マデラン伯爵家の客間に通されると、ナリスティアは先日セリーヌの結婚式に出席したばかりということもあり、にこやかに迎えてくれた。だが、社交辞令の茶会を一通り終えた後、人払いをしてからは、目の奥に鋭い光を宿しながら切り込んでくる。
「で、何があったのよ? まだ新婚ホヤホヤでしょ?」
セリーヌは、苦笑いで頬を指先で掻きながら、ぽつりと打ち明けた。
「ティア、わたし……3年間の白い結婚をして、その後に離縁が決まったの。だから、今後のために自活しようと思って」
「――はあああああっ!?!?」
声が反響した。
「何それ!? 白い結婚ってなによ!? 離縁って、どういうことなのよ!!」
まくし立てるような勢いに、セリーヌは身をすくめながらも事実を語った。
「……ライナルト様には、お好きな方がいらっしゃるそうなの。それで、“君とは白い関係のまま、三年後に離縁したい”って……」
「はああ!?!? だったら結婚すんなよ! クズか!!」
ナリスティアの口調が一気に崩れた。新婚の伯爵夫人とは思えない勢いで、激しい言葉が飛ぶ。
「セリは、それでいいの? あんなに好きだったじゃない。式の前だって、“幸せよ”って言ってたじゃない……なのに、なのに……っ」
思わず滲む涙に、セリーヌはいたたまれず、目を逸らした。
「うん……その件なんだけど……実はね、初夜の前にさ、記憶が戻ったのよ。前世の」
「……は?」
「前世……男だったの。完全に、普通の成人男性。で、急に思い出しちゃってさ、むしろ結果オーライっていうか」
セリーヌは“テヘペロ”の顔でナリスティアを見る。
ナリスティアは数秒、完全に無の表情で遠くを見つめてから、淡々と呟いた。
「……ああ、そうだったわ。あんた、昔から変なとこ男っぽかったし、うん、今さらだわ」
そして、コップの水を一口飲んで息を整えた。
「で、要件は他にもあるんでしょ?」
「ふふ。さすがティア。話が早くて助かる。……実は、事業を始めようと思ってて。今後の自活に向けて準備したいんだ。で、いろいろアドバイスとか、お願いできないかなって」
手を組み、懇願のポーズ。
だがナリスティアは溜息をつきながら、眉をひそめた。
「……あのさ、その顔でそのポーズ取るのやめなさい。周囲の男が勘違いして、悠々自適どころか囲い込みされるわよ」
「ええ~、じゃあどんな顔なら安全なのよ~」
「黙ってて。……仕方ないわね、正直そこまで商才あるわけじゃないけど、放っておいたら一人で突っ走って何するか分かんないでしょ。だから、私が補佐してあげるわ」
「ほんと!? ありがとティア! やっぱ頼りになるわ~!」
セリーヌが嬉々として次の話題を出そうとしたその時――
コンコン。
「ナリスティア? 来客にセリーヌ様がいらしていると聞いたが……入っても?」
夫であるイクロンの声が扉越しに響く。
「セリ、どうする?」
「いいよ。これからティアにはたくさん助けてもらうし、ちゃんと説明しといた方がいいしね」
ナリスティアが入室を許可すると、扉が開き、騎士団服姿のイクロンが姿を現した。
「失礼します。マーライン伯爵夫人、一昨日ぶりです。……おや? 夫人は団長とまだ蜜月期間中かと思っておりましたが、早速の夫婦喧嘩ですか?」
直球。相変わらずの脳筋トークである。
セリーヌは、にこやかに返す。
「ナリスティアにはいつも相談に乗っていただいておりますのよ。……実は、ライナルト様より白い結婚の申し出をいただきまして、今後別居を前提とした自活を考えておりますの。時折ナリスティアをお借りすることがあるかもしれませんが、どうぞよろしくお願いいたしますわ」
一瞬、時が止まった。
イクロンは唖然とした顔でナリスティアを見つめる。
(……冗談だよな?)
(……ううん、本気よ)
目線だけで会話が成立する夫婦。だが、内容はまったく笑えない。
「……マーライン伯爵夫人、それは本当ですか? 何が、どうして……」
「お好きな方がいらっしゃるそうで。その方に誠を尽くしたいのでしょう。つまりは、そういうことですわ」
それでも納得がいかない様子のイクロンは、慎重に問う。
「……夫人は、ライナルト団長を深くお慕いしていたと記憶しております。それで、納得されたのですか?」
セリーヌの表情は、どこまでも晴れやかだった。
「初夜の夜に“離縁”を宣言されて、納得も何もありませんわ。ええ、心はもう切り替えましたの。次は、自由に生きるための人生計画です」
イクロンは、彼女の笑顔を見ながら、心の奥で思った。
(……こりゃ、これから嵐が吹き荒れるな)
窓から差し込む柔らかな陽射しの下、セリーヌは机に向かい、羽ペンでさらさらと文字を綴っていた。
白い結婚の確約を得た今でも、どこか心が落ち着かないのは、あの“好きな女がいる発言”がやけに生々しかったからだ。
(万が一、彼女に振られたとか、気まぐれで“やっぱ君にするわ”とか言い出したら最悪すぎる)
だから――契約だ。
書き出しには、でかでかとこう記した。
「白い結婚契約書」──。
・ライナルトとセリーヌは、3年間の別居生活ののちに離縁する。
・離縁日は、籍を入れてからちょうど3年後とする。
・互いに離縁届に署名したものを保持し、一方が提出を拒んだ場合は、もう一方が速やかに提出する。
・別居中の住居および生活費は、ライナルト側が全額負担すること。
・互いの交友関係・生活には一切干渉しない。
・夫婦としての社交の場には、最低限の参加に留める。
・報告連絡はすべて書面にて行う。
