とある魔女の後悔

宵森みなと

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第10話 揺らぐ鼓動

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アリスティアが帰還して数日。
ジストリア国に残していた隠密部隊も、静かに引き上げてきたという報告が届いた。

リエルの“死”が思った以上に大きな波を立てていた。
彼女の死を機に、軍へ向ける国民の視線は一気に厳しさを増し、
アデルの離反が追い討ちをかけるように、サマリエル進軍派の力は崩れ落ちた。

その代わりに、国内強化を主張する派閥が勢力を伸ばし、
かのパーティーで出会ったジールエルも失脚したと知らされた。

そして――
「アデルは時折、リエルが身を投げた崖の縁で泣き崩れているそうです」と。
仲間の報告に、アリスティアは小さく目を閉じた。胸の奥が、少しだけ痛んだ。

けれど、それも一瞬だった。
「リエルの想いは、もう終わったのよ」
そう呟き、彼女は前を向いた。
もう二度と、振り返らないと決めたのだ。

***

それからの日々、アリスティアは“侯爵令嬢”として社交界に顔を出し、
舞踏会やお茶会を渡り歩きながら、政治の裏で流れる噂を拾い集めていた。

けれど――違和感があった。
最近、隠密部隊からの任務がやけに軽い。
視線の届く範囲に危険が少なすぎる。

ある日、アリスティアは我慢できず父の執務室を訪ねた。

「カイザル統括、私……最近、重要任務につけてもらえてません。
何か、失敗でもしましたか?」
言葉が震え、声がかすれる。

父はペンを置き、困ったように頬を掻いた。
「うーん……そうだな。カインと少し話してみろ。今はそれしか言えん」

「……カインお兄様?」
胸の奥で、何かが引っかかった。

その足で訓練場へ向かう。
ドスドスと音を立てながら歩く自分の足音が、怒りと不安の混ざった鼓動のように響いた。



訓練場の中央で、カインが新人たちを指導していた。冷たい風の中、彼の背筋はまっすぐに伸びていて、鋭い声が響くたびに、若者たちの動きが揃っていく。

――あぁ、こんな顔、してたんだ。

幼い頃から見慣れた背中。けれど今は、まるで違う。
逞しく、広く、頼もしい。
家で見せる穏やかな表情とは違い、
命を預かる者の眼差しをしていた。

養成所にいた頃、彼の指導が厳しくて泣いた日々を思い出す。
あの時の自分には、そんな彼の覚悟が見えていなかった。

ぼうっと見つめていると、訓練が終わり、カインが振り返る。
その瞳がアリスティアを見つけた瞬間――
彼の顔がふっと和らいだ。

嬉しそうに微笑むその表情に、胸が強く鳴った。
――ドキン。

足の先から頬まで一気に熱が上がる。
目を逸らして、慌てて俯いた。

「アリスティア?どうした?」
近づいてくる声がやけに近く感じて、
それだけで、胸がまた跳ねた。

「な、なんでもありません!」
逃げるように頭を下げて、そのまま踵を返した。
馬車に飛び乗り、侯爵家へ戻る。

***

「お母様……!」
部屋の扉を開けた瞬間、涙がこぼれた。

エリナは驚いた顔で娘を迎え入れた。
「どうしたの、アリスティア?」

「カインお兄様を見たら、胸がドキドキして……痛いんです。
顔も熱くなって見れなくて……私、どうしたんでしょう?病気ですか?」

泣きながら母の胸に飛び込む。
エリナはそっと背中を撫でながら、柔らかく笑った。

「落ち着いて。どうしてそうなったのか、順番に教えて?」

「今日、カイザル統括の元に行き……
重要任務に外された理由を聞いたんです。
そしたら、“カインと話せ”って言われて……
お兄様が何か手を回したのかと思って、怒って訓練場に行きました。
でも……お兄様が新人を教えてる姿を見たら、
あんなに逞しくて、大きな背中で、
真剣に、私にも昔あんなふうに教えてくれてたんだって……気づいたら、胸が痛くて。
終わった後、私を見つけて、嬉しそうに笑って……
その顔を見たら、もう息ができないほどドキドキして、顔が熱くなって……!」

しゃくり上げながら話す娘を、エリナは優しく抱き寄せた。

「ですってよ」
ふいに、背後に声を掛けた。

「……え?」
アリスティアが振り返ると、
そこには、耳まで真っ赤にしたカインが立っていた。

目を見開いたまま、言葉が出ない。
次の瞬間、カインが近づいてきて、ためらいもなく抱き締めた。

「良かった……ちゃんと俺に、恋してくれた」

アリスティアは涙を拭いながら、震える声で言った。
「こ、恋? 恋って……こんなに胸が痛くて、死にそうになるものなの?」

カインは笑いながら、そっと額に唇を触れた。
「ドキドキして胸が痛いなら……アリスティアの初恋は、俺だな」

アリスティアの顔が一瞬で真っ赤に染まった。
カインの目尻にも光が浮かんでいた。

***

その後、彼女はカインの膝から下ろしてもらえぬまま、エリナからゆっくりと真相を聞かされた。

ランドエル侯爵家――隠密部隊を率いる一族には古くからの家訓がある。
「次期当主は自らの手で嫁を見出し、共に任務を重ね、絆を育み、結婚せよ」。
カイザルとエリナも、その道を歩んだ。

そして、カインが孤児院で“エル”に出会ったのも、そのためだった。
最初から――彼女は、彼の未来の妻として選ばれたのだ。

養成所での厳しい訓練、逃亡、脚本家としての活動、恋文代行屋としての生活――
そのすべてを、カインは陰で見守っていた。
命の危険に晒されるたび、彼は部下を動かし、彼女を守っていた。

「痩せて綺麗になっていくお前を見て、怖くなったんだ」
カインが、ぽつりと漏らす。
「俺が守らないとって。……いずれ妻になる人を、誰かに取られたくなかった」

だから、一旦は“妹”として養子縁組された。
だが、兄妹の線引きがいつしか二人の心を縛り、
カイン自身もどうしていいかわからず苦しんでいたという。

「だから……アリスティアを重要任務から外してくれって、父上に頼んだ。
期限は一ヶ月。もしそれまでに想いを伝えられなかったら、
兄妹のまま終わるつもりだった」

アリスティアは顔を真っ赤にして、彼の胸に顔を埋めた。
「そんな……知らなかった……」

「アリスティア、顔を見せて」
カインの指が、そっと顎をすくい上げた。

恐る恐る目を上げると、彼が微笑んで――唇が重なった。
一瞬、世界が静まり返る。

「アリスティア、ずっと好きだった。愛してる」
囁く声が震えていた。

アリスティアは涙を滲ませながら、震える唇で答えた。
「カインお兄様……好き」

その瞬間、カインが噛みつくようにキスを深めた。
息が苦しいほど長く、熱い口づけだった。

ふと、我に返る。――そういえば母が。
慌てて振り向くと、エリナの姿はどこにもなかった。

「……恥ずかしすぎて、どんな顔でお母様を見ればいいのよ……」
アリスティアが真っ赤な顔で呟くと、
カインは笑って、こめかみに軽くキスをした。

「すぐに結婚だな」

その言葉に、アリスティアはさらに顔を赤らめた。
暖炉の火が、二人の影を寄り添うように揺らしていた。
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