痛がり

白い靴下の猫

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12.サーファ・カウルの生体認証

再度ブザーが鳴る。
「さて、と、何人か敵が入ってきましたから行きますね。がんばりましょお」
メイの掛け声はどこかのんきだ。
がんばりましょお、ってまた自分が行くつもりか。

「ますみ、サシャと一緒にここ変わって。俺無線のイヤホンつけて出るから、敵の動きが見えたら教えてくれ。あと、攻撃系はメイに任せろ。えらい複雑だ」
「ちょっと待って。さとる一人で出るつもり?僕もいっしょに・・」
出るよ、と言おうとしたますみの袖を、サシャがひっしと掴む。
「一人にしないでください、お願いします」
「えっと、だいじょうぶ、ここにはメイにいてもらうから・・」
すがりつくサシャをますみが落ち着かせていると、メイの冷静な声がした。
「これかしてください」
さとるは自分の装備に忙しく、振り向きもせず
「おう、なんでも使っていいぞ」
と答えた。
「では、行きます」
「は?」
さとるが振り向いた時には遅かった。
メイはさとるのジャケットを着込み、ガスマスクで顔を隠して、モニタールームをとびだした。
「まった!」
慌てるさとるのまえでドアが締まる。
「さとるさんは動かないでくださいね。そこからの援護がないと負けます。ちなみにサシャは防御専門、攻撃系あやつれるのそこにいる人間だとあなただけですから」
「ふざけてんのか!相手は銃持ってんだぞ、戻ってこい!」
さとるが無線マイクに向かって叫んだ。
「遅いです。飛行機の音がします。ホログラムスイッチ入れてください」
「あ?」
モニターには迫り来る4台の小型機がみえた。
しょぼいトマホーク型だが、この際問題は値段じゃない。上から攻撃されるかが大問題なのだ。
ホログラムスイッチ?
数秒でそれを見つけてさとるが入れると、敷地内に建物がうじゃうじゃと増えたように見えた。
「ありがとうございます。それから、電流系は今回効かなそうです。電力の無駄なので、切って、砲台場所に・・・」
「指示してねーで、お前がかわれ!!」
「いえ、私のほうが多分、運がいいですから」
「どういう根拠だ、莫迦!」
だがメイは強かった。
敵の自動小銃と遠隔操作の砲台からの弾雨の中を、信じられない速さで進み、気密シャッターの操作をさとるに指示し、ガス弾とナイフだけで、確実に銃を持った敵を戦闘不能にしていく。
ホログラムに遮られて砲台を見極められないトマホークへの攻撃は、いとも簡単だった。だが、機体が損傷して離脱していくときには、やけくそのように弾薬をぶちまけていく。逃げ遅れた敵の私兵がふっとんだがお構いなしだ。
激しく息を乱したメイが確認してくる。
「あと何人ですか?」
「まだ4人もいるぞ。代われ!」
「無理です。体力的に走って戻る余裕ありません。つづけます」
「ばっかやろ!今行くから潜んでろ!ますみ、とりあえず、俺が出たらこことここ押してロックしろ」
引きずられるように席についたますみがマニュアルをめくりながら切羽詰った答えで答える。
「ごめんっ、攻撃の操作覚えられない!」
「サシャが防御できるんだろ、だいじょうぶだ」
そう答えると、さとるは二人の顔も見ず駆け出した。
メイはナイフとガス弾しか使っていなかった。
要は自動小銃を撃っている奴は全部敵だ。トマホークの影は既になく、代わりに煙と砂埃が液体のようにまとわりつく。敵も絶縁服を目深にかぶっていたのでは埒があかないと思ったのだろう、フードをはねあげて半脱ぎだ。
さとるは、小型のスタンガンをアーチェリーで飛ばすような電磁矢という武器で二人の敵を無力化した。
メイと最後に連絡を取った場所まで後一歩というところで、怪鳥が鳴くような声がして何かが倒れる。
「メイ?!」
「はい!」
とたんに、激しい銃撃音が声の出処にむかって射こまれる。
さとるは、メイがあろうことか銃撃音のほうに駆け出すのをみた。
「やめろ、危ない!」
さとるが立ち上がって電磁矢を飛ばす。優と散々玩具にしていた武器なので命中率は自慢できる。
一瞬切れた煙幕のすき間から、首筋に電磁矢を受けた最後の敵が倒れるのを見た。手榴弾が握られている。
「メイ!近づくな!爆弾だ!」
弾を避け、かなり不自然な体勢で飛びかかりかけたメイは、片足で自分の体重を支え、強引に横に飛んだ。
足首にグシっと嫌な音を立てさせるのを聞きながら、もう一方の足で手榴弾を蹴り飛ばす。
ドン!
破裂音がしてメイは地面に叩きつけられた。
「おいっ」
さとるが駆け寄ると、メイはごろっと上を向いた。
「ね、運良かったでしょう?弾一発もあたってません。」
だが、メイの足は、みるみる腫れ上がってくる。
さとるがあきれてなにか言ってやろうと息を吸い込んだところに、ますみの声が響く。
「さとるっ、聞こえる?」
「おう」
「動いてる敵はゼロになって、サーファは、ここから離れた。でも、なんか変なハッキング?されて、回線の一系統が丸ごと言うこときかない。っていうか、遠隔であいつの言うこと聞いちゃうかも!」
やれやれそんなことができるのか。思ったよりハイテクじゃないか。
途中で声がサシャに変わる。
「メイ、聞こえますか」
「ええ」
「ハッキングの時にアクセスしてきたキーが、サーファ・カウルの生体認証です。2年ぶり、に」
「・・・ついに、か」
メイの声が低くなり、それに反してメイの口の端が上がったのを、さとるは見た。
年下の女の子の面構えではなかった。
修羅場に根をはり、こいつは、これを待っていたのだ。


「守り、ますから」
覚醒しかけの夢現、サシャの口からこぼれ落ちる決意。
「サシャ?」
サシャの額に濡れタオルを押し付けていたますみが、サシャの口に耳を寄せる。
自分の声で気づいたサシャがあわてて起き上がろうとしてゴツンとますみにぶつかる。
「わっ、ごめん」
「いえっ、もうしわけありません!」
おどろいて大きな声を出し、サシャはまた咳き込んだ。
ますみがあわてて冷たい水を汲んで持ってくるのを、サシャは不思議なものを見る目で見ていた。
「みずっ。のど痛い?お医者さん心当たりある?飴いる?」
サシャは首を横に振り、水を受け取った。
ますみはサシャの背中をさすり、ぬれたタオルで手についた煤を拭った。
「えっと、ごめんね、あんまり戦力になれなくて」
「せん・・りょく・・」
「多分、なんか、僕らに手伝って欲しいことがあったんだよね。一生懸命優しくしてくれたのに。結局怪我させちゃって、ごめんね」
怪我、というのはこの単にのどが痛いという状態を指しているのだろうか。
「・・・いいえ。全くますみさんのせいではありません」
ますみは困ったように下を向く。
「ええと、色々言えないことがあったのは僕ら、というか僕が頼りないから、だと思うし」
「違いますっ」
ますみはサシャの手をぽんぽんと叩く。
「ありがと。無理して喋んなくていいからね。その・・内容的にも、喉的にも。既にもう、全面的に信用済みでメロメロだから」
あわてて声を出そうとしたサシャにむかって、ますみはゆっくりね、というジェスチャーをしてみせた。
「私とメイが隠し事をしているのはお見通しでしたよね。不愉快、でしたよね」
「だいじょうぶだいじょうぶ。お嫁さんもらったみたいで嬉しかったよ。」
サシャは複雑そうな顔をしていった。
「『みたい』ですか。ここでは、『みたい』はないです。自業自得、ですけど」
どんな目的があろうと、どんな嘘があろうと、ここから帰れば外国の男の手がついたと村八分、だ。不浄。神離れ。自分はメイほど他人からの非難に強くない。それでも譲れなかった。何年も、願いは一つだ。神様、そして、優さん。私はメイよりも役に立ってみせます。
「あ、ごめん、嬉しかった、じゃなくて、嬉しい。『みたい』って言ったのは、日本での結婚が僕まだできない年だから、そういう表現になっただけ」
ますみが言い直す。
「日本での結婚?」
「えっと、俺はまだ学生で、このまま一生ここで暮らすことはできなくて、そうすると、日本でも結婚した方がい良いと思うんだけど、法律的に、今の歳だと無理だから、どうしよう、って」
「ホゴラシュは国として認められていませんが、日本は違います。日本で結婚をすると自由がうばわれるのであなたに得がないです」
「ええー?得っていわれても。うちの国って特に最近、結婚できない人ばっかりの変わった国なんだ。サシャみたいな素敵な人予約できるんだったらだれでもするよ。すごい頑張っちゃうよ」
「結婚って、ずっと?」
普通に?両親に認められるような?
「サシャが嫌がらない限りずっとで!あ、すぐ決めなくて大丈夫。仮予約位でも十分嬉しい。どうせまだ学生で数年は子供とかほしがれないし。サシャが綺麗だから、いっぱい見てていいならそれだけでラッキー」
サシャの眼差しが揺れる。
ますみはお世辞を行ったわけではなかった。サシャの素直に感情の現れる大きな目が、その先を見続ける勁さが、とても綺麗だと思った。
巷で言われる恋愛と少々違っていても、そんなことはどうでもいい。
ますみの気持ちは、ダイレクトにサシャに伝わった。


ますみのやさしさがうれしくて、溶けそうになっているサシャの耳に、怒号が飛び込んでくる。
「絶対にっ、二度とっ、あーゆー真似はするな!ピンが抜かれた手榴弾に蹴り食らわす女がどこにいる!」
そして、メイののんびりした声。
「はぁ、でも、飛び散った死体とかあんまりご覧になりたくないかと」
さとるの気配が一段ととんがり、手当てが荒っぽくなったのか、メイの抗議がつづく。
「痛いですってば」
「おかしなところに細やかな気遣いしてんじゃねーよ!あいつは飛び散っても自業自得!」
「それはそうですねー」
メイは、恐れ入る風もなく、さとるに和やかに返事を返している。

サシャが、溶けている間、メイは、怒鳴られていたのか。
サシャはメイが好きではない。
だが、認めなければならないこともある。
たとえば、メイの運動能力と動体視力は、驚異的で、戦闘になればメイに頼るしかないこと。
メイは4~5才の頃から獲物の狩りをしていたし、村人の投げる石礫にもほとんど当たらない。
それから、武装勢力が村を襲ってきたときの戦闘では、何人もの人を殺した。殺さなければ殺されていたし、非難する気はないが、明らかに殺せる側の人間。
そのメイが、怪我をした。する必要のない怪我、だった。
『飛び散った死体とかご覧になりたくないかと』
誰に向けた気遣いだったのか。

戦い方を見ればわかる。さとるだって殺せる側の人間だ。もちろんサシャもだけれど。
残っているのはますみだけ。
戦闘のあと、ますみの強い希望で、戦闘不能になった私兵を軽トラックの荷台に積み上げ、さとるが気絶させていた私兵に運転させて追い出した。
車をくれてやってでも殺したくなかったのだ。
メイが怪我をしてまで気を使ったのは、ますみ?
優しい、ますみ。メイを怒鳴る、さとる。

サーファが行きがけの駄賃のように仕掛けた戦闘で、屋敷は大きなダメージを負った。
うまく撃退できたように見えたのは上辺だけだ。何より、防御系に使用した電力は、供給可能な電力の七割を超えた。もし、倍の戦力が来たら、持ちこたえられない。更に、サーファ・カウルのハッキングで、どんな妨害が入るかわからない。
追い詰められているのがわからないほど、メイは馬鹿ではない。
それなのに、メイは、敵に塩を送り、する必要のない怪我をして、ますみに気を使っている。

考えたくない。嫌だ。優のように綺麗なますみ。
メイに『痛い』といわせる、さとる。優はメイに『痛い』と言わせたことがないのに。
ずっと一緒にいる結婚を考えるといってくれたますみ、サシャを素敵だといってくれるますみ。ますみのような男性を、好まない女性はいるまい。もちろん、メイも。
これまでもメイは、やろうと思えば、サシャからなんでも奪うことができた。
優の信頼や、優の笑顔や、優の期待。

しかも、メイは、貞淑ではない。親が決めた男性と顔合わせをしながら、別の男と通じ、さらに平気でさとるの妻になった。昔からだ。不浄な母の血も、その結果生まれた自分も恥じることなく、自分勝手に好きだの、嫌いだのと主張する。
まるで自分が優にでもなったように、なんの葛藤もなくFGMを否定し、女性の汚さを肯定する。
さとるの妻になっても、気が向けば平気でますみに近づくだろう。

「サシャー、喉つらくなくて元気だったら、湿布持ってきて~。メイの足首がゾウなみになっちゃった。さとるがおいてったやつじゃサイズ合わなそう」
当のますみは、さとるにも、メイにも、屈託がない。
サシャは予備の救急キットをもって、部屋に入った。
「ありがとっ」
ますみが笑う。メイの傍らで。
メイも笑っていた。サシャの心臓が嫌な音で鳴る。
湿布を受け取ろうとしたますみを、サシャはじっと見る。
「ん?なぁに?」
「あの、メイの足に触れるおつもりでしょうか?」
「え・・、えっと、まずい、のかな、ごめん、気づかなくって。じゃ、サシャやってあげてくれる?僕、さとるの手伝いしてくるから。はやいとこダメージの把握と回復と今後の対策しなきゃね」
「はい」
出て行きしなに、ますみがドアの前で振り返る。
「あのさ、サシャは落ち着いてる?その、すごく怖い、とかない?」
聞かれている意味がすぐにはわからなくて、一瞬答えがおくれ、それから気遣われていると思いいたって頬があかくなる。
「大丈夫、です」
「そか、良かった。頼りなく見えるかもだけど、さとると一緒に、絶対守るからね」
「はい」
ますみはサシャにほっこりわらいかけてから、駆け出していった。
サシャは下を向き、そのままメイの足首を手当し始めた。
「さすがに、優さんの息子」
メイの声でサシャが顔を上げた。
メイの左頬がピンクに変色している。
「・・・殴られたの?」
「へ?」
メイはキョトンとして、サシャをみる。
「頬に外傷がある。さとるさん?」
「ええっ?!ちがうちがう。全然違う。戦闘中の傷!」
「ふーん」
全く信じていない風のサシャに、メイとしてはおどろきしかない。
さとるから殴られたとか、どこから出た想像?と思う。
メイとしてはさとるにすごく優しくされている気がするのだが、サシャにはそう見えないのか。
手当て中、優といるような安心感と心地よさで、にまにまが止まらなかったというのに。

私だけが彼の優しさを感じやすいなら、それはそれでとても嬉しい、と頭にうかんだところで、メイは、さすがにまずいかもと思う。
考え方がものほしげ?
あかりさんと内縁ではないと言っていたが、ちゃんと確認した方がいいだろうか。
あかりさんのものだったら、不快に思われるかもしれない。
少なくとも行動に出過ぎないようには気をつけよう。
図々しい気はするけれど、ばれなければ、何を思っても自由だ。

メイは頭の中を切り替えるのに合わせて話題を変えた。

「それより、カウルが、でたね」
「ええ。生体認証ってことは、やっぱり、生きてる、よね」
そう、今は、何よりこれが一番の関心事。
サーファ・カウル。
死んだことになっている優さんの夫。
考えうる限り、優さんが裏切られたら一番つらかっただろうと思われる人。
彼が、優の死にかかわったかを、確かめずにはいられない。
生きているなら、引きずり出させてもらう
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