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第5話
エリーナと会う2日前――。
ようやく長く続いた案件に決着がつき、マイラは数週間ぶりに「海辺書房兼・人生相談所」へ戻ってきた。
椅子に腰を下ろす間もなく、入り口のベルが鳴る。留守のあいだにも何度か訪れていたという来客だと聞き、すぐに応対へ向かった。
現れたのは、きちんとした身なりの中年紳士。柔らかな物腰をしているが、目の奥にはどこか翳りがある。
「……で、要件は?」マイラは単刀直入に尋ねた。
戻ったばかりで、くだらない話に時間を割く余裕はない。
男は少し驚いたように目を瞬かせたが、落ち着いた声で名乗った。
「私はデュパール子爵家当主、サイモンと申します。……隣国にある妻の実家へ、あなたに同行してほしい」
「……なぜ私が?」
「妻と私は子どもが授からなかったのですが……どうやら妻は、隣国の家族に“娘がいる”と長年偽っていたようなのです。先月、妻が亡くなった際、その事実を家族に伝えましたが、妻の母は高齢で、どうしても孫娘に会いたいと口にしているそうです。兄妹たちは、偽物でも会わせれば納得してくれるのではないかと……。しかも、妻の母は病で余命が長くないと聞いています」
サイモン子爵の表情は沈痛だった。
マイラは少し考え、問いかける。
「……じゃあ、娘役を一人派遣すればいいのね。奥様の絵姿はお持ちですか?」
だが、サイモン子爵は首を横に振った。
「君に頼みたいのだ」
「……なぜ私?」
「妻から君のことを聞いたことがあった。孤児院に、亜麻色の髪をした可愛らしい少女がいて、会うたびに元気をもらっていた、と。名前は……マイラ」
マイラの手がぴたりと止まる。
「……奥様のお名前は?」
「マリン。愛称はマリーだ」
「……マリー様が……亡くなられたのですか」
こらえきれず、頬を伝う涙がぽろぽろと零れ落ちた。
サイモン子爵は静かに頷く。
「妻は、君を養女に迎えたかったのだろう。しかし自分の余命を悟り、諦めたのだと思う。隣国の家族に“娘がいる”と告げていたのも……おそらく君のことだったのだろう」
「……いつ、お亡くなりに?」
「一か月前だ。どうしてもマイラという娘に会わせたかったが、間に合わなかった」
――その頃、マイラは長期案件の真っただ中にあり、連絡も取れない状態だった。
孤児院に通っていた幼いころ、マリー様が慰問に訪れたのは、まだ五歳にも満たない頃。
それ以来、第二の母のように慕い続けてきた。
最近姿を見かけないと思っていたが……病だったとは。
なぜ気づけなかったのかと、胸の奥がきしむ。
サイモン子爵は、涙を拭おうともしないマイラの様子を見て、心の中で呟いた。
――だから知らせなかったのだろう。きっと、仕事に差し支えることを恐れたに違いない。
「……娘役、引き受けてくれるか?」
マイラは深く息を吸い、涙声のまま答えた。
「私でよければ……マリー様の娘として、全力で演じさせていただきます」
「助かる。急で悪いが、5日後の朝の船で隣国へ渡る予定だ。陸路では間に合わない」
「予定は合わせます。……今回のご依頼は、私からの恩返しです。料金はいただきません」
「それは駄目だ。君はこの事業の利益を孤児院に寄付していると聞いている。妻がそれを望むとは思えない。だから、依頼料はきちんと受け取ってくれ」
「……分かりました」
「では、5日後“シークエンス号”の朝の便で待ち合わせよう」
「娘としての私は、どんな容姿に?」
「そのままでいい。……妻が愛した娘の姿で来てくれ」
「……はい」
その答えは、涙に滲みながらも、確かな決意を帯びていた。
ようやく長く続いた案件に決着がつき、マイラは数週間ぶりに「海辺書房兼・人生相談所」へ戻ってきた。
椅子に腰を下ろす間もなく、入り口のベルが鳴る。留守のあいだにも何度か訪れていたという来客だと聞き、すぐに応対へ向かった。
現れたのは、きちんとした身なりの中年紳士。柔らかな物腰をしているが、目の奥にはどこか翳りがある。
「……で、要件は?」マイラは単刀直入に尋ねた。
戻ったばかりで、くだらない話に時間を割く余裕はない。
男は少し驚いたように目を瞬かせたが、落ち着いた声で名乗った。
「私はデュパール子爵家当主、サイモンと申します。……隣国にある妻の実家へ、あなたに同行してほしい」
「……なぜ私が?」
「妻と私は子どもが授からなかったのですが……どうやら妻は、隣国の家族に“娘がいる”と長年偽っていたようなのです。先月、妻が亡くなった際、その事実を家族に伝えましたが、妻の母は高齢で、どうしても孫娘に会いたいと口にしているそうです。兄妹たちは、偽物でも会わせれば納得してくれるのではないかと……。しかも、妻の母は病で余命が長くないと聞いています」
サイモン子爵の表情は沈痛だった。
マイラは少し考え、問いかける。
「……じゃあ、娘役を一人派遣すればいいのね。奥様の絵姿はお持ちですか?」
だが、サイモン子爵は首を横に振った。
「君に頼みたいのだ」
「……なぜ私?」
「妻から君のことを聞いたことがあった。孤児院に、亜麻色の髪をした可愛らしい少女がいて、会うたびに元気をもらっていた、と。名前は……マイラ」
マイラの手がぴたりと止まる。
「……奥様のお名前は?」
「マリン。愛称はマリーだ」
「……マリー様が……亡くなられたのですか」
こらえきれず、頬を伝う涙がぽろぽろと零れ落ちた。
サイモン子爵は静かに頷く。
「妻は、君を養女に迎えたかったのだろう。しかし自分の余命を悟り、諦めたのだと思う。隣国の家族に“娘がいる”と告げていたのも……おそらく君のことだったのだろう」
「……いつ、お亡くなりに?」
「一か月前だ。どうしてもマイラという娘に会わせたかったが、間に合わなかった」
――その頃、マイラは長期案件の真っただ中にあり、連絡も取れない状態だった。
孤児院に通っていた幼いころ、マリー様が慰問に訪れたのは、まだ五歳にも満たない頃。
それ以来、第二の母のように慕い続けてきた。
最近姿を見かけないと思っていたが……病だったとは。
なぜ気づけなかったのかと、胸の奥がきしむ。
サイモン子爵は、涙を拭おうともしないマイラの様子を見て、心の中で呟いた。
――だから知らせなかったのだろう。きっと、仕事に差し支えることを恐れたに違いない。
「……娘役、引き受けてくれるか?」
マイラは深く息を吸い、涙声のまま答えた。
「私でよければ……マリー様の娘として、全力で演じさせていただきます」
「助かる。急で悪いが、5日後の朝の船で隣国へ渡る予定だ。陸路では間に合わない」
「予定は合わせます。……今回のご依頼は、私からの恩返しです。料金はいただきません」
「それは駄目だ。君はこの事業の利益を孤児院に寄付していると聞いている。妻がそれを望むとは思えない。だから、依頼料はきちんと受け取ってくれ」
「……分かりました」
「では、5日後“シークエンス号”の朝の便で待ち合わせよう」
「娘としての私は、どんな容姿に?」
「そのままでいい。……妻が愛した娘の姿で来てくれ」
「……はい」
その答えは、涙に滲みながらも、確かな決意を帯びていた。
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