・面会が必要な場合は、事前申請・許可制とする。
・離縁後は一切の馴れ合いを禁じ、以後は完全な他人とすること。
「……短くしたつもりだったんだけど、意外と多い」
呟きながら、契約書の隣に離縁届を二通並べる。
すでに自分の署名は済ませてある。あとは、渡すだけだ。
ライナルト付きの侍従・アイザックに書類を手渡すと、彼は何とも言えない表情で受け取った。
「……セリーヌ様……本気で?」
「もちろんよ。冗談で離縁届は書かないわ」
引き攣った笑みを浮かべるアイザックを背に、セリーヌはそそくさと屋敷を後にした。
向かう先は――ナリスティアの元。
唯一信頼できる、そして現実的なアドバイスをくれる親友だった。
リュモン子爵家の血を引く彼女は、今ではマデラン伯爵家の若き夫人。
その実家は、質素倹約を貴しとする商才の家柄で、領民想いの善政ぶりでも有名だった。
(お金のことなら、ナリスティアが一番。信頼と実績のブランドよね)
マデラン伯爵家の客間に通されると、ナリスティアは先日セリーヌの結婚式に出席したばかりということもあり、にこやかに迎えてくれた。だが、社交辞令の茶会を一通り終えた後、人払いをしてからは、目の奥に鋭い光を宿しながら切り込んでくる。
「で、何があったのよ? まだ新婚ホヤホヤでしょ?」
セリーヌは、苦笑いで頬を指先で掻きながら、ぽつりと打ち明けた。
「ティア、わたし……3年間の白い結婚をして、その後に離縁が決まったの。だから、今後のために自活しようと思って」
「――はあああああっ!?!?」
声が反響した。
「何それ!? 白い結婚ってなによ!? 離縁って、どういうことなのよ!!」
まくし立てるような勢いに、セリーヌは身をすくめながらも事実を語った。
「……ライナルト様には、お好きな方がいらっしゃるそうなの。それで、“君とは白い関係のまま、三年後に離縁したい”って……」
「はああ!?!? だったら結婚すんなよ! クズか!!」
ナリスティアの口調が一気に崩れた。新婚の伯爵夫人とは思えない勢いで、激しい言葉が飛ぶ。
「セリは、それでいいの? あんなに好きだったじゃない。式の前だって、“幸せよ”って言ってたじゃない……なのに、なのに……っ」
思わず滲む涙に、セリーヌはいたたまれず、目を逸らした。
「うん……その件なんだけど……実はね、初夜の前にさ、記憶が戻ったのよ。前世の」
「……は?」
「前世……男だったの。完全に、普通の成人男性。で、急に思い出しちゃってさ、むしろ結果オーライっていうか」
セリーヌは“テヘペロ”の顔でナリスティアを見る。
ナリスティアは数秒、完全に無の表情で遠くを見つめてから、淡々と呟いた。
「……ああ、そうだったわ。あんた、昔から変なとこ男っぽかったし、うん、今さらだわ」
そして、コップの水を一口飲んで息を整えた。
「で、要件は他にもあるんでしょ?」
「ふふ。さすがティア。話が早くて助かる。……実は、事業を始めようと思ってて。今後の自活に向けて準備したいんだ。で、いろいろアドバイスとか、お願いできないかなって」
手を組み、懇願のポーズ。
だがナリスティアは溜息をつきながら、眉をひそめた。
「……あのさ、その顔でそのポーズ取るのやめなさい。周囲の男が勘違いして、悠々自適どころか囲い込みされるわよ」
「ええ~、じゃあどんな顔なら安全なのよ~」
「黙ってて。……仕方ないわね、正直そこまで商才あるわけじゃないけど、放っておいたら一人で突っ走って何するか分かんないでしょ。だから、私が補佐してあげるわ」
「ほんと!? ありがとティア! やっぱ頼りになるわ~!」
セリーヌが嬉々として次の話題を出そうとしたその時――
コンコン。
「ナリスティア? 来客にセリーヌ様がいらしていると聞いたが……入っても?」
夫であるイクロンの声が扉越しに響く。
「セリ、どうする?」
「いいよ。これからティアにはたくさん助けてもらうし、ちゃんと説明しといた方がいいしね」
ナリスティアが入室を許可すると、扉が開き、騎士団服姿のイクロンが姿を現した。
「失礼します。マーライン伯爵夫人、一昨日ぶりです。……おや? 夫人は団長とまだ蜜月期間中かと思っておりましたが、早速の夫婦喧嘩ですか?」
直球。相変わらずの脳筋トークである。
セリーヌは、にこやかに返す。
「ナリスティアにはいつも相談に乗っていただいておりますのよ。……実は、ライナルト様より白い結婚の申し出をいただきまして、今後別居を前提とした自活を考えておりますの。時折ナリスティアをお借りすることがあるかもしれませんが、どうぞよろしくお願いいたしますわ」
一瞬、時が止まった。
イクロンは唖然とした顔でナリスティアを見つめる。
(……冗談だよな?)
(……ううん、本気よ)
目線だけで会話が成立する夫婦。だが、内容はまったく笑えない。
「……マーライン伯爵夫人、それは本当ですか? 何が、どうして……」
「お好きな方がいらっしゃるそうで。その方に誠を尽くしたいのでしょう。つまりは、そういうことですわ」
それでも納得がいかない様子のイクロンは、慎重に問う。
「……夫人は、ライナルト団長を深くお慕いしていたと記憶しております。それで、納得されたのですか?」
セリーヌの表情は、どこまでも晴れやかだった。
「初夜の夜に“離縁”を宣言されて、納得も何もありませんわ。ええ、心はもう切り替えましたの。次は、自由に生きるための人生計画です」
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