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第2話 崩れゆく絆
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セリーヌ王妃の亡骸は、いつの間にかテストニア帝国軍が駐留している離宮へと運び去られていた。
その報せが宮殿に届いた時、シンホニアの国王サニエルは、玉座の上で呆然と立ち尽くしていた。
「う、嘘だろ……そんなこと……」
口からこぼれた言葉は、現実感のないつぶやきだった。
頭の奥で、何かが崩れていく音がする。悲しみよりも先に、混乱が胸を満たした。
ベルリア宰相が重い声で報告を続ける。
「陛下……王妃様は、御自らバルコニーから飛び降りられました」
その言葉に、サニエルはようやく顔を上げた。
「なぜだ……なぜそんなことを……」
そして、ふいに脳裏に昨夜の記憶が蘇る。
「まさか……」
低くつぶやくサニエルに、宰相が目を細めた。
「陛下、何か思い当たる節がおありなのですか」
サニエルは唇を震わせながら言葉を絞り出す。
「あ、あぁ……昨夜、セリーヌに告げたのだ。アイリスを側妃に迎えたい、と。
だが、どの国でも側妃の一人や二人はいる……セリーヌも王妃なら、そのくらいのこと……」
ベルリアは両手で頭を抱え、低く呻いた。
「陛下……お忘れなのですか。帝国からセリーヌ王妃が輿入れなされた時、我らは誓約を交わしたはずです。
“側妃は持たない”――ただ一人、セリーヌ王妃だけを正妻とする、そう約束なさったでしょう。
テストニア帝国の王族は代々一夫一妻、そこに誇りを持つ国です。その誓いを破ることは……」
「だから……セリーヌは、約束を忘れたのかと言っていたのか……」
サニエルは両手で顔を覆い、深く頭を垂れた。
嗚咽ともため息ともつかない声が、静かな部屋に響く。
ベルリア宰相はしばし黙って国王を見つめ、それから疲れ果てたように告げた。
「王妃様は御自ら命を絶たれ、その亡骸はライオネル殿下によって連れ去られました……
陛下、この国はもう終わりです」
その言葉を残して、宰相はふらつきながら部屋を後にした。
サニエルは独り残され、床に膝をつく。
「もう、いないのか……セリーヌ……」
頬を伝うものが、悲しみの涙か、それとも後悔の涙か、彼自身にも分からなかった。
ただ、失ってしまったものの大きさが胸を締めつけ、息ができなかった。
一方その頃、テストニア帝国軍の離宮に戻ったライオネルは、姉をそっと自室の寝台に横たえた。
「姉上……」
その声はかすれ、今にも消えそうだった。
ライオネルは同行していた侍女を呼び寄せ、低い声で命じる。
「このままでは、姉上があまりにも哀れだ……どうか、きれいにして差し上げてくれ」
そう告げて部屋を出ると、廊下でこらえきれない涙が頬を伝った。
袖で拭っても拭っても止まらない。
やがて彼は軍部の集まる作戦室に姿を現した。
その表情は、もう泣きはらした弟の顔ではなかった。
代わりに、決意に冷たく光る瞳がそこにあった。
セリーヌ王妃の死は、長く続いてきた和平の均衡を音を立てて崩した。
ライオネルは即座に本国へ連絡を入れ、兵の召集を命じた。
テストニア帝国は圧倒的な軍事力を誇り、魔法の使用が日常にまで根付いている。
それに比べ、シンホニアでは魔法を使うのは一部の貴族と魔法師団、あるいは僧院の者たちに限られており、帝国との力の差は歴然だった。
指示からほどなくして転移陣が稼働し、帝国の兵士たちが次々に離宮へ現れた。
セリーヌが命を絶ってから半日も経たないうちに、シンホニア王城は帝国軍の手に落ちた。
血は流れなかった。
サルジーニ国は終始静観し、ただ事の成り行きを見守るのみだった。
緑豊かで気候も穏やかなシンホニア国は、古くから他国の垂涎の的だった。
それでも侵略を免れてきたのは、代々「結界」を張る巫女が国を守っていたからだ。
だが、その巫女も老い、後継者は現れなかった。
先王はこの国の脆弱さを悟り、強大なテストニア帝国との縁組みに望みを託した。
セリーヌこそが、その盾であり絆だったのだ。
しかし、国王が約束を破り、王妃を死に追いやったとき、すべては終わった。
帝国軍は無血で王都を制圧し、シンホニアはそのまま帝国の属国とされた。国王のサニエルは、塔に幽閉され、ほどなくして表向き病死とされ、毒殺された。恋人だったアイリスは、身元不明の遺体として、川で見付かった。誰も引き取り手はおらず、街外れの集合墓地に埋葬された。
ライオネルは新たな統治者として国を引き継ぎ、その名を「ナイリア国」と改めた。
