とある魔女の後悔

宵森みなと

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第11話 永遠の誓い

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 「カイン、あなた籍を入れたら止まらないでしょ?」
 エリナの声には、母らしい優しさと少しの呆れが混じっていた。
 「結婚式を挙げるまで待ちなさい。母もアリスティアのウエディングドレス、楽しみにしてるんだから。お腹が大きくなったら大変でしょ?」

 まるで暴れ馬をなだめるように、エリナは息子の暴走を押しとどめた。
 カインは唇を結び、ほんの少し拗ねたような顔で視線をそらす。
 ――そんなに待てない。けれど、母の言葉には逆らえない。
 その表情にアリスティアは苦笑しながらも、頬がじんわりと熱くなった。

 式は最短の二ヶ月後に決まった。屋敷ではドレスの仮縫いや会場の打ち合わせが連日続き、アリスティアは慣れない準備に追われながらも、ふとした瞬間に胸を高鳴らせていた。
 ――あのカインと、夫婦になるのだ。
 夢のような実感が湧くたびに、心の奥で照れくささと幸福が入り混じった。

 けれど、カインの“保護”は日に日に過剰になっていった。
 「外は危ない。屋敷で大人しくしていてくれ。」
 その一言で、アリスティアの外出はほとんど許されなくなった。
 横から誰かに攫われるのではないか――カインは本気でそう思っている節がある。

 仕事も、式が終わるまでは休職扱いに。
 母エリナは肩をすくめて言った。
 「戻ることはないわね、きっと。あの子、血筋なのよ。一度想いが通じたら独占欲が止まらない。重たい愛の家系なのよ。」
 その冗談めいた言葉に、アリスティアは頬を染めて俯いた。

 カインが帰ってくると、まるで磁石のように彼の手が伸びる。
 どこへ行くにも離れず、食事も散歩も寝る前のひとときも一緒。
 だが――式が終わるまでは「手出し禁止」とカイザルに釘を刺されていたため、同じ寝台に並ぶことはなかった。日を追う毎に深くなる口付け。
 抑えた熱を胸に秘めたまま、二人の時間だけが穏やかに過ぎていく。

 そして、待ち望んだ結婚式当日。

 純白のドレスに身を包んだアリスティアは、鏡の前でそっと息を呑んだ。
 レースの裾が床を撫で、陽光に包まれた瞬間、まるで雪の精がそこに立っているようだった。
 首もとには、カインの瞳と同じ深いブルーのサファイアのネックレス。
 イヤリングも、髪飾りも、すべてが「彼の色」で統一されている。
 ――彼のもの、という証。
 その想いが胸の奥で甘く疼いた。

 式は厳かに、けれど温かく進んだ。
 誓いの言葉を交わす瞬間、カインの青い瞳に映る自分の姿があまりにも真っ直ぐで、アリスティアは涙をこらえるのに必死だった。

 お披露目の宴では多くの祝福が降り注いだが、カインは挨拶を終えるや否や、そっと彼女の手を取り耳元で囁いた。
 「――行こう。待たせすぎた。」
 その声に含まれた熱が、言葉以上の意味を持って伝わってくる。

 部屋で待つアリスティアは、静かな灯りの中で両手を握りしめた。
 心臓の鼓動が早い。息が浅い。
 ――どうすればいいの…?
 結婚式の準備で忙殺され、誰にも“その先”のことを聞けなかったのだ。
 カインが入ってきた時、彼女は震える声で言った。
 「カ、カイン……初めてで、分からないの……」

 その言葉を最後に、彼は何も答えず、噛みつくようなキスをして、身も心も溶け合う様に身体を重ね、夜はゆっくりと、更けていった。
 朝が来ても、夜が来ても二人は何度も愛を確かめ合い、そして気づけば、一週間が経っていた。

 母エリナが半ば呆れ顔で扉を開け、アリスティアの力の抜けた身体を引きずるようにベッドから助け出した。
 「いい加減にしなさい。嫁入り早々、アリスティアが干からびるわよ。」
 カインは不満そうに眉をひそめたが、結局は観念した。

 それから程なくして、アリスティアのもとに新しい命が宿った。
 まるで、二人の想いが形になったかのように。

 ――そして十年が経った。

 アリスティアは今、侯爵夫人として家の切り盛りと三人の子どもの世話に追われる日々を送っていた。
 朝から晩まで息つく暇もないほど忙しく、それでもふとした瞬間に、あの青い瞳を思い出して微笑んでしまう。

 その日、久しぶりに街へ出たアリスティアは、懐かしい石畳の路地を歩いていた。
 ジストリアで暮らしていた頃のアパートの近く――。
 不意に、あの頃のオーナーだった老婦人が視界に入った。
 目元に皺を寄せ、昔と同じ柔らかな笑み。
 ――リエルではないのだから、気づかれるはずがない。
 そう思いながら通り過ぎようとした時だった。

 「あなたは、今……幸せですか?」

 その声に、足が止まった。
 アリスティアは振り返り、少し驚いた顔で答える。
 「えぇ……幸せです。」
 自然と笑みが零れた。嘘のない、本物の笑顔だった。

 老婦人は、目元の皺をさらにくしゃっとさせて微笑んだ。
 「それなら、良かった。」

 その瞬間――
 風が吹き抜け、アリスティアの髪が揺れた。
 もう、そこに老婦人の姿はなかった。

 まるで幻のように消えたその背を探して、彼女は一瞬だけ空を仰いだ。
 「……見間違いかしら。」
 小さく首をかしげて微笑むと、再び歩き出す。

 石畳に差し込む午後の光が、長い影を連ねていた。
 その影の先には、確かに“幸せ”と呼べる日常が続いている。
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