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第19話 灯火の向こうの笑顔
マイラス侯爵家から宿へと戻ったものの、アイザック殿下は部屋に籠もったまま出てこなかった。
軽く食事をとる場も設けられていたのだが、殿下は扉の向こうで「今日は食欲がない」と一言告げたきり、部屋に籠り沈黙を貫いていた。
レーモンドは、無理もないなと思いながら、黙って湯を啜っていた。
あの場でのサラスティナの言葉は、アイザック殿下の恋心を拒むようだった。
そんな沈んだ空気を払うように、イクロンが口を開いた。
「なぁレーモンド、お前の奥さん……アイザック殿下の同級生で、しかも生徒会でも一緒だったんだってな。殿下からちょっと聞いたよ」
「ああ、特Aクラスでずっと一緒のようだ」
「……だよな。さっき、奥さん見て正直驚いた。聞いてた感じだともっと地味な子かと思ってたけど、あれは……あれは完全に、殿下、惚れてたな。見ててわかったよ」
そう言って、イクロンは手元のカップを回しながら、にやりと笑った。
「ていうか、あれだけ綺麗な人を学園では地味な格好させてんの、お前の趣味か?」
レーモンドは、肩をすくめるように答えた。
「まぁな。サラは……可愛いから。下手に変な虫がついて、誰かに攫われたら堪らんからな」
「ふぅん……相当惚れてるな」
「当たり前だろ」
しばし沈黙が落ちた。宿の廊下からは、外を行き交う人の気配だけが遠く響いていた。
やがて、イクロンがぽつりと漏らすように聞いた。
「でもさ、あの“白い結婚”ってやつ……3年で離縁か継続か決めるって、よくそれ承諾したな。もしかしてお父上の提案なのか?」
「ああ。最初はな」
言いながら、レーモンドの目が少し遠くを見た。
「……でも、気づいたらもう離れたくなくなってた。毎日そばにいて、言葉を交わして、笑い合って……そうしてるうちに、もう“仮の妻”じゃなくて、“愛しい人”になってたんだ。今はまだ書類上の夫婦だけど、俺にとっては……もう十分すぎるほど、本物の妻だ」
それを聞いたイクロンが、冗談めかして言った。
「いやいや、お前からしたら可愛い嫁だろうけど、奥さんからしたら……ほら、おじさんじゃん?」
「……知ってるよ。歳の差なんて、分かってる。でもな、彼女が卒業するまで、あと3年。期限は決まってる。それまでに、俺の気持ち、ちゃんと全部伝える」
その言葉に、イクロンはふっと笑ってから、少しだけ真剣な表情を浮かべた。
「……やっぱり、お前、変わったな。前はもっと、斜に構えてた気がするけど。今の方が、いい男だよ」
と、そこにノック音がしてシーリスが部屋に顔を出し、イクロンに「交代だ」と伝えた。
イクロンはレーモンドの肩をぽんと叩いて席を立った。
シーリスは静かに扉を閉めたあと、壁に寄りかかるようにして言った。
「お前さ……途中でアイザック殿下の気持ちに気づいてただろ」
レーモンドは答えず、ただ少し視線を伏せた。
「まぁ、恋敵に手加減しないのはわかる。けど、あの時の奥方の一言……あれが一番、効いたみたいだったな。殿下、顔真っ青だったし。……聞いてた俺らまで、ちょっと凍りついたくらいだ」
そう言って苦笑した後、シーリスはふっと表情を和らげて言葉を続けた。
「でもな……奥方は、お前を選んでる。安心しろ。王子より、お前が大事なんだよ。……ちゃんと、大事にしてやれよ」
その言葉に、レーモンドの胸の奥がじんと熱くなった。
急に、もう我慢できなくなってきた。
「……俺、屋敷に戻ってもいいか?」
そう尋ねると、シーリスは意外そうな顔をした後で、すぐに笑った。
「野暮なことは言わないさ。そもそも、お前が案内役だろ?帰ってよし。……行ってこい、旦那様」
「……ありがとう。助かる」
礼を告げると、レーモンドは急いで宿を出た。道は暗くなりかけていたが、足取りは軽かった。
屋敷へ戻ると、サラスティナは応接間でデュランと地図を広げて、真剣な面持ちで何か話していた。
部屋の灯りの中、彼女の横顔が優しく照らされていて、レーモンドは思わず声をあげた。
「サラ、戻ってきたよ」
その声にサラスティナが顔を上げ、ふんわりと微笑む。
「お帰りなさい、レイ」
その瞬間、胸の奥にあったわだかまりが、ふっと解けたように感じた。
――あぁ、やっぱり俺には、この人しかいない。
レーモンドはためらいなく彼女の隣に腰を下ろし、静かに腕を回して、ぎゅっと抱きしめた。
サラスティナも何も言わず、そっと手を伸ばして、彼の背をやさしく撫でた。
その温もりに、心が満たされていく。
