4 / 49
第4話『巨大樹の森』
しおりを挟むボクは走っていた。
全力で逃げ出していた。
殺される、殺される、殺される。
頭の中はそんな恐怖でいっぱいだった。
「はぁっ……、はぁっ……」
走っていると、まるで走馬灯でも見ているかのように思い出が前方から現れ、後方へと消えていった。
それは昔、家族で仲良く遊んだ記憶……なんかじゃない。
――同級生から虐げられ、奴隷として扱われた地獄の記憶だ。
「きひ、きひひひっ!」
不思議と笑いがこぼれた。
それは自分自身へ向けた嘲笑だったのかもしれない。
涙と鼻水と吐瀉物と小便と、それから笑い声を垂れ流して走る。
気が狂ったように、ボクは笑い続けた。
「きひひひっ、きひひ……きひひひっ!」
笑っているうちに、だんだんと自分が今なにを考えているのかもわからなってくる。
溢れ出したさまざまな感情が、ないまぜになっていた。
「きひひ! きひひ! きひひのひっ!」
韻を踏んで笑ってみる。
それがなぜかおもしろく感じられて、ますます笑い声が大きくなる。
だんだんと自分が壊れていっているのを自覚する。
けれど、もはや止めることなどできなかった。
「きひひ、きひひ、きひひのひっ! きひひ、きひひ、きひひのひぃぃぃいいいいいいっ!」
叫び、叫び、先ほどよりもさらにテンポを上げて声を出しながらボクは――飛んだ。
いつの間にか住宅街を抜けていた。
大通りに面したT字路。そこのガードレールに足をかけ、思いっきり踏み切っていた。
(あれ? なにをやってるんだボクは?)
今さら冷静になっても、もう遅い。
ボクの身体は横合いからの強い衝撃に襲われ、跳ね飛ばされていた。
痛みはなかった。
むしろ、絶頂しそうなほど気持ちよかった。
視界がぐるぐると回転し、天と地が交互に現れ……。
最後に電柱に激突した。
「き、ひっ……」
ボクは身体中からいろんなものを吹き出し、文字通りに昇天した。
そして――。
――気づくと、ボクは森の中でひとり突っ立っていた。
* * *
「ぜぇっ……はぁっ、ぜぇっ……はぁっ」
森の中をアテもなくさまよう。
かれこれ30分は歩いたと思うのに、景色に変化がまったく見られなかった。
だが、その退屈な時間のおかげでボクは落ち着くことができた。
だんだんと状況を把握しはじめていた。
「なんでこんなところにいるんだ? もしかしてボクは死んだのか?」
だとしたらここは天国、ではないな。
こんな森の中を歩かせる天国なんて、聞いたこともない。
「じゃあ地獄? でも、ボクは無実なんだぞ……!」
グチグチと不満を漏らしながら歩く。
長らく引きこもっていたせいだろう、自然とひとりごとが多くなる。
けれどまぁ、この状況も最悪ではなかった。
正直、ここが地獄でもボクは構わないと思った。
だって、すくなくとも現世よりはマシだから。
ここにはあの忌々しい父も弟もいないのだから。
「あれ? だったらボクにとっては、やっぱりここが天国なのか? 案外、そのあたりから神さまが見てたりして?」
そんなことを思いながら頭上へと視線を向ける。
しかし、空すら見えなかった。
日光のほとんどは枝葉により遮られ、わずかな木漏れ日が落ちるばかり。
それもこれも、この”巨大すぎる樹木”のせいだ。
じぃっと見つめても、その縮尺が変わることはなかった。
あたり一帯にこの現実感のない巨大樹が立ち並んでいた。
「……いやいや」
かぶりを振って思考を打ち切る。
まさか、こんなのに見覚えなんてあるはずがない。ないったらない。
だって、まさか……その、ねぇ?
じわりと胸中に広がる予感。
全身からじわぁっと汗が染み出す。
もう身体中、いろんな液や土でドロドロだ。
せめて、パンツだけでもなんとかならないものか。
歩くたびに濡れたそれがぺたりぺたりと股間に張りついて気持ち悪いったらない。
……と。
見上げていた視線の先でなにかが動いた気がした。
「うん?」
その影に視線を合わせ続けていると、それは起こった。
『ピコン』とやけにコミカルな電子音が鳴り、視界に”カーソル”と”ウィンドウ”が現れていた。
――――――
手多猿《個体名なし》♂ Lv.36
HP : 122/ 122
SP : 103/ 104
MP : 0/ 0
状態: 正常
――――――
「~~~~!」
瞬間、心の奥が一気に燃え上がった。
感動と興奮が胸中で爆発していた。
「きひっ、きひひっ!」
もしかして、という思いはあった。
地球上だとは思えないほどの巨大樹の森を見て、予感を覚えてはいた。
そして今、疑問は確信へと変わった。
ここはボクの知らない、そして”知っている”世界。
「間違いない。ここは異世界だ。それも――ボクがプレイしていたゲームの世界だ!」
感情を抑えきれず叫んだのと同時。
『テオオザル』という名前の横に目のようなアイコンが現れた。
こちらを発見した合図だ。
アイコンの目は黄色――”警戒色”を示していた。
「あっ」
ボクははたと動きを止める。
興奮で頭からすっぽ抜けていたが、とある致命的な問題に気づいたのだ。
「ボク、どうやって戦えばいいんだ?」
一気に頭から熱が失せる。
まるで頭蓋骨の内側に直接、冷や水でも入れられたようだった。
そうだ、忘れていた。
ボクは”彼”ではないのだ――。
応援ありがとうございます!
10
お気に入りに追加
494
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる