白い結婚の行方

宵森みなと

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第18話 不在で知る存在の大きさ

その後の学園生活は、サラスティナの言葉通り、静かで平穏な日々が続いていた。
あの一件をきっかけに、彼女の周囲を囲んでいたざわついた空気はすっかり落ち着きを見せ、日常が戻ってきた――そう見えた。

そして夏季休暇を前にして、今年はマイラス侯爵家の領地に長めに滞在する予定が立てられていた。
けれど、レーモンドは仕事の都合で長い休みを取れず、結局、サラスティナとデュランだけが領地へ向かうこととなった。

出発が近づくにつれ、レーモンドの様子は明らかに落ち着かなくなっていた。
それどころか、ついには子どもじみた文句まで言い出した。

「サラ、ずっと領地にいる必要なんてないだろ?俺と離れて……寂しくないのか? 俺は、寂しい」

その声はどこか拗ねたようでもあり、本気で甘えているようでもあり、サラスティナは少し困ったように笑った。

「レイ、わたくし遊びに行くわけじゃありませんよ。水路の調整や、村の診療所の件、それから貿易関係の確認もあります。ちゃんと仕事なんです」
そう言って一呼吸おき、ふっと目を細めた。

「でも…そうですね。寂しくなったら、休みを取って会いに来てください。わたくしも時間を作って戻りますから。ね?レイ」

優しく言われてしまえば、レーモンドもそれ以上は反論できず、渋々ながら頷いた。



夏季休暇が始まり、サラスティナがいない屋敷へ戻るたび、レーモンドは何とも言えない空虚さを感じていた。
彼女からの手紙や、領地の様子を伝える報告は毎日のように届いた。
けれど、それを読むたび嬉しさと共に、隣にいない寂しさが胸を締め付けた。

サラスティナのいない屋敷は、まるで光を失ったようだった。
壁にかかる絵も、窓から差し込む日差しも、どこか温度が感じられない。
侍女や使用人たちも、どこか張りを失っているように見えた。

「サラがいるかいないかで、こんなにも違うのか…」

そう呟いた時、ふと、幼い頃に母を亡くしたあの日の冷たい空気を思い出した。
あの時と同じ――心にぽっかりと空いた穴を感じていた。

そんなある日、いてもたってもいられなくなったレーモンドは、騎士団の団長のもとへ休暇願いを申し出に行った。
すると、ちょうどその場にいたイクロンが、第二王子アイザック殿下の随行でマイラス侯爵家の領地を視察するよう命じられたところだった。

それを聞いたレーモンドは、すかさず言った。

「自分の領地です。殿下をご案内するのに、私も同行した方がよろしいかと」

団長は苦笑しながら頷いた。

「そうか、お前のところか。なら、イクロンとシーリスと一緒に行ってこい。視察が済んだら、久々にゆっくりしてこい。…一週間ほど、休暇をやる」

そう言われた瞬間、レーモンドの顔にぱっと笑みが広がった。その様子を見て、イクロンが驚いたように声を上げた。

「おいおい、レーモンドがこんなに嬉しそうなのって、珍しくないか?そんなに領地に行くのが楽しみなのか?」

「うん。……妻が、今、領地にいるんだ。二週間ぶりに会える」

「なにっ!?え、レーモンドって結婚してたの?聞いてないけど! え、どんな奥さん!?綺麗?どんな人?どこで出会ったの!?」

興味津々に食いつくイクロンに、レーモンドは少しだけ得意げな顔で言った。

「秘密。……帰ったら紹介するよ」

そう言いながら、心の奥ではふつふつとした警戒心が湧いていた。
――アイザック殿下がマイラス侯爵家の領地に行きたがる理由。どう考えても、サラスティナが関係している。

前に言っていた“学生時代に訪れた”という話も、今となっては繋がってしまう。
でも、今回は俺が一緒だ。……もう二度と、あの頃のようにはさせない。そう強く、レーモンドは心に誓った。



領地への道中、アイザック殿下は何度もちらちらとレーモンドを伺っていた。
たぶん、サラスティナから何か聞いているんだろう――そう察しても、レーモンドは知らぬふりを貫いた。

到着してみると、どうやらアイザック殿下の訪問は予告なしだったようで、屋敷の者たちは一様に慌てていた。
とりあえず応接間に案内され、しばらくして扉がノックされる。デュランにエスコートされて入ってきたのは、――サラスティナだった。

その瞬間、レーモンドの頬は思わず緩んだ。やっぱり、俺の奥さんは最高に可愛い――と、ひとりでに笑みがこぼれる。

だが、アイザック殿下はサラスティナの姿を認めた瞬間、目を大きく見開き、顔を赤らめて固まってしまった。

それを見たレーモンドは、慌てて声をかけた。

「サラ、アイザック殿下が領地を視察されたいそうでね。……ついでに俺も、サラに会いたくなって。一緒に来たよ」

すると、サラスティナは少し呆れたように微笑んだ。

「レイったら、まだ2週間しか経ってませんでしょ?アイザック殿下のご案内が終わったら、王都へ戻るんですよね?」

「いや、団長が気を利かせてくれて、一週間の休暇をくれたんだ。……これで、一緒にいられるな」

「もう、レイ。……領地を見て回るの、手伝ってもらいますからね?ちゃんと働いてもらうんだから」

ふたりのやり取りに、アイザック殿下の表情が微妙に強張っていたのを、レーモンドは見逃さなかった。

沈黙が流れかけたそのとき、サラスティナがふと顔を向けて言った。

「アイザック殿下、大丈夫ですか? ……どこかお具合でも?」

気遣うように尋ねられても、殿下はしばし言葉を飲み込んだようだった。

「……いや、大丈夫だ。……サラスティナ嬢は、ずいぶんと、夫婦仲睦まじいのだな」

口元は笑っていたが、唇が微かに震えていた。

「フフ、ねえ、レイ。私たち、仲良しかしら?」

「なに言ってるんだよ。仲良しだろ、当然じゃないか」

そう答えた直後、アイザック殿下が鋭く切り込んだ。

「だが……サラスティナ嬢との婚姻は、三年間の“白い結婚”の後、離縁か継続かを決めるものだと聞いている」

その言葉に、場の空気が少し張り詰めた。

けれど、サラスティナは柔らかく微笑みながら、静かに言葉を紡いだ。

「ええ、確かにそうです。でも――そのことは、私たち夫婦の問題ですわ。アイザック殿下には、関わりのないことです」

そして、レーモンドの方をちらりと見たあと、まっすぐ殿下を見つめて続けた。

「わたくし、神の前で誓いました。“白い結婚”の期間中、夫をただひとりの伴侶として尊重し、家族として敬愛を注ぐと」

その声は穏やかだったけれど、はっきりとした意思が込められていた。

アイザック殿下は顔を青ざめさせ、しばし言葉を失ったのち、小さく頭を下げた。

「……すまない。余計なことを聞いた。今日は宿へ戻る。視察は明日に頼む。……騒がせてすまなかった」

そう言って応接間を出ていく背中を、サラスティナはじっと見送っていた。

レーモンドが立ち上がろうとすると、彼女がそっと背中に手を添えた。

「視察の間は、お仕事でしょ?頑張って。……あとで、ゆっくり話しましょ」

その手のぬくもりに、レーモンドはただ頷いた。

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