横でその様子を見ていたデュランが、わざとらしく咳払いをした。
「……俺、ここにいるんだけどな」
けれど、ふたりはまるでそれも気づかないように、静かに寄り添ったままだった。
軽く食事をとる場も設けられていたのだが、殿下は扉の向こうで「今日は食欲がない」と一言告げたきり、部屋に籠り沈黙を貫いていた。
レーモンドは、無理もないなと思いながら、黙って湯を啜っていた。
あの場でのサラスティナの言葉は、アイザック殿下の恋心を拒むようだった。
そんな沈んだ空気を払うように、イクロンが口を開いた。
「なぁレーモンド、お前の奥さん……アイザック殿下の同級生で、しかも生徒会でも一緒だったんだってな。殿下からちょっと聞いたよ」
「ああ、特Aクラスでずっと一緒のようだ」
「……だよな。さっき、奥さん見て正直驚いた。聞いてた感じだともっと地味な子かと思ってたけど、あれは……あれは完全に、殿下、惚れてたな。見ててわかったよ」
そう言って、イクロンは手元のカップを回しながら、にやりと笑った。
「ていうか、あれだけ綺麗な人を学園では地味な格好させてんの、お前の趣味か?」
レーモンドは、肩をすくめるように答えた。
「まぁな。サラは……可愛いから。下手に変な虫がついて、誰かに攫われたら堪らんからな」
「ふぅん……相当惚れてるな」
「当たり前だろ」
しばし沈黙が落ちた。宿の廊下からは、外を行き交う人の気配だけが遠く響いていた。
やがて、イクロンがぽつりと漏らすように聞いた。
「でもさ、あの“白い結婚”ってやつ……3年で離縁か継続か決めるって、よくそれ承諾したな。もしかしてお父上の提案なのか?」
「ああ。最初はな」
言いながら、レーモンドの目が少し遠くを見た。
「……でも、気づいたらもう離れたくなくなってた。毎日そばにいて、言葉を交わして、笑い合って……そうしてるうちに、もう“仮の妻”じゃなくて、“愛しい人”になってたんだ。今はまだ書類上の夫婦だけど、俺にとっては……もう十分すぎるほど、本物の妻だ」
それを聞いたイクロンが、冗談めかして言った。
「いやいや、お前からしたら可愛い嫁だろうけど、奥さんからしたら……ほら、おじさんじゃん?」
「……知ってるよ。歳の差なんて、分かってる。でもな、彼女が卒業するまで、あと3年。期限は決まってる。それまでに、俺の気持ち、ちゃんと全部伝える」
その言葉に、イクロンはふっと笑ってから、少しだけ真剣な表情を浮かべた。
「……やっぱり、お前、変わったな。前はもっと、斜に構えてた気がするけど。今の方が、いい男だよ」
と、そこにノック音がしてシーリスが部屋に顔を出し、イクロンに「交代だ」と伝えた。
イクロンはレーモンドの肩をぽんと叩いて席を立った。
シーリスは静かに扉を閉めたあと、壁に寄りかかるようにして言った。
「お前さ……途中でアイザック殿下の気持ちに気づいてただろ」
レーモンドは答えず、ただ少し視線を伏せた。
「まぁ、恋敵に手加減しないのはわかる。けど、あの時の奥方の一言……あれが一番、効いたみたいだったな。殿下、顔真っ青だったし。……聞いてた俺らまで、ちょっと凍りついたくらいだ」
そう言って苦笑した後、シーリスはふっと表情を和らげて言葉を続けた。
「でもな……奥方は、お前を選んでる。安心しろ。王子より、お前が大事なんだよ。……ちゃんと、大事にしてやれよ」
その言葉に、レーモンドの胸の奥がじんと熱くなった。
急に、もう我慢できなくなってきた。
「……俺、屋敷に戻ってもいいか?」
そう尋ねると、シーリスは意外そうな顔をした後で、すぐに笑った。
「野暮なことは言わないさ。そもそも、お前が案内役だろ?帰ってよし。……行ってこい、旦那様」
「……ありがとう。助かる」
礼を告げると、レーモンドは急いで宿を出た。道は暗くなりかけていたが、足取りは軽かった。
屋敷へ戻ると、サラスティナは応接間でデュランと地図を広げて、真剣な面持ちで何か話していた。
部屋の灯りの中、彼女の横顔が優しく照らされていて、レーモンドは思わず声をあげた。
「サラ、戻ってきたよ」
その声にサラスティナが顔を上げ、ふんわりと微笑む。
「お帰りなさい、レイ」
その瞬間、胸の奥にあったわだかまりが、ふっと解けたように感じた。
――あぁ、やっぱり俺には、この人しかいない。
レーモンドはためらいなく彼女の隣に腰を下ろし、静かに腕を回して、ぎゅっと抱きしめた。
サラスティナも何も言わず、そっと手を伸ばして、彼の背をやさしく撫でた。
その温もりに、心が満たされていく。
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