かつての穏やかな国の姿は、もうどこにもなかった。
残っているのは、セリーヌ王妃の青い雫石と、彼女が守り続けた平和の記憶だけだった。
その報せが宮殿に届いた時、シンホニアの国王サニエルは、玉座の上で呆然と立ち尽くしていた。
「う、嘘だろ……そんなこと……」
口からこぼれた言葉は、現実感のないつぶやきだった。
頭の奥で、何かが崩れていく音がする。悲しみよりも先に、混乱が胸を満たした。
ベルリア宰相が重い声で報告を続ける。
「陛下……王妃様は、御自らバルコニーから飛び降りられました」
その言葉に、サニエルはようやく顔を上げた。
「なぜだ……なぜそんなことを……」
そして、ふいに脳裏に昨夜の記憶が蘇る。
「まさか……」
低くつぶやくサニエルに、宰相が目を細めた。
「陛下、何か思い当たる節がおありなのですか」
サニエルは唇を震わせながら言葉を絞り出す。
「あ、あぁ……昨夜、セリーヌに告げたのだ。アイリスを側妃に迎えたい、と。
だが、どの国でも側妃の一人や二人はいる……セリーヌも王妃なら、そのくらいのこと……」
ベルリアは両手で頭を抱え、低く呻いた。
「陛下……お忘れなのですか。帝国からセリーヌ王妃が輿入れなされた時、我らは誓約を交わしたはずです。
“側妃は持たない”――ただ一人、セリーヌ王妃だけを正妻とする、そう約束なさったでしょう。
テストニア帝国の王族は代々一夫一妻、そこに誇りを持つ国です。その誓いを破ることは……」
「だから……セリーヌは、約束を忘れたのかと言っていたのか……」
サニエルは両手で顔を覆い、深く頭を垂れた。
嗚咽ともため息ともつかない声が、静かな部屋に響く。
ベルリア宰相はしばし黙って国王を見つめ、それから疲れ果てたように告げた。
「王妃様は御自ら命を絶たれ、その亡骸はライオネル殿下によって連れ去られました……
陛下、この国はもう終わりです」
その言葉を残して、宰相はふらつきながら部屋を後にした。
サニエルは独り残され、床に膝をつく。
「もう、いないのか……セリーヌ……」
頬を伝うものが、悲しみの涙か、それとも後悔の涙か、彼自身にも分からなかった。
ただ、失ってしまったものの大きさが胸を締めつけ、息ができなかった。
一方その頃、テストニア帝国軍の離宮に戻ったライオネルは、姉をそっと自室の寝台に横たえた。
「姉上……」
その声はかすれ、今にも消えそうだった。
ライオネルは同行していた侍女を呼び寄せ、低い声で命じる。
「このままでは、姉上があまりにも哀れだ……どうか、きれいにして差し上げてくれ」
そう告げて部屋を出ると、廊下でこらえきれない涙が頬を伝った。
袖で拭っても拭っても止まらない。
やがて彼は軍部の集まる作戦室に姿を現した。
その表情は、もう泣きはらした弟の顔ではなかった。
代わりに、決意に冷たく光る瞳がそこにあった。
セリーヌ王妃の死は、長く続いてきた和平の均衡を音を立てて崩した。
ライオネルは即座に本国へ連絡を入れ、兵の召集を命じた。
テストニア帝国は圧倒的な軍事力を誇り、魔法の使用が日常にまで根付いている。
それに比べ、シンホニアでは魔法を使うのは一部の貴族と魔法師団、あるいは僧院の者たちに限られており、帝国との力の差は歴然だった。
指示からほどなくして転移陣が稼働し、帝国の兵士たちが次々に離宮へ現れた。
セリーヌが命を絶ってから半日も経たないうちに、シンホニア王城は帝国軍の手に落ちた。
血は流れなかった。
サルジーニ国は終始静観し、ただ事の成り行きを見守るのみだった。
緑豊かで気候も穏やかなシンホニア国は、古くから他国の垂涎の的だった。
それでも侵略を免れてきたのは、代々「結界」を張る巫女が国を守っていたからだ。
だが、その巫女も老い、後継者は現れなかった。
先王はこの国の脆弱さを悟り、強大なテストニア帝国との縁組みに望みを託した。
セリーヌこそが、その盾であり絆だったのだ。
しかし、国王が約束を破り、王妃を死に追いやったとき、すべては終わった。
帝国軍は無血で王都を制圧し、シンホニアはそのまま帝国の属国とされた。国王のサニエルは、塔に幽閉され、ほどなくして表向き病死とされ、毒殺された。恋人だったアイリスは、身元不明の遺体として、川で見付かった。誰も引き取り手はおらず、街外れの集合墓地に埋葬された。
ライオネルは新たな統治者として国を引き継ぎ、その名を「ナイリア国」と改めた。
かつての穏やかな国の姿は、もうどこにもなかった。
残っているのは、セリーヌ王妃の青い雫石と、彼女が守り続けた平和の記憶だけだった